2025-08-26

口内からもっと内面を見てみる

俺は成長を拒んでいる、全力を出すことを日々拒んでいるのに、

俺の下唇のちょうど食物が当たる辺りにできた口内炎は、日々成長し全力で俺を痛がらせる。

酢の物を食べたときなんか、涙が出るくらい痛い。

こないだ『火垂るの墓』を観たときすら涙は出なかったのに。

火垂るの墓』は本当に素晴らしい映画だった。芸術作品として至上のものだと思った。

Home Sweet Home』が節子の一人遊びに重ねて流れてくるシーンなんかはどうしようもなく素晴らしいと思った。

ただ、涙は出なかった。涙が出ること=真に感動することとは昔から信じてないし、むしろ安易に泣く奴を軽蔑らするドライアイなだけかもしれない。ドライアイの奴が泣いている人を蔑んでいるのは非常に滑稽だ。口内炎を誤って噛んでしまったときに滲む涙をみて笑ってくれ。

成長だ、成長だ、と世間は囃し立てるけれども、俺は成長を拒んでいる。天邪鬼で妙なプライドがまた変なところで顔を出すのだ。

社会に身を預けて、俺も心置きなく成長したら良いのに、それを拒絶している。

心置きなく成長するには、「ポジティブな鈍感さ」が不可欠だと思う。馬鹿になれること、自分に無いものをはっきりと認め自分を適切に評価し、欠点を補強し続けること。

そこに感覚が入ると、自分無駄足枷を付ける。欠点はある程度判っていながら、そこから先、自分内面を掘り進めることを止めてしまう。それは怖いからだし、臆病だからだし、自分はもうちょいマシだと思い込みいからだ。

自分はもうちょいマシ」で邁進すると、人当たりはまあいいかもしれないし、世渡りはある程度出来るだろうが、ずっと人を見下してしまう。

俺が人より感覚が鋭敏だ、ということを言いたいのではない。論理的思考放棄し続けているのだ、と言いたい。感覚で日々の全ての選択を下し続けている。すると、それしか出来なくなる。社会思考は鍛えられず、どうしてもそれが出来ない身体になってしまう。

そして、口内炎身体をむしばんでいく。こうしている間にも下唇には痛みが走っている。この痛みを抱えながら寝るしかない。俺にはそれしかない。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん