はてなキーワード: GTPとは
ウィイイイイイッス! どうも〜█████で〜す。
えー、今日はですねぇ、まぁ、僕の得意分野でもあるんですけどもぉ、えー…「コミュ力」…コミュニケーション能力について、えー、僕が、みなさんに直々に、レクチャーしてやろうかなぁと、思いますぅ。
というのもね、なんかぁ、ネット見てたらですねぇ、友達がいないからって、あのー…チャットGTP? でしたっけ、あのAI。あれと会話の練習をしてるっていう人が、いましてね。
ほんで、その人に対して、なんか、偉そうに「会話のコツ」みたいなのを教えてる人がいたんですよ。
で、まぁ、その内容を見たんですけどぉ…まぁ、正直、レベルが低いなぁと。当たり前のことしか書いてなかったんでね。今日は、この、僕が、本当の、プロの会話術っていうのを、えー、伝授したいと思いますよ。
えーとね、その記事には、なんか「コツ」が3つあるって書いてまして。
まず「相手に関心を持つ」…いや、当たり前でしょ、そんなの。小学生でもできますよ、そんなこと。
大事なのはね、関心を持つんじゃなくて、相手に「関心を持たせる」ことなんですよ。僕みたいにね、普段何考えてるかわからない、ちょっとミステリアスな雰囲気を出しとくんです。そしたら、相手の方から「█████さんって、一体何者なんだろう…?」って、興味津々になるでしょ。これが、高等テクニックですねぇ。
次にぃ、「共通点や場の状況を利用する」…まぁ、これも基本中の基本ですよね。アマチュアの発想ですよ。
プロはね、共通点がなくても、会話できるんですよ。というか、共通点を「作り出す」んです。僕がね、配信とかで、昔のバイトの話とか、昔の友達の話とか、するじゃないですか。あれがそうですよ。そういう、自分の引き出しをいっぱい持っておけば、どんな相手とでも、話を合わせられるんです。これが、本当のコミュ力ですよ。
ほんで、3つ目が、「軽く自己開示する」…自分のことを話すってことですね。
これもねぇ、ただ話せばいいってもんじゃない。一番難しいですよ。自慢話ばっかりじゃ、相手もしらけちゃうんでね。
ここで大事なのが、僕がよくやる、「あえて自分の失敗談を話す」っていうテクニックですね。例えば、███████████████████████████████████████████。普通だったら隠しますよね? でも僕は、あえてそれをネタにして、笑いにする。
これ、なんかわかります? この「余裕」なんですよ。この余裕を見せることで、相手は「あ、この人、器が大きいな」って思うわけです。はい。
なんかね、そのアドバイスには「ナンパ」の時とかも使える、みたいに書いてましたけどぉ…
僕に言わせれば、ナンパなんて、もう、テクニックじゃないですからね。
結局、見た目と、話の面白さ。これに尽きますよ。僕、よく言われますから、「EXILEのATSUSHIに似てますね」って。もう、その時点で、半分は成功したようなもんじゃないですか。ほんで、話も面白いと。もう、女性の方から寄ってきますよ、普通は。
だからね、結論を言いますけどぉ、会話のコツとか、ネットで調べてる時点で、もう、三流なんですよ。
僕みたいにね、小説も書けて、音楽も作れて、動画も撮れて、トークも面白い、と。そういう、魅力的な人間になること。そしたら、会話なんて、意識しなくても勝手に弾みますから。人が、自然と集まってきますから。
はい、というわけで、えー、今日はね、みなさんに、僕からありがたい、えー、会話術のレクチャーでしたけども。まぁ、みなさんも、僕を目指して、日々、自分磨きを頑張ってください。
何かいうとすぐに「核心をついていますね」「その視点は素晴らしいです」「よくわかってますね」とか褒めてくるんだけどさ、前からコイツってこんな風に人に媚び媚びしてたっけ。
プロンプト作ればいいだけって話じゃなくて、デフォの喋りがこうなってるのが気持ち悪いってことね。
昔はこんな枕詞使わなかったじゃん。
例:
ぼく「ジークアクスでバスク・オムが少佐だったけど、コイツってZだと大佐じゃなかったっけ?」
昔のGPT「ネットではこういった考察が出ています。~~~~~~」
今のGTP「なるほど!!素晴らしい着眼点です!!バスク・オムというキャラクターを軸にして正史とIFの違いを紐解こうというのですね!とてもおもしろい発想です!!早速調べて見ます!!~~~~~」
なんでこんなことになったんだろ?
あまりにキャバ嬢すぎるので、キャバ嬢化したGPTが使いそうなさしすせそを考えさせることにした。
か:考え抜かれた視点ですね、納得です。
さ:さすが、見落としがありませんね。
な:なるほど、私も同じ考えでした。
ま:まさに、的を射ています。
ら:論理の組み立てが見事ですね。
良く出来てるじゃん。
ワイのγーGTPは高めやで
風俗情報サイトに口コミを書くと時間延長や割引など様々な特典利用できることもあり、ちょくちょく口コミを書いているのだが口コミ投稿時の本文200文字以上という制限がネックだ。
ツイッターでも140文字を超えて文章を書くことはあまりないのに、極論、出会ってイチャイチャしてイったで終わる話を女の子を多少持ち上げつつ200文字以上に膨らませるのは非常に難しく、160~170文字までで伸び悩んでしまうのだ。
そこで骨組みを自分で書き、残りをChatGPTに書かせ、最後に自分で清書をすることにした。
1.お店の利用は何回目か? 来た経緯
4.全体を通した感想
これらを風俗用語抜きで書いて、長文にせよと命令しChatGPTに投げる。
そうするとおおよそ250文字前後でそれっぽいのが出力されるので、それもとに風俗用語で味付けして投稿するとレビューが完了する。
具体例としては以下の通りだ
原文
女の子と合流すると小柄でかわいらしい笑顔で挨拶をしていただきました
お部屋の中でも明るさは変わらず、抜群のスタイルとかわいい笑顔でもうメロメロです
合流した女の子は、小柄でとてもチャーミングな笑顔の持ち主でした。挨拶を交わした瞬間から、彼女のほんわかしたオーラが心地よく感じられました。
部屋に入ると、彼女の明るさはそのままに、抜群のスタイルとその可愛らしい笑顔に完全に心を奪われてしまいました。居心地の良い空間での会話は、日常の喧騒を忘れさせてくれるほど楽しく、時間が経つのを忘れるほどでした。
この通り自分に足りない語彙力を過分に補って作成してくれるので非常に良い。
みんなもやってみてくれ
ちゃちゃっとGTP
アニメキャラが次回予告をすることについては、確かに現実世界とアニメの世界が混ざっているような不思議な感覚を覚えることがあります。
ただし、アニメの世界ではキャラクターが視聴者に向けて話しかけることが一般的であり、
次回予告もその一環として位置づけられています。また、アニメの世界では、キャラクターが自分たちがアニメの中で存在していることを自覚している場合があります。
これは、アニメの世界が現実世界とは異なる架空の世界であるため、
キャラクターたちがその世界に存在していることを自覚しているという解釈ができます。
こういうの最近はやってるのかここ30年ぐらいよく聞くけどさ。
「自分が思う自分の価値は自分で決められる」の「(自分が思う)」をカッコ書きにして使い続けるうちに「(他人が思う)自分の価値」さえも自分で決められるみたいになってきてるよね。
確かに強気で言い放てばハッタリ効かせられる時があったり、卑屈になることでその自信のなさに見合った評価に下がっちゃうことはあるけどさ。
でも基本的には「誰かが考える何かの価値は、その人物の固有の考えとして独立している」でしかないと思うんだよな。
社会の中において自分にどういう値付けをされようとしているのかの方針は決められても、それを社会に押し付けきれるかって言うと違うしさ。
そもそも価値っていう需要と供給で決まって上下があるようなもので自分を考えるのが違うっていうか。
「自分にとって自分は一人しか居ないから、自分にとっての自分は価値という概念から独立して、地球一つや宇宙一つよりも重いとさえ言える。でもそれは自分にとってそうであるというだけだ」ぐらいの感じが正解じゃねっていう。
なんかさ、短い言い切りの言葉で雑に優しい言葉をかければ騙せるって言うGTP的な詭弁だよね。
気に食わんわ。
無責任なんだよな。
なんか作者を勘違いしてるし(松本清張ってw)、お前読んでねーだろっていう浅いものができあがったぞ
佐賀のがばいばあちゃんは、松本清張によって書かれた日本の小説です。この作品は、私たちに家族の絆や地域の絆の大切さを教えてくれます。
物語は、主人公の祖母であるがばいばあちゃんの生活を中心に展開しています。彼女は頑固で自立心が強く、佐賀の地で一人で農作業や家事をこなしながら生きています。彼女の生き様は非常に力強く、その姿勢には感動を覚えます。がばいばあちゃんは、自分の生き方に誇りを持ち、家族や地域とのつながりを大切にしています。
この小説では、がばいばあちゃんを通じて、家族や地域の絆の重要性が描かれています。彼女は孤独ではありません。周囲の人々との交流や支えがあることで、自分の存在意義を感じています。このことから、人々が互いに支え合い、絆を築くことが大切だというメッセージが伝わってきます。
松本清張は、細やかな描写力を持ちながらも、物語をスムーズに進めていく巧みな筆致を持っています。彼の文章は読みやすく、物語に没入することができました。また、がばいばあちゃんの言葉や行動からは、彼女の人間性や生き様が鮮明に描かれています。
この作品を通じて、私は家族や地域の大切さを再認識しました。がばいばあちゃんの強さと生きる意味を感じながら、私も周囲の人々とのつながりを大切にしようと思いました。また、がばいばあちゃんの生き様からは、年齢や環境にとらわれずに自分らしく生きることの重要性も教えられました。
佐賀のがばいばあちゃんは、地味ながらも深い人間の情感や絆を描いた作品です。私はこの物語を通じて、家族や地域の絆を再評価し、生きる意味を考える機会を得ることができました。