2025-08-13

VRChatは現実劣化コピーからVRChatでしかやれないことをやれ

と私は思わない。

しかし"そう"思う方もいるらしい。

まず、予防線を張らさせてほしい。

私は普段文章などを書かない。書いたとしてもX(旧Twitter 以下X)の上限140文字が限度である

しかし今回の件、私個人の考えをインターネットの広大な海に放流したい気持ちがあり筆を執った。

拙いながらもここに放流させてほしい。

発端

今回ある海外の方のポストが波紋を呼んでいる。

https://x.com/LakuzaVR/status/1954943217339932844

要約すると「VRChatterどうしたんだ!もっとフロンティア精神持てよ!昔は一緒に冒険したじゃねえかよ!」だそうです。

もちろん、このポストが「VR現実比較して劣っている」と言っているわけではないことは承知の上だ。

しかSNSとは、幼稚園で起こったことを説明する幼児の如く話が飛びまくる

https://x.com/knshtyk/status/1955281738185445743

さっきの海外ニキのポストRTした直後のポストである

あれ?そんな話してたっけ?

https://x.com/letter2943/status/1955219812927541623

こちらは海外ニキの引用RT引用RT

こちもの海外ニキのポストでは言ってないことを付け足しているように見える。


犬ニキの意見は「VR現実模倣するなら付加価値必要だよね」

農家ニキの意見は「せっかくだからVRChatではVRしかできないことをやろうぜ!現実でできることは現実でやろうぜ!」

まぁ両者とも言葉選びがアレで反感買いそうなところはあるが、それを取り除くとこんなところだろうか?

劣化コピーという言葉""悪気の無いアドバイス""自分基準に考える"あたりが反感を買いそうな要素と個人的に思うが、それはスルーしておこう。

ともかく主にこの2つのツイートが今回の議論の渦中にある。

勝手な推測

から書くことは個人的な推測で、彼らの意見を代弁するわけでも、彼らを理解した気になっているワケではないと前置きしておく。

恐らく彼らは「VRで見たいものがある」若しくは表現したいものがある」のではないだろうか?

そしてその「見たいもの」が見られない状態に不満を抱き「表現しない」人たちに失望しているのではないだろうか?

そして全員、停滞していく(ように見える)VRChatの行く先を憂いている。そして変えたい。

我慢していた本音を漏らしたとき自分でも驚くほど言葉が出てきてしまうことは、私にも心当たりがある。

話が飛んでしまっているのは"そういうこと"だということに(勝手に)しておく。

VR現実リアル

彼らの意見に私なりに耳を傾けた上で、個人的な意見を書いていく。

私はそもそもVR現実の1部ととらえている。VR現実もどっちもリアルなのだと考えている。

から両者を比べるのはナンセンスに感じてしまう。

VR現実も同じと思わない(思えない)人に分かりやすく例えると……

ハウステンボスってオランダ劣化版だよねー」と言われると「アハハそうだね(呆)」となるだろう。

注文住宅で家を建てた人に「なんか普通だね」とは言わないだろう。

ペーパードライバーに「せっかく免許持ってるのになんで車の運転しないの?」とわざわざ聞かないだろう。

わたし視点では犬ニキと農家ニキのポストはこういう風に映っている。

VR現実のいい所

いかVR現実を別々で考えてみろ?……はい、わかりました。

VR現実もどちらも良い所がある。

VRはまずカネがかからない。忘れてる人も多いように見受けられるが、日本では地面を使うにもカネが要るのだ。

しかVRなら、会場費も飲食代も、客も主催スタッフも、現実よりずっとカネが掛からずに済む。

次だ。オンラインであるが故、シンプル距離の制約から解放される。

現実Barを開いても近隣住民や通りがかりのサラリーマンしか顧客候補にならない。しかVRならBarを開いた瞬間、全世界の人々を顧客候補にすることが可能だ。

現実にも勿論いい所がある。

VRと違い収容人数が圧倒的に多く、ただの公園でも水族館でも"そこ"に人がいるだけで雰囲気が出てくる。

ライブクラブでもラグが無いので会場が一体となった感じが味わえる。

逆に移動時間があることで、行きも帰りも思いを馳せることができる。

車とバイク、どっちがいい?みたいなものだ。

どちらも良いものだし、どちらが劣っているかなんて優劣をつけるものではないと思う。

VRしかできないこと

VRででしかできないこと」に関しても同様の考えなので、農家ニキの意見を汲み切れてない感じがする。

東京ででしかできないこと、大阪ででしかできないこと。VRででしかできないこと。どれも同じだ。

東京ででしか会えない人、大阪ででしか会えない人、VRででしか会えない人。

VRChatは出会いと会話のハードルが著しく低くなるので、普通に生きてたら友達になることが無かった人(明らかに社会的地位の違う人や、異業種の人)と友達になれる。

距離の制約も無くなり、終電が無くなった後もみんなでワイワイできる。

"ただ集まって話す"それだけでVRしかできないことだと言えるのではないか

「作り手としてVRならではでいこうよ」という文脈で言っていたのであれば、説得力を持たせるためにまず自らが行動に移していくことが大切だ。

というより作りたいものは人によって違うので、そこに他人が注文を付けるのは傲慢に見える。

そもそもVRChatは現実の抑圧から解放されたい人も多い(と勝手に思ってる)

そんな場所で「君らはこうあるべき」 「好きじゃない」なんて言えば多少の反発があるのは当然だろう。

そもそも現実でも言わない方がいいセリフではあるのだが)

価値

ここまで語ってきたが、人が何に価値を感じるのは、それこそ人それぞれだ。

金塊に価値を感じない人もいれば、穏やかな暮らしの本当の価値を知らない場合もある。

"好きなアバターを使える"これがVRChatに人が集まる最強の価値だろう。

しかし彼らは"発展"に大きな価値を感じる(しつこいようだがこれは推測だ)

こういった"何に価値を感じるか"の違いが、今回の議論が巻き起こった要因の一つではないか

本題とまとめ

さぁここが本題だ。

先ほど私が推測した3者とも"停滞していく(ように見える)VRChatの行く先を憂いている。"という部分。

これは分からないでもない。私個人としてはVRChatが停滞していると思わないが、何かが停滞するときは衰退の始まりだ。

衰退は終わりのはじまりVRChatが終わるなんて私も嫌だ。

しかし、このように外部から劣化コピー」 「VRしかできないことやろうぜ!」などとハードルを上げていくと、それこそクリエイターの卵が消えて、VRChatが更なる停滞へと誘われてしまうのではないか不安になる。

そもそもチルワやDJワールドVRChatが停滞に向かっている象徴なのだろうか?否。

チルワールドを作っている人は"自分理想の住処"をVRChatで形にしたはずだ。

DJワールドを作っている人は"自分オーガナイザーになって箱を持ったら"という理想VRChatで叶えたんだ。

正直"なりたい自分になれる"という触れ込みにはやや否定的立場であるが、このように人の夢や理想を実現できる場所であるということだ。

みんなが作りたいものを作っていく。そして人が集まってくる。その中から「俺だったらこうするのに」と考えた異彩を放つクリエイター生まれる。

そういう風に考えることもできるのではないか?そうじゃなくてもクリエイター絶対数は多い方が良い。

激励

犬ニキも農家ニキも、意見の発信に感謝します。

こういった意見発信が界隈をより良くするケースもあると私は知っています

欲しいものがあるのだがどこにも無い場合自分で作った方が早い。見たいものに関しても同様です。自らの手でむしり取るのです。

みたところ犬ニキも農家ニキもVRならではといったものを作っていないように見受けられます

欲しいものがある、周りの人を変えたい。そんなときはまず、自分自身が頑張るところから始めてほしい。応援しています

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読みづらい文章申し訳ない。ここまで読んでくれた人に感謝を。

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