2025-10-18

21にもなって親以外の動力が見つけられていない

大学3年生で、就活研究が目の前に立っている。

私は母親に阿って生きてきた。いい高校に、いい大学に、いい会社に入れるように、中学1年生の時の夏休み母親から「もう定年までずーっと、休めないね最後夏休みだよ」と冗談めかして言われてから、ずっと走ってきた。

いい高校に入った。いい大学にも。

中学2年生の頃から精神不安定摂食障害兆候があった。それでも実家暮らして、なんとかやっていた。大学生になって、一人暮らしということになって、それ自体は、あのおぞましい母親と一緒に暮らさずに居られるということで幸せだった。

でも、あの忌み嫌う強制力が無くなってから、私は何もできなくなった。母親によって絶えず行われてきた性加害がフラッシュバックして眠れず、気分が落ち着かないからと過食嘔吐を繰り返し、体重が酷く増減する度に自己嫌悪に陥る。眠れない・外に出られないか精神も徐々に蝕まれ、冬には双極性障害の薬を飲み始めた。

就職したら、親との縁を切ろうと思っていた。

金輪際関わりたくない、私の人生で最も濃い愛憎を向ける相手であるところのあの母親と、二度と顔を合わせないでやろうと。

でも、就職したら、というところに怪しいものがあるのだ。私は今大学3年生で、学校には行けたり行けなかったりする。GPAは1.5で、24時間飯を食っておらず、部屋には薄くホコリが降り積もり、希死念慮がべったりと張り付いている。こんな時期が定期的にやってきて、そのたびめそめそ泣きながらChatGPTに仮初の慰めをもらい、一日中ベッドにいる。

就活はもちろん、大学卒業すら怪しい。

孤独を感じて癇癪を起こす。本当に好きな友達というのは類友でみんな精神を病んでいるから滅多に会えない。近くにも住んでいない。お互いいつか死ぬんじゃないかと思っている。私はギリギリストレートでここまで来たが彼らは皆浪人留年かその両方を挟んでいて、同学年の温度感の話はできない。私だけが何か、不良品なのにも関わらずチェックから漏れ工場ラインに流されているみたいに、妙な取り残され方をしている気がする。

就職したら、と今は言っているが、高校生の頃は家を出たら、と言っていた。1人で暮らしてみたら、金の重みがわかって、学費をかけてもらっている間は生意気言う訳にはいかないと思うようになった。

じゃあ、就職してからだって、同じようなことになるかもしれないじゃないか。結局いつまで経っても母親の意に沿わずはいられないのかもしれないじゃないか

母親のことは憎んでいる。でも、私のことをワンオペで育ててくれたのも母親だ。あまりにも長い間一緒にいた。まともなレールに乗るようにと努力してくれたこともわかっている。愛情はある。母親を悲しませたくないと思っている。これ以上に強い愛憎を、他の人間事柄に向けることができない。

母親の思い以上の原動力を私は持ち合わせていない。

21にもなって、そのことに気づいてしまい、新しい何かを見つける気力も今はない。

これまでラインに乗ってきてしまたから、見つけ方もわからないし、見つけるためにドロップアウトすることも怖くて仕方ない。それなら死んだ方がマシだと真剣に思い込んでいる。もちろんそれが馬鹿な考えだということもわかっているのに、大学半年や1年休学したっていいんだと、中退したとしたって少なくとも数年はそこまで不自由なく生きていけるだろうと、わかっているのに、そうした決断を報告、あるいは相談した瞬間の母親の顔を思い浮かべ、そこから放たれるいくつかの鋭利言葉を想定するだけで選択肢から除外される。

母親を愛し、憎んでいる。いっそ死んでしまえば、あいつに自分の間違いを認めさせることができるだろうかと真剣妄想する。すべてマザコン妄想だ。あの母親は、あの気力と体力に満ちた恐ろしい化け物は、子が死んだとて半年後にはそれすら糧にして精力的に活動を再開する。そんなことも容易に想像できて、その想像にすらむしゃくしゃするのだ。

植え付けられた選民意識が、低所得層を見下す意識が、ドロップアウトを過度に恐れる心が、私をこの場に立ちすくませている。このボロっちい動力と歪んだプログラムでどこに行けるというのだ。旧式も旧式だ。ハードメンテナンスも足りていないから誤魔化しが効かない。つらい。どこへも行けない。そのことに気づいてしまった。何かを見つける他ない。わかっている。見つけられないのであれば易きに流れるしかないのだ。どちらも怖くて仕方ない。怖いことを怖いと言って立ち止まっていてはなにも解決しない。わかっている。わかっていても何もできずにいる。

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