はてなキーワード: ディリータとは
FFTの何が良いって、最後まで「ラムザとディリータが戦わなかった」事にあると思っている
最初にOPを見た時にはてっきり、「表の英雄」であるディリータは実は悪人で、真の英雄である主人公ラムザを陥れて葬ったとか
そういう感じのオチが付くんだろうと思っていた
それが実際には1章の最後でディリータから「次はお前だ」的な事を言われはするものの、二人が本当に殺し合う事はなく、
最後まで交わらない平行な道を行くものの最後までお互い親友同士という意識は変わらずに終わった
これが新鮮で良かったんだよなあ
主人公はラムザながらも自分はどちらかというと平民出身のディリータの方に感情移入していたから、彼が主人公に対立する「悪」として倒されて終わったりしなかったのが良かった
で、「決定版」が出るらしいけれど。
自分が好きだった点は変わらずにいてくれるかちょっと不安。ラムザがディリータと決闘してディリータを倒すみたいなありきたりな話にならないでいてくれると嬉しい。
伊藤匠が同世代の藤井聡太を破ったというニュースがあったようだが、こういうライバル関係は大好物だ。
将棋のことはよく知らないのでこの件についてはここまで。あとは好きなライバルを発表していくよ。というより自分用のまとめだね。
ライバル関係といっても、多くの共通点と少しの大きな違いがあるのが私は好きだ。
年齢や種族や得意なものは近いといい。しかしあまり似すぎると微妙。
生い立ちは違ってると面白い。英才教育を受けた天才VS野生の天才、的な。
ライバルなので思想や敵味方は違うことが多いね。後に共闘すると熱い。
こういう要素がその作品を読んだり見たりするきっかけになることが結構あった。
極端な解釈。
エンディングでは、ディリータもラムザも、それぞれの生き方を純粋に貫き、その代償をそれぞれに負った(ディリータは刺され、ラムザは歴史から封印される)ことが描かれているのであって、
プレイヤーの視点からみても、ラムザは世界の危機を救ったが、ディリータはイヴァーリスを統一して「平民王」となり、庶民に希望を与えたことがちゃんと描かれている。
あのエンディングから何らかの意味を引き出すなら、理想に向かって純粋に突き進む生き方は代償を伴わざるを得ない、ということではないか。
ちゃうわ。
アルガスやウィーグラフやディリータは、現実的といえば聞こえは良いが、要するに現実に妥協しとるんや。
あの3人は、踏みつけられる事に怒ったまでは良かったが、自分が踏みつける側に回る事を正しいと思い込んだ。
意地の張りどころを間違えて、ただ甘さを捨てる事が世の中に処する道と思い込んだんや。
ラムザが、ルカヴィに堕ちたウィーグラフを惜しんだのは、理想を掲げていたウィーグラフが現実に負けて変節してしまったからや。
それは処世術という意味では正しい方向でも、信義は失う。信義を失えば、友を失う。愛を失う。
自分を通す強さが無いために、節を曲げ、弱い者を踏みつけて自分のためだけに利用したから、彼らは地位を高めた代わりに孤独を深めたんや。
エンディングのディリータなんてその帰結や。アルガスやウィーグラフより上手くやったつもりになっても、結局のところ誰もそばに残らん。
ラムザは現実に逆らって甘ちゃんである事をやめないから、多くの仲間に支えられとんのや。
裏切らない、踏みつけない、利用しない。
それを通すから、まったく立場の違う多くの人達に支えられたんや。
つまるところ、力というのは重荷を背負うためにあるんや。
ラムザはそれを履き違えなかったから、最後まで重荷を背負えた。
ディリータはそれを履き違えたから、本来背負いたかったものも含めて重荷が全て無くなって何も残らなかった。
そういう話や。