はてなキーワード: 狩猟とは
○タイトル回収
Youtube上でYoutube自身が流しているフェイクニュースに注意というYoutuberを使った啓蒙CMに、杏も出演している
AI有名人の偽投資広告とか、有名人が番組内での発言で逮捕(当然嘘)のクリックベイト広告とか
その直後批判殺到(中華フォント)という外国製の再生数稼ぎの濫造読み上げ動画とか
俺への評価か、俺が視聴しているコンテンツの程度が低いせいで流れてきているのかなと甘んじてスキップ押してたけれども
我慢ならなくなって片っ端から非表示・違反報告しまくって、記述欄には広告ビジネスで成立しているYoutubeが
信用性を無くすような広告を流し続けるのはどうなんだと文句つけたらそれ以降は
新作映画とか、新作ゲームとか、PCスマホメーカーとか、食品・自動車とか、TVCMレベルのまっとうな動画広告ばかりになった
Youtube的だなと思う広告は、Vtuberのセルフ広告とか歌い手のオリ曲宣伝くらいかな
これが本当に違反報告の結果によるものなのかはわからないけれども
グーグルは広告の信用性をランク付けしている、または文句言ううるさ型には日本国内発の動画を流すようにしているのかも
違反報告する時に出稿元を確認してたけれども偽広告のほとんどがインドとか香港とか外国からだった
Metaは悪質広告をわかって流していてevil、みたいなニュースがあったけど、Alphabetも同じ穴のムジナ
フェイクニュースに注意なんてマッチポンプ動画を恥ずかしげもなく出せるようじゃないとITガリバーにはなれない
昨年までのクマ被害統計を持ち出して怖くはないと言われても、今年は過去最悪のクマ被害状況だから怖いとしか言えない
森や山という生息域に入ってクマと遭遇するのではなく、玄関開けたらクマとかショッピングセンターにクマとか今年は異質だ
東出トリビア
https://x.com/kurodoraneko15/status/1828646516224876809
東出昌大さんと結婚した松本花林さんのお母様は「水は答えを知っている」(江本勝)と専属契約して高額ジュエリーを売っていますね。水にありがとうや音楽を聴かせたら結晶が綺麗になるとするトンデモ話です。スピった非科学的な言説が広まり、今でも信じる人がいて教育現場にも悪影響を及ぼしています
https://x.com/news_postseven/status/1851162721502605789
松本花林2カ月半ぶり更新のSNSに異変、“社長義母”と“セミナー義父”の「ビジネスリンク」が示す共通の家族観
https://news-postseven.com/archives/20241029_2001577.html?DETAIL
「ジュエリー」「mixs.呼吸と細胞活性 松本孝一』は、両親が展開しているビジネスのページだ。
クマ関連の調べ事
長野でハーフライフルを使った犯人によって警官2名が殉職、ほか住民2名死亡の事件を受けて、銃刀法改正の法案が提案されたときに
クマ対策がこんな状況なのにハーフライフル規制するのかよ、という思いで情報をちょっと集めたけれども集めただけに終わったのを今お蔵出し
ブナやナラの木が薪炭として活用されていた頃は、木は伐採後に芽を出し再生するのにエネルギーを使いドングリはあまり実らなかった
活用放棄されたブナやナラの森はドングリを多く実らせて熊やシカの餌となり個体数を増加させた
実りの豊凶サイクルや天候の影響でドングリが少なくなると、増えた個体に対して餌が不足し人里近くまで熊が降りてくる
人家や畑の近くの林が手入れされなくなり生い茂ったくさむらは人間の生活空間と山をつなぐ道になる
個人宅で植えていた柿やイチジクなどの果樹が高齢化や空き家などで放置されていると格好の餌
西日本-熊保護のために個体数を正確に把握、近年増加が激しいため市街地捕獲された熊を学習放獣から駆除に切り替え
東日本-熊が多いため狩猟・駆除の対象であり個体数の把握が不十分で、推定数をはるかに超えるほど増殖していた可能性
北海道-春グマ駆除1966ー1989、ヒグマ絶滅の懸念により中止、現在のヒグマは1990年の倍以上と推定、春期管理捕獲2023-
〇学習する熊
偶然山を下りてきた熊も、農地が作物でいっぱいなことや、牧場に家畜がいることを覚えれば再びやってくる
熊は他の個体の行動を模倣するし、母熊から子熊へエサの獲り方は受け継がれる
〇狩猟者の減少
狩猟免許の発行数(種別による重複保有あり)は昭和50年前後のピーク時に50万ほどだったが、平成に入る頃には30万を下回り、平成末には20万弱で推移
数年前は、クマ被害の多さに警察が素早く動いてハンター部隊を組織するとは思いもよらなかったよ
軍事専門家が、自衛隊の対人小火器ではクマ駆除はできないし車載兵器では過剰火力だから無理と主張する記事があったが
猟銃と同じ弾丸が使えるライフルも自衛隊装備にあるはずだけどな
狙撃手は小数精鋭しか居ないから便利屋として呼ばれる陸自の人員にカウントしないで欲しいということなんだろうか
チーズケーキを初めて食べた老人が「洋菓子は好かん!」と言ったとする
ところが翌日にはシュークリームを食べて、「これはうまい。洋菓子もいいもんだ」と言った
これをダブスタだと批判するのは馬鹿げてる。無知からくる前言撤回なんてのはよくあることだ
ある政治家が過疎の村に出向いて言った
「熊被害をなくします! 人間の生活を脅かす熊の駆除を進めます! 清き一票を!」
「熊の残虐な駆除をよりやめ、捕獲して森へ帰す方式へ転換します! 清き一票を」
これはダブスタというかただの嘘つきだが、村人も団体員も政治家を批判して良いだろう。
森の中のエルフの村では、人々は木の実の採取し弓矢で狩猟をしながら細々と暮らしていた
そこへ悪い知らせが届いた
ゴブリンたちが各地で徒党を組んでエルフの村を襲い、とらえた村人を食べているという
エルフたちは立ち上がった
「他種族の集落を襲うことは許されない!ゴブリン族を厳罰に処すべきだ!いや、予防的に奴らを根絶やしにしよう!」
呆れたのは、これまで散々エルフたちに襲われ食料にされていた森の小人族だ
「いやお前ら、ダブスタやんけ!」
町議の暴言とされる発言に焦点が当たり、それに対する猟友会の「出動拒否」という対応が報じられています。
「自分たちに頼らざるを得ないことを理解していて態度がデカくなっている」
という視点から、猟友会側の構造的な問題や、なぜ彼らが「横柄」と受け取られ得るのかについて論じます。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000463540.html
クマの駆除は、単に銃が撃てるというだけでは務まりません。対象は猛獣であり、市街地や民家近くに出没した場合、安全確保、正確な射撃技術、獲物の回収・処理など、高度な専門知識と経験、そして何より危険を顧みない覚悟が求められます。
この危険かつ専門的な業務を、現実的に担えるのは(特に地方においては)地元の猟友会メンバーに限られているのが実情です。彼ら自身も、そして行政や住民も、「自分たちがいなければクマの脅威に対応できない」ことを熟知しています。
ご指摘の通り、この「頼らざるを得ない」という状況、すなわち業務の代替不可能性が、彼らの立場を構造的に強固なものにしています。この優位性が、外部からの要求や批判に対し、強い態度に出る(=横柄と映る)土壌となっている可能性は否定できません。
記事の中で、海田副議長は「こんなに10何人も来ないと駄目なのか」と、現場のハンターの人数に疑問を呈したことを認めています。
猟友会側からすれば、これは「現場の危険性も作業内容も理解していない素人からの口出し」と受け取られた可能性が極めて高いです。
安全確保のための見張り、クマを刺激しないための連携、万が一の反撃への備え、そして駆除後の(時に数百キロにもなる)クマの搬出作業などを考慮すれば、13人という人数が彼らの経験則に基づいた「必要最低限」であったのかもしれません。
副議長の主張によれば、これに対して猟友会側は「(クマを)引っ張ってみろ」と返したとされています。これが事実であれば、まさに「危険を知らない素人が口を出すな。できるものならお前がやってみろ」という、専門家の強い自負と素人への侮蔑が入り混じった反発であり、典型的な「横柄」と受け取られる態度と言えます。
猟友会の活動は、多くの場合、危険な任務に見合った十分な報酬が支払われているとは言えません。むしろ、地域貢献や義務感、あるいは狩猟者としての矜持(きょうじ)に支えられている側面が強いです。
そのような中で、今回の報道で猟友会側が主張する(副議長は否定)暴言の中に、「金もらえるからだろう」という言葉があります。
もしこれが事実であれば、命がけで出動している彼らにとって、これ以上ない侮辱です。自分たちの活動の根幹である「義務感」や「誇り」を金銭で測られ、貶められたと感じれば、激しい怒りや拒絶反応(=出動拒否)につながるのは当然とも言えます。
日頃から、行政や住民からの感謝や理解が不十分だと感じている(あるいは、危険な作業を押し付けられていると感じている)場合、こうした「素人からの無理解な発言」は、積年の不満を爆発させる引き金となり得ます。その結果としての強硬な態度は、部外者からは「横柄」「態度がデカい」と映ることになります。
猟友会は、その専門性や伝統ゆえに、外部からは実態が見えにくい「閉鎖的な組織」と見られがちです。独自のルールや、師弟関係のような強い縦割り構造を持つことも多く、外部の論理(例えば行政のコスト意識や議会の介入)が通用しにくい側面があります。
行政(町議)側からすれば、彼らは「コントロールしにくい集団」であり、予算を支出しているにもかかわらず、やり方や態度に口を出すと強い反発を受ける(あるいは、今回のようにボイコットされる)というジレンマを抱えている可能性があります。
副議長の(とされる)「予算を減らす」「辞めさせてやる」といった発言は、まさにこの行政側の不満や無力感、「言うことを聞かない専門家集団」を力で抑え込もうとする不適切な試みであったとも解釈できます。
海田副議長の言動が適切であったかは別問題として、ご指摘の通り、猟友会が「横柄」と見られがちな背景には、彼らが「危険な業務を独占的に担わざるを得ない」という構造的な優位性があります。
専門家としての強いプライド、危険な任務への自負、そして「素人には分かるまい」という意識が、外部(特に行政)からの介入に対して過敏な反応や高圧的な態度として現れることは、想像に難くありません。
元増田です。自分も公務員への狩猟許可はあって然るべきと思います。ただし、法を改正し、公務員から適正のあるものを選び、教育を施して実用にいたるまでには、最低でも5年はかかると考えます。猟師の公務員登用が、カリキュラム作成へつながると期待はしています。
そして、公務員は急に増やせないし、急に減らすことも難しいという問題があります。地方公務員だと管轄の問題も発生します。急に現場に駆けつけて、熊だけ退治して去っていく。これができるのは現状で民間猟師しかいません。まずは民間猟師の参入を増やし、ノウハウの継承を優先すべきと思います。熊を狩る能力自体が失われつつあるためです。
いいと思わない?
人口減少社会で森林面積は増大しており、熊の人里への進出は止め難い。
しばらくは、我々は捕食対象として襲われ続けるだろう。
熊は人のつくる農作物や果物の味をおぼえると、ドングリ食に戻れなくなる。
熊は、高度の知的能力と適応能力を有した生物であり、手強い競争相手だ
人に慣れ街に出る「都会っ子」の熊は、不可逆な変化・成長を遂げたとみるべきだ。
自衛隊は有効な銃火器の使用を禁止され、多勢を持って熊を威圧するために出動した。
300年前、「生類憐みの令」が猟銃を取り上げた時も、長槍兵が囲んで討伐していた。[訂正1]
だから、熊と対峙する人間に対して、これほど貧弱な装備で派遣するのは古今に例がない。
ただ、自衛隊が銃火器を持っていたとしても、退治できるかは怪しい。
警察や自衛隊がクマを撃てる人間を養成するためには、選抜し、教育しないといけない。
猟師がクマと対峙して有効な武器は猟銃のみ[後注、誤記2本文ではライフル銃のこと]。
猟銃の許可を取るためには、散弾銃の許可を得てから基本的に10年の要件期間を必要とする。
散弾銃は貫通力が弱く、熊の皮膚を抉るにとどまる。
複数の猟師が指導し狩りに同行させて経験を積み、山を知り熊を知り対峙が可能になるまでに三年。
高度の体力と精神力という資質と、正しい指導、そして経験が備わって初めてクマ撃ちが可能になる。
逆に、資質があり罠や散弾銃の許可をえていても、猟銃の携帯までは時間がかかる。
自分は、散弾銃所持猟師にも条件付きで猟銃の携帯を認める仕組みにすべきと思う。
猟銃は、先輩猟師が所有して狩の時に徒弟たる猟師に貸し出す形の登録制がよい。
見習い期間3年で特例による猟銃所有の許可を認めるという感じ。
もちろん手当の増額なども必要だ。
しばらくは苦しいが、「巻き返し」をしなければ、未来の世代に負債を残すことになる。
自然保護というお題目のために、自らの子孫の命を危険に晒した罪は我々にある。
将来世代へ出来る償いとして、まず自衛が可能な法制度を整えることが必要だ。
ソースを見返したところ、誤認があったので訂正する。他にも誤解があるかもしれないので、仮に[訂正1]とする。https://www.wwf.or.jp/activities/opinion/2006.html
https://www.wwf.or.jp/activities/opinion/2005.html
江戸時代の「生類憐みの令」のもとでも、熊の被害が起きた場合、藩兵は猟銃の使用が限定的に許可されていた。熊以外の殺傷をしないという誓約をしてことに臨んだ。一方、猟師は槍一本を携帯していた。
生類憐みの令により民間の猟銃運用能力の伝承は途絶えたようで、民間猟師の猟銃を用いた熊退治が記録されるようになったのは1721年、将軍が死亡してから10年余後のことだった。
本文中、猟銃をライフル銃の意味で用いていた。正しくは、猟に使用可能な銃の総称が猟銃であり、空気銃、散弾銃、ライフル銃が含まれる概念。一方、江戸時代の銃も猟銃と表記しているが、種類としては火縄銃に相当すると思われる。
そして、今年2025年3月に規制されるまで、ハーフライフルという「法律上は散弾銃に区分されるがライフルに準じた運用が可能な銃」が多く運用されていた(一部特例により運用継続地域あり)。ライフル銃の銃身内側には螺旋状の溝があり、弾丸を回転させて射程距離と直進性を高めている。これをライフリングとよぶ。ハーフライフルは、ライフリングを一部省略するなどして散弾銃扱いで運用できるように加工した日本独自の改造銃だ。ほとんどが北海道で運用されてきた。
ライフルには及ばないもの、専用スラグ弾を詰めたハーフライフルは100m近くの射程距離がある。「平筒銃」と呼ばれる散弾銃は40-50mで命中精度も低い。
北海道銃砲火薬商組合は「ヒグマの走る速さは秒速約16メートル」とし、単弾を用いた平筒銃で50メートル先のヒグマを撃って外した場合は3秒以内、30メートル先だと2秒以内で反撃されると試算。「自身の身を守るためにも新人ハンターにハーフライフルは必要」と訴えていた。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASS2245W0S1VIIPE025.html
ハーフライフル規制により新人ハンターの経験を積む機会は決定的に減少したと思われる。
これについては「時間を要する」と記述したのみで、公務員が狩猟が可能な制度改正を行うことを否定しておらず、むしろ賛成の立場である。。ただし、法を改正し、公務員から適正のあるものを選び、教育を施して実用にいたるまでには、5年は最低でもかかると考える。
公務員は急に増やせないし、急に減らすことも難しい。地方公務員だと管轄の問題も発生する。急に現場に駆けつけて、熊だけ退治して去っていく。これが法律上可能なのは現状で民間猟師しかいない。そのため、まずは民間猟師の参入を増やし、ノウハウの継承を途絶えさせないことが大事と考える。育った人材を特別公務員として任用する流れがあれば、より望ましい。猟師の公務員登用が、カリキュラム作成へつながると期待する。
戦後すぐで男手が減った中で冷夏となり獣害が頻発してしまい槍一本で近隣の熊を大量に狩る必要が出たんだろうなぁ
たとえば普通の野生動物って発情する時は夜とかコルチゾールが低い時に交尾するらしいんだけど
人間の場合狩猟の時間帯=攻撃性が高い時間帯にセックスができちゃう生き物なんだよね
つまるところ攻撃的な「狩猟的セックス」と「愛情セックス」両方がある生き物なのだけど
生物としてもロリに性的に欲情するのはおかしいから、「ロリ」を食べ物と認識してるおそれがある。
ぶっちゃけロリコンって本人の精神的な成熟具合には関係ないらしいから、この線高いと思うんだよね。
ロリをみたときの「美味しそう」って感情が性欲と結びついて「エロい」ってなってる可能性は十分ある。
逆におばさんに欲情するのも、そのおばさんが「めっちゃふくよかな女性」なことが多いのって
多分大型の脂肪の多い個体だと認識されてる恐れがあるんだよな。
特にガリガリの男に多いって言われてるけど、それ本能的に獲物として欲してるってことなんじゃないかと思ってる。
後この場合のロリコンって10歳前くらいの女性に欲情する人のことで、生物学的に初潮超えたら性的対象になるのは普通のことなので
倫理的なあれこれは除外して考えてる
ChatGPTによる調査をしてみた
・昭和36年と昭和37年の北海道で集落に降りてきた羆による獣害対策に自衛隊が派遣された記録あり
・熊の縄張り主張の生態が的確
・森に餌が少なくなると人里に動物が降りてる生態が的確
・狩猟者が手首足首を重点的に守るのは草木で四肢が擦れるためで描写が的確
・マキリはアイヌの基本装備
・フクロウはアイヌ神話のコタンコロカムイと呼ばれ集落を守護する神
・アイヌの槍の長さは150cmほどで日本の伝統的な槍よりも短い
・昭和30年代に祖父が婚姻したと考えるならばその10〜20年前は終戦時期で学徒動員などから民兵訓練を受けていた可能性が非常に高く、日本陸軍の銃剣術は下段もしくは中段構えが基本
猟友会が高齢化で崩壊寸前な今、その役割を自衛隊が行うのも範囲が違いすぎるし
SATとかが使用する「特殊銃」の中に狩猟用「猟銃」「麻酔銃」を含める規定を新たに作って
警察の任務に「市民に著しく危険を及ぼすと思われる鳥獣の駆除」という項目を追加して
銃の発射許可範囲に「市民に著しく危険を及ぼすと思われる鳥獣の駆除の際」を加えて
既存の警官の中から人員を募って訓練して、猟銃保管用に警察署も改築して
40年後くらいには実現してるといいなぁ
まずは人里にあふれてる熊の駆除は最優先だろ
平行して生息域・個体数のチェックや
まず大前提として
歴史を見ればわかる事だが、人間は常に自然に抗って生活している
その抗う事を辞めた結果こういう事になってるってコト
クマが住んでいる森に人間が後から来たんだ!というバカが居るが
「下段を奥義」とするのも獣と相対した際の死活問題から来ていると今では推測している。半身で構える下段は体当たりしてくる四足の獣の動きへ穂先の反応が遅れたとしても槍の柄が使用者と獣の間に残り、槍の柄で防御へ転じられる。これが上段や中段の構えであれば穂先の反応が遅れた瞬間に獣の一撃を直接身体へ貰うことになるだろう。下段から何が出来るか?攻撃と防御が同時に出来るのである。
「爺ちゃんの傍さ離れんなよ」
孫は聞いているんだか聞いていないのだか「うん!」と答えるが、その辺で拾った良い感じの木の枝を振り回し遊ぶ。木々が生い茂って独特の静寂さを持つ山中を老人とその孫、そして愛犬の五郎は進んでいった。
後年、知ることになるが本州の山林とは違い、ここ北海道の山は本州のそれとは違って非常に視界が悪い。本州の山林のほとんどは林業を営む方々が手入れをし真っ直ぐに樹木は伸びるが、北海道ではその圧倒的な森林面積により人の手が入っていない部分が数多く残り、文字通りの原生林として山の威容を示し、伸び放題となった木々は山中を行くあらゆる生命の視界を遮る。
老人とその孫の身なりは帽子、長袖長ズボン、長靴、本革製の手袋と手足首を覆う手甲と足甲は老人の妻、即ち孫から見れば祖母の手製だ。ハイキングならばまだしも老人と孫の装備は見るものが見ればひと目で生業を特定できる。猟師だ。可能な限り肌の露出を抑え、特に四肢を重点的に防護する見た目は娯楽ではない事を表す。
老人の右手には大鉈、左手には老人の背丈と同じ程度の狩猟槍、肩に猟銃を下げていた。孫は武器らしい武器はほぼ無いが猟に出る際にだけ持たされるマキリと呼ばれる小刀は腰に差されていた。マキリの持ち手には滑り止めを兼ねたフクロウを模した見事な装飾が施されており、この持ち手の作者は孫の目の前を行く祖父である。
この日は週のうちに何度も繰り返す山道の整備と捕獲罠の点検だ。祖父は大鉈で不要な草木を打ち払いながら進み、樹木の肌やその根本を観察する。昨今の報道でも知られるようにクマは樹木へ爪で傷を付け自身の縄張りを主張する。そして熊だけでなく多くの野生動物は排泄をする際に隠れるため木々の近くでする事が多い。
「爺ちゃんコレ!」と孫が樹木を指差す。孫はマーキングを見付けたと祖父へ伝えた。「おぉそうだよく見付けたべなぁ。クマが出っかも知れねぇから気ぃ付けろぉ」と孫を促す。当然ながら孫よりも先に祖父はマーキングに気が付いている。しかし孫の"発見"を褒めてくれるのだ。一応の確認として猟犬としてよく訓練された五郎へ目を配り何も反応がない事を知ると前へ進んだ。
いくつかの罠を巡ると、くくり罠に雄のエゾシカが捉えられているのを見付けた。祖父はそっと猟銃と大鉈を地面へ置き、槍を構えてエゾシカへ近付いた。そこそこの歳を重ねているであろうエゾシカはその場へ伏せていたが祖父を視界に収めると立ち上がるものの一切の抵抗を見せない。エゾシカはまさに威風堂々と言った立ち振舞いをし祖父を見つめている。祖父が音もなく踏み込み、首元から深く入るたったの一突きでエゾシカは倒れた。
馬ほどの体格を持つとは言え、素人目からするとたかが草食動物を容易に倒したように見えるが首元から様々な骨を避けて心臓まで一閃する達人の技だ。
実は昭和30年代に北海道で冷夏が相次いで森が飢饉状態となりエゾシカやヒグマ、キタキツネなど野生動物が人里へ大量に押し寄せる状態となったことがあった。その際に多くの民衆がヒグマに襲われるという事故が頻発し、若き日の老人は槍一本のみで日夜ヒグマを狩り続け、多いときには月に20頭以上、日に3頭ものヒグマを狩った。この若者は周囲の村落で大いに語られる槍の名手として名を馳せた。
その男気を聞きつけて槍を習おうとする男衆に混じり見物に来ていた女性は槍の名手の男に惚れ込んでそのまま押し入り女房となったという。それが孫の祖母である。
「奥義は下段」
孫は槍の名手たる祖父から毎日のように槍を習った。槍を習うとは言っても「まだ早い」と言われ穂の無い槍、すなわち単なる長い棒であり来る日も来る日も孫は祖父お手製の"槍"を振った。
祖父は口癖のように「奥義は下段」と言った。漫画の中で見るような敵を大きく吹き飛ばしたり環境大破壊を伴う派手な技でない。単に獣へ対して半身を取って穂先を地面すれすれに落とす構えこそが祖父の槍、アイヌの槍の奥義なのだという。
「槍を振った」と前述したが、実のところ槍を振り回すことはお説教を招く動きだった。「振るなァ!突かんかァ!」という祖父の怒号は今でも頭の中で鮮明に響き渡るほど毎度毎度同じ説教を貰った。
「突き引きが遅い!」「力任せに振るな!」「穂先を目線より上げんな!」「下段から何を出来るか考えれェ!」と覚えの悪い孫は何度も何度も同じ説教を受け続けたがコレがまたなかなか上手く出来ないものだった。祖父が用意してくれた的へ次々と素早く当てようとするとどうしても槍を振ってしまうのだ。
後年、孫は祖父の教えの真髄を1つずつ理解するようになってきた。
特徴と言えば祖父の槍、つまりアイヌの槍は内地(本州)の槍よりも短い。前述したが長さは使用者の背丈前後程度。これには理由があり樹木が生い茂る環境で内地の槍は振るうこと叶わず、まさに無用の長物となるのであった。内地の槍の長さは人間同士が平地で争うための長さだ。
これが理解できれば"樹木が生い茂る環境で槍は振るうこと叶わず"であり、槍は基本として突かなければならないというのも理解できるようになる。槍を振れば周囲の樹木へ当たる。しかも槍を使っているということは獣とまさに相対している時である。森林で槍を振るということは自らの死を招く愚行なのだ。
「下段を奥義」とするのも獣と相対した際の死活問題から来ていると今では推測している。半身で構える下段は体当たりしてくる四足の獣の動きへ穂先の反応が遅れたとしても槍の柄が使用者と獣の間に残り、槍の柄で防御へ転じられる。これが上段や中段の構えであれば穂先の反応が遅れた瞬間に獣の一撃を直接身体へ貰うことになるだろう。下段から何が出来るか?攻撃と防御が同時に出来るのである。
孫は何度か祖父が槍のみでヒグマを打倒するところを見たことがある。法令上、猟銃が使用できる範囲は限られ、猟銃使用許可のある場所であっても射撃方向に民家があると使用できなかったりするためだ。
「遠くへ行ってろ」と言われ祖父から離れるが、ギリギリ祖父を視認できる距離で見ていた。猟犬五郎は祖父の指示を受けるまでもなく孫が祖父から離れると護衛のように孫へついて行く。
奥義の下段を忠実に構える祖父の気迫は幼い孫が遠目で見ても物凄く伝わってくる。じりじりとヒグマとの距離を詰め、痺れを切らしたヒグマが祖父へ体当たりを敢行する。祖父の動きは音がしない破裂音である。パンッと鳴ったと錯覚するような鋭く素早い動きでヒグマの体当たりを回避したかと思えば、ヒグマは自ら後ずさりする。祖父の槍の穂先がヒグマの血で赤く染まっていた。
ヒグマの口から鼻先が切り裂かれているようだ。瞬く間に祖父はヒグマから後の先で呼吸を奪った。命のやり取りという極限のストレスの中で呼吸が難しくなるというのは息をする者にとってはかなりの重荷を背負ったことになる。時間が経てば経つほどにその巨体が自らに重くのしかかり、逃げることすら困難にさせる。
体当たりは分が悪いと悟ったヒグマは祖父へ怒涛の勢いで距離を詰め、右前腕での引っ掻きを狙うが右前腕の起こりに合わせ祖父は瞬時に熊の手を下段から貫いた。ヒグマはあまりの激痛からか唸りとも呻きとも取れる声をあげて四足を地へ付く姿勢に戻ろうとするが右前腕は軽く浮かせたままである。
三足となったヒグマは再び必死の体当たりを敢行するが祖父は素早く真横へ体当たりを回避し、三足となり横方向の動きが制限されたヒグマは祖父の動きを視線でしか追えず首へ必死の槍を受けた。祖父は力なく地へ沈むヒグマの様子を見ると距離を取り2分3分と下段の構えを解かずヒグマの様子を伺い続けた。
短いようで長い時間が経つと下段の構えを解き、祖父が手を振って終わりだと合図したことを察した孫は祖父へ駆ける。仕留めたヒグマは体調2mを優に超える大物だ。「すごいすごい!」と興奮する孫をよそに祖父はニヤリと意地悪く笑って孫へ「血抜きすんぞ」と告げた。
ヒグマはメートル100キロ、2m超のヒグマは200kg以上である。これを老人と幼き孫が気合いで持ち上げ木へ吊るして血抜きするのである。祖父との狩猟で最も楽しくないのが大物の血抜きという重労働であり「忘れてた!」と声を出さずともわかる表情を孫は浮かべた。
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父が「来月から毎日山を見て回るぞ」と言うので幼き日の思い出を書きました。
私が1人でヒグマを獲ったのは二十歳を越えた頃、何かあったときのために祖父が後ろで見守りながらだったという、祖父とは違って槍下手なのですが私程度であっても昨今の情勢で何か社会のお役に立てれば幸いかなと。
では、行ってきます。
今の狩猟制度は鳥獣保護の為に少しだけしか狩ってはいけませんよっていう前提の制度だからねぇ。
法で罠を仕掛けられる上限も決まってる上に毎日見回らないと違反で免許取り消しになるから、どうしても厳選して仕掛けることになっちゃう。
動物解放戦線(Animal Liberation Front、ALF)のメンバーやで。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E7%89%A9%E8%A7%A3%E6%94%BE%E6%88%A6%E7%B7%9A
1976年、イギリス狩猟妨害協会の設立者である環境主義者ロニー・リーによって創設されたが、リー自身が語るように中央組織や明確な指揮系統がある訳ではなく、運動に賛同する支持者の緩やかな連帯や自発的協力によって成り立っている。指導者なき抵抗組織の典型であり、40カ国以上で支部や協力組織の存在が確認されているにもかかわらず、アナーキズム的な個人行動を基本としている為に実態の把握が困難となっている。
熊が増えたかどうかは問題ではなく人里に降りてきて人を食い殺すようになったことだけが問題です。増えても山にこもって人を殺さなければどうでもいいのです。
堅果(ドングリ類)の不作・食料不足 — 秋にブナ類などの結実が不作だと、森に食べ物が足りず人里へ下りてくる個体が増える。これが大量出没の大きなトリガーになっている。
狩猟者・狩猟圧の減少 — 全国的に猟師(狩猟者)が減っており、人為的な個体管理(捕獲圧)が落ちたことが個体数増加の一因と指摘されている。
里山・中山間地域の衰退(過疎化・高齢化・耕作放棄) — 人間の里山管理が弱まり(人の出入りや耕作が減る)、クマが利用できる生息域が拡大したり、人里との境界があいまいになった。
食べやすい作物や放置ゴミなど“人の資源”の利用 — トウモロコシ等の作物・家庭ゴミ・放置物が秋の「端境期」に魅力的な餌となり、被害や出没が増えやすい。
気候変動・森林環境の変化 — 気候変動や林業・土地利用の変化が樹木の結実パターンや餌資源を変え、間接的に出没傾向に影響している可能性がある(研究・報告で指摘)。
要するに気候変動や森林環境の変化と過疎化が原因なので、人が毎日のように熊に食い殺されるのをどうにかしたければ原因が何であれ射殺するしかありません。
射殺しなければ引き続き食い殺されるのを放置することになります。そうすればさらに過疎化が加速し、熊の領域は増えることになるでしょう。馬鹿が。