俺は成長を拒んでいる、全力を出すことを日々拒んでいるのに、
俺の下唇のちょうど食物が当たる辺りにできた口内炎は、日々成長し全力で俺を痛がらせる。
『火垂るの墓』は本当に素晴らしい映画だった。芸術作品として至上のものだと思った。
『Home Sweet Home』が節子の一人遊びに重ねて流れてくるシーンなんかはどうしようもなく素晴らしいと思った。
ただ、涙は出なかった。涙が出ること=真に感動することとは昔から信じてないし、むしろ安易に泣く奴を軽蔑すらする。ドライアイなだけかもしれない。ドライアイの奴が泣いている人を蔑んでいるのは非常に滑稽だ。口内炎を誤って噛んでしまったときに滲む涙をみて笑ってくれ。
成長だ、成長だ、と世間は囃し立てるけれども、俺は成長を拒んでいる。天邪鬼で妙なプライドがまた変なところで顔を出すのだ。
社会に身を預けて、俺も心置きなく成長したら良いのに、それを拒絶している。
心置きなく成長するには、「ポジティブな鈍感さ」が不可欠だと思う。馬鹿になれること、自分に無いものをはっきりと認め自分を適切に評価し、欠点を補強し続けること。
そこに感覚が入ると、自分に無駄な足枷を付ける。欠点はある程度判っていながら、そこから先、自分の内面を掘り進めることを止めてしまう。それは怖いからだし、臆病だからだし、自分はもうちょいマシだと思い込みたいからだ。
「自分はもうちょいマシ」で邁進すると、人当たりはまあいいかもしれないし、世渡りはある程度出来るだろうが、ずっと人を見下してしまう。
俺が人より感覚が鋭敏だ、ということを言いたいのではない。論理的思考を放棄し続けているのだ、と言いたい。感覚で日々の全ての選択を下し続けている。すると、それしか出来なくなる。社会的思考は鍛えられず、どうしてもそれが出来ない身体になってしまう。
そして、口内炎が身体をむしばんでいく。こうしている間にも下唇には痛みが走っている。この痛みを抱えながら寝るしかない。俺にはそれしかない。