2025-06-14

ガンダムジークアクス10話のシャリア・ブルにがっかりした

ジークアクスのシャリア・ブルの目的って今まではてっきり、シャアを見付けて統治してもらおう、自分はそれを横で支えよう、だと思っていたんだよ。何故そうかというとシャア思想共鳴たからかと。

その思想とは何なのかとすごーくシンプルに言えば人類全体の平和

初代ガンダム39話でのシャリア・ブルはシャアとの会話の中で「もし我々がニュータイプならニュータイプ全体の平和のために案ずるのです」「人類全体の為に、と取っていいのだな?」「はい!」というやり取りをする。

ここが印象的だったから、ここが行動原理なのかと思っていた。


だけどジークアクスの10話を見る限りではシャリア・ブルの目的は、これ以上ニュータイプ人殺しをさせたくないという極めて小さなものに留まっている。そこにはその他大勢人間存在はない。彼はイオマグヌッソに虐殺されるその他大勢ではなく、虐殺に加担させられる平行世界ララァというただ一人だけの事を考えている。凄く世界が狭いんだよね。

一方、シャアZガンダムにおいて、虐殺される側の視点に立って虐殺批判している。つまりその他大勢弱者目線がある。

そしてカミーユエゥーゴ勧誘した事から考えても、

ニュータイプ人殺しをさせたくないという思考とは割と真逆。どちらかというとニュータイプという優れた人々は人類のためにその力を積極的に使っていくべきだというノブレス・オブリージュ的な考えが根底にあると思う。


ソロモン落下阻止作戦の前に「次はザビ家だ」とわざわざ宣言していたから、シャアにはザビ家を倒した後のビジョンがある程度明確にあって、シャリア・ブルはそれに共感して協力するつもりなのかと思っていた。

そしてそれはZ以降で示されたシャアの行動に近いものであるのかと。

原作では一年戦争で死んでしまったシャリア・ブルの生存で話が変わるのかと思ったんだよね。彼が支える事によってシャアはCCAのような一発逆転の成功率が低い手段ではなく、地道で長期的な手段平和を成し遂げようとするのかと思っていた。


あと、わざわざメイン三人の一人であるニャアンというキャラ難民に設定したのは、CCAでのシャア演説の「難民のための政治」に繋げるためなのかと思っていたよ。だから格差問題への言及を期待していた。

でも結局ニャアンはエグザべと一緒にキシリアの元に行ってしまい、マチュも特に気にかけない。今後のニャアンも難民かどうかよりもニュータイプという文脈しか語られなさそう。

シャリア・ブルにとって重要なのはニュータイプかそうでないかという区分であり、オールドタイプには全然関心なさそう。ニュータイプポジティブに描くってこういう意味だったの?

どうも選民思想というかセカイ系というか。


10話でマチュに語った内容を見るに結局シャリア・ブルにとってシャア自分と同じく空っぽ人間から一時的共闘しただけで、大した思い入れはなかったって事だよね。

まだ若く未熟な上官を、自分自身の目的のために利用して使い捨てたとすら言える。そして今もマチュに対して同じ事をしているという…。要は秋元康アイドルみたいな関係なんだよな、シャリア・ブルとマチュやシャア関係性。シャアもマチュも鉄砲玉。

で、ギレンとキシリア同時排除計画別にシャアとか関係なくて単に彼個人の思惑かあ。

キシリアの言う通りに薔薇を見付けてイオマグヌッソを完成させ、そのお披露目のタイミングでギレンとキシリアを同時に暗殺……が彼の計画らしいし。

まあ考えてみれば赤いガンダムが出現する以前から計画なんだからシャア別に関係ないと考えた方が自然か。そういえば計画に協力していたシムス・アル・バハロフってニュータイプなのか?彼女あくま研究員であってニュータイプではなさそうなんだけど。

とにかくジークアクスのシャリア・ブルは10話ですっかり底が割れしまい、つまらないキャラクターになってしまったと思う。あまりにも浅い。

勝手妄想していて悪かったと言われればそれまでだけど色々とがっかりしたな。


まあ、シャアの方も原作と同じとは限らないし、全てララァを助けるためだけに動いていてもおかしくはないんだよな。

ジークアクスのシャア人類とか大きい事を考えず、ララァの事だけ考えてララァと一緒になりますって話なのかもしれない。その方が個人にとっては幸せなのは確かだしね。

  • 岡田豚「鶴巻作品で深く考えるのはムダ」

    • かつて岡田枯木というキャラ変してたことを知る者ももう少なくなった😔

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