某人気記事になってたのを読んで。
割と最近まで私の中では当たり前すぎてわざわざ言語化する必要すらないことだと思っていたけれど、それに関連することで切れた人間関係があったので書いてみる。
でもその選択肢の中には完璧なものがあるとは限らなくて、というよりむしろ色々なトレードオフの中から選ぶはず。
Aという選択肢にはA'というデメリットがあり、同じくBという選択肢にはB'、Cという選択肢にはC'・・・というようにそれぞれどうしてもデメリットは存在してしまう。
でもその一方でそれぞれにはメリットもあって、どのメリットを得るためならどのデメリットを我慢して受け入れるのが最もマシかを考えて選択するわけだよね。
そしてそれを選んだ以上はそのデメリットについては当然受け入れなければならないよね。選んだのは自分だしメリットを享受しているんだから、自己の責任としてデメリットも受け入れて我慢するのは大人としては至極当然だと思う。
でも他責思考の人はどうも違うらしい。
何を選んだとしても、そこに付いてくるデメリットを他人のせいにする。というよりも「デメリットのある選択肢しか存在しないのは○○のせいだ」という考え方らしい。
例えば仕事、例えば人間関係、例えば結婚相手・・・どんなものに対しても自分で選択したはずのことなのにデメリットを自分で受け入れるということが出来ないようだ。
会社が悪い、旦那が悪い、そこまで言うなら辞めるなり離婚するなりすればいいじゃんと思っても辞めたら・離婚したら生きていけないと言う。
じゃあその会社で働いたり旦那の稼ぎで生きていく選択をする以上はそこに付いてくるデメリットはあなたがその選択をした結果なんだから多少なりとも受け入れなよ、という話も理解できないようだ。
全てが自分の思い通りにならない限り不満が爆発するというのは、駄々をこねて泣き叫ぶ幼児と何ら変わらないと思うんだ。折角選択肢は持っていて何とでも出来るはずの大人なのにね。
私が付き合いを絶った相手もそういう感じだった。
利益を享受したいんだろ、じゃあその代わりこれぐらいは我慢しなよ、という話が理解できない人だった。
別に我慢するのが嫌なら関わらなくても良いんだよ、その代わり利益は失うけどその選択権はあなたに与えられているんだよ、というのが本当に分からないらしい。とにかく自分の思い通りにしようとして周りの人間を疲弊させていた。
最初に述べた通り、私にとってはそういう考え方は言語化するまでもない当たり前すぎる話だった。考えるまでもなく分かることだった。
でも考えても理解できない人種というのが一定数存在するらしい。残念ながらそういう人たちとは大人としての付き合いは不可能だ。
プライベートではまず関わるべきではない。仕事だと面倒な相手になるけど、なるべく距離を取り必要最小限の関わりにする。もうそうするしかないよね。
あー、またひとのせいにしてるー