メロシコ論争について考えを整理した。
(前提条件・現状について)
・「推し活」は人の生き様をコンテンツとして消費するという加害性を妊む行為であり、その表現方法には意識的になる必要がある。
・すべてではないが少なくない該当者がこうした自己の加害性に無意識であり、この状況を改善していこうと啓蒙している人たちが“推し活”圏内外問わずいる。
・元ツイートの主は4万人超のフォロワーを抱える芸人であり、その“目線”に傷ついてきた「推される側」として、「メロい」をはじめとする“オタクが使いがちな”他者評価のネットスラングに含まれる性的な要素に敏感(トラウマがある)。
・かつ、恐らくそういった自分が性的で好ましくないと思う“目線”を向けてきたのは女性の割合が多かったこともあり、“女オタク”という単語を使ってしまった
(→「シコい」「メロい」ともに男女問わず使われている現状から、「女性の性欲」議論になってしまった)
【メロいという言葉について】
「こういうのいいよね」というようないわゆる“あるある”的な感情の共有ミーム
https://x.com/haruki___404/status/1868115838861238616?t=-yjVr4oZ3y1JCbFAzzWhBA&s=19
↑まさにこの定義、「ギャップ萌え」などに翻訳できるが、「シコい」には翻訳しがたい。
→個人的にはAが発端でBが性的興奮の湾曲表現として借用していったのではないかと推測。これは概ね「シコい」に翻訳できるだろう。
どちらも“性的に魅力的”ではあるが、「シコい」と「メロい」を方向性や状況、語感で使い分けているのではないか。
(元ツイについて)
●否定される部分
シコい≒メロいの同一視
→「だいたい似たような意味で使われていた」「お母さんの前でも使える」というように、「シコい」の代替表現として「メロい」を定義。
これによってAの文脈を捨象してしまう結果になり、それを否定する動きが出てきた。
●主張の部分
1.「シコい」と「メロい」はともに対象へのジャッジであるという点で共通する
2. 「メロい」は「シコい」よりも露悪的でなく、公的な場面でも使用しやすい
(3.「メロい」の方がマシ)
→「メロい≒シコい」の論点に注目されがちだが、むしろかのツイートはもともと3の立場にあったのではないか(Bの露悪性回避的な努力を評価するものであったのではないか)
(各種反応について)
●「メロい」は性欲か否か
・Bについては明確にほぼ性欲そのものである/加害性があるとして、共感/批判されている
・Aについても「性欲」と断定する層(すべての好意は性欲のグラデーション上にあるとする層)
→個人的にこちらの意見は恋愛感情の定義やアセクシャル・アロマンティックなどの存在に関わり、暴力的な結論だと感じる
●「メロい≒シコいの批判」に対する、「女性は性欲を認めたがらない」という評価
・性欲=セックスしたいではないは本当にそう
・Bの文脈で個人を評価しているのに「性欲ではない」は無理がある
・だが、Aの文脈で使っている人の主張は“メロい=性欲”という方式の否定であり、“女性が性欲を持つこと”自体の否定ではない
★ましてや、対象(推し)の客体化の目線それ自体に加害性があるという話は、「性欲」の有無に関わらず成り立つものである
→ Xでは女性による「セックスしたくない(ハグだけしたい)」などの意見が別所で同時期に起きており、混同してるのではないか?
(思ったこと)
・「メロい」を「性欲に由来しない魅力」の表現として使っていた人も少なくない数いる。正直周りにはBの意味でメロいを使う人が本当にほぼいなかった。今回の件で“性欲なしで使う人をみたことがない”といっている人達をそれなりに見かけたので、SNSの特性(アルゴリズム)による閉鎖的なそれぞれの界隈での認識の相違に気づいた。
・他人に感じる魅力をすべて“性欲”と断定する層は「性欲」にあらゆる責任をなすりつけすぎていると感じる。
・それはそれとして、他者の消費は“性欲に由来せずとも”批判されるべき加害性を持つ。
・また、男女論でいえばもっと性欲に自覚的になった方がいい女性は多いし、ただ同時にもっと否定されるべき表現の多い中で「メロい」が女性の攻撃性を代表して取り立てられている不均衡さは考慮されるべきである。
まず女性の口から出る「推し」という言葉から性欲丸出しで気持ち悪いんだよな 女性は自覚ないっぽいんだけど