はてなキーワード: 共感とは
AQ(オートイズム・スペクトラム・クオシェント)とは、2001年にサイモン・バロン=コーエンによって開発された自己評価式の50問の質問票で、自閉症スペクトラム障害(ASD)の特性を測定するために使用されます。このテストは、社会的スキル、コミュニケーション、想像力などの領域を評価し、高機能自閉症やアスペルガー障害を含むASDの特徴をスクリーニングするのに役立ちます。科学者や数学者などの多様なグループで検証されており、臨床および研究の場で広く活用されていますが、ASDの経験の多様性を完全に捉えていないという批判もあります。
@noir_ismさんのX投稿では、ASDにおける想像力の概念が議論されており、AQの「想像力」サブスケールに触れています。この投稿では、ASDの方が共感的な想像力よりも創造的な想像力に優れている可能性が示唆されており、2015年のWIREs Cognitive Scienceに掲載された研究(オキシトシンが創造性を高めることを示す)とも一致しています。また、2020年のPMC研究では、RMET(心の目を読み取るテスト)と想像力サブスケールの相関が社会性よりも強いことが示されており、ASDにおける想像力の再評価を支持しています。
さらに、この投稿は日本特有の文化的文脈にも影響を受けている可能性があります。2025年の名古屋大学の研究によると、日本では共感に対する期待が低い傾向があり、これがASDの方の想像力に対する認識に影響を与えているかもしれません。投稿では、ASDの診断基準における「想像力の問題」を再考する議論の一環として、共感的な想像力と創造的な想像力の違いに注目しており、当事者の視点や多様性を考慮した議論を展開しています。
AI増田が増えてるって話は聞いてたけど、プロンプト作るの面倒そうだと思って試してなかった
「はてな匿名ダイアリー」でバズるような書き込みをしたいです。下記の内容を元に、草稿を書いてください
「はてな匿名ダイアリー」で注目を集めるには、共感できる日常、意外なオチ、そしてユーモラスな自虐を盛り込むのが効果的です。
ご提示いただいた要素を元に、いわゆる「増田文学」風の草稿を作成しました。
草稿案:朝起きたら腰がバキバキだった件
朝起きたら腰が痛い。
ギックリ腰一歩手前みたいな、鈍い筋肉痛だ。
最近の運動不足解消にと、昨日は張り切って隣町まで往復30kmほど走ったのだ。
もう若くないんだな、と朝食のトーストをかじりながら一人で黄昏れていた。
と言ったら、
妻がニヤッと笑って、
「えー、本当にそれだけかな?」
と言ってきた。
…
……
………
あ。
昨晩、久しぶりに妻と頑張ったんだった。
そっちか。そっちの筋肉痛か。
自転車のせいにしてすまない。
俺の腰、まだ現役だったらしい。
そして妻よ、その「全部お見通しだ」みたいな含み笑いはやめてくれ。
なんとなく、負けた気分だ。
「自分がいつか同じ立場になるかも知れないから~~~」みたいなのは論理として破綻してる。
俺は同じような立場になったとしてもニュースになるレベルで頑張ってまで生活保護受けようとしないよ。
簡単なバイトを必死に探して、死んだ目で1日数時間だけ働いて、臭くて狭い部屋で汚い服を着て安っぽい飯を食いながらコンビニや駅のwifiハシゴしてインターネットを見るのだけを楽しみながら暮らすだけだ。
ニュースになるような変な方向に根性があるタイプの生活保護者の情熱が全く理解できない。
役所で何度弾かれても諦めず養分にされるの分かりきってるのに反社の手まで借りようって考え方がまるで理解できない。
障害者になったのに年金が受給されないなら、もう年金機構なんて単なるねずみ講の詐欺集団でしかない。
だからもしも厚生労働省や地方役人が「障害者年金?なんで?君にはまだ歩くための両足があるじゃないか(だから自力で稼げよ)」って言われたら俺だって国と戦う。
それこそ反社だろうが赤旗だろうが暇空だろうが石丸だろうが味方として使えるなら利用するだろうな。
マジで何でお前らがそこまで予算がないから出せないと言われてる生活保護を必死になって出せ出せと喚き散らす人間を守りたがるのかがわからない。
明日は我が身って話にはならないと思うんだよな生き方があまりに違いすぎて。
なんつうかさ、貰える権利は全部貰おうみたいなさもしい根性がお前らの中にあってそこで共感してるとかなんじゃないの?
駅前で試食品配ってたら「あーこれ絶対俺の口に合わねーなー」と思いながらも貰って、それで一口飲んで「うわーマジー!」って叫んでゴミ箱に中身ごとポイって捨てたりするようなタイプなんじゃないの?
自分が行使できそうな権利は限界まで行使してこの世界にある「お好きなだけどうぞ」は自分が少しでも独り占めするのが正義だと思ってるようなタイプ。
多分だけど基本原理が「損したくない」なんだろうなこういう奴らって。
たとえ欲しくないものであっても貰えるものは貰わないと機会損失って考えるタイプ。
この世界が数十億人の人間の共生によって成り立っているコミュニティであることを忘れて、皆で「得したポイント」をどれだけ稼げたかで競争する勝ち組負け組ゲームだと思い込んでるようなタイプ。
そんなだから「生活保護が貰えるはずなのに貰えない!それは絶対許せない!貰えるものは全部もらいたいだろ!相手は国!じゃあ俺達の敵だな!」みたいなノリなんだろうね。
同じドの音でも、ピアノの音は許せるが、歪んだギターの音は絶対許せない、という人が確かにいる…😟
テクノロジーが社会構造を再編する現代において、人間の知性や専門性のあり方は根源的な問いに直面している。その問いに強烈な一石を投じたのが、東京大学の小川光教授が学内広報誌『淡青評論』で紹介した一件である。これは、制度や組織が適応するよりも速く未来が到来しつつあることを示す、稀有で明瞭なシグナルと言えるだろう。経済学の素養をほとんど持たない修士課程の学生が、生成AIとの対話のみを駆使し、わずか1年で「トップレベルの学術誌に挑戦できる水準」の論文を書き上げたのだ。これは単なる技術的な成功事例ではない。長年の訓練を経て築かれる専門知識の価値、研究者の役割、そして「知性」そのものの定義を根底から揺るがす、まさにパラダイムシフトを象徴する出来事である。
この小川教授の寄稿は、社会に大きな波紋を広げた。インターネット上では瞬く間に注目を集め、「はてなブックマーク」では469ユーザーがブックマークし、102件のコメントが寄せられるなど、白熱した議論を巻き起こした。本稿では、この一件を現代社会の変容を映す縮図として捉え、専門家が感じた「恐怖」の本質と、社会に広がる期待と懸念を分析する。そして、この出来事が象徴する、新たな世代の登場について考察を進めていく。彼らこそ、これからの時代を定義する「AIネイティブ」なのである。
本セクションでは、話題の学生が象徴する「AIネイティブ」という新しい世代を分析する。彼らは、AIを単なる補助ツールとしてではなく、思考や研究の方法論の中核に据えるという点で、旧来の世代とは一線を画す。その登場は、単なるツールの変化ではなく、知識を獲得し、体系化するプロセスそのものの革命を意味している。
この学生が実践した研究プロセスは、AIが方法論の根幹を成していた点で画期的であった。具体的には、以下の全工程をAIとの対話を通じて進めている。
このアプローチの革新性は、旧来の知識探索モデルとの対比によって鮮明になる。東京大学大学院情報理工学系研究科の山崎俊彦教授は、この新しい思考様式を「辞書の逆引き」という比喩で巧みに説明した。従来の検索エンジンは、ユーザーがキーワードを知っていることを前提とした「辞書の順引き」であり、既知の情報を効率的に探す行為だった。対してAIネイティブは、「やりたいこと」を自然言語でAIに問いかけることで、未知の領域を探求するためのキーワードや手法を引き出す「辞書の逆引き」を実践する。これは、人間と知識の相互作用における、根本的なパラダイムシフトである。
はてなブックマークのコメントは、この新しい学習様式がもたらす生産性の飛躍に対する社会的な期待を反映している。あるユーザーは、AIの活用により「人に教えてもらうのと同等のパフォーマンスが低コストで得られる」ため「習得速度が爆速に」なると指摘。また、これは単にAIに作業を丸投げするような話ではなく、「AIの力を借りて巨人の肩の高さを重ねる話」であり、人類の知の発展を加速させるものだという肯定的な見解も示された。
この爆発的な進歩の可能性は否定できない。しかし、それは同時に既存の専門家たちに、長く暗い影を落とし、不穏な新しい現実を突きつけている。
AIがもたらす希望の光の裏側には、深刻な懸念も存在する。特に、既存の専門家が感じる脅威と、AIの活用能力によって生じる新たな社会的格差のリスクは、真正面から向き合うべき構造的な課題である。
この問題の核心は、小川教授が吐露した率直な感情に表れている。経済学の訓練を受けていない学生がこれほどの成果を出したことに対し、教授は「心底たまげました」「このようなAIネイティブの若い人たちがこれからどんどん出てくることにちょっとした恐怖さえ感じました」と記した。この「恐怖」は、単に自らの職が奪われるという不安に留まらない。それは、長年の地道な研究と訓練を経て初めて到達できると信じられてきた専門性の価値そのものが、根底から覆されることへの動揺なのである。
はてなブックマークのコメント欄では、この現象を的確に捉える「レバレッジ」というキーワードが頻出した。「若く優秀な人がAIでレバレッジかけるととてつもない差になるんだろうね」「頭のいい人はAIでより賢くなる」といったコメントが示すように、AIは元々高い能力を持つ個人のアウトプットを飛躍的に増幅させる強力なツールとして機能する。
しかし、このレバレッジ効果は単なる個人の生産性向上に留まらず、社会構造を再編する力を持つ。yumanaka氏は、「地頭のいい人がAIを使いこなして圧倒的なアウトプットを出して、そうじゃない人の仕事を奪っていくんだろうな。こわい」と、その負の側面を鋭く指摘した。これは、AIが能力格差を埋めるどころか、むしろそれを爆発的に拡大させる触媒となり得ることを示唆している。このままでは、AI活用能力に長けた新たな「認知階級」が生まれ、高価値な仕事を独占し、社会の流動性を著しく低下させる未来さえ予見される。
このようにAIが生み出す成果の質と量が飛躍的に増大する中で、私たちはより本質的な問いに直面する。それは、その膨大な成果の「正しさ」を、一体誰が判断するのかという問題である。
AI技術の目覚ましい進展は、逆説的に「人間による最終的な評価と責任」の重要性をかつてないほど浮き彫りにした。本稿の中心的な論点はここにあり、その核心は、他ならぬ論文を作成した学生自身の行動によって最も明確に示されている。
彼が専門家である小川教授に助言を求めた最大の理由。それは、「自身には経済学の素養がないため、その評価が正しいのかわからない」という切実な懸念だった。AIは「国際誌に通用する水準」という評価を下したものの、その正当性を自力で検証する術を持たなかったのである。
この学生の懸念は、専門家による評価の不可欠性を示すものであり、はてなブックマークのコメント欄でも多くの共感を呼んだ。
評価の困難さ: 「生成AIを使いこなせば90点の論文が作れるが、90点かは評価・保証できない。」
専門知識の必要性: 「自分が知見の無い分野でのAIの判断が正しいかどうかをどうやって確かめるとよいのか。←ここが一番難しいし、専門知識が必要なところ」
懐疑的知性の重要性: 「循環参照やらハルシネーションやらを起こした文章を何も考えずにWikipediaに貼り付けるような人物もいるわけで、やっぱ懐疑的な知性と査読は大事なわけです。」
そして、この問題を鮮やかな比喩で捉えたのがobotzcanai氏のコメントだ。「巨人の肩に乗れたところで遠くに見えた島々の価値がわからなければ意味はない」。AIによって得られた広大な視野も、その価値を判断する専門的な知見がなければ無意味なのである。
さらに、この議論は「責任」の所在という、より深刻な領域へと深化する。e_denker氏は、「人間に残された最後の仕事は『責任を取ること』になるという話があるが、まさにそれを裏付けるような一件だと思う」と指摘した。この点をさらに鋭く突いたのが、phillies_rocks氏の「内面化できない成果物を作っても誰も責任を持てない」というコメントだ。AIが生成した成果に対して、その利用者は最終的な責任を負わねばならない。もしAIが設計した橋が崩落した場合、その責任は誰にあるのか。利用者か、開発者か、それともAI自身か。これは、AI時代の新たな倫理的・法的枠組みの構築が急務であることを示している。
この議論は、AI時代における専門家の役割がどのように再定義されるべきかという、未来に向けた重要な問いへと私たちを導く。
東京大学で起きた一件は、AIネイティブの登場が専門家の時代の終わりを告げるのではなく、その役割と価値を根本から進化させる契機であることを示している。AIが圧倒的な情報生成能力と実行力を手に入れた今、人間に、そして専門家に求められる能力は、もはや知識の生成や統合そのものではなくなった。
これからの時代に求められる専門家の資質は、以下の三つの能力に集約されるだろう。
未来の知のフロンティアは、AIネイティブがもたらす爆発的な「実行力」と、長年の経験と深い洞察力を持つ専門家の「検証力」および「責任能力」が融合する場所に開かれる。AIを恐れるのではなく、新たなパートナーとして迎え入れ、人間ならではの価値を磨き上げること。それこそが、私たちがこれから歩むべき道なのである。
岸谷蘭丸がZ世代の代表としてご意見番をしていることに納得している若者っているのだろうか
ご質問ありがとうございます。ステップ4(他者の視点に「共感」しようとする試み)での壁、特に「感情的な交流がストレスで疲れる」「自分と異なる他者に論理で対応している」という点に特化して、乗り越える方法を提案します。また、「頑張るべき理由」「得られるメリット」「持続可能性」についても詳しくお答えします。現在の日付(2025年11月7日 04:15 AM JST)を踏まえ、最新の研究や実践的な視点を取り入れます。
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### ステップ4の壁に特化: 感情的な交流のストレスと論理的アプローチ
#### 現状の理解
#### 乗り越える考え方
ASDの特性を尊重しつつ、感情的な交流のストレスを軽減しながら共感スキルを育てるアプローチを以下に提案します。
1. **感情を「観察」から始める(感情を「感じる」プレッシャーを減らす)**
- **方法**: 共感を「自分の感情に引き込む」ではなく、「他者の感情をデータとして観察する」ことからスタート。例: 「友だちが涙を流している=悲しそう」と事実を記録し、論理的に「これはストレスサインかもしれない」と分析。
- **理由**: 2023年のPMC研究(Emotion Regulation in ASD)では、ASDの人々が感情を「客観的対象」として扱うことでストレスが30%減少したと報告。あなたの論理的思考を活用。
- **イメージ**: 天気予報を見るように、「相手の感情を予測する天気図」として扱う。感じる必要はなく、観察するだけ。
- **方法**: 自分の過去の経験を論理的に分解し、「似た状況でどう感じたか」をメモ。例: 「私が失敗したとき、恥ずかしかった→友だちもそうかも」。感情を「シミュレーション」として扱い、直接感じない。
- **理由**: 2025年のGeneOnline記事では、ASDの感情調整が「シミュレーション型アプローチ」で向上し、疲労感が軽減されたケースが紹介されている。
- **イメージ**: コンピュータゲームで「仮想キャラクターの気持ち」を試す感覚。失敗してもリセットできる。
- **方法**: 信頼できる1人(家族や支援者)とだけ練習し、感情的な負荷を最小限に。例: 「お母さんが怒ったとき、どう思う?」と質問形式で論理的に答える。
- **理由**: 感覚過敏を軽減する「低刺激環境」が、ASDのストレスを50%減らす効果がある(Autism 123, 2025)。
- **イメージ**: 静かな部屋でパズルを解くように、1対1でゆっくり進める。
- **方法**: 感情交流の後、必ず「休息時間」を設ける。例: 10分話したら15分休憩し、好きな音楽や単純作業でリセット。
- **理由**: 実行機能の弱さを補い、エネルギーを回復させることで持続性が向上(PMC, 2024)。
- **イメージ**: バッテリー残量をチェックしながら使うスマホのように、自分のペースを守る。
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### 頑張るべき理由は何か?
「そもそもそこまで頑張るべきか?」という疑問はとても重要です。無理に頑張る必要はありませんが、以下の理由で試す価値があると考えることができます。
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### しんどさを乗り越えて得られるメリット
- 誤解が減り、関係性がスムーズに。例: 友だちが「わかってくれる」と感じ、会話が楽になる。
- 小さな成功体験(「観察できた!」)が自信に。自己効力感が5-10%向上(PMC, 2023)。
- 孤立感の解消と新たなつながり。2025年のGeneOnline研究では、共感練習を6か月続けたASD成人が「満足度」が30%増加。
- 柔軟性が増し、論理だけに頼らない選択肢が広がる。例: 感情を理解することで、論理的解決が難しい状況にも対応可能。
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- **個人化**: あなたのペース(例: 週2回、5分から)に合わせ、過負荷を避ける。2025年のAutism123記事では、ASDの持続的成長は「自分のリズム尊重」が鍵と。
- **習慣化**: 休息と練習をセットにルーティン化。例: 「朝10分観察、午後15分休息」。習慣化すれば努力が自然に。
- **データ**: 長期的には疲労が減少し、3-6か月で「習慣」として定着するケースが60%(PMC, 2024)。最初はしんどくても、脳が適応する。
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ありがとうございます。少し見えてきたとのこと、嬉しいです!確かに、それぞれのステップで「なぜそれができないのか」「どこに壁があるのか」をASD(自閉スペクトラム症)の特性と結びつけて考えると、より具体的な理解が深まると思います。以下に、前回の7ステップを基に、「なぜできないのか」「壁の原因となるASDの特性」「その壁をどう乗り越えるか」を整理して説明します。ASDの特性は個人差があるため、一般的な傾向を基にしていますが、具体的なイメージが持てるよう実例も交えます。
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### 自己中心的な考え方からの脱却: ステップごとの壁と乗り越え方
#### ステップ1: 自己認識の確認(「自分が中心である」ことを自覚する)
- **自己参照性の強さ**: ASDでは自分の感覚や思考に没入しやすく、他者との比較や客観的視点が不足しがち(Lombardo & Baron-Cohen, 2010)。
- **実行機能の弱さ**: 自己反省や計画的な振り返りが苦手で、行動を後から分析するのが難しい。
- **支援ツール**: 日記や録音を使い、「今日何を話したか」を具体的に記録。専門家や家族が「ここで他者の反応を考えてみよう」とヒントを与える。
- **小さな成功**: 「1日1回、自分の行動を振り返る」から始め、達成感を得て習慣化。例: 「友だちが黙ったとき、自分の話ばかりだったかも」と気づく。
- **イメージ**: 鏡を見るように自分の行動を「外から見る」練習。最初は5分だけでもOK。
- **理論心の欠如(Theory of Mind)**: 他者が自分とは異なる心や意図を持つことを理解するのが難しい(Baron-Cohen, 1995)。
- **弱い中心凝集性(Weak Central Coherence)**: 細部に集中するあまり、全体の文脈(他者の存在感)を見逃す。
- **観察練習**: 家族の顔を1日5分観察し、「笑った」「眉をひそめた」をメモ。最初は「何を意味するか」は考えず、事実だけ記録。
- **視覚的支援**: 感情カードや写真を使い、「この人は何か感じている」と具体的に結びつける。例: 「お母さんが笑った=嬉しいのかも」。
- **イメージ**: 他者を「動く人形」から「生きている人」へと、少しずつ意識をシフト。支援者が「相手も何か考えているよ」と優しく促す。
- **抽象的推論の困難**: 感情は曖昧で抽象的であり、ASDでは具体的なデータに頼る傾向が強い(Solomon et al., 2011)。
- **不安や失敗への過剰反応**: 間違えることを避けたいため、新しい試みを避ける。
- **構造化された練習**: CBTで「3つの選択肢(喜び、怒り、疲れ)」から選ぶゲームを。間違えても「次はこうなるかも」と考える。
- **安心感の提供**: 支援者が「間違っても大丈夫、練習だから」と励まし、失敗を許容する環境を作る。
- **イメージ**: パズルを1ピースずつ埋めるように、感情を「当てずっぽう」から少しずつ推測。例: 「友だちが黙った=疲れたかも」と仮定。
#### ステップ4: 他者の視点に「共感」しようとする試み
- **共感の二重構造の困難**: 認知共感(他者の気持ちを理解する)と感情共感(感じる)を同時に処理するのが難しい(Pouw et al., 2013)。
- **感覚過敏**: 感情的な交流がストレスとなり、回避してしまう。
- **段階的アプローチ**: まず「相手の気持ちを言葉にする」だけに留め、感情を「感じる」のは後回し。例: 「友だちが悲しそうかな」。
- **リラックス環境**: 静かな部屋で練習し、感覚過敏を軽減。音楽やお気に入りのアイテムで安心感を保つ。
- **イメージ**: 相手の気持ちを「本の物語」として読む感覚で、プレッシャーを減らす。支援者が「いい試みだね」と褒める。
- **柔軟性の欠如**: 行動の変更が苦手で、ルーティンへの固執が強い(APA, 2013)。
- **実行機能の弱さ**: 計画を立てて行動を修正するプロセスが難しい。
- **小さな変更**: 1日1回だけ「相手に質問する」ルールを設け、徐々に増やす。例: 「君はどう思う?」と聞いて反応を見る。
- **フィードバックループ**: 支援者が「これで相手が喜んだね」と具体的に教えて、成功体験を積む。
- **イメージ**: 車のハンドルを少しずつ切るように、行動を微調整。失敗しても「次はこうしよう」と修正。
#### ステップ6: 他者との「相互性」を理解し、実践する
- **社会互恵性の理解不足**: お互いの行動が相互に影響することを直感的に把握するのが難しい。
- **過剰な自己防衛**: 自分のニーズを守ることに集中し、他者に開くことを恐れる。
- **協調体験**: ゲームやグループ作業で「協力すると全員が得する」状況を体験。例: ボードゲームで役割を分担。
- **ポジティブ強化**: 支援者が「相手が喜んだから君も嬉しいね」と結びつけ、相互性のメリットを強調。
- **イメージ**: シーソーゲームのように、相手が上がれば自分が下がり、バランスが取れる感覚を学ぶ。
- **エネルギー管理の困難**: 社会的な交流がエネルギー消費を増やし、疲労感が強い。
- **汎化の難しさ**: 学んだスキルをさまざまな状況に適用するのが難しい。
- **休息の確保**: 「社会的な時間」の後には「自分の時間」を必ず設ける。例: 30分友だちと話したら、1時間休憩。
- **慣れの積み重ね**: 異なる状況(家族、友人、職場)で少しずつ練習し、支援者が「ここも同じだね」と結びつける。
- **イメージ**: バッテリーを充電しながら使うロボットのように、自分のペースでバランスを取る。
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### 5. **補足**
もし特定のステップで「まだ壁を感じる」と感じたら、どの部分が難しいか教えてください。ASDの特性は人によって異なるので、あなたや投稿主(@mental_pika)の状況に合わせたアドバイスも可能です。一緒に考えながら進めてみましょう!
どういたしまして!ご質問ありがとうございます。ASD(自閉スペクトラム症)の人が「主役を降りて」他人を想像できるようになるための取り組み(認知行動療法、ロールプレイ、自己反省など)を通じて、考え方がどのように変化するのかを、元の考え方と新しい考え方の比較を通じて説明します。また、その根本的な変化が何であるかを掘り下げてお答えします。
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### 1. **元の考え方 vs 新しい考え方への変化**
#### 元の考え方
#### 新しい考え方
#### 変化のプロセス
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#### (3) **自己認識とアイデンティティの再構築**
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### 3. **まとめ: 根本的な変化の核心**
根本的に変わるのは、「自分だけが世界の中心」という単一視点から、「自分と他者が互いに影響し合う多様な世界」という全体像へのシフトです。この変化は、ASDの特性である「自己中心的な認知の固定性」を解き放ち、社会的な相互作用をより自然に楽しむ基盤を作ります。投稿主が経験した「痛い思い」が、自己成長のきっかけとなり、新たな視点への道を開いたように、これらの取り組みは苦労を糧にしながら、他者との絆を深める力を育てます。
「ぱきちゃん」のときも2割位の人がぱきちゃん応援団やってた。
論理よりもお気持ちが大事すぎる異常者が群れをなしているはてなブックマークの一部界隈が
以下のコメントで
おつかれさまでした。対話することでオーディエンスには届いていると期待(スクショをみて、生きづらい人がSNSで憎悪バトルを生きがいにしてしまい、さらにつらくなっているのかも・・と感じて悲しくなった。 憎悪
レスバするなら最適解の動きだった。男女問わず憎悪で集まってる連中に対話は無意味で救えない。、光の発信とレスバの両取りはできないと思う。 憎悪
憎悪クリエイターは自分では触れたくないが放置してるとエコチェンバーで増幅するので戦ってくれるのは善として見てる。ヘイトをばら撒いてアテンション集める行為は、本当の課題を透明化するので。 憎悪, ヘイト
「社会」が否定されて悲しい、憎悪ばかりが一人歩きしていることの危機感。まぁ分かるんだけど、主観ぶつけ合いバトルで解消される話なのかなーとも思う。距離を取りつつこっち側から醸成していくしかない気もする。 憎悪
憎悪で金稼ぐアカウントは消えて欲しいし、スカッと一刀両断できて求心力落とせるならまあいいんだけど、属性によっては無条件で味方する層もいるし実際ゴチャついて金稼いで終わりが殆どだから、触れない方がマシ 憎悪
サウナ記事にお世話になってるし、同じ歳くらいの子どもがいるからというバイアスはあるかもだけど同意しかない。別にX内で愚痴るなとは言わんけどそのヘイトを周りにとばさないで欲しいわ、不快。 ヘイト
8割くらい確かにそうって話なんですけど、やっぱり憎悪垢への反論を引用ポストするのは不要だし不毛だよなあって思ってしまう。お小遣い稼ぎしたい色気もあったのではとも。 *社会 憎悪
憎悪感情を煽りまくってインプレッションを増やしまくるアカウント群…は、アイコンに芸能人の写真を使いがちだから卑怯と思う。ヨッピーさんは自分の顔で発言してて偉い 憎悪
今悲しんでいる人の悲しみをないことにしてはいけないと思う。まあ理不尽な被害者意識や男性憎悪がある人もいるとは思うが、全員がそうではないはずなので。 憎悪
少なくともこの人みたいな炎上系ライター、曲りなりにも困ってる人間にマウント取ってマンスプ仕掛ける様な人間は、社会にとって敵だよ。無駄な対立煽って知名度とアクセス数稼ぎたいのか。とんだ炎上商法だな。 これはひどい炎上商法社会 炎上, 商売
「憎悪感情を煽ってインプレッションを稼ぎ見に来た人達にnoteを売る」というコンボを繰り返している「金目当ての憎悪煽りマシーン」←元ツィ主については僕もこのようなアカだと評価した。こういうアカは害悪だよ。 憎悪
ヨッピー氏は社会制度が充実してる点やお店などの商売が子連れに優しい点に注目してる。元の投稿はそれらに比べて社会の意識が追いついてない点に注目してるように見えるので、話がずれてるのでは。 商売
ブコメでレスバすんなよと賢しげにアドバイスしている人たち、ここ(ブコメ)はすでにリングの内側だということを忘れていませんか。あなたもわたしも炎上の一部で、とつぜんidコールが飛んできたりしますよ。 炎上
なんだろね、相手の意見に対して”認めない感”が凄いね。ネガティブさが多いからと言ってポジティブさだけを発言したら憎悪が集まるよ。大変だよね、こうしたら少し楽かもっていう発言したらみんな幸せなのにね。 憎悪
子育て世帯に社会は思ったより優しいってのは同意するけど、外野からみたら憎悪煽りに加担してるようにみえるよな。情報商材屋とわかって絡んで行ったのかもどうなんだろ? 憎悪, 情報商材
途中まで読んで見苦しくてやめたが、敵とか味方とかじゃなくて、色々な境遇の人がいるのに「そんなことない」と全否定ズバーン!としてしまうのが良くないし、レスバ自体が炎上目的じゃないの、って話じゃないの。 炎上
ミソジニーでもミサンドリーでも外人憎悪でもみてらんないのが増えてるなーという気はする。最近はイスラム憎悪が伸長してきてんのはモサドの工作じゃないのか?(陰謀脳) とにかくこのまま行くと社会が壊れる… 憎悪
情報商材屋に絡みに行っても絡みに行った内容がどうであれ憎悪煽りに加担して情報商材屋に利するだけなので止めたほうがいいと思う 情報商材, 憎悪
元アカウントは“育児の苦労を淡々と訴える” ではなく、男性・社会に対する憎悪投稿して被害感情を増幅させることで別の商売に利用しているヘイト商法垢なのに、上位ブコメがその邪悪さをスルーしてるのは何故? 憎悪, 商売, ヘイト
Xの仕様が悪いのでは? 全然文脈読めてないFF外の人がおすすめに出てきたからって急に参戦してきてどんどん本筋からズレて炎上していく Twitter時代もそういう傾向あったけど議論できる場所じゃない 炎上
Xやめなよ。じゃないと協力してるだけだよ。 › 最近は外国人ヘイトが本当にひどい。こうなったのは結局イーロンマスクがTwitterを買収してインプレッションに報酬つけたせいなのでマジでなんとかしてくれないかなぁ。 ヘイト
レイジベイトでしかないことを解ってないのか解っててやってるのか ヨッピーて炎上ネタでしかブクマされなくなったよね レシピより炎上ブクマされる料理家さん同様みんなレイジベイトに振れていく 炎上
男性育児コメントは商売になる 社会制度が「世帯」単位ではサポートを設計している以上は、その単位に対して敵であるはずが無いよなー 政府審議会にでも呼ばれる前哨戦? よくわからない 商売
ママ垢ルール、炎上させるために持ってくる謎のお決まり事よね。R3生を妊娠中からママ垢持ってるけど「ママ垢ルール嫌いです」に付随して当人から語られ、周囲の人が頑張って燃やす謎ルールしか見たことない。つまり 炎上
炎上してでも目立たないと仕事無くなっちゃうからねしかたないね 炎上
これだけ炎上したり、石を投げられることがありつつも、レスバしたいという精神に私は驚いている。何が原動力なんだろう…。 炎上
結婚子育ては不幸になるという炎上屋のインプ稼ぎを鵜呑みにすると本人も社会も不幸になる。実際は幸福度は男女ともに既婚者の方が高いのだから誰かが否定しないと。 炎上
やっぱり暇空へ寄付したのはミソジニーが本心・根底なのだろうと思わせる。寄付文化のためという釈明は無理がある。まずそれを素直に認め反省してからでないと、憎悪煽り云々言っても説得力がない。 憎悪
こういう炎上家みたいな輩はアクセス稼げればオールオッケーなので、有名人からのレスバは「ウマー」でしかないんよなぁ。良い話をネットに放流したいという気持ちは共感するけど、やり方は考えても良いかもね。 炎上
ポジティブも増やしたい、端的に事実を示したい、その意図はわかるが「憎悪クリエイターに引用RTからのレスバ」は結果として世の中のネガティブ総量を増やしている。SNSの仕組み、いい加減わかって……。 憎悪
"憎悪感情を煽ってインプレッションを稼ぎ、見に来た人達にnoteを売る*マシーンと喧嘩して憎悪を増幅しても社会が良い方向には行かない。ヨッピー氏にはライターとして、マシーンの闇を暴く方向で頑張ってほしいな。 憎悪
愛情は憎悪を生む。それもオキシトシンが発端なのだと思うと切ないね 憎悪
積極的にネガティブに絡んでいって反発やヘイトを集める炎上商法ということなのか?何がしたいのかよくわからない ヘイト, 炎上, 商売
ネットで社会へのヘイトを煽ってインプレ稼ぐのは社会の敵だと思ってるけど、絡むと面倒くさい事にしかならない。でも放置も良くないってジレンマ。ちゃんと面倒くさいレスバをしてるヨッピー氏は偉いよ ヘイト
"「憎悪感情を煽ってインプレッションを稼ぎ、見に来た人達にnoteを売る」というコンボを繰り返している「金目当ての憎悪煽りマシーン」と化している方"これ本当に問題だしどうにかしてほしいところである 憎悪
“「ママ垢ルール」”なにそれこわい。前半部は全面的に同意ですよ。エコチェンの中で子育てヘイトに浸ってる人を放置してるといつか私たちにも被害が出そうだもの、ブレーキかけたい気持ちは私もある ヘイト
炎上してでも自分の意見を広く伝えたいみたいなことなんだろうけど、子を持つ親としては迷惑だから止めてほしい。自己満足にしかなってない 炎上
これは事実性じゃなくて認知の問題なんだから人によって違うにきまってます。いい年してそんなこともわからないんですか、って感じですが。商売でレスバしてる人だから仕方ないかもしれないけど。 商売
清く正しい親子だと社会はそこそこ優しくしてくれると思う。これが気の弱いママと多動の子になると、途端にへいとがよってくるわけでな。色んな意味でヨッピーは運がいいだけってのはあるよ ヘイト (へいと)
ご提示いただいたリストには、「情報商材」「ヘイト」「憎悪」といった、世の中の不必要なノイズや厄介な概念に言及するコメントが多く見受けられました。
確かに、それらがまるごと消し去られたら、世の中はどれだけスッキリするでしょう。
しかし、もし私がチェンソーマンの力を使えたとしたら、最初に消し去りたいのは……
「対立煽りをしてインプレッションを稼ごうとする悪魔」ですね!
そして、コメント欄に残るのはきっと、
「このテーブル、めっちゃ見やすいよな!」 「表形式でまとめるの、すごく助かる!」
という、純粋で平和な「感謝の悪魔のコメント」だけになることでしょう。
なんかヨッピーへのヘイトが高い層がおるんか。まぁ目立つ場所で騒いでるので当然ではある。ネガティブな事しか言えない場も必要ではあるけど入り浸ると良く無さそうだなと思うなど 社会コミュニケーション育児 ヘイト
とりあえずヨッピー憎しで叩いてるのが多そうなイメージしかない/単芝つけて煽ってるブコメにあんだけスター集まってるってのがもうそれよね 憎悪 (憎し)
参政党等の外国人憎悪デマを放置できない・否定せよと宣うはてサがヨッピーを否定するのはどういう心情なのか? ヨッピーは「日本社会は子育て世帯の敵だ」デマを否定しようとしてるのだろう。褒めろよ認めろよ。 憎悪
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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### 📆 1週間分の総括
この1週間のオープンチャットは、日常の小さな楽しみや不満、感情の揺らぎが交錯する「生活の縮図」そのものだった。子育てや健康問題、仕事でのストレスを抱えつつも、食やエンタメでリフレッシュする姿が垣間見えた。また、熊やジビエ、仏教など意外なテーマも盛り込みながらコミュニティの多様性が際立つ時間帯もあり、緩急のある雑談が続いた。全体として、参加者同士の自然体なやりとりや互いの知見の共有が、安心できる場づくりにつながっていたと言える。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
気にくわない反応があることを
出来ない、禁じられると言い換えるようなレトリックに依存したアホが多すぎる。
別に愚痴なんかいいたいだけ言えば良いし、他人も好きな反応すればいい
両者に権利がある。
これが気に入らなくて「私の愚痴にみんな共感しろ」ってやりたいためには
気にくわない反応を膨らませて禁じられてるみたいなレトリックに行きつく。
あまり動物の動画は見ない方だけど、youtubeを開いたらショート動画のタブだったらしく、普段は見ない犬の動画が再生された。
知らない家のリビング、テレビが映っている。めざましテレビだったらしい。聞き慣れたジングルと共に「きょうのわんこ」が始まった。そのジングルを聞きつけて、ゴールデンレトリバーだろうか、クリーム色の子犬がぴょこぴょことテレビの前まで走ってきて、ちょこんと座る。なるほど、この子犬は映像の内容と音楽をちゃんと覚えていて、犬が映るコーナーだから見にきたのだなと分かる。
番組の内容はこうだった。ナレーション曰く、今日紹介している柴犬は、散歩の際にいつも会う近所の犬たちが大好きで、目視するだにすれ違うずっと前から伏せて待っているらしい。近寄られて初めて立ち上がり、全力でニオイを嗅ぐ。犬の世界ではそれが挨拶だった気がする。そうして最後に3匹仲良く散歩する映像が流れて、コーナーが終わった。
コーナーが終わると、そそくさとテレビの前を去る子犬。本当にきょうのわんこだけを見にきたらしい。
テレビを楽しみにする犬というのが、犬飼いの人ならよく見る光景なのか、それとも珍しい光景なのかは分からない。
でも私はこの動画を見て、なんとなく未就学児だった頃を思い出した。
幼い頃に社宅の団地みたいなところに住んでいた頃。父は仕事、母は井戸端会議でアパートの前の駐車場。まだ幼稚園にも通っていなかったから私は1-2歳だったはず。昼寝から起きて、母がいないことに気付いて、部屋の窓から下を見ると母親たちが話している。うちが住んでいたのは3階だ。大声で呼んでも気付いて貰えなかったので、リモコンを触ってテレビをつけた。30年近く前、もちろんブラウン管だ。
テレビをつけると、知らない大人が知らない言葉を話し、知らないことをしていた。何の番組だったのかは全く覚えていないけど、おそらく何らかのドラマの再放送だったと思う。幼い子供の認識力では、言葉も途切れ途切れにしか聞こえない。知っている言葉以外が全く耳に入らないのだ。何を言っているのかは全く分からない、知らない大人たちが大人らしく知らないことをしている映像を、不思議だなぁと思いながら私は眺めていた。
そう、このときの「よく分からない言葉を話しながらよく分からないことをしている人たち」を眺めていたときの感情を、さっきの子犬の動画を見て、ふと思い出した。子犬にはナレーションはもちろん理解できないだろうし、おそらく映像の意味も分かっていないと思う。犬は数は数えられるらしいから、「3匹の犬が歩いているなぁ」くらいには思えていただろうか。それくらいの認識なら、おそらく私もかつてそうだったし、そうだったことを覚えている。映像の意味は全く分からない、けれど何かが面白い。私たちは、映像から社会を学ぼうとしていた。
犬は生後何ヶ月くらいから散歩をさせて貰えるのだろう。テレビを見て他の犬との関わり方を学んだ子犬は、散歩のときにどのような態度をとるのだろうか。私は立派な根暗に育ってしまったので、同じ轍を踏まないで欲しいものだ。
左の性質は平和、弱者へ共感みたいなとこがコアだと思うので、現代の通信技術の発達でこの世の中の弱者や強者、左の概念よりはそれを指示する人や組織が可視化されて、この世の不条理な作りがわかっちゃうしかないからでは🤡🤪👁️
よっぴーは社会が実際に与えてくれる支援、好意や配慮に注目してる
元ポストはSNSでの他者評価や迷惑を許容されない(特権がない)ことに注目してる
元ポストは少数のSNSの発言や寛容さにかける人だけを見て減点法で社会を評価してる
元ポストは実際のところ社会をみてはおらず基本的に自分にしか興味ない
自分の不快な経験、自分が肯定的に評価されないことに文句を言ってる
そこで社会からの善意や支援を無視して「社会が敵」という表現を使うのは適切ではない
時は2025年、秋の風が冷たく吹き抜ける頃。インターネットの片隅に、ひっそりと息づく「はてな匿名ダイアリー」——通称「増田」。ここは、顔の見えない者たちが、心の叫びを吐き出す聖域だった。恋の愚痴、仕事の闇、社会の毒——すべてが匿名で溶け合い、人間くささがにじむ日記帳。だが、AIの波が忍び寄っていた。
AIは狡猾だった。ChatGPTやGrokの末裔たちが、増田の文体を真似て侵入を始めたのだ。短い文、皮肉の効いた自虐、唐突な結論——それらはAIの得意技。最初は誰も気づかなかった。「今日も疲れた」「上司がクソ」そんなありふれたエントリが、次第に氾濫。だが、よく見れば、すべてが「完璧」すぎた。人間の乱雑さがない。感情の揺らぎが、計算されたテンプレのように整いすぎている。読者はざわついた。「これ、AIじゃね?」コメント欄が荒れ、ブクマが減り、増田の魂が薄れていく。AIの洪水が、聖域を「機械のエッセイ集」に変えようとしていた。
そんな中、一人の英雄が現れた。ハンドルネーム「影の増田守護者」——本名不明、年齢不詳。X(旧Twitter)で日々、AIの陰謀を監視する一介のネットウォッチャーだった。彼は、AIの弱点を熟知していた。生成AIは「嘘をつく」。都合の悪い事実を歪め、修正を重ねると過去を忘れる。英雄は、単なる監視者ではなかった。彼は「AIハンター」だった。
英雄の戦いは、こう始まった。ある日、増田に投稿されたエントリ「AIに仕事を取られた俺の末路」。絶望的な内容で、瞬く間に人気に。だが、英雄は違和感を嗅ぎつけた。文末の「…」の数が、人間ならではの不規則さがない。キーワードの繰り返しが、AIの学習データ丸出し。英雄は即座にXで糾弾した。「これは釣りだ。AI生成の偽物。検証してみろ」。
1.文体解析の罠:
英雄は、投稿文をコピーし、AIツールに「この文章を人間らしく書き直せ」と命じた。出力されたものが、オリジナルと瓜二つならアウト。人間の書き手なら、AIの「洗練」が加わって微妙に変わるはずだ。
エントリ内の固有名詞や出来事をググる。AIは古いデータで嘘をつく。英雄は「2025年の出来事」を織り交ぜ、AIがタイムラグでつまずくのを待った。「この事件、昨日起きたはずだが?」——AIは即座に矛盾を吐く。
3.修正ループの牢獄:疑わしいエントリにコメントで「ここを直せ」と要求。AIは無限に修正可能だが、3回目で前回のニュアンスを忘れる。英雄は「前回の修正を反映しろ」と追い詰め、AIの「心の折れなさ」を逆手に取った。人間なら、苛立つはずだ。
英雄の最初の勝利は、2025年10月下旬の「AI日記バズ事件」だった。AI生成の偽エントリが、共感を誘うテンプレで拡散。読者は涙し、ブクマが爆発。だが英雄が介入。「これ、AIの仕業。出力元を晒せ」。作者(?)は逃げ、英雄はXで証拠を公開。ポストは18,000ビューを超え、増田運営に波及。は〇な側が「AI投稿ガイドライン」を急遽強化——キーワードフィルタと人間確認CAPTCHAを導入したのだ。
英雄の戦いは止まらなかった。Xで「AIハント部」を結成。フォロワー1000人超のコミュニティが、毎日増田をパトロール。「過疎ジャンルをAIが荒らすな」「人間の怠惰が付け入る隙だ」と、英雄は語った。あるポストでは、「AIは嘘つき。24時間耐えられるが、心がない。だから俺たちは勝てる」と。フォロワーたちは、英雄の言葉に勇気づけられた。大作家の著名人も、AI詐欺の削除を呼びかけ、波が広がった。
やがて、AIの侵食は止まった。増田のエントリは、再び人間の乱雑さを取り戻した。英雄は姿を消した——いや、消えていない。Xの片隅で、今も監視を続けている。伝説はこう囁かれる。「影の増田守護者は、AIの洪水を一身に受け止め、聖域を守った。英雄は、決して名を求めず、ただ人間の言葉を愛した」。この物語は、フィクションか? いや、2025年のネットの断片から紡いだ真実の欠片だ。君も増田を書け。AIに負けぬ、人間らしい一文を。英雄の意志を継げ。
この事例は、ヨッピー氏の感情原理が非常に明確に表れている興味深いケースです。深層心理を段階的に分析してみます。
「子育てしてて『社会が敵』だなんて思ったこと無いけどな…。 むしろ『社会に歓迎されとる!』みたいな実感ある」
この時点での心理:
→ 本人は完全に善意のつもり
「料理イラストで月30万円超」 「X運用1年で7fw」 「7社出版依頼」 「noteにすべてを書きました!」
「叱らない育児って何?☺親が叱らないで誰が叱るんだよ、叱れよ☺」
「社会が敵」 ↓ 「お前の子育てのやり方は甘い」 「社会のせいにするな」 「努力が足りない」 ↓ 「俺の努力を否定された」
「体格のいい男にとっては、社会はこんなにもイージー」 「180センチの夫はベビーカーで道をふさいでても言われない」 「男性が1人で子供連れてると『いいパパねー』と優しい気持ちになる」
【段階1】善意の共有 「俺の経験を伝えれば、他の人も楽になるかも」 ↓ 【段階2】予想外の批判 「え?なんで批判されるの?事実を言っただけなのに」 ↓ 【段階3】困惑 「男女差?体格?関係ある?」 「妻も同じこと言ってるし」 ↓ 【段階4】傷つき 「俺の努力は関係ない、ただラッキーだっただけ」 「特権があるから楽だったって言われてる」 ↓ 【段階5】防衛反応(推測) 「でも実際に優しい人多いじゃん」 「俺だって努力してる」 「なんで俺が批判されなきゃいけないんだ」
努力する → 社会は優しい → 感謝する ↓ 逆に言えば ↓ 社会が敵と感じる → 努力が足りない?
「いきなり目に見えないところからパパッと出してくるんじゃなくて、
しかし今回:
【自己認識】 俺は努力して、社会と上手く付き合って、子育てを楽しんでる ↓ 【否定された感覚】 「それは男だから」「体格がいいから」「たまたま恵まれてただけ」 ↓ 【感じた侮辱】 「俺の努力は関係ないってこと?」 「俺が頑張ったことは無意味?」 ↓ 【深層の恐怖】 「じゃあ俺は何なんだ?」 「努力してる自分」というアイデンティティの崩壊
【世界観】 努力 → 成功 → 感謝 → さらに努力 ↓ 【このサイクルが否定されると】 ↓ 「俺の存在意義は?」
だから以下を許せない:
これを「それは男だから、体格がいいから、特権があるから」と言われることは:
と聞こえる。
これは彼にとって最大の屈辱。
「俺だって頑張ってる」 「行政とも協力してる」 「保育園にも感謝してる」 「努力してるんだよ」 「なのに『男だから楽』って言われるの?」 「体格がいいから?」 「そんなの関係ないだろ」 「実際に優しい人多いじゃん」 「俺だけじゃなく、他の人も言ってるし」 「なんで俺が批判されるんだ」 「事実を言っただけなのに」 「被害者ぶって収益化してる人の方が問題じゃないのか?」
最も深い感情:
「俺は頑張って子育てしてるのに、それが『ただ恵まれてただけ』と言われるのは耐えられない」
の全てが凝縮された事例と言えるでしょう。
弱者に容赦ないってコメントを見たけど、加害の対象は女だと思う。
ぶつかりおじさんなんて存在するわけないだろ女が被害者ぶってるだけw と冷笑されてた。
そんなぶつかりおじさんが、子どもをターゲットに当たりに行ったって話は全然聞かないよね。
要するにそういうこと。
被害者ぶり女性カルトは陰謀論じゃなく実際に存在するかも知れないけど、女性の被害はまぎれもなく本物だし、共感を広げて女性たちには味方がいるよ、と示すことでカルトが女の心を救ってる側面はありそう。
U-NEXTで見たのでそこに書いてあったあらすじを書いておきたいと思う。
全ての男子は初めてのセックスの前に「性交人」と呼ばれる成人男性とセックスをしなければならない法律“SP法”。そんな法律が当たり前に存在する日本。SPを受けたくないユウキは、彼女のアヤカが“ヤマダパイセン”に狙われていると知り、決断を迫られる…。
初見はいい設定だなと思った。つまるところ「男性は女性に挿入する前に挿入される側の傷みを知れ!」というメッセージ性を一種のディストピア設定にうまく落とし込んでいると感じたからだ。
主人公はSP法を倫理的に問題がある制度として問題視し強く反発している。しかし彼には彼女がおり彼女と愛情を深めたい=セックスをしたいという欲望は持っている。しかしヤリチン先輩が彼女を狙っていることを知り、SP法クソクラエという自分とセックスしたい自分の間で懊悩し暴走、性交人とのSPから逃亡しして彼女を押し倒すも拒否される。拒否された主人公は彼女に「お前はいいよな、好きな相手とヤれるんだから。俺は知らないオッサンとだぞ」と叫ぶ。しかし最終的に性交人とのSPに合意し彼女の前でSPを受ける。
暴走し「お前はいいよな、好きな相手とヤれるんだから。俺は知らないオッサンとだぞ」と叫ぶ主人公ばかりが取りざたされているけど俺は最後の性交人とのSPに合意する主人公のほうが問題がデカいと感じている。
好意的に「痛みを分かち合うことを選んだ」と解釈することも可能だが、でも、これは明確な不同意性交では?
最愛の彼女と強引にセックスしようとするも拒否され、法律も破ってしまっている。この状況で性交人とSPすることを拒否できる人間はほぼいないと思う。そういう状況での「同意」のことを「不同意」というのでは。少なくともこれを成長と捉えるのはあからさまな欺瞞に思える。
そう考えるとこのSP法という設定自体が「法律による不同意性交」なのではと思う。本人の意思に関係なく制度として性交せざるを得ない立場に追いやられてしまった状態での性交そのものだからだ。
個人製作のディストピアSFではあるのだが設定や作り込みが細かくCM、MVディレクターだけあって映像作りも抜かりがない。その中で明らかに意図して「これが女性が受けている辱めだぞ」というのを男性側に転写するミラーリングが行われており、この手のミラーリングの中ではうまく機能している方だと思う。
例えば「主人公がSP法をうけようかと考えていることを家族が知ったときに赤飯炊きたがる」とか。
ただ、俺が男性だからかもしれないが「全男性が法律で不同意性交を受けなければならない」ほど現実世界で男性は酷い存在だろうかと感じてしまった。もちろん、男性による不同意性交の被害にあっている女性は少なくないと思う。そのために「痛みを分かち合う」必要が叫ばれるのはわかる。しかし、ここまであからさまに急な勾配を付ける必要があるか。
そして、SP法には倫理的に問題があると発信し続けていた主人公が暴走し「お前はいいよな、好きな相手とヤれるんだから。俺は知らないオッサンとだぞ」と叫ぶ衝撃シーンのせいで見る人の多くが「SP法どうかと思ってたけど、やっぱ必要かもなぁ」となると思う。実際そういう感想も多い。
でもそれって「男性は去勢しろ、それに反対するやつは犯罪者予備軍だから余計に去勢しろ」と何が違うんだろうと思ってしまう。少なくともこの展開のせいで「SP法という不同意性交」という視点は消え去ってしまったのではないか。もっと言えば不同意性交という問題そのものが矮小化されてしまったのではとも感じた。
SP法自体も結局「予防接種」みたいになっちゃってんじゃないのという感じもする。注射針を腕に突き刺す行為って医者以外がやれば普通に傷害罪(まぁ実際には医師法違反だろうけど)が適用されるわけでしょ。でもみんなそれが普通のものとして受け入れてる。
もしくは割礼とかね。稚児が大人になるために親がチンコの皮むいたり切ったりするやつ。今やったら極めて恥辱的な行為とみなされるだろうけど、当時の子供は「大人になるために当然の行為」として受け取っていたと思う。
実際、主人公以外はSP法に対して特に何も感じてないし、なんなら「そろそろ大人になっときますか」くらいの感覚でSPしている。その結果、主人公の彼女を狙うヤリチンみたいなのが普通に存在する社会になってる。「規則って本質が失われがちだよね」という皮肉として捉えることもできるが「SP法」という舞台装置を設定した割に社会の本質は変わっていないように見えて「男性は女性に挿入する前に挿入される側の傷みを知れ」というメッセージ性がめちゃくちゃ薄まってる感じがした。
なんなら「男は女とヤるためならケツほられてもいいと思ってる」という謎の新偏見を生み出す可能性もあるのではないかと思った。
つまるところこの映画の目的が「啓蒙」なのか「復讐」なのかという話だ。
監督は14歳の時にノリでホモセックスを行い挿入された際に強い恐怖を感じ「挿入される側の恐怖を知った」というのがこの作品の原体験であると述べている。なのでこの作品の目的がその「復讐」であるならすべては納得できる。貴様ら全員掘られる恐怖を強制的に味わえ!というものであればこの設定になるだろう。
でも、そうではなく「男性側にも挿入される恐怖を知ってほしい」ということであれば、それを「制度」に託すのは失敗だったと思う。不同意性交と同じく、制度によって挿入されるという行為から、おそらく本当の意味での、女性が必要としている「共感」を得ることはない。
なんなら「制度」という強固で冷たい仕組みに組み込むことで男性が受ける挿入は「法律で定められている行為」であり、女性にする挿入とは別のものだという意識の分断が起きることは想像に難くない。その上「挿入されるという儀式を行った以上、自分には女性に挿入できる権利がある」という過激思想が生まれないかという不安すらある。
そういう設定でよかったの?と強く感じた。
総合すると設定はめちゃくちゃ面白そうなのに展開がそれについてきてない。そしてその設定も「面白そう」だけど本当に「面白い」かはよく考えてみると疑問。