新しい音楽を聴いて「これは好き!」「あまりピンとこない」と感じるのは自由なのだが、政治・経済・社会を語る時に、音楽と同じような感覚でお気持ちを発するのは違和感がある。
自分自身の反応を観察しても、ニュースを見た時に、いわば条件反射的に感情が動くことがある。
なぜかと考えると、大体は「事実認識が足りないから」「判断するだけの情報を持っていないから」ということになる。
物事を判断するには情報が必要で、それが足りなければ「勘」、それまでに蓄積してきた関連する物事から想起して、イメージで判断するという方法しか無くなる。
その直感をブーストするのが感情で、特に怒りや正義感、嫌悪感などが、ただの勘を正しさに錯覚させる。
これを避けるには、まず感情を横に置いておいて、事実の整理を行うことが必要だろう。
たとえば、「現政権が防衛費の増額を進めようとしている」というニュースがあり、「よく言った!」または「いや、ダメだろ…」という感情が生じるが、その根拠は何だろうか。
ここで考えるべきは、「現状で適切な防衛費はどれくらいなのか」という点で、これを数字的に説明できない場合、それは感情的な意見と言えるのではないか。(もちろん数字だけではなく、法制度視点や歴史認識など色んな視点があるだろうが、例として。)
もちろん、数字を理解したとして、そこから個人の判断は分かれる。地政学的なリスクを重視する人もいるだろうし、産業的な発展性を、国体を、国際協調を、国民感情と統率を重視する人もいるかもしれない。
しかし、少なくとも数字からの現状理解が共通していれば、相手が何を重視しているか、そのポイントが自分とはどう違うのか、またそれをさらに数値化して判断可能なのか?というように、論点が明確になる。
ありがたいことに、チャットAIはこうした現状理解をざっくり行うには最適なツールなので、まず聞いてみるということができるようになった。(もちろんチャットAI自体の問題、リスクは別にあるが)
わいは政治評論家としてはまだまだや…言うてるだけで、主権者としてはそんなの要求されてないわけだが。 一匹一匹は脊髄反射のアホでも束ねれば集合知としての民意が立ち上がって...
自分も民主主義者だけど集合知には期待してないなあ 頭が良くなるシステムではなく価値観の違いを妥協するシステムと思ってるので
その妥協を一段上から見たら個人のグッドアイデアより全体最適にかなうやろというのを「集合知」と呼んでるんだよ
何が最適かってのが価値観によって違うので それを集合知って言い替えても言葉遊びにしか見えないんだよねえ
でも増田は集合知というよりは集合恥ですよね?
価値観は人それぞれだろーとかそういう個別の話してねえんだよ。 偉大なる将軍様のご英断よりボンクラの集まりの判断のほうがマシだと信じられないなら「民主主義者」を自称するな
将軍様とぼんくらは価値観が違うんだから将軍様個人の判断を絶対視なんかするはずないだろうに むしろありもしない全体最適の存在を信じてる方が何らかの絶対的に正しい一つの価値...
「全体最適」は単に「相対的にマシ」って意味でしかないのは明らかなのに、勝手に「最も正しい答え」みたいにハードル上げた上で「そんなのありえない!」と落とす、アホがくやし...
基準がバラバラでは相対的にマシかどうかの判断さえできない事くらい理解しようや
このツリーはアスペの群れって感じだな。 ちょっと適切でない単語選びをみたらその字面に固執して本筋と全然違うところに拘って戦ってるアホ。
集合知はゴミになると、既にはてなブックマークが証明している!
それっぽいことを言うと、あっさり煽動されるからな……
民主主義より権力分立の方がはるかに大切やわな 司法に市民感覚wとか導入してもあんま意味ないんよ
そもそも言動(もちろん増田に投稿するのも含む)いやそれ以前に何か思考することすら感情表現というかそのものではないか阿呆らし