2025-10-02

明日振られに行く

45歳、女性婚姻歴無し、子無し。

明日、振られに行く。

非モテ喪女の拗らせ実体験というものをまずは説明しないとならないだろう。

私の場合は、幼稚園児の頃から好きな男の子は常にいた。

小学校でも、中学校でも、高校でもだ。

そのどの環境でも、私の片思いは実る事は無かった。

高校卒業した後、専門学校の認可を受けていないアカデミー的なスクールに通ったが、

そこでも恋が実る事は無かった。

周りの女子達はみんな彼氏を作っていたが、

私には無縁だった。

転機が訪れたのは20代後半、当時流行っていたSNSで良いなと思った男性が居たので、

思い切って西麻布焼き鳥店に誘った。

その後、おそらく10代の男女がやるようにテンプレ的に夜景が綺麗な観覧車か何かに乗った後、

自分から告白して見事にお付き合いしてもらえる事になった。

しかった。

30近くして、初めて”彼氏”というやつが出来た。

しかし、私は顔も不細工で、それ以上に超絶肥満体型だった。

肥満体型なのは過食症が原因で、食べて吐く事しか死にたい気持ちを紛らわせる事ができず、

しかし吐くのはかなりのテクニック必要で、上手く吐けなかった私はただ太って行くだけだった。

なぜこんな肥満体型の私と付き合ってくれる男がこの世に居るのか疑問を拭えきれなかった私は、自分から彼と離れる事にした。

それから数年後、30代中盤くらいだっただろうか。

相変わらず不細工肥満体型だったが、転職先にすごく魅力的な男性がいた。

彼は技術力も発想力も凄くて、私が引っ張っていたプロジェクトで大貢献をしてくれた。

しかし、立場的な問題もあり、彼が別プロジェクトアサインされるのを待ってから、彼をデートに誘った。

から私をデートに誘ってくれる事は無かったが、私は執拗に誘い続け、

ついに私から告白した。付き合ってほしい、と。

なんだかよくわからないが、彼はOKしてくれた。

両親の挨拶も済ませ、同棲するマンションも探し、約1年同棲した。

実はこの間約7年、彼は一度も私と性的接触を持ってはくれなかった。

同棲する前は「同棲したらそういうことも頑張るよ」と言ってくれたので、

私は僅かな貯蓄から転居費用諸々を捻出し、同棲した。

しか同棲1年経過しても、彼は私の身体に一切触れようとはしてくれなかった。

身体接触が無いのであればせめて二人の時間を作りたいとあれこれ模索提案したが、

はいつも自室に篭り動画を観たりゲームをしていた。

ある時、転機というものが身に降りかかって来た。

同じプロジェクト男性独身)を”パワハラとかセクハラで訴えて良いから今夜だけ飲みに付き合ってくれよ〜〜”的に冗談まみれで言ってみたら、

なんと彼は私との飲みに付き合ってくれた。

終電があるから解散しよう、でも私はもうちょっと飲みたい、的な事を言ったら、

彼もそれに応じてくれた。

二人で適当渋谷の道端で缶チューハイを飲んだりしていたら、強烈に尿意に襲われたので、

近隣のホテルで「お手洗い貸してください」攻撃を開始した。

しかしお手洗いを貸してくれる店舗なんてそう簡単には見つからない。

仕方ないので私は「部屋が空いていたら宿泊するのでお手洗いを貸してほしい」と嘆願し、見事お手洗いを手にするに至った。

その晩、何がどう寄与したのかは不明だが、私はその男性と性行為をした。

しかった。

長年思いを寄せて来て婚約指輪まで買ってくれた男性ですら女として見ては来れなかった私という醜い脂肪の塊に、

性的欲求を向けてくれるような希少な男性がこの世に存在してくれた事のレア度みたいなものに思いを馳せると、なんとも言えない感情に包まれた。

それから同棲相手との生活を整理し、単身で手狭なマンションを借り、婚約も解消し指輪も返却した。

たった一晩だけでも私を女として扱ってくれた男性社員に全力投球したいと思った。

仕事くらいしかやることがない私にとっては、彼に高級レストラン食事をご馳走することだけを生き甲斐にやってきた。

2021年日本橋フレンチ2022年銀座の蟹、2023年西麻布の有名フレンチ2024年は新進創作メキシカンだった。

2025年明日、これまた知る人ぞ知るみたいなフレンチを予約した。

だが、先週末、彼とは別れ話をした。

おそらく、明日が彼との最後食事となるだろう。

ありがとう私の愛する人よ。

明日が終わったら、あなたの願う本当の幸せに向かって歩いて行ってほしい。

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  • 西麻布から近場に観覧車なんてないよね 東京の地名つらつら並べてる割に土地勘なさそうで不安になる

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