2025-11-08

本業で償う?

クリエイター芸能人不祥事犯罪を起こした後に、これから本業で頑張っていい仕事をして信頼を取り戻していきたい、みたいな弁明をすることがある。

言うまでもなく、本業での実績と不祥事犯罪の償いは関係がなく、どれだけ良い作品を出そうが素晴らしいパフォーマンスをしようが罪が軽くなることはない。明確な被害者がいるケースなら、表舞台で華々しく活動する姿を見せつけられることは、むしろ二次被害にさえなり得るだろう。

ファンでもない一般人から見れば完全に的はずれなコメントであり、当然ながら多くの場合顰蹙を買うことになる。

分かりきった結果なのに、なぜこんなコメントが繰り返されてしまうのか。話を逸らすにしてもあまりに下手すぎるのではないか

ずっと不思議だったのだが、最近ふと思った。これだけ似たような発言が重なるということは、あれは実は誤魔化しでもなんでもなく、彼らクリエイター芸能人の紛れもない本心なのではないか

創作パフォーマンス自分人生の中心にありすぎて、その他の全ての物事価値も、本業との関係の中でしか実感できないのでは。その感覚のまま素直に謝罪すると、ああいコメントになるのかもしれない。

そこまで極端に仕事にのめり込むからこそ優れた作品も生まれる、という側面はあるだろう。一方的コンテンツを受け取るだけの消費者としては、その意義を全否定するのは難しい。

だがそれでも「本業で償う」系コメントに対する、そういう問題ではないのでは?という違和感は拭えない。

他の例としては、クリエイターなどが倫理的批判を受けた際に、批判者(特に同業者)の動機自分の実績への嫉妬であると無根拠邪推することもある。これもまた本業絶対的基準とする価値観の表れであり、「本業で償う」よりも悪質性の高いケースといえるだろう。

極端に言えばその延長線上には、

『サ○人を犯しても歴史的な大傑作を書けばチャラ』

があり、そういう価値観を持つ人間と同じ社会に生きることには、強い恐怖を覚える。

本業の重みが乗せられない天秤もある、という常識を、今一度しっかり再確認するべきではないだろうか。

  • 介護ボランティアが一時期流行ったけどな 薬物中毒のアレとか

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