名前を隠して楽しく日記。
来る~ きっと来る~ きっと来る~
「すべての意見を大切にしよう」という価値観は広がっているが、
それが「どんな意見も正しい」という誤解へ変わると、
自由に発言することと、その重みを理解することは、別の問題である。
今求められているのは、
大声の情熱ではなく、
ダークナイトで思い出したけど、ヒーローの苦悩とかマジどうでもいい。わたし男だけどアンパンチすれば終わりじゃないのと常に思ってる。 anond:20251116081228
アパレル界隈に置き換えるなら、ブランドがファッションショーで昨年と変わり映えないしないもの出すようなもん。
「服は機能的で、着ることができればいいでしょ」っていうのは庶民目線では理解できるけど、それ以外の、或いはそれ以上の価値を提案するのが“ブランド”なわけで。
まあ、俺がAppleをあまり評価してないのはずっと前からだけどな。
かなり前の話になるけど、海外で低賃金で作らせてるってニュースを見て「あんなに高くモノ売っておいて!?」って思った。
海外で安く作るだけだったら他の企業もやってることなんだけど、「それを高く売ってた」ことに失望したわけ。
もちろん安く作って高く売ること自体は儲けの基本だけど、それを如何にテクニカルにやるかが経営手腕の見せ所でもある。
そして労働力を買い叩くことも、消費者の足元を見ることもテクニカルではない。
まあ「労働力を買い叩いたから、安く売ります」なら、倫理的な話はともかく理解はできるわけ。
もちろん労働力を安く見積もることで成り立つ経営なんて二流だとは思う。
けど、消費者的には安く買えるなら、まあ……って感じ。
或いは「誠実なモノ作りをしてるから値段は張ります」も分かる。
大半の消費者はモノと価格を見るので、誠実それ自体は儲けに直結しないけど。
そしてAppleは二流の手段を両方やってるから、もはや三流といっていい。
二流の企業が一流の顔をしていることはあるが、三流が一流の顔をしている。
通常なら、そんな“顔”は見るに堪えないんだけど、Appleは“化粧”や“整形”をするのが上手かったんだと思う。
著作権なんてあると思う方が間違ってる。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「アンギアーリの戦い」。現物は今では残っていないが模写は残っている。(ルーベンスが模写したものも)
数年前に上映され、DVD化もされずケーブルでも衛星でも放送されず配信もされず、もう見ることができない映画作品。
作者が「これは自分のものであり作品を他人に見せない権利がある」とするのは著作権などという間違った思想が存在するから。
著作権をゆるすな。
そんなもん政治家見てたらわかるだろ