現在のギザのピラミッドは砂漠の真ん中にあるが、4600年前、この地は特定の季節だけ利用される港だった。(PHOTOGRAPH BY ALEX SABERI)
2013年、発掘チームが紅海沿いで作業していたところ、パピルスに書かれた日誌が見つかった。そこには、巨大な石のブロックを、トゥーラの採石場からピラミッドの建造現場まで運んだ過程が記録されていた。(PHOTOGRAPH BY PIERRE TALLET, WADI EL JARF ARCHAEOLOGICAL MISSION)
ギザの大ピラミッドは200万個以上の石のブロックで建造されており、何千年もの間、地球上で最も高い人工建造物だった。(PHOTOGRAPH BY ANDREW COLEMAN)
古代の文書から得られた手がかり 2024年、研究者たちは、ピラミッドの建造において、大がかりな水上輸送プロジェクトが重要な役割を果たしていたことを示す証拠を発表した。これは、過去の研究と、2013年にフランスのエジプト学者ピエール・タレが発見した「紅海文書」から得られた情報を基にまとめられたものだ。紅海文書には、メレルという工事監督官による4600年前の日誌が含まれていて、彼のチームが、上流のエチオピア高原からの雨水で増水する時期に、ナイル川経由で巨大な石を運んだ様子が記録されていた。(地図:MATTHEW W. CHWASTYK AND PATRICIA HEALY, NGM STAFF. 出典: EMAN GHONEIM, UNIVERSITY OF NORTH CAROLINA WILMINGTON; SUZANNE ONSTINE, UNIVERSITY OF MEMPHIS; PIERRE TALLET, SORBONNE UNIVERSITY)
失われた川の存在が明らかに メレルの日誌に記されている水上輸送は不可能だと思うかもしれない。現在、ピラミッド周辺の土地は、砂漠に囲まれているからだ。しかし、2023年、米ノースカロライナ大学ウィルミントン校の地形学者エマン・ゴネイムが率いるチームが、かつてはナイル川の支流がピラミッドの近くを流れていた証拠を発見した。その失われた川は、アフラマト(アラビア語でピラミッドの意)と名づけられ、一部の学者はナイル川の西の支流と呼んでいる。チームは、地球物理学的調査やレーダー衛星画像、深部土壌の採取を通じて、その支流がピラミッドの建造地のすぐそばを流れていたことを突きとめた。つまり、アフラマト支流の存在が、エジプトで最も有名なモニュメントの建造場所の決め手になった可能性がある。(地図:MATTHEW W. CHWASTYK AND PATRICIA HEALY, NGM STAFF. 出典: EMAN GHONEIM, UNIVERSITY OF NORTH CAROLINA WILMINGTON; SUZANNE ONSTINE, UNIVERSITY OF MEMPHIS; PIERRE TALLET, SORBONNE UNIVERSITY)