はてなキーワード: 宮崎勤とは
・ペットは人間より短命だから責任もって見送れるけど子供は親より長生きするからなり損なったとき責任とれない
・ペットはできることに限界あるけど人間は最悪の場合に宮崎勤や青葉真司みたいに大量殺人するうえに人権もある
・生産性では機械に人間が勝ってるとされるけど今後ロボットに自律型AIが搭載されて進歩していくと生産性でも負ける可能性ある
人間の子供は親よりも長生きするので、親が死んだあとも自活できるように就職まで見据えて育てていかないといけない。
ペットは飼い始めた年齢とその動物の平均寿命にもよるが、飼い主よりも早く死ぬであろう飼い方ができるので、責任をもって見送ることができる。自立させる、という高難度のことをしなくても良い。
人間の子供には教育費がかかるが、ペットにはかからない。大型犬は食費が結構かかるが、ハムスターなどはかなり低コストで飼うことができる。
人間は喋るし、基本的に親に口答えをするし、宮崎勤や青葉真司みたいに育つこともある。
猫やらウサギやらハムスターなんかが大量殺人をすることはない。ペットは家から出さなければよそさまに迷惑をかけることはなく、人間は家に監禁することは人権上できない。
そして人間はペットと違って生産性が高いという前提があるわけだが、今後ロボットにAIが搭載されて自律的に進歩するようになれば、多くの人間の生産性をロボットが上回ってしまうのでは。
かわいい、無害、低コスト、低リスク、そして生産性においてもすべて人間以外のものに負けるとなると、今後人間はどうなっていくのだろう?
https://anond.hatelabo.jp/20251010151717
個人的に長年疑問なんだけど、満足いく正確な統計って実はないんだよね
なので非常に難しいし、
だとして(これら名前分けてほしい)
めんどくさいのは社会的ロリコンで、ここって実は男の2/3くらいは入ってると思うよね
17歳に興味が一切ないなんて人は強めの年上好きくらいだと思う
(これが女性になると1/2くらいになると思う)
1990年代なんて、アイドルは15〜18歳が大漁に居たし、橋本環奈が最初にバズったのも14歳
一方で、人気女性芸能人や、人気AV女優を見ると20代が多いから、非ロリコンの方が世の中多いというのもわかる(もしロリコンが多いならこれが10代ばっかりになるはず)
医学的ロリコン①は難しくて、おそらく男性全体の20%くらいなんじゃないかな
80年代90年代にはそういう雑誌が商業的に成り立っていたしね(これ海外ならもう少し減るんじゃないかと思う)
とは言え社会的にNGとされてるから、そういう心理もあって抑圧している人も多いし、二次元だけOKとなってる人もいる、それ込みの20%くらい
なぜこの層が男性において一定数居るかというのは、単純に男性の性の目覚めがこの時期だからなんだと予想している
男の性癖っていうのは刷り込み効果が強いので、その時見ていたものがそのまま性癖として残るんじゃないかと(あと日本の場合はオタク文化のせいもある)
そう考えると、ガチの意味でのロリコンは②の方で、流石にここまで来ると10%を割ってくると思われる(それでも百万人以上居る計算だけど)
面倒なのは②のモチベーションが「性的魅力を感じるから」じゃなくて「大人が怖いから」とか「力でねじ伏せられるから」とか「女なら何でも良い」みたいなのが混ざってくることで、これらは果たして「小児性愛者」なのかというと疑問が生じる(そんで大体犯罪犯すのってこいつらだったりする。宮崎勤ですらこれだった)
過去ネットで知り合った中で一番ガチだったのは、性的対象年齢が6〜7歳限定(二次元はNG)って人で
「流石に生きづらくないですか?」って聞いたら普通に生きづらいと返ってきた、こういう人は病院行くべきなんだと思う(治るかは知らんが)
うーんそうかなー?
程度問題じゃないの?
「夫年上婚」が8割近くも激減しているのに「年の差婚」が減っているわけではない矛盾(荒川和久) - エキスパート - Yahoo!ニュース
要するに、「夫年上婚」全体が減少したのではなく、
「年の差婚ができる者とできない者」とを選別したといえるだろう。
お金は大きいよね
年の差婚が避けられるのは
が1番大きくない?
「不自然」は……
「もしかして、ロ」「言ってはならぬ!」
みたいな疑惑が、今は頭をよぎるよね
「もしかして、ロ」「言ってはならぬ!」
みたいな雰囲気ない?
決定的な転機の事件なら1989平成元年の宮崎勤事件が強いかも
「10才以上の年齢差で手を出す = 犯罪的」みたいな認識ありそう
そうでもない?
ここでいう男性特権というのは『気にしないでいられる権利』だ。
オタクにも分かるように説明すると、たとえばオタクは「性犯罪や殺人の犯人がオタク趣味を持っていた」報道をどうしても気にする傾向にある。もちろんその原因は宮崎勤やフィギュア萌え族などの報道被害のためだ。
一方で、運動部員は「性犯罪や殺人の犯人が運動部員だった」ことが原因でその種目そのものが叩かれたことがないからそのような報道を『気にしなくて良いという特権を持っている』。いわば運動部特権だ。
その意味で言うと、日本には男性特権がある。つまり『エロメディアに誘発されたように見える、女性に対する性犯罪』が起きた事例は何度もある。
そのために女性はどうしても性的なメディアが目につくことを気にしてしまう。
一方で男性は気にしない。それは『エロメディアのせいで男性への性犯罪が起きた』などという事例が少なくとも大きく知られているものは無いからだ。
だから同性を描いたエロメディアのことを『女性は気にするが、男性は気にしない』それは女性が過剰反応をしているのでもなければ、男性が鈍感なのではない。
今までの表現への批判は一言で表すとゾーニングを守ってくれ、だった
ゾーニングを守れば暴力的なコンテンツによる悪影響はある程度防げるという前提が共有されていた。
ところがオタクはフィクションに左右されて犯罪を起こすヤバい集団となれば
その前提が崩壊し、そんな影響されやすい人たちに暴力的なコンテンツを与えていいのかって所まで
議論が後退する
これまで言われてこなかった、表現の自由戦士の被害妄想でしかなかったガチの規制が説得力を持ってしまうよ
そんなにオタクが性加害を起こすリアリティを身近に感じてほしいのだろうか。追記する度に泥沼にハマってない?大丈夫そ?
AIに読ませたら、こう返ってきた
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以下、AIの出力。
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この記事は、1989年の宮崎勤事件を起点とした「オタク=異常者」という社会的レッテルが、
その後の日本における恋愛観・婚活市場にどう影響を与えたかを考察しています。
表面的には一人の犯罪者の事件でしたが、メディアによる過剰報道と印象操作により、
「オタクであること」が社会的に危険視され、忌避される文化的下地が作られました。
この偏見の空気は90年代〜2000年代初頭の学校教育、メディア、恋愛文化の中に深く浸透し、
特に男性オタク層の自己肯定感の欠如、恋愛・対人関係への諦め、内向性の強化に繋がりました。
本来なら“趣味”で済むはずの個性が、“人格の欠陥”とみなされ、
結果として彼らは恋愛・結婚市場で構造的に不利な立場に置かれてきたのです。
この記事の著者は、そうした過去の空気を乗り越えて努力を重ね、
かつて「普通の女」とされてきた人々の婚活疲弊を、ある種の因果として描いています。
しかし注目すべきは、この記事の奥底にある人格形成の歪みと、その起源としての社会構造です。
著者は明言していませんが、ここには「自分はかつて否定されていた」という深い刷り込みが潜んでいます。
それは単なる“スペックの成長”によって克服されたものではなく、
社会的偏見とどう向き合うか、という“人格のリハビリ”としての年月が暗黙のうちに描かれています。
婚活市場における“選ばれなさ”の正体とは、単なる外見や収入の問題ではありません。
それは時に、「自分は愛されない存在である」という、無意識下の諦めであり、
気が狂ったインセルの妄言そのものでちょっと危険な領域だと思う
婚活してる人たちの99%は宮崎勤事件なんか関係なくコミュ力が低くて見た目も良くない独り善がりでしょうもない相手と付き合いたくないだけでしかない
あの時、マスコミがセンセーショナルに取り上げたのは、被害者の無念や社会の闇ではなく、彼の部屋にあった大量のアニメやビデオテープだった。
それ以降、「オタク=危険人物」「社会に馴染めない人間」というイメージが、日本中に植え付けられた。
俺はあの時代をリアルタイムでは知らないけど、ずっとその影響下で生きてきた。
クラスでアニメの話をすれば「キモい」と言われ、電車でラノベを読めば白い目で見られた。
恋愛の話になれば、女の子から「オタクはちょっと…」と笑われた。
「選ばれる側」にはなれないと、そう刷り込まれてきた。
俺たちを見下してきた人たち――特に、“普通”という幻想を信じてきた女性たちが、婚活の沼にはまっている。
「いい人がいない」「普通でいいのに」――そう言いながら、誰からも選ばれず、焦りと諦めが交差している。
その“普通”って、何?
しかも、その理想を支えていたのは、「自分は選ばれる側」という自信、あるいは虚構だった。
現実に目を向けよう。
アニメが好きでも、ゲームが好きでも、ちゃんと働いて、身なりを整え、人を思いやる心があれば、それはもう“まともな男”だ。
いま、自分が切り捨てられている。
婚活アプリの裏で、“選ばれるための自分”を必死に演出してるその姿、
それこそが、かつて「オタクは現実逃避」と笑っていた人たちの現実逃避に見える。
あの時、社会が貼ったレッテルは、いま婚活市場で逆転し始めている。
虚構に生きていたのは、俺たちじゃない。