2025-09-13

3.11の時

大学春休みでチラシ配りの短期バイトの予定が午後から入ってた。お昼頃アパートのベッドに腰掛け携帯父親通話していて、このあと出かける、みたいな話をしていた。大きな縦揺れになって、普段地震とは違うことは明らかだった。揺れている最中から父が何度も「通話中でよかった、この大きさだとこのあと多分通じなくなるかもしれないから」と言っていた。とにかく早めにお金をまとめておろすこと、そして食べ物買い溜めしておくようにと言われた。

部屋は特に崩れたりせず、縦揺れなんて初めてだったなと驚くくらいで、普通にバイトの集合地点にむかって歩きながら、しか電波が飛ばずバイト先の仲間と連絡が取れなかった。お互いメアドは知らず電話番号だけ知っていて、当時LINEは普及してない。雇い主とは連絡が取れた。向こうからかけてくれた。「とりあえず、連絡が難しい状態から今日はなしで!」ということを言われた。そのバイト仲間の車で複数人で移動する予定だったからそうするしかない。雇い主もバイト仲間と連絡が取れないらしかった。今思うと携帯同士では繋がりにくく、どちらかが有線電話だと繋がりやすかったのかな。

そのままの方向にあるATMに向かって歩きながら福島帰省していた友達2人に大丈夫?とメールを送った。(今なら相手の状況や電池のことを考えてメールは送らないです。当時は災害の規模がよくわかっていなかった上に無神経でした…)すぐに返してくれた子は「かなり揺れたいま親とテーブルの下に隠れてる」と言ってた。ATM奨学金から7万円くらいおろして、スーパーに寄って帰った。(手数料からない銀行は遠かったので緊急事態から今くらいはいいかと…)

どう連絡を取れたのか覚えていないがその日の夜私の部屋に友達が遊びにきた。朧げな記憶なんだけどお互いに携帯auで、au同士だとギリメールできたんじゃなかったかな。それか、もとから約束していたか。もしくは直接アポなしで来たのかもしれない。家近かったから。

夜になったあたりからテレビで少しずつ被災地映像が流されるようになった。

津波に飲み込まれた街の映像に、衝撃を受けるよりも現実離れしていて本当に起こっていることと思えずボンヤリしてしまった。ふたりで「映画みたいだね」と話した。

しか報道原発事故の要素が加わり、火事の様子も画面に加わるあたりから友達は血の気が引いていた。彼女実家こそ沿岸部ではないが福島出身の子だった。やばい、どうしよう、どうしようと呟き出した。

家族メールはできるけど電話ができない、みたいなこと言っていた気がする。いやメールも途絶えていたのかのかもしれない。

万が一のためにあると便利だからと私の親が設置してくれていた小さい子機みたいな有線電話を貸してみたら親と繋がったみたいで感謝された。私ではなく親のおかげだけど、その日私はその友達気持ちそっちのけで「つまらないもう春休み帰省ようかな」とずっとうだうだ言っていて不謹慎だし失礼だったので、あれで相殺になったと思いたい。電話が通じて安堵の様子の友達を見てうちに電話をつけてもらっていて良かったと思った。

そのあとも一緒にテレビを見てて実感が追いつかないなりに甚大さにこれはなんか…と途中からテレビ番組を録画したし、意味ないけどデジカメテレビ液晶を撮ったりした。水の上で火が燃え広がってそれがさらに流れているのがやばかった。

後日、私の実家停電してガスもとまって浴槽に水を溜めているしガソリン調達も大変ということで帰省どころでないことがわかった。そもそも新幹線がしばらく運休になったので帰りたくても帰れなかった。

携帯電波が戻らず、しばらく代替機を使っていたけど、もう使っていた機種の電波?のサポートauも諦めることになったとのことで安く別の機種に変えることになり、高一から使っていたW51P(https://youtu.be/GbMyYIm3_JA)とお別れすることになった。変えた先もガラケーだったんだけどこの時スマホに変えていたら学生生活ちょっと違っただろうなと思う。

運転してくれるはずだったバイト仲間は次の年のチラシシーズンに再会し、聞くと実家気仙沼浸水してしまったとのことだった。

春休みが開けると友人たちはみんなぽぽぽぽーんって言ってた。

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