2025-07-02

冷蔵庫捨てたら人生変わった話

一ヶ月前、冷蔵庫を捨てた。

壊れたからではないし、引っ越しタイミングでもない。単純に「もう要らない」と思ったからだ。誰に頼まれたわけでもなく、自分意志で、冷蔵庫のある暮らしに終止符を打った。

理由はひとことで言えば、「疲れたから

毎週末の買い出し、増えていく調味料の瓶、冷凍庫の奥から出てくるいつ買ったかも覚えていない肉や餃子野菜室の底で液体になったピーマン。パックの期限が切れた豆腐、干からびたきゅうり

「これを無駄にしてはいけない」「早く使い切らないと」

そんな呪文毎日心の中で唱えていた。冷蔵庫の扉を開けるたび、目に入るのは義務管理の塊みたいな食材たち。もううんざりだった。

から思い切って処分した。古い小型冷蔵庫だったので、粗大ごみとして申し込んで、業者に引き取ってもらった。その後の部屋は、驚くほど静かだった。

最初の数日は「本当に大丈夫か?」という不安があったのも事実。でもその不安は、すぐに解放感へと変わった。

まず、食べ物を腐らせることがなくなった。そもそも保存しないのだから、腐る心配がない。

今は基本的に「その日に食べる分しか買わない」と決めている。外食コンビニスーパーの総菜、たまにパン屋で買ったサンドイッチ。気分次第で自由に選ぶ。その自由さが、思った以上に心地よい。

「贅沢じゃないの?」とよく言われる。けれど、実際には冷蔵庫があった頃よりも食費はむしろ安くなった。理由は単純で、「余らせる」「無駄にする」がゼロから。あと、調味料食材ストックしなくなった分、衝動買いもしなくなった。

電気代も減った。小さな冷蔵庫でも、常に稼働しているだけで月に1,000円〜1,500円はかかっていた。それが丸ごと消えたのは地味に嬉しい。しかも、深夜に聞こえる「ブーン……」というあの微妙機械音がなくなったことで、部屋の静けさが増した。寝るときの快適さが全然違う。

何より、献立を考える時間が減ったのが大きい。

これまでは「冷蔵庫にあるもので何とかしなきゃ」という発想だった。卵が残ってる、キャベツが傷みかけてる、鶏肉が期限ギリギリ。だからそれを中心にレシピ検索して、適当に何かを作る。

でも今は、「自分は本当に何が食べたいのか?」を、ダイレクトに問いかけられる。

今日はあっさりしたものがいい、とか、少し贅沢して外で定食でも食べようかな、みたいな。選択が“足りないもの”ではなく“望んでいるものから始まる。それがすごく健全感覚だった。

あとは、空間的な変化も大きい。

冷蔵庫がなくなってキッチンが広くなった。狭いワンルーム生活している自分にとっては、その“1畳分の余白”が信じられないくらいありがたい。掃除が楽になったし、気持ちにも余裕が生まれた。

この生活を始めてからちょっとだけ食への意識も変わった。

冷蔵庫がないと、買いだめもできないし、ストックごまかすこともできない。だから自然と「質」で選ぶようになる。野菜ちゃんと入っているお弁当を選んだり、化学調味料の少ない惣菜を探したり。結果的に、ジャンクに傾きすぎることもなくなった。

ちゃんとしたご飯を作ってこそ大人だ」とか、「冷蔵庫がないなんて信じられない」とか、世の中にはいろんな価値観がある。

でも、私はもう冷蔵庫のない暮らしのほうが、よほど“自立”していると思っている。

冷蔵庫がある暮らしは、「安心」をくれるけど、同時に「管理」と「義務もついてくる。

冷蔵庫がない暮らしは、「不便」に見えるかもしれないけど、「自由」と「選択」がある。

どちらが良いかは人それぞれ。でも少なくとも私は、今の暮らしにかなり満足している。

毎朝、静かな部屋で目を覚ますと、どこか身軽な気分になる。

冷蔵庫がなくても、ちゃんと生きていける。むしろ自分感覚を取り戻した気がする。

そして、案外楽しく暮らせている。

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