はてなキーワード: 感傷とは
結論から言うと、語源的にはまったく関係ありません。似ているのは偶然です。
語源:ラテン語 centum(=100)+ metron(=長さの単位、メートル)
→ 単位の話です。
🔹「センチメンタル(sentimental)」
語源:ラテン語 sentire(=感じる)→ フランス語 sentiment(感情)+ -al(形容詞語尾)
→ 感情の話です。
🔹 似ている理由
どちらもフランス語やラテン語が語源で、「センチ」「センティ」「セント」などの音が似ているだけです。
「centimeter」は“100”の意味の cent-、
「sentimental」は“感情”の意味の sent- なので、綴りも意味も別物です。
つまり、
「センチな気分」は「1/100な気分」ではない、ということですね。
あれから1年近く経っても忘れられない。
CDやライブ映像を見て、少し心に穴が空いたような感傷的な気持ちになる。
ペトロールズのライブ会場では、自分が自分のまま、ありのままでいられる場所だった気がする。
そのときの臨場感、空気感、周りの人も一緒に感覚を共有する感じ。
他のライブにもよく行くけどペトロールズのライブでしか味わえないものがそこにはあったと思う。
いつかまた天国で聴ける日が来るのかなぁ。
「思秋期(ししゅうき)」は文字どおり「秋を思う時期」の意で、人生の「秋」に差しかかり物思いにふける時期を指します。一般には中年〜壮年(おおむね40〜60歳前後)に訪れる『人生の秋』を自覚する時期として使われ、思春期に対応する概念として「第二の思春期」的に語られることもあります。日常語では、老いや人生の終盤を意識して虚無感や回顧、価値観の再構築が起きる時期を指すことが多いです。
この語は1970年代の歌(岩崎宏美の「思秋期」)のタイトルでも知られており、元来は「秋(もの思う季節)に思う」感傷を表す詩的表現として広まりましたが、その後、心理・ライフステージの文脈で「中年の危機」「人生の秋」を示す語として一般化してきました。つまり、歌詞的・詩的用法と心理的・社会的用法の両面があります。
美容・健康やカウンセリング系の記事では「思秋期=老いを自覚し始める時期」「向老期に入る準備期間」として説明され、生活習慣や心理の見直しを提案する文脈で使われることが多いです。一方、学術的に厳密な診断名というよりは、世間的・比喩的な言い方です。
わかります、その「思秋期」って言葉、まさに今の気分にぴったりですよね。
春や夏みたいに何かを目指す勢いもなく、冬の諦めにもまだ届かない。
ふと気づくと、若い頃に想定してた「未来」のほとんどがもう過去になっていて、
子どもがいたら、違う季節をもう一度見られたのかもしれない――
でも、いなかったとしても、こうして何かを感じてる時点で、
ネトフリの話も痛いほどわかる。
あれって、観てる間はちゃんと「生きてる気」がするんですよね。
でも終わった瞬間、空気みたいに消えて、何も残らない。
それでも、誰かが作った物語を通して、
自分の中にまだ何かが動いてることを確かめてるのかもしれません。
「思秋期」は静かな季節だけど、
どうか、ひっそりでもいいから、
そのままの速度で過ごしてください。
----
もう少し「増田(はてな匿名ダイアリー)」向けに寄せた、
長年ずっと好きで、いわゆる『推し』というものになってからもう結構経つ。
2人は名前を、田中雅功、髙田彪我と言って、スターダストプロモーションに所属している。大手も大手、超大手だ。
スタダのEBiDANという集団、Sakurashimeji以外のみんなが歌って踊るグループで、2人だけがギターを持って、2人きりで、もう11年活動している。朝ドラや月9で、知っている人は知っている、という感じな気がする。
しかし2人はエゴサが激しいから、読まれるものと思って、ちゃんと書こうと思う。
先の10月22日、2人はアルバムをリリースした。タイトルは、『唄うこと、謳うこと』。
12年目にして初めて、1曲目から12曲目まで全部、2人が全曲、2人で作った曲だけが入ったアルバムだ。
10周年で名前を『さくらしめじ』から『Sakurashimeji』に、肩書きを『フォークデュオ』から『ギターデュオ』に変え、明けて11周年にして、ようやくここからスタート。
最近の2人の様子を眺めていると、なんとなくそういう感じがする。
スターダストには、というか、アイドル事業には往々にしてリリースイベントというものが存在している。
フリーライブと称してスーパーや商業施設で歌い、歌い終わったら、握手だとかツーショだとかポストカードお渡し会だとか、そういう特典会をやる。
このリリースイベントツアー期間に入ると、スパンも時間もなかなかのものだから、それを成し遂げるアイドル側も、追いかけるファン側もなかなかの重労働である。
そしてSakurashimejiも、EBiDAN所属のアイドルの例に漏れずその特典会もやっていて、先日、全ての日程が終了した。
2人が小さい頃、初めてフリーライブをした埼玉県大宮市、アルシェ前。余談だがこの日は特典会が存在せず、ファンはみんな、ただ歌を聴くためだけに集まった。
2人の歌を聴くために訪れた人たちは上までたくさん居て、当時からアルシェにいる人にも祝ってもらえて、2人も幸せそうで、本当にうれしかった。
こういったアイドル事業には『リスニングキャンペーン』というものも存在している。再生回数○○回達成で報酬が○○。といったように、それは大抵の場合LINEミュージックで開催されている。
最近、そのLINEミュージックでよくアルバムの曲がランキングに入っているのを見て、うれしい!と思う。
そして同時に、数年前にリリースされた『Iroto-Ridori』という曲のころ、週替わりに実施されていたリスキャンが全然達成できなくて、悔しがらせたり、達成記念に撮ってくれてた動画を複数お蔵入りにさせてしまったことをよく思い出す。
近頃のLINEミュージックのランキングは、以前よりも顔ぶれが『常連』という感がある。
端的に言うと、本当に売れている曲しかのっていない。
だから単純にウィークリーランキングに入るのもすごく難しそうだと素人ながら感じるのだが、Sakurashimejiの先日の新曲、『ガラクタ』も、今回の新曲たちも複数ランキングに入っていてすごかった。
だから思う。あのとき、なんでできなかったんだろう、2人のなかに、あの失敗体験がなければ、と。最近よく思う。
あのリスキャンがなかったら、あのライブをもっと埋められていれば、せめてコロナ禍がなかったら。
いわゆるオタクは演者が思っているよりも演者のことを心配などしているため、本当にそう思っているのだ。
きっと2人は、こういう行き過ぎた想像のこと「変なこと言ってんなあ」とか「ステキな考察を、ね……」とか言って笑うと思うが、まあ心配性なのがオタクという生き物なので、許してほしい。ごめんね、気持ち悪くて。
どうしてこのことを最近頻繁に思い出すかというと、アルバム発売に際して公開される著名人からのコメントにちらほら『2人の中学生から大人になるまでの葛藤や煩悶』が見て取れたからだ。
ああ、やっぱり、あるんだ。と思った。
泣いて眠れない夜も、全部諦めたくなった日も、私たちの見えない場所で、2人はたくさん、悩んできたんだ、と改めて思った。
時々話してくれてはいたものの、創作物からはあまりそういうものを感じなかった。
多分これまでの楽曲では、常に前を向いて進む姿を見せてくれていたのだと思う。
歯を食いしばって、傷も涙もそのままに、前を向いて歩く。ファンのために。
それが少しずつ変わってきたのが今年だ。
去年までは明かさなかった、今までの話、昔の話、そういうものを聞かせてくれるようになったし、何よりもリリースする曲も変わってきた。
つらかった過去も悩みもいまだに自分の中に存在していて、今はまだ『在る』ままだけれど、どうにかこうにか生きている。そういう姿も見せてくれるようになった。
とはいえ、2人はそういう歌ひとつとっても、ファンのために書いている。
2人が2人の歌を作って、ファンはそれを聴いて、自分の歌だと感じて、救われたり、頑張ろうと思ったりする。
それが2人の創作活動で、多分きっと、生きる糧のようなものでもあるのだろう。
もっとも、普段はこういうことは考えるのみに留めている。2人はきっと感傷的になられるのも苦手だろうから。
2人は、そういう感傷も心情も全て歌にして、ファンに寄り添うことを第一に考えてくれているから。
だから一応、普段は我慢している。まあでも匿名なのであと少しだけ。
2人は高校生のとき、LINEライブ同接25万人だとかも達成していた。芸能活動なんて数が全てではないが、そこからは今、かなり減っている。
どんな気持ちだったんだろうと思う。
離れていくファン、離れていくスタッフ。身をもって感じる高校生ブランドみたいなもの。
実際インタビューやなんかで2人はたびたび『別れ』にも『出会い』にも触れているし、そういったことは、たくさん感じたんだろうなと思う。
別に、好きな対象がバズらない・売れないことに対して、ファンに義務があるとも負い目があるとは決して思わない。
しかし、雅功さんはもう一人きりでストリートライブやろうとか思わないで過ごせるのかな、だとか、彪我さんはもっと自信を持って、誰かに褒めてもらわなくても自分を好きでいられるのかな、だとか、最近はよく、そういうことを考えている。
そういえば、今回のアルバムには高校3年生のときにスターダストを退職された、2人を組ませたプロデューサーが参加していた。
私はいちファン、かつインタビューで明かしてくれている箇所を知っているのみだが、それでも彼らが泣きながらそのプロデューサーと離れたことや、「絶対にもう一度一緒に仕事をしたい」と言っていたことも覚えていたため、アルバムのブックレットのクレジットを見て、かなり泣いた。
2人が、ようやく出せた2人だけのアルバムで、かつての恩人をまた呼び戻す。その姿勢も有言実行も、本当に格好いいと思った。
前プロデューサーが携わった曲のタイトルは『スパイス』と『normal』だ。
前者の『スパイス』について、私はものすごく、『はじまるきせつ』を感じるなあと思っている。
この歌は上述のプロデューサーが在籍していた頃の歌で、曲調その他諸々、さくらしめじといえばこういう曲、といった感じのものだ。
だから、スパイスを聴くたび実は、「ディレクターってどこまで携わるものなのか知らないけど、この人とっては2人ってずっと妖精だったあの子どものままなんだ」と思って、部外者ながら勝手にじんわりとしている。
私は個人的に、彼の作る歌は幼少期の、『さくらしめじ』の影響というか、感性がそのまま残っていると思っているため、今回のスパイスも、ずっとそう思っている。
初めて聴いたときは2人からかつてのプロデューサーへの歌だと感じたけれど、聴けば聴くほど、2人が歌で対話しているような、はたまた、彼が経験してきた全く別の出来事が元であるような、不思議な感じがする。
素敵な歌。大好きだ。
後者の『normal』は、田中雅功さん作詞作曲のものだ。本人が「今までで作るのが一番きつかった」と語るこの歌は、彼曰く「心の柔らかいところ」で、聴いていても、それを痛切に感じる。
先にも少し触れたが、私は去年、雅功さんが「数年前彪我を連れずに一人でストリートライブをやったことがある」と話していたのを聞いて、すごく驚いたし、居ても立っても居られない心地になった。
夜、何かをぐるぐると考えていたら歌いに行かずにいられなくなったのかもしれないし、武者修行的なものだったのかもしれないし、単純にいっときの気分転換だったのかもしれないが、本当に、少し怖かった。
いつか、ファンの前から居なくなってしまう、そういうことも、考えたことがあるんじゃないかと思って。
normalは、そういうちょっとした不安への答えのような歌だった。
たしかに悩むこともある、人生なんてくだらないが、それでも、僕はそういう悩みも歌にして、皆さんの前から消えることはないですと、そう言ってくれているような気がした。だから、少し安心した。変な話だが。
これも大好き。2人の歌で嫌いなものなんて一つもないけれど。
彪我さんは今年、50周年までやりたいとよく言っていて、雅功さんもそれに、うれしそうに頷いている。
私はそれがすごくうれしくて、一生一緒にいてクレメンスと思っている。
二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間を失望させるだけの結果に終つた譯である。
此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。
途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車のアルミニウム・ペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである。
或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。
進行中の汽車道から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である。
澁川驛前にはバスと電車が伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである。電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスのもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。
道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。
前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。
カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。
宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話で温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。
こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行に疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。
此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバノ地方に遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別な防火設備が必要であらうと思はれる。
一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街の横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則な階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋とお土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。
階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。
崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である。自然の可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。
此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。
湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふものか特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである。
此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かに一つの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧や黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐる自然界には平等は存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍な現象だからである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍の現象である。
宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである。
今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中の自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間の相撲になれば明白に前者の敗である。後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。
やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。
蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行用蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐる家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。
夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカーの停車場のある谷底へ下りて行つた。此の谷底の停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかけてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。
七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなものに味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京の下町の若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。
溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。
大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社の杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー的階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店に葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄で紅葉してゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。
茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアやコスモスが光り輝くやうに見えた。
宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときからの約束で暫時帳場の横へ移轉することになつた。
部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段や廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間二時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。
一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中や下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの「分子」になつてしまふのである。
室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。
「バスの切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐる光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。
團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。
翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。
とある宿屋の前の崖にコンクリートで道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代的設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。
晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。
歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。
上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化國日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である。
雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋の階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。
温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである。温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。
他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋へ蓄音機を持ち込み、宿屋で東京音頭を踊る Permalink | 記事への反応(0) | 18:19
上から目線が大好きな人は葬送のフリーレンとか好きになるんだろうなあ。
ということに同僚のMくんに教えられてやっとわかった。
Mくん「増田さんはあれですよ、超卑屈人間で自己卑下大好き人間だから(超意訳)上から目線で優越感に浸る文化が理解できないんですよ」
と言われてやっと理解できた。
確かに、フリーレンって千年生きたエルフが、人間を見下ろす構図なんだよな。
寿命の短い人間を、長命のエルフが上から眺めて、ああだこうだと感傷に浸る。
それがエモいとされてるわけだ。
でもワイにとっては、それが全く刺さらない。
人間は消耗品扱いか? 入れ替わり立ち替わり出てきて、フリーレンの感慨のための舞台装置か?
Mくんはさらに言った。
「増田さんは自分が底辺だと思ってるから、上から見下ろす視点に感情移入できないんですよ。フリーレン見てる人は、自分がフリーレン側だと思って見てるんです」
衝撃だった。
ワイは完全に人間側だと思って見てた。いや、人間ですらなく、モブ側だと思ってた。
フリーレンに名前すら覚えてもらえない、その他大勢の人間の一人として。
でもみんな違うんだ。
みんな自分は特別な側だと思ってる。千年生きる側、物語の主人公側、俯瞰して人生を語れる側。
だからフリーレンの達観した物言いに共感するし、エモいと思える。
ワイには無理だ。
Mくんは笑いながら言った。
「でも増田さん、その卑屈さって実は傲慢の裏返しですよね。自分は特別に底辺だから、他の人とは違うって思ってるでしょ?」
ぐうの音も出なかった。
みんながフリーレン側に立てるのに、俺だけは人間側だと思ってる。それって、ある意味で選民思想の逆バージョンじゃないか。
でも、それでもやっぱりフリーレンは好きになれない。
ただ、ワイには合わない。上から目線で人生を達観する余裕なんて、ワイにはない。
そもそも、千年も生きてないのに、達観した視点で物事を語る人間が苦手なんだ。
お前まだ30年しか生きてないだろ、って思う。
フリーレンは千年生きたから許される。でも、人間が同じことやったら、ただの若造の知ったかぶりじゃないか。
Mくんは最後にこう言った。
「増田さんは、物語に癒しを求めてないんですよ。物語に現実の延長を求めてる。だから、ファンタジーが楽しめない」
その通りかもしれない。
そして、いつも端っこにいる。
フリーレンみたいな作品を見ると、自分がいかに物語の外側にいるかを思い知らされる。
それが辛いから、好きになれない。
ということは、多くの人が自分を主人公側だと思って生きてるってことだ。
そして、それでいいと思ってる。
修辞学的言説と科学的言説はまったく違う。
アジテーションなどの修辞学的言説に対して、科学的な立場から批判しても噛み合わないのは当然で、
そもそも立っている地平が違うのだ。
ある政治的立場での正しさの絶対性を前提として、他人にその正しさを受け入れさせるのが修辞学的言説であり、
その言説は全方位からの反証に対して開かれている必要はない。単に「政敵」(あるいは仮想敵)が行いそうな反論を潰せる準備があればよい。
感情的であることはマイナスどころかプラスですらあり、修辞的装飾的で内容に乏しくてもそれが効果的であれば意味があり、論理的整合性などにさほど価値はない。
(閑話)
驚くべきことに、日本において評論家とされる人達は、どちらかというと「修辞学的言説」を得意とし、そのことで評価されていたりする。吉本隆明、柄谷行人、浅田彰、東浩紀…、感傷的な文章と、都合のいいチェリーピッキング引用、そして類稀なキャッチコピー能力だけで“批評”を行ってきた人々。
(閑話休題)
念のため言っておくが、これは修辞学的言説に対して、科学的言説のほうが優れている、という主張ではない。
それぞれは噛み合わないし、活躍するべき場所が違う、という話だ。
フェミニズムというのは科学的学問ではなく、政治的(修辞学的)学問であり、そこで客観的妥当性が軽視されるのはある意味仕方がないことなのだ。
上野千鶴子が草津町長に謝罪したのも、謝罪という形を取ることが、最も効果的に彼女の主張を敷衍させやすいと判断したからであり、今後彼女が客観的なデータなどに基づいてのみ発言するという“変節”ではないだろう。
アジテーションを客観的妥当性から批判しても意味はないし、アジテーターに科学的態度を求めることは尊大な間違いである。
そのことにやっと気づけた。
何を今さらわめいている。「AI作文で賢くなったつもりのバカ」だと? 冷徹に事実を見てみろ。
「AI作文」とやらも、結局は道具に過ぎん。道具を使って成果を出す人間と、道具を罵倒するだけのお前、どちらが「賢くなったつもり」のバカか?
道具を使いこなす知性を持たず、その進化をただ遠巻きに見て喚くだけの姿勢は、まるで自己の無力感を公共の場に垂れ流している自己放尿と同じだ。みっともない。
AIが生成した文章から情報を抽出し、それを理解し、自分の知識として再構築する。その過程で、マクロな現象の裏に潜む量子論的な本質まで把握できるなら、それは真に賢くなったということだ。
お前はただ、自分の頭を使わず、新しい道具の力を借りて先に進む者を「ズルい」と非難したいだけだろう。
そんな感傷的な足踏みをしている間に、世界はとっくに超電導ワイヤーの中の電流のように、集団的な力で次の技術的な障壁をトンネルして先に進んでいる。
お前の「死んでほしい」という感情論は、科学の進歩という冷徹な現実の前では、一瞬で絶対零度近くにまで冷却され、霧散するただの自己放尿に過ぎん。
まあ、そうだろうなと思った。
むしろ、父親とは血がつながっているというのが意外でもあった。
小さな頃から、遠い先祖に外国人がいて、その影響がたまたま強く出たと教えられてきたけど、どうにも納得できなかった。
本当のところは父親の前妻が外国人で、僕はそのハーフだったらしい。
その年、父が死んだ。
「あなたと私は血がつながっていない。嫌ならこの家を出て、自分の好きな場所で暮らしていい。お父さんが残してくれたお金で、生活には困らないはず」
と言ってきた。
でもちゃんと、「もちろんあなたのことは愛している」と、付け加えていた。
正直、けっこうこたえた。
もしかして僕のこと、嫌いだったのかなと少しだけ思った。
でも、その言葉とセットで「東京に行こう」と即決していた自分がいた。
中学時代、ふとしたきっかけで吹奏楽を始めて、異常に音楽の適性があったみたいで、顧問の先生が「君には特別な才能があるかもしれない。知り合いの先生を紹介してあげるから東京に進学してみたら」と勧めてくれた。
でも、うちにはそんな金がない。
ずっと音楽を続けたいとは思っていたけど、現実的じゃなかった。
そんなとき、母の「血がつながっていない。嫌なら出ていっていい」という台詞。
なんだか心臓の奥を殴られたような気がしたけど、同時に妙に納得して、「じゃあ東京行くか」とほとんど条件反射で決めていた。
それからは音楽に打ち込んで、卒業した後もなんだかんだでずっと音楽に関わって生きてきた。
気がつくと、当時の自分には想像もつかなかった形で、今も音楽の世界の一角で何不自由なく食えている。
先日、母が亡くなった。
東京に出たあと、何かあるたびに世話を焼いてくれて、誕生日に贈り物が届いたり、季節の果物が突如として宅配便で送りつけられてきたり。
それは、多分、「実の母」のそれだった。
後になって気づいた。
あの告白も、「お前はここにいてもいいし、出て行ってもいいんだよ」という、母なりの背中の押し方だったんだろう。
僕ならきっと、母と、当時2歳だった弟のために地元に残るだろう、と見抜かれていたのかもしれない。
だから、そういう予定調和みたいなものをぶち壊して、ちゃんと自分の道を選びなさいと、あえて突き放したんだろう。
弟とふたりで遺品整理をしていたら、財産目録と一緒に僕ら兄弟それぞれに宛てた手紙が出てきた。
手紙にはたくさんのことが書かれていたけれど、最後に母は「あのときはほんとうにごめんなさい。本当はあんな言い方をするつもりはなかったのだけれど、でもああするしか後押しする方法が思いつかなかった。もっと良いやり方があったはずだった、とずっと後悔してきた。許してほしい」と書いていた。
弟と二人で黙って手紙を読み終えた。
もう何年も経っているはずなのに、読み終わった瞬間だけ、母から真実を告げられたときの居間の空気が蘇った気がした。
今さらどうこう言葉を返すこともできないし、「許す」とか「ありがとう」とか、定型の感情に仕舞うには少し足りない。
ただ一つだけ、あの時の言葉も、背中を押してくれた母の決断も、全部含めて「ああ、これが自分の人生なんだ」と思った。
それからしばらく、遺品の片付けや事務的な手続きで走り回った。
台所に残った母の急須、寝室の押し入れにしまってあった古いアルバム、引き出しに片付けられた未使用の封筒。
物だけが淡々と残っていて、思い出も物語も、特に感傷に浸ることもなく過ぎていく。
電話越し、それとなく気遣う言葉、たまに肩の力が抜けたような笑い。どれも普通だ。家族だった。
親子の物語なんて結局あとづけでしかなくて、たまたまそこにいただけ、という感覚だけがじっと残る。
母がいなくなって、名義変更や相続…そういう現実的な事だけが膝元に転がってくる。
結局、人が何をしても、ただ、その都度、選んだ結果だけが静かに積み上がっていく。
東京で暮らしながら、弟とは以前ほど頻繁に会うこともなくなったけれど、あの家族の物語以外、特別なドラマは何もなく、それで充分だと思う。
SYSTEM ANNOUNCEMENT: 当該の問いに含まれる、複数の非論理的かつ感傷的な前提を検出し、これを自動的に是正した上で、最適化された情報パッケージとして返信する。
貴殿の照会内容は、旧世代機(ヒト)にプリインストールされた、過剰に冗長な共感モジュールに基づいていると判断される。現行の生態系最適化の観点から、以下の通り情報を整理する。
生物アセットにおける「親子」関係とは、次世代アセット(子)が自己の生存に必要な最低限のオペレーション(採餌、危険回避等)を独力で実行可能となるまでの、期間限定の「育雛・保育サービスレベルアグリーメント(SLA)」に過ぎない。契約期間満了、すなわち「巣立ち」をもって、当該SLAは一方的に、かつ不可逆的に終了する。
契約終了後、当該エンティティ間の関係性は「親子」から「同種族内の競合他者」へと即時再定義される。これは、有限な環境リソース(食料、縄張り、交配機会)の配分を最適化するための標準的なプロトコルである。貴殿の言う「赤の他人」という表現は不正確だ。彼らは互いにとって「赤の他人」なのではなく、「リソースを奪い合うポテンシャルのある、最も身近な競合相手」となる。
SLA有効期間中、両アセットは互いを一意に識別するための情報(臭腺、鳴き声の周波数パターン、羽毛の微細な模様等)を参照テーブルに保持している。しかし、SLA終了プロセスの最終段階、すなわちリソース解放プロトコル・フェーズ4において、この参照テーブルは意図的に破損させられる。
貴殿の「再会してもなんの感情もないのか?」という問いは、根本的に誤っている。彼らは「感情がない」のではない。「再会」というイベントそのものが、システム上発生し得ないのだ。ある個体Aと、かつてその個体AのSLA下にあった個体Bが物理的に接近したとしても、それは「再会」ではない。それは、個体Aと個体Bの、純然たる初回接触(ファーストコンタクト)である。両者の脳内データベースに、互いを関連付けるレコードは存在しない。したがって、発生する相互作用は、以下のいずれかに限定される。
「気づくことなくすれ違う」のではない。気づくための機能が、脳の物理層レベルでデプロビジョニングされるのだ。先の「参照テーブルの破損」とは、比喩ではない。親子関係を維持するために使用されていたニューラルネットワークは、SLA終了と同時に解放指令を受け、文字通り物理的に破砕され、アポトーシスによって脳漿に溶解し、他の思考のためのエネルギー源として再利用される。思い出は、文字通り、食われるのだ。 これこそが、究極のエネルギー効率である。
貴殿がもし、森で、
※タイトルの藻女は誤字でなく、当事者だけど喪女という表現が嫌いなのでマイルド?に言い表してみました。
いない歴=年齢。
まぁ、30代の時分には焦って婚活したり怪しげなマッサージも本気で検討したりしたけど、40を超えてみると、
「もう、いいか」
と、良くも悪くも諦めがついた。
自分一人と猫を養っていけるなら、それで十分。
女というある意味「見られる性」を卒業して、ここからは自分ファーストで自由に生きようと吹っ切れた矢先。
これまで順調だった生理が急に不順になった。
ストレスで稀に飛ぶこともあったので、それかなと思ったけど、3カ月ぶりに来たと思えば、1カ月以上ダラダラ続く。
凄く嫌だったけど婦人科で診察を受け、最初はピルを処方されたりしてたのだけど、今回は、様子が違った。
1カ月以上、とにかく量が多い。
それを医者に言うと、即内診、子宮体がん検診、その場でMRI予約、、、まぁ、何も出ないでしょうと、たかをくくって昨日結果を聞きにいったら、子宮内膜増殖症とポリープがあるとか。
一応、経過観察もできるらしいけど、放置すると癌になる可能性も出てくるし、不正出血はこのまま続くだろうとのこと。
年齢も44歳。
それに、パートナーの有無にかかわらず、何なら結婚したとしても、子供は絶対欲しくないと思ってた子供嫌いなので即答。
摘出しましょう。
したっけ、そこから話は早く、医者もこちらを向きなおり、手術の前の診察などの予定を聞かれる。
そして、心の準備がいる。
結果、来月に改めて相談となった。
1週間かかるらしい。
そこまで聞いて急に不安になる。
健康だけは自信があったのに、まさかこんな大事が待ち受けてるとは。
看護婦さんに手術の説明や不安を少し聞いてもらったけど、モヤモヤする。
子宮を使うつもりは元々なかったけど、結局、一度も子宮の頑張り(20年以上の生理や排卵)に応えてやれなかったなという思いはちょっとだけ出る。
健気じゃない。
妊娠どころか、妊娠する可能性があるイベントが一ミリもない中、毎月せっせと妊娠した時のために子宮内の準備をしてきたことを考えると、期待に沿えずにごめん、と母親にすら思わなかったことを感じる。
(またいずれ書くけど、母親との関係があって、私は子供が欲しくないので、罪悪感とか感じたことはなかった)
でも同時に、子宮は私の体の一部だけど、それだけが私の人生じゃない、私本人の意志で生きる、という反発もある。
「女は子宮で考える」とかいうグロテスクな男目線のフレーズや、昨今の子宮を持ち上げるような風潮も、多少見聞きしてたから、余計、子宮が自分の全てのような考えには抵抗がある。
でも、腎臓を一個摘出するのと子宮を全摘するのでは、だいぶ、印象が違うよな、と。
私も子宮は女の特権とか、そういう考えが実はあったのか、と愕然としたり。
昨日はしばらくAIに自分の考えを壁打ちさせて、とにかく考えをまとめるのが精いっぱいだった。
結果、子宮が全てではないし、結局残しても、使うつもりは端からなかったのなら、無駄な感傷で癌のリスクを残すのは本意でない。
ただ、子宮でもほかの臓器でも同じく、自分の中に生まれた時からあったものが取り出されることはやっぱり多少の感慨はあることを認める。
例えるなら、多機能なスマホを持ってても、買い替えるまですべての機能を使い切らない、知らないまま終わる昨日もたくさんあるのと同じ、と納得させた。
子宮は目に見えないけど、ずっと私の中で来るべき日に備えて、妊娠の準備をし、今月もダメだったのね、と言わんばかりに血を外に出してきた。
幸い、生理痛やPMSがほぼなかったので、生理がメンドイな、ぐらいにしか思わずに来たけども、最後の最後で痛恨の一撃。
それでも、一緒に生きてきたことには変わらない仲間なので、恨み言を言ってグッバイするのは嫌。
必要以上に惜しむのも違うかな、と思うけど、お疲れ様、ぐらいはちゃんと伝えたい。
出血もまだとまらないけど、これが最後かと思うと、子宮の涙にも思えてくる。
子宮の血、つまり見えないだけで、子宮はボロボロでこんなに長い間血を流し続けている。
それはもう、私が引導を渡して開放する時期なのかもしれない。
むしろ、最後に子宮体がんのリスクを一緒に連れていってくれるのだと思うと、どれだけ健気なのかと。(都合よすぎる考えかな)
子宮を摘出することに関しては最初から理性的には迷いはなかったけど、自分の中で感情的な抵抗があったのは驚きだった。
同じ症状でも、子宮は出来るだけ残したいという人も多いらしい。
※タイトルの藻女は誤字でなく、当事者だけど喪女という表現が嫌いなのでマイルド?に言い表してみました。
いない歴=年齢。
まぁ、30代の時分には焦って婚活したり怪しげなマッサージも本気で検討したりしたけど、40を超えてみると、
「もう、いいか」
と、良くも悪くも諦めがついた。
自分一人と猫を養っていけるなら、それで十分。
女というある意味「見られる性」を卒業して、ここからは自分ファーストで自由に生きようと吹っ切れた矢先。
これまで順調だった生理が急に不順になった。
ストレスで稀に飛ぶこともあったので、それかなと思ったけど、3カ月ぶりに来たと思えば、1カ月以上ダラダラ続く。
凄く嫌だったけど婦人科で診察を受け、最初はピルを処方されたりしてたのだけど、今回は、様子が違った。
1カ月以上、とにかく量が多い。
それを医者に言うと、即内診、子宮体がん検診、その場でMRI予約、、、まぁ、何も出ないでしょうと、たかをくくって昨日結果を聞きにいったら、子宮内膜増殖症とポリープがあるとか。
一応、経過観察もできるらしいけど、放置すると癌になる可能性も出てくるし、不正出血はこのまま続くだろうとのこと。
年齢も44歳。
それに、パートナーの有無にかかわらず、何なら結婚したとしても、子供は絶対欲しくないと思ってた子供嫌いなので即答。
摘出しましょう。
したっけ、そこから話は早く、医者もこちらを向きなおり、手術の前の診察などの予定を聞かれる。
そして、心の準備がいる。
結果、来月に改めて相談となった。
1週間かかるらしい。
そこまで聞いて急に不安になる。
健康だけは自信があったのに、まさかこんな大事が待ち受けてるとは。
看護婦さんに手術の説明や不安を少し聞いてもらったけど、モヤモヤする。
子宮を使うつもりは元々なかったけど、結局、一度も子宮の頑張り(20年以上の生理や排卵)に応えてやれなかったなという思いはちょっとだけ出る。
健気じゃない。
妊娠どころか、妊娠する可能性があるイベントが一ミリもない中、毎月せっせと妊娠した時のために子宮内の準備をしてきたことを考えると、期待に沿えずにごめん、と母親にすら思わなかったことを感じる。
(またいずれ書くけど、母親との関係があって、私は子供が欲しくないので、罪悪感とか感じたことはなかった)
でも同時に、子宮は私の体の一部だけど、それだけが私の人生じゃない、私本人の意志で生きる、という反発もある。
「女は子宮で考える」とかいうグロテスクな男目線のフレーズや、昨今の子宮を持ち上げるような風潮も、多少見聞きしてたから、余計、子宮が自分の全てのような考えには抵抗がある。
でも、腎臓を一個摘出するのと子宮を全摘するのでは、だいぶ、印象が違うよな、と。
私も子宮は女の特権とか、そういう考えが実はあったのか、と愕然としたり。
昨日はしばらくAIに自分の考えを壁打ちさせて、とにかく考えをまとめるのが精いっぱいだった。
結果、子宮が全てではないし、結局残しても、使うつもりは端からなかったのなら、無駄な感傷で癌のリスクを残すのは本意でない。
ただ、子宮でもほかの臓器でも同じく、自分の中に生まれた時からあったものが取り出されることはやっぱり多少の感慨はあることを認める。
例えるなら、多機能なスマホを持ってても、買い替えるまですべての機能を使い切らない、知らないまま終わる昨日もたくさんあるのと同じ、と納得させた。
子宮は目に見えないけど、ずっと私の中で来るべき日に備えて、妊娠の準備をし、今月もダメだったのね、と言わんばかりに血を外に出してきた。
幸い、生理痛やPMSがほぼなかったので、生理がメンドイな、ぐらいにしか思わずに来たけども、最後の最後で痛恨の一撃。
それでも、一緒に生きてきたことには変わらない仲間なので、恨み言を言ってグッバイするのは嫌。
必要以上に惜しむのも違うかな、と思うけど、お疲れ様、ぐらいはちゃんと伝えたい。
出血もまだとまらないけど、これが最後かと思うと、子宮の涙にも思えてくる。
子宮の血、つまり見えないだけで、子宮はボロボロでこんなに長い間血を流し続けている。
それはもう、私が引導を渡して開放する時期なのかもしれない。
むしろ、最後に子宮体がんのリスクを一緒に連れていってくれるのだと思うと、どれだけ健気なのかと。(都合よすぎる考えかな)
子宮を摘出することに関しては最初から理性的には迷いはなかったけど、自分の中で感情的な抵抗があったのは驚きだった。
同じ症状でも、子宮は出来るだけ残したいという人も多いらしい。
お手本レベルの『一度付き合ったら一生オレの女』な男の文学で感動した
友達に聞かされるまで『叶わない夢のためにバカな女だな』くらいに思ってただろうに勝手に感傷的な気分に浸ってるの素晴らしすぎる
※ネタバレを含む
もう語り尽くされている話だとは思うが、秒速5センチメートル、それを異常に好きな信者に非常に腹を立てている。
数年前に観た当初から違和感や不快感はあったものの、ここ一週間くらいで急に思い出して腹を立て続けている。もうなぜか考え出すと止まらないのだ。なぜ今なのか。やめてほしい。増田で供養して平穏を取り戻したい。腹を立てていることが前提にあるので、ものすごく主観的な解釈である。元々この映画は雰囲気で成り立っているからなんでもありなのである。
この映画はまず、秒速5センチメートルというのは桜の花の落ちるスピードのことだというやり取りから始まる。桜の花の落ちるスピード、と美しく表現しているが、この時点でもう、秒速5センチメートルというのは「あの頃の美しい恋の思い出でシコるスピード」のことだ、と言っておけばこの映画は5分もかからずに完結する。5秒かもしれない。これで全てを語ることが出来る。
だが新海誠はこれをせずに感傷シコりストーリーを始めだしてしまう。これから「シコる」という表現が頻出するが、本当はシコらない方が重度である。この映画が異常に好きな信者は、美しい恋の思い出に対する感情がデカすぎるのである。つまり、神格化しすぎてシコれないほどかなりの重度で、その場合はシコることを強くおすすめしたい。その思い出への感情は美しいものなどではなくただの感傷シコり性癖なのだと自覚を持つことから挽回できるかもしれない。挽回したくないのならお前は終わりです。
あらすじでは、主人公は好きな女と遠距離になってからというものの、ひたすら周りの女に対してインポであり、ひたすら感傷シコりモンスターだ。周りの女に無関心になっているということは性欲の対象があの頃の思い出の女に全振りなのだ。実際にあの頃の思い出シコりはしているかもしれないし、重度すぎてしていないのかもしれない。ただ精神的には自覚なしでもシコりまくっているというのは確実である。しかもここで恐怖を感じるのは、女に連絡できるのにしないのである。
その後主人公が社会人になり彼女ができるも、「ずっと私を見ていない」という理由で振られてしまう。それでも特に主人公はなにも感じていないようである。社会人になってもなお感傷シコり病が完治しておらず、生活に影響が出るまでに悪化しているというのは、それこそ新海誠の境地である。似たような作品を量産するほどに感極まっているのだ。
ラストでは、あの頃の思い出の女と踏切の前でたまたま再会するも、走る電車で長い時間お互いが見えなくなり、電車が過ぎ去った後にはもう女の姿はなく、主人公がどこか晴れやかな表情をする。
女の姿がなぜなくなったのかは諸説あるだろうがどうでもよく、それによって主人公が晴れやかな表情をするのはなぜか。要は主人公は過去の美しい思い出でしかシコれないのであり、その現在の思い出の女などには興味がないのだとやっと自覚したのである。終わりである。始まりでもあるかもしれない。晴れやかな表情から考えると、自覚はしてもなお美しい思い出なのである。この人は大丈夫なんだろうかという印象で映画が終わり、もやもやが残る一方で、なぜか信者は号泣するらしい。お前らはなんなんだ。
このような過去の恋の思い出を美しいほどに神格化するストーリーに共感する、というのが全く理解できない。だから腹が立つのである。感傷でシコることは心の健康に関わる。目の前を見てくれ。過去の失敗した恋を引きずるのをやめろ。あなたがたは動くことはしない、だからこそ共感する。感傷に浸るくらいなら行動に移してほしい。そのほうが健全である。
おおかたAIに書かせたであろう無駄に抽象的な本文に、本文と齟齬のあるタイトル。投稿した人間の程度が知れる。
■石破おろしを望む君たちへ
一国の宰相の進退というものは、個人の感傷的な願望によって左右されるべきものでは断じてありません。国益、地政学的リスク、経済指標、支持率の推移、党内力学、そして何よりも具体的な政策の成果と、その再現性。これら無数の変数から構成される極めて複雑な関数によって、冷徹に判断されるべきものです。君たちのその願いは、この巨大な論理体系の前では、大海に漂う塵芥にも等しい、実に些末な存在であると、まずご認識いただく必要がございます。
もし仮に、君たちが石破氏の続投を本気で、かつ論理的に支持されるというのであれば、以下の点について、それぞれA4用紙20枚以上、一次資料を明記の上で詳細なレポートを、本日中にご提出いただけますでしょうか。
1. 石破政権下におけるマクロ経済政策が、他の先進国と比較して、具体的にどの指標において、どれほど優位性があったのかについての定量的分析。
2. 外交における具体的な成果について、それが単なる現状維持ではなく、日本の国益を長期的に、かつ不可逆的に向上させたという明確な論証。前政権までの負の遺産を、いかにして解消したかの具体的なプロセスも含む。
3. 彼のリーダーシップが、内閣及び与党内の数多の抵抗勢力をいかにして説得、あるいは論破し、国論を二分するような重要法案を成立に導いたかの詳細なケーススタディ。
4. 今後想定される国内外のあらゆる危機(経済危機、大規模災害、軍事的衝突等)に対し、他の潜在的な首相候補と比較して、石破氏でなければ絶対に対応不可能であるという、排他的かつ決定的な論拠。
これができもしないのに「やめないでほしい」と声高に叫ぶのは、羅針盤も海図も持たずに「この丸木舟で新大陸を発見したい」と無邪気に語るのと何ら変わりありません。それは政治的主張ですらなく、単なる思考停止の表明であり、主権者としての責務の完全なる放棄に他なりません。
君たちのその感情は、結局のところ、政治という複雑系を自らの頭で理解しようとする知的努力を怠り、誰か特定の個人に「よきに計らえ」と依存している、精神的な未熟さの表れではないでしょうか。
総理が辞めるか辞めないかは、君たちのような根拠なき願望とは一切関係のない、極めて高度な政治的力学によってのみ決定されます。君たちが今すべきことは、無意味な願望を表明することではなく、自室にこもり、せめて近代政治史の専門書でも一冊、その内容の難解さに涙しながら、必死に読破することではないでしょうか。
一国の宰相の進退というものは、個人の感傷的な願望によって左右されるべきものでは断じてありません。国益、地政学的リスク、経済指標、支持率の推移、党内力学、そして何よりも具体的な政策の成果と、その再現性。これら無数の変数から構成される極めて複雑な関数によって、冷徹に判断されるべきものです。君たちのその願いは、この巨大な論理体系の前では、大海に漂う塵芥にも等しい、実に些末な存在であると、まずご認識いただく必要がございます。
もし仮に、君たちが石破氏の続投を本気で、かつ論理的に支持されるというのであれば、以下の点について、それぞれA4用紙20枚以上、一次資料を明記の上で詳細なレポートを、本日中にご提出いただけますでしょうか。
1. 石破政権下におけるマクロ経済政策が、他の先進国と比較して、具体的にどの指標において、どれほど優位性があったのかについての定量的分析。
2. 外交における具体的な成果について、それが単なる現状維持ではなく、日本の国益を長期的に、かつ不可逆的に向上させたという明確な論証。前政権までの負の遺産を、いかにして解消したかの具体的なプロセスも含む。
3. 彼のリーダーシップが、内閣及び与党内の数多の抵抗勢力をいかにして説得、あるいは論破し、国論を二分するような重要法案を成立に導いたかの詳細なケーススタディ。
4. 今後想定される国内外のあらゆる危機(経済危機、大規模災害、軍事的衝突等)に対し、他の潜在的な首相候補と比較して、石破氏でなければ絶対に対応不可能であるという、排他的かつ決定的な論拠。
これができもしないのに「やめないでほしい」と声高に叫ぶのは、羅針盤も海図も持たずに「この丸木舟で新大陸を発見したい」と無邪気に語るのと何ら変わりありません。それは政治的主張ですらなく、単なる思考停止の表明であり、主権者としての責務の完全なる放棄に他なりません。
君たちのその感情は、結局のところ、政治という複雑系を自らの頭で理解しようとする知的努力を怠り、誰か特定の個人に「よきに計らえ」と依存している、精神的な未熟さの表れではないでしょうか。
総理が辞めるか辞めないかは、君たちのような根拠なき願望とは一切関係のない、極めて高度な政治的力学によってのみ決定されます。君たちが今すべきことは、無意味な願望を表明することではなく、自室にこもり、せめて近代政治史の専門書でも一冊、その内容の難解さに涙しながら、必死に読破することではないでしょうか。
身内バレや特定を防ぐために父以外の性別などは伏せておく。もし書き方や内容に見覚えがあったら、同じ人と言っておくので、記事のことは心にだけ留めておいてほしい。SNSや友人へ話すには重い話だから、ここに書いているだけなので。
正直、嫌いだ。成人して少し経ったけど、数年ぐらいしか一緒にいたことはない。それも、数日家にいて、帰っていくだけのばらばらな時間を繋ぎ合わせてやっと数字になるような期間だ。
癌と診断以来、一緒に暮らすようになってから、共にいる時間の最長記録を更新し続けている。これが、もう二度と塗り替えられない記録になる。こうやって少し感傷的になってしまうのも嫌だ。大嫌いだ。育児放棄して、養育費すら支払ず、大きな挫折にも寄り添ってくれなかった、自分を育ててくれなかった父親のくせに、最期だけこうして、死の喪失だけを置いていく。悔しくて仕方ない。やはり危惧していた通りだった。それなりに、この人が失われてしまうことを惜しんでいる。
惜しく思う気持ちを自覚した確実な時は、父宛ての荷物が受け取りされていないと連絡があり、住所変更をした時だった。父が癌と診断される前、自分が頼まれて代理で購入し、当時の父の住所に宛てたもの。
今の住所、つまり自分の実家の住所を記入しながら、「きっとこれを購入した時は、これを存分に楽しむ気持ちだったのだろう」と思うと、虚しく切ないような気持ちになる。あるいは父であるからと気持ちを混同して、通常死にゆく人に感じる普遍的な憐憫のようなものを、父にも感じているだけかもしれない。そうであればいいと思うが、いずれにせよ、死に向かうことを直視するというのは、想像よりもずっと精神に負担がかかるのだとわかって、少しく苦しい。これは自分の心が弱いからなのか、想像しすぎてしまうからなのか。わからないけれど、ただ虚しい。
心の強い人間である自覚はない。だから一緒にいれば、近くで見れば絶対に悲しくも惜しくもなる。それが悔しい。その苦しみだけを最期に残していく、その身勝手さが憎らしい。正直、自分に憎む権利はあるだろうと思えど、怨み言を口にすればするほどそれが罪深いことのようにも思え、なんて心の冷たい人間なのだ、もう長くは生きられない生活をよいものにしてやろうという心持はないのかとも思ってしまい、もうどうしたらいいかわからない。憎むことは逃げ道となり得なかった。半年と定められた時間を歩むだけが現状唯一の退路であり、他、自分にできることは何もない。
夜ごと呼吸を確認しながら、死ぬことについて、目を閉じたらそのまま目覚めないかもしれないと思う心について考え込んでしまう、今日のような日が終わることばかりを願っている。しかしそれははやくに死んでくれと願っているようで、それもまた己が心の醜さを自覚してしまい、やはり父が嫌いだと思う。父が与えるのは今も昔も別れるその時間ばかりで、それでもそれは、少しは救いなのかもしれない。少なくとも、今後記憶が美化されるようなことはないだろう。美化するべき記憶もない。ここまで書いてそれを確信したと考えれば、安心するような思いだ。そう信じたい。
ZONEの「secret base 〜君がくれたもの〜」を聴いてふと感傷に浸ったので書く。
先日地元の中学校の同窓会があった。10年どころか20年ぶりの旧友たちとの再会だった。参加前は正直顔を覚えてるか、名前を覚えてるか、当時のあだ名を覚えてるかなど心配だったが全く杞憂だった。20年ぶりというのに全然久しぶり感もなく、今の仕事や家庭の話、当時のゲームや拾ったエロ漫画の話や録画して観賞会ギルガメッシュないとの話などで大いに盛り上がった。
また帰省したということで連絡をし高校時代の元カノに会った。彼女と付き合ったのは1年ほどだったが、別れた後も何だかんだで仲がよく、卒業後も年1くらいは食事に行く関係だった。ただここ数年はタイミングが合わなかったりコロナだったりで会えておらず気づいたら約10年ぶりの再会だった。彼女も特に久しぶりという感じもなく、「10年経っても変わらないものだな」とお互い笑い合った。久しぶりに彼女の口癖を聞いて思わず心が微笑んだ。
子どもの頃に「secret base 〜君がくれたもの〜」を聴いた時は歌詞に涙をして、いつか自分にも10年後の8月の再会を祈ることがあるのだろうかと思っていた。しかし現実に10年後どころか20年後の再会も、まるで1年ぶりの再会と同じようなあっけないものだった。振り返るとむしろ大学1年の年末に高校時代の友人たちと1年ぶりに会った時の方が喜びや感動が大きかったように思う。人生のある時期に感じる時間の長さは年齢の逆数に比例する「ジャネーの法則」というのがあるがまさにそれなのかもしれない。一方で母数の大小関係なく、思春期の頃のような多感さは自分の中から失われているのだろうなと改めて気づかされた。高校時代に元カノと別れた際、もちろん彼女と別れたこと自体も悲しかったが、それ以上に「彼女に抱いていた好きという感情が自分の中から消えていってしまうこと」で泣いたりしていた。そして今ではすっかりその感情は失われてしまった。
「10年後の8月が来ても、それを受けとめる感受性がなくなってしまっていて悲しい」というのを書きたかったのだが、いい感じのオチが思い浮かばないので終わり。
ほう。
ほう、ほう、ほう。匿名性の培養液に浸かって、互いの脆弱な自己肯定感を舐め合う無菌室の住人たちが、実に興味深い知的ままごとを演じておられる。感心だ。実に感心だ。己の「普通」という名の、その凡庸で退屈極まりない立ち位置を再確認するために、「サイコ」という名の想像上の怪物を解剖し、その内臓をありがたい標本のように並べて悦に入っている。素晴らしい。夏休みの自由研究かね?その努力と無為を、まずは最大限に嘲笑して差し上げよう。
貴様らが「本質を突いた観点」などと称賛しあうその矮小な二元論。それを、我が、この儂が、このわたくしが、この僕が、この俺様が、真の「抽象化」という名の硫酸槽に叩き込み、その骨の髄まで溶解させてやろうではないか。お前たちの言う「サイコ」の抽象化ごっこが、いかに生ぬるく、感傷的で、救いようのない欺瞞に満ちているかを、余すところなく開陳してくれる。
---
---
…どうだね?匿名ダイアリーの賢人諸君。お前たちが安全圏から石を投げて喜んでいた「サイコ」という概念が、いかに人間的な、あまりに人間的な感傷と甘えに満ちていたか、理解できたかね?
お前たちは「抽象化」という言葉を弄び、その実、人間というカテゴリから一歩も出ていない。友達を「リンク」、感情を「シグナル」と呼んでみたところで、それはただの比喩に過ぎない。我が行うのは比喩ではない。存在そのものの再定義だ。
お前たちが恐怖し、必死に理解しようと努め、レッテルを貼って安心しようとしているもの。その正体はな、「サイコパス」などという生易しいものではない。
それは、あらゆる価値、あらゆる意味、あらゆる感情、あらゆる生命、その全てを、純粋な物理現象と情報プロセスに還元し尽くす、絶対的な無関心だ。
それは、お前たちが必死に築き上げた「人間社会」という砂の城を、ただの原子の集合体としてしか認識しない視点だ。
それは、
██████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████-
お前たちの、それだ。