はてなキーワード: 偏差値とは
知能がどうとか書くと、何か言われがちなのは了承済みで、ちょっと悩み事を書きます
知能高いって言ってるけど、どれほどの問題については、色々東大京大卒、国立医学部卒の学力の持ち主しておいてください。
一方で、家内は、いわゆる普通の4年生大学を出た人、この表現も悩ましいけど、一般的に言う偏差値は50としてください。
以上前置きで、実際知能の格差があることで、とても悩んでる結婚生活っていかがなもんでしょうか?
いくらか列挙
これが当然ながら本体。具体的には、日常会話などで自分がなんとなく話していることについて、当然、ナチュラルスピードでは話せない。少し理解がつまずいたなぁと思うと補足説明や例え話をしたり少し手間が多い。また話す。スピード自体も普通だと早すぎるとなるのでとても遅くした調整をする。
日常会話としたものの、関心の範囲やトピック、それ自体にも大きく差が出る。
例えば、私自身は、経済金融や社会政治、医療や科学技術など、少し後半に興味が広いタイプの人間です。日常的にも、今はとても安くなった本を中心に、専門家が書いた一般書なんかを読みっています。
たいして相手はと言うと、そういう話には飛んで、安心はなく、こういった話をすると、少し難しい話をされた顔をしてわかったようでもない。相槌だけが返ってきます。
もちろん、誰でも自分の知らない話をされるのは、快適でないのは理解するものの、残念ながらその共通範囲がとても狭く、また私自身が関心を持っている領域がとても広いと言う図式になっていそうです。
上では、直接的な知能の影響に触れたものの、こちらも大きいものとして、知性は、その人の人柄や感情の管理能力などなどにも強く影響します。
具体的には、同じような、いわゆる東大京大卒のような人は同感されると思いますが、感情的にヒステリックな反応をする人が高学歴にはとても少ないです。
これはとても自然な話で、日常会話で、何かそれが発生した際も、知的な取り組みとして、相手の立場のことを一度考えてみたり、理性的な議論から考えてみたり、また感情的にヒステリックな反応することで得るデメリットも、瞬時に打算的に計算する、などの複合的な理由から、感情的な振る舞いをする人間が少ないんだと考えてます。
一方で、いわゆる普通の人との会話をしてみると、上に上げたものをそれぞれ期待するのは難しそうです。
そもそもの知識が少ない中で、自分自身の感想を事実と混同しながら話してみたり、それに対する別の意見があったら、感情的になってみたり、あるいはそれら全てが成立しておらず、コミュニケーションが破綻しているようなこともよくあります。
自分自身も調べて、感情的に何か波風打つことが少ないので、この辺は、人生の経験として、一般的にそういうものだと言う理解をする努力をしながらもまだ難しいです。
・社会的地位の話
一般的にでは、あるものの、知能が高い人間を挙げたような人が知っている学校を出ており、また就職においてもほとんどの場合においていわゆる上場企業とされる有名な企業や、公的な機関、専門資格の有資格者、といったそれらいずれかの立場に立っていることが多いです。私もその例に漏れるものではありません。
他方で、当然ながら挙げたような普通の人と言う立場の方は、そういう状況にはなく、日本の平均年収は4,000,000円とよく言いますが、その状況にあることが多いでしょう。
即でマウントメれたことにいくつか触れていますが、繰り返しながらこの辺は重要ではありません。
ただ、ポイントとしてあるのは、日常の会話をする中で、こういった差がとても顕著なものとして現れると言うことです。
具体的には、少しお金持ちの話をしてみた際も、自分自身も相応の収入があり、また周囲には名家の取得であったり、メディアに出るような資本主義を勝ち抜いた、人々も接点があり、これらに対して言える解像度を持った知識と意見を持っています。
ただ普通の生活をしているとこういったところとは接点がないので、とてもずれた会話になってしまいます。
以上、思いつく主にいろいろなことを挙げたものの、一言で言うと、とても大きな分断で、そうであれば、結婚生活なんかしなければ良いと言う考え方もあるかもしれませんが、人柄はとても優しくそれを継続したいと思う事はあります。
ただやっぱりとても厳しいのが、上に書いたような大きな差があると、今後数十年同じ生活に取り組み、様々な問題に対面して解決すると言うトライをすることに自信が持てません。
実際、自分が尊敬するような、大学の先生や実業の世界で活躍する様々な知的な人物は、その相手も同等とはいかないまでも、相応の知的能力を持っている人を選んでいる印象があり、例外はとても少ないように見えています。
自分の場合は、そこまで傑出した能力ではないにせよ、その例外パターンになってしまっており、意見だったり反論だったり同じ悩みだったり、いろんなことを聞いてみたいです。
長々書きましたがありがとうございました。
※最後に、この長文は、音声認識でざっと記載しているので、誤字脱字が散見されますが、適宜見合いを組んで読んでいただけるととても助かります。ご容赦ください。
動画主の主張には同意だけど、一般的には最も学歴や偏差値にこだわった人間の行き先と見なされている東大理Ⅲの学生の発言てのが、やはり「え?」とは思う。
東大とか医学部とか出ても妙な方向へシフトしていく人がたまにいるよね。農家を始めたとかお笑い芸人になったとか美術大学に再入学したとか。そんな突拍子もないルートを取る人たち。そういう人が「学歴にこだわるな!多様な価値観を認めろ!やりたいことをやれ!貫け!」とか言ってるならシンプルにかっこいい。
単一の尺度で価値を測ろうとするのは、その人の視野の狭さを示してると思う。有体を言えば、頭が悪そうにみえる。
今日、東京大学理科三類に合格し、通ってらっしゃる栗林氏のYoutube動画を観た。タイトルは「学歴にこだわってる人へ(https://youtu.be/m0njQXdFK1I?si=bme7omYBap7MaVBH)」だ。
自分なりに要約すると彼の主張は以下だ。
「学歴にこだわんなよ、しょーもない」
「偏差値だけを基準にものごとを選ぶのって、価値を一つの基準でしか判断できてない」
「価値には色んな要素がある。その学校の教授とか、どういう講義を受けられるのとか、その学校の求めてる人材像と自分がマッチしてるのとか。偏差値はわかりやすく一つの要素を単純化して表示してるだけ」
頚椎が骨折しそうになるくらい首を縦に振ると同時に、これは東京大学理科三類という国内でもっとも難しいと思われる受験区分を通過してる彼だからこそ言えることだと思った。
何の肩書きも持たない俺が追従しても、説得力に欠けるかもしれない。何を言ったかは大事だけど、第三者に伝えるときは誰が言ったかも重要視されやすい。
けどまあ、言わせてほしい。
俺は他人によくムカつくんだ。他人を狭い視野で批評するやつに。
高学歴とか、何の資格を持ってるとか、家庭がどうとか、心底どうでもいい。俺やあんたが何が実現できるかのほうが遥かに重要だと思うんだよ。
(補足。東大とか旧帝大とかMARCHに受かってる人の努力はすごいし、尊敬してるよ。だって俺には到達できないもんな、そういうの)
俺も世間一般で見たら「頭がいいのかなあ」と思われる仕事に就いてたさ。
けど、中を見たらPCの前と喫煙所を反復横跳びするボンクラ、パワハラして僻地にぶっ飛ばされてるボンクラ、自分のミスを部下になすりつけるボンクラ、そういうのがわんさかいたよ。
けど、外から見たら「この人、頭がいいんだろうなあ」だ。中ではお荷物だのなんだと言われててもね、そんなもんだよ。
こんなやつらより外であくせく現場作業してる人たち、じいさんばあさんの介護をしてる人たちのほうがよほど社会のためになってると思ってたさ。
だからこそ、肩書きとか学歴とか一つの特徴をもって他人をつべこべ批評するやつが嫌いなんだ。何も見えてないくせに、わかったようなことを言ってるからだ。
中受中受っていちいちうるせえな
https://www.brush.bio/anhtraisayxe
https://www.brush.bio/anhtraisayxeviethd
https://www.brush.bio/cuoivochocha
・小泉進次郎 防衛大臣 (関東学院大 経済・偏差値37.5)
・小野田紀美 参院内閣委員長(拓殖大 政経・偏差値35.0)
学歴がすべて、とは言わない。だが、「誠意」「根気」を推し測るうえで最もフェアな基準であるはずだ。それらを軽視した、「経歴」や「人柄」といった、あいまいで便利な言葉におどらされた、無数の老人の「人気投票」娯楽で為政者が決められてしまっていいのだろうか?
旧帝大以上を出たうえで、政治に関心があり、同じかそれ以上の経歴を持つ若者はごまんといる。なぜ、このような「不純物」を登用する?
経済等で不満がたまっているときは敵を作って不満のはけ口にするのが伝統的手法や。中国がよくやっているけど今回は日本もな。
勇ましいこと言えば支持率上がって政治家にとってはwin-win。
顔で偏差値っていうほどわかるか?
以下は、あなたの提示した主張について人格攻撃を避け、科学的根拠ベースで客観的に評価したもの です。
(※内容の性質上、「外見=偏差値」「女性=努力不足」といった表現や結論には科学的根拠がないため、その点を明示的に評価します)
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提示された主張は、
に、いずれも科学的根拠がなく、認知バイアスに基づいた推論 と評価されます。
外見や恋愛の満足度は、遺伝・文化・社会的要因・経済力・健康状態など多くの要素が絡むため、
「努力=外見が60」
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| 評価項目 | 主張内容 | 科学的妥当性 | 客観的評価 | コメント |
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| A. 外見は努力で偏差値60にできる | 整形・食事・運動で誰でも美人に | ★☆☆(低) | 外見は遺伝+環境+生活習慣の複合。努力は改善要素だが「誰でも60」は非科学的 | 美的基準は文化や時代で異なり、単一偏差値化不可能 |
| B. 美人になれないのは努力放棄 | 努力不足という決めつけ | ★☆☆(低) | 因果関係を証明する根拠なし | 経済力・健康・生育環境など努力以外の要因が大きい |
| C. SNSでの怒りは後悔 | 嫉妬ではなく悔悟 | ★★☆(中) | 可能性としては「推測」だが万人に当てはまらない | 感情は複合要因であり、単一の原因特定は不可能 |
| D. 大学受験との類比 | 努力すれば明治には入れる | ★☆☆(低) | 学力と美的評価は構造が違い、類比は不成立 | 学力=客観テスト、外見=主観評価で比較不可 |
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「誰でも偏差値60」は美容医療業界でのマーケティング的言説であって、科学的根拠はない。
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これは後悔よりも「比較による心理負荷」の説明の方が一般的です。
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| 影響要因 | 外見 | 学力 |
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| 遺伝 | 大(骨格・顔パーツ) | 中(知能の素質) |
| 努力で変えられる部分 | 中(肌・体型・化粧) | 大(勉強量) |
| 社会的評価の変動 | 極大(文化・流行で変化) | 小(基準テストは固定) |
| 金銭コスト | 中~大 | 小~中 |
| 改善の上限 | 大きい | 小さい(努力がほぼ反映) |
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ものの、
外見・努力・嫉妬・怒りの因果関係を単純化しすぎており、科学的な精度は低い
特に、
「怒り=後悔」
最近気づいたが、女性はある程度努力すれば偏差値60くらいの美人になれるのだということ。
整形・整体に加えて食事や運動やコスメの研究によって、元がどんなにブスでも偏差値60にはなれるということである。
つまり、モテずに絶望して全世界の男を敵に回してしまったようなブスは、途中で努力を放棄したということなのである。
これは大学受験にも似ていないだろうか?
大学受験でも、別にガチらなくても一定以上の努力をすれば、明治大学くらいには受かるものである。
つまるところ、ブスがSNSで幸せ新婚家族を見て発狂しているのは、「自分は努力ができなかった」という後悔からくるものではないか。