2025-11-04

都会人の傲慢

タイトル主語がでかくなってしまった。だけどなんとなく皆感じていることだと思っている。

自分高校卒業まで都内区部からほとんど出ず、大学でド田舎の山の中に4年、就職で戻ってきて今に至る。このド田舎生活4年間がなければ、自分傲慢さは永久に剥がれなかったんじゃないかと思っている。

頭では日本全国に人間が住んでいることはわかっていた。実際に行くまで本当に人がいることがわからなかった。

世界視野も狭すぎたんだね。

同級生があちこちの山の中に住んでいて、片道1時間歩いて登校していた話がここで初めて現実になった。今は熊が話題だが、その危険が本当に身近なことを知らなかった。

閉塞感も凄まじかった。四方を山と急流に囲まれ公共交通もろくに発達しておらず、1人1台の自家用車がないと買い物すら困る。都内に気軽に行けないなんてもんじゃない、行く手段がとんでもなく限られていた。

当時の自分は「何故こんな不便なところに人間が住むのか?」と理解に苦しんだ。ただ人間慣れるもので、4年もいればそこそこ環境には困らなくなった。慣れるまでに3年10ヶ月くらいかかったけど。

そんなこんなで4年間過ごし、帰ってきた今自分は再び「田舎」が生活の場であったことを忘れかけている。

熊のニュース見てもあんまり響かなくなってしまったし、人口減少で様々なサービスが縮小される話を聞いても「ふーん」としか思えなくなってしまった。

当事者にならない限り、自分事として捉えるのが難しい。

多分外野からやいのやいの騒いでいる人間、大半はこんな感じなんじゃないかな。その土地で暮らすことを知らず、知ろうともせず、今の環境に甘んじている都会人。自分はまあ、おつむが弱いから忘れていってしまったけど、都会の人間が都会に戻ってきたら多分こうなっちゃうと思うんだよな。

期間限定田舎暮らしなんて、正直役に立ったわけじゃないし。

でも田舎生活した期間があったから、まだ「田舎共感すること」自体は忘れていないと思う。

ああ熊大変だよね、自分生活してたとき大学構内に出ちゃったことあったな、みたいな。

「ふーん」としか思えなくなっても「そういえばあの時ああだったな、今はこうなってるのか」って変換はできるというか。

結局愚か者経験からしか物事を学べないんだから、何事も経験必要だったってお話でした。

上手く最後がまとまんなかった。

  • 本当の愚者は「経験からしか学べない」ということにすら気づかない 距離走行税なんかも田舎の車社会を知らない人間が霞ヶ浦のビルで考えたもの 何も知らないし知ろうともしない そ...

  • 田舎の人間かて都会の困りごとに共感してないやろ

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