2025-09-27

教養」がなければ「読書」ではないと言われると日本語ちゃんと使ってほしいと思ってしま

これを言っている人間日本語を知らないと他人を笑ってるとなんのギャグなのかと思ってしま

読書」なんて言うものはそんな高尚なものじゃなくて、ただ「本を読む」ことであり「情報を得る」」行為の一形態しかない


私の立場を明確にしておくと、そもそも教養」という言葉自体かなり嫌いだ

もっと正確に言うなら「教養」という言葉を人に対しての殴り棒に使う人間が嫌いだ

教養」と一口に言ってもそれが差す意味は様々で

知識

常識

人格形成をするための基盤」

社会を動かすための力」

このような感じで専門家の中でもこれが差す意味や目指すべきところの解釈立場で違ったりする

教養」というものは単なる「知識」という使い方をしている人もいるが、おおよそ含意として「人格形成の基盤」「社会を動かすための力」」という意味で使っている人が多いだろう

言葉を知らないのは確かに知識」が足りないかもしれない。だが「教養」を振りかざしてそういった知識のない人間を叩くことは、果たして教養」ある人間の行うことだろうか?それこそ「教養」を知らない人間仕草ではなかろうか?


そんな人間読書というものを過度にありがたがっている様をみると何とも哀れで仕方がなく、同時に読書というもの価値を貶めているとすら見えてくる

自分読書は好きだ。純文学ミステリーSFラノベ新書知識を得るのも楽しいし(最近地理とか地学新書が好きだ)、エッセイもよいものだ。たまに詩歌の本を読むのもいい。

だが、読書というもの特別には思わない

それはこの情報媒体多様化した時代においては情報の受け取り方でしかなく、コンテンツの一形態しかない。そこに高尚さもありがたさもないのだ

(もちろんそのコンテンツ特性、それでしかできない面白さや受け取りやすさはあれども)

私は読書が好きだし、好んで様々な本を読んでいる

でもそれは決して「教養」を得るためではなく、「知らないものを知る」「見たことないような景色を見たい」からそれを行っているだけだ

それは他人を殴るためではなく「自分が楽しむ」ために行っている行為

からこそ、自分が楽しんでいる行為他人を殴るために使っているのを見るにつけ、とても不快に感じてしま

からこそ「教養ある皆様」におかれましては「読書」をそんなことに使わないでほしいと思ってしま

  • 読書を何に使えって話?

    • 読書は何かに使用するわけじゃなくて、自分で楽しんだり学んだりするためにやるだけであって他人にマウントをとるものではないって話

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