男性性、女性性のような「性別に与えられた役割」があると考えている人間の割合は、都会より田舎の方が多い、というのは確かに正しいだろう。東京で生きていくにあたって、2人の男女のどちらかが働き、どちらかが家を守るというのは、金銭面においては相当難しい。
ただ、男尊女卑の風潮を「さす九」のように一地方特有のものと言ってしまうのは、正直相当違和感がある。ぶっちゃけ田舎ならどこでも一緒だろ。人が入れ替わり立ち替わり移動することで価値観のアップデートがしやすい都会と違って、田舎は入ってくる人がそもそも少ないわけで、価値観をアップデートする必要に駆られていない。
で、別に都会だって価値観が変わったのここ十数年でしょ。2007年に『働きマン』『ハケンの品格』みたいなドラマが出た、ってことは「働く女性」がドラマのモチーフになるくらいまだまだ当たり前じゃなかったわけで。なのでそもそも都会は田舎に比べて進歩的である、とは正直言い難い。これを前提にして聞いてほしい。
増田は「さす九」と言う人間が、差別意識丸出し、だけど自分は批判されたくないっていう相当卑怯な人間によって生み出された言葉だと考えている。
田舎の因習に囚われている人間やその地方のことを「さすが田舎」と言ったっていいわけでしょ。なんなら「さすが東北」とか言ったっていい。正直九州民の価値観と東北民の価値観で言えば、肌感覚にはなるがそこまで開きがあるようには思えない。
でも、今東北の人間を揶揄すると、自分にしっぺ返しが起きる可能性がある。もちろん東北は今も被害の渦中にあるわけで、その地域について因習を辱めるということは、自分が批判の矢面に立たされてしまう。
だから、おそらくは都会に住んでいて、それだけで自分を進歩していると勘違いしている、かつ他人を常に見下さないと生きていけないような自己肯定感の低い人間が田舎をバカにしようとした。でも田舎で一括りにすると自分が文句を言われそうだから、わざわざ九州の人しかバカにしてませんよ、って予防線を張った結果が「さす九」という言葉なんだろう。
田舎モンがうるせえな!お前船降りろ