はてなキーワード: 今年の抱負とは
今年の抱負として、今までにやったことのないことに10個挑戦してみることを思いついた。
とりあえず自分で思いついたのは、宝くじを買う、前から参加して見たかった読書会に参加する、くらい。
あと何かあるかな。
いいアイデアがあったら教えてほしい。
ちなみに持病があって多分寿命はあと15年ほど。
その治療費が結構かかるので金は無い。なので世界一周とかは無理。
チョコザップとかサウナとかかなあ。あんまり気乗りしないけど。
バンジージャンプとかは体調的にも無理。
今までに迷って結局いつも選ばなかった方を選ぶような、そんな一年にしてみたい。
年が明けた。もう30代半ば。婚活歴、長くなってきた。
「今年こそは」とか「今度こそ出会える」なんて、もう言いたくない。正直、言い飽きたし聞き飽きた。友達も家族も、言葉には出さないけど、心の中で「また?」って思ってるの、わかる。私だってそう思う。
でも、諦めたわけじゃない。むしろ、今年は違うんだって、自分で自分に言い聞かせてる。ただ、焦るのはやめる。今年は、「選ばれる」んじゃなくて、「選ぶ」年にする。
思えば、ずっと誰かに良く思われようとしてきた。プロフィール写真は奇跡の一枚を探して加工しまくり、趣味だって本当は興味ないけどウケが良さそうなものを並べた。会話だって、相手の好みに合わせて調子を合わせてた。でも、そんなことしても上手くいかないんだって、もう気付いた。
だから、今年はもっと自分を出す。好きなことを好きって言うし、苦手なことは苦手だと言う。背伸びしないで、そのままの自分でいい。そうじゃなきゃ、たとえ相手が見つかっても、続かないと思うから。
友達が去年結婚して、「結婚ってゴールじゃなくてスタートだよ」って言ってた。その言葉、最初は半分聞き流してたけど、今になって思う。自分を偽って結婚したら、スタートラインに立った時点で息切れしてるんじゃないかって。
だから、今年の抱負は「私を生きる」。自分を大事にする。誰かに合わせるんじゃなくて、私自身を選んでくれる人を探す。それが難しいこともわかってる。でも、今年はそれをちゃんとやりたい。
新年の空気は冷たくて、でもなんだか澄んでいる。未来に期待する自分がいることに気付く。きっと大丈夫。少なくとも、私はもう一歩踏み出してる。
(おそらくクレーマー)
撮られてるのYouutbeに投稿されてるのみたな、同一人物かな)
警察になんか人相とか伝える時に力になるだろう
(これがすべての間違いの始まり)
「なにしてんの!あんた、撮られるで!」
「お前何撮ってんだ!」
あまりの気迫に気圧される
(もしかして削除したの気付いてない?)
とかあったからこういうのもいけるとおもったんだけど。
後で調べてみよう)
と焦りながらもどこか落ち着いて感傷に浸る
店員さんのためによかれとおもったが
さっと自転車に走って逃げる、フリ。軽めに走っている
暴行罪が成り立つので5:5になるかな、さてここからどうしよう
おっさんはとりあえず手を止めてくれたので誤解を解くのを先決する
(あ、相手は動画を削除してないと思ってる、とりあえず対話だ)
「携帯見せて」
おばちゃん「ここ、ここ、これが最新のやつ」
優しい口調で教えてくれる(やさしい)
なるほど、ただ削除しただけでは完全に削除されず
完全に削除されるようだった
俺、気まずそうにスマホを傾ける
(クレーム内容は気になるが、結局知れずじまいで終わる)
完全に半べそというか泣いている。
だとしたらこの涙の原因は完全に俺にある、辛い
そして残された俺の目の前には一部始終を見ていた若人二人
「いや、全然」
もう一人の若人が半べその店員を慰めている
「君、そういうことしたら駄目だろ」
クレーマーの一人として見られているのか
(俺は何をやってるんだろう)
ひどく惨めになった
新たな火種を持ってきただけだった
「あー………注文してるんですけど」
こちらを見ているのが傍目でわかる
ちかづいてきた…!
「○○○○○~」
なんか言ってるが聞き取れなかった、その声から
怒りは感じないので怒ってる様子ではない
俺は気になったクレーム内容について触れてみる
「あの店員がなんかしたんですか、めちゃくちゃ怒鳴ってましたけど
俺に対するイライラはないが別の店員にまだイライラしている様子
まだクレームは続くようだ…
俺も完全に蛇足だしもういいやと帰路
余計なことをした
やぶ蛇だ
中国では車にひかれた人を「助けた人」が訴えられたりするらしい
余計なことに首を突っ込まず目立たず生きたほうが長生きする
”傍観者”になろう
PS.
「盗撮だ!警察だ!」というくらいだからそういうことはしないか…?
正月もキビキビ動いて部屋の片付けなどしたいのだが、何か雰囲気的に、こたつ入ってみかんでも食べてテレビ見てなくてはいけないような気分になってしまう。
その理由はよくわからない(寒さと普段の疲れのせいなのか?)が、とりあえず、そういうわけなので、昔から正月が嫌いだ。
そういや昔は特に、親戚回りが苦痛だった(お年玉は親に、こちらから出した分の相殺として回収されていた)。
同じくらいの親戚と遊ぶのも、友達が居ない自分には、気を使うだけでつらかった。
他人の家は当然ながら、私の部屋が無い。トイレの回数と時間が増えた。
おせちのうんちく(黒豆は云々とか)を聞いたり、親の前で今年の抱負言わさせられたりの苦痛。
それに正月は、父親が長く家に居るので、部屋に戻りたいのに、トランプしたりして遊ばないといけないのも嫌だった。
そうか、その頃から、「正月はみんなで集まって、正月らしいことをしたりダラダラしたりしないといけない」みたいな習慣が刷り込まれたのだ。
それが嫌で、冬休みに入るのさえ嫌いだった(夏休みは長期に学校から離れられるし、父親も平日は居ないのでよかった)。
そして今は、実家に帰って正月を過ごす身となったが、それにしても、正月は苦痛だ。
今は、年々と複雑度を増す実家の物を片付けたくイライラする中に、結婚の話をされてなおイライラ。
未だに、おせちだとか餅だとか、何の感想もないのに、親の作った料理の評価を求められ。
そばとかすき焼きとかも要らない。大晦日たって、24時を待たずに早く部屋で寝たい。
初売りも買いたいものは無い。それでも親に、テレビは特番ばかりでつまらんと連れて行かれる。
他人の買い物は苦痛だ。食い物や服など興味が無い上に、人混みでは耳がキンキンする。
それに比べ、コロナ禍で実家に帰らず過ごした正月は、資格勉強が進み、コンテンツも計画的に消化できて満足度の高い回だった。
正月だけでも実家に帰らないと親に告げて、これを何回か繰り返したい気分になったくらいだ。
しかし、正月はやはり重要なイベントであり、夏休みの帰省を忙しくて休みが取れぬとサボれても、正月に帰省しないとは言い難い。
本当に、実家で過ごす正月がだるい。年末出勤のある職場なら、喜んでその任を受けたいくらいに。
こうして、スマホで無駄に増田を描きながら何の意味もないテレビ特番を見るくらいなら、実家にあるものを全て片付けたい。
もしくは部屋でこもって、持ってきた文庫本でも読みたい。
上記は私の場合の一例だが、私にとって正月は、無駄に人々の連結を強化して、無駄にダラダラを押し付けてこようとするイメージがある。
その私が勝手に抱く圧迫感が私には駄目で、正月なんて大嫌いだと毎年のように思っている。
来年の抱負は、私の持つそういう「正月観」の打開とでもしたいところだが、今夜にでもカバン持って実家を飛び出さなきゃ叶わないだろな。