功利主義という言葉がある。どんな主義かというと、「全人類の幸福を全て足し合わせた総量が最大になるように判断/行動していこう」という主義である。その主義を支持する人は一定数いる。
それに似た考えで、私は「全人類の労働の総量が最小になるように判断/行動していこう」という主義を持っている。驚いたことに、どんなに調べてもその主義には名前がついていないのだ。誰でも思いつきそうな考えなのに、誰も命名していないのだ(私の調べ方が悪かっただけかもしれないので、名前を知っている方がいたら教えて欲しい)。これを「怠け主義」と名付ける。
怠け主義を意識することがいかに重要か、例え話を通じて説明しよう。
例えば、小さな小さな島国があるとしよう。その島国には、労働力人口が100人いる。100人は、水汲み、漁、狩猟、農耕、調理、林業、埋葬、建築、製造、修理、流通、あらゆる「それがないと生きていけない労働」をこなしていて、おかげで生活が成り立っている。労働時間は一日あたり4時間程度。貨幣制度はあってもなくてもよい。
やがて、彼らは日々に退屈し、エンタメを欲する……音楽家、噺家、大道芸人が現れた。エンタメ需要は高まり、やがてエンタメだけで食っていける人が続出する。楽器職人、イベンター、広告代理、音楽教師も現れた。手の込んだ服の生産や、手の込んだ料理をする人も現れた。←なくても死にはしない職業という意味で、エンタメに含める。人々からのエンタメ需要はどんどん高まっていったために、職業も多様化した……気づくと労働力人口100人のうち、50人がエンタメに依存する職業になっていた。人々は、なぜか疲れを覚えていた。なぜかはわからないが、自分の労働量が倍に増えた気がするのだ。彼らは一日あたり8時間働いていた。
岡目八目である。神目線から見ると「そんなの、本来100人でやってたはずの ”死なないための労働” を、今は50人がやることになってるのだから、労働力は倍くらいになるだろう」と思うかもしれない。でも、島民目線から見ると、「エンタメのために金を払う行為が、自分の労働量を増やすことに繋がっている」というのは、気づかないのではないだろうか。その2つは一見繋がっていないように見える。
現実世界も、この例え話と同じである。娯楽を消費することが自分の労働時間を増やす事に繋がっているとは誰も思っていない。
そう思っているので、皆が「趣味で消費すること」を「経済が回る」と呼称し、ポジティブなイメージを付与しようとしていることには違和感がある。
よく「人々が○○を消費しなくなると、所得が減るし、働き口が減る」と言われるが、冷静に考えて、減った所得というのは減った支出に等しいのでメリットとデメリットが釣り合っているし、働き口が減ったなら、それまで毎日8時間かけてやっていた仕事を6時間にすれば働き口が33%増えるだろう。
趣味での消費なんてしなければしないほど労働時間が減って安らかな生活に近づくに決まっているじゃないか。←これが本記事のメインの主張である。
現代、労働時間が長すぎて精神や体を壊す人間がたくさん観測される。私の友人知人にもたくさんいる。贅沢している場合ではない。皆、消費をするのを(=この世に発生する労働を増やすのを)やめてくれ。
具体的にはどのように行動していけば労働総和を減らしていけるのか、それはこの記事への反応があったら詳しく追記したいけど、とりあえず一つだけ挙げておこうと思う。
・よく、課金に多額を費やす人は正気を疑われ、狂人かのように扱われる風潮がある。
例えば旅行に毎年40万使う人と課金に毎年40万使う人を比べると、一般的には後者の方が疎ましい人に思えるのかもしれないけど、怠け主義的に考えると前者の方が疎ましい人に思える。後者の方が、その趣味を消費することによって世の中に追加で発生する労働が少ないと思われるためである。
私の趣味は古い名作をデジタルで鑑賞することだ。過去の人が作った本や映画のデジタルコピーをしまくるだけで無限に未来の人類の欲求を満たせるなら、それが一番楽じゃないか。
アダム=スミスの「神の見えざる手」じゃん そんなことも知らずに『誰でも思いつきそうな考えなのに、誰も命名していないのだ』とか草なんだが
全然違うよ。神の見えざる手は「「全人類の労働の総量が最小になるように判断/行動していこう」」という主義ではないよ。というか主義ですらないよ。
わかる 娯楽や趣味に金を浪費するのは社会全体にとって有害な行為だよね