はてなキーワード: 私宅監置とは
もし、どうすればよかったか?と聞かれたら
「見に行かなければよかった」と、答えるし
監督にそう聞かれたら、
「あんな映画作らなければよかったし、もし作っちゃったのなら公開しなければよかったのに」と答えると思う。
以下、その理由
そもそも現在、ホームムービーを撮りますとか、映像の勉強のためとかで回した素材を編集してドキュメンタリー作品にするという手法はありなのか?という問題
作者の両親や姉はそのことを理解したうえで許諾していたの?
文書で許諾を得ていたの?
作品の後半でやたらと姉のピースサインがでてくるが(ラストシーンもピースサインかな)、姉はかわいい弟がホームビデオを撮ってくれていると思ってピースサインしているから切ない。
ドキュメンタリー作家として致命的なのは、作者は「記憶」と「記録」の違いについて理解していないこと、
納棺のシーンで、父親が論文を入れようとするところを、父親の異常な行動として「記録」している
父親は、自分と同じ医学研究を志していたという「記憶」の中の娘として送り出そうとしているんですよ、きっと
長い髪がきれいだったという「記憶」の中のお姉さんと見送るのなら、化学療法でぬけてしまった頭に帽子をかぶせるのではなくて
ロングのウィグでもかぶせてあげればよかったのに、そういうところ
「記憶」が偽で「記録」が真ではなく、また「記憶」が邪で「記録」が正ではない
作者は姉の異常なところばかり撮ろうとして、また異常な言動を引き出そうとしてインタビューについてもそうしたものしかしない、
しかし40年ちかく暮らしていたその生活の中身、楽しかったこと、幸福だった側面そうしたものはあったはずで、それが伝わってこない、
玄関に鍵が!とか騒ぐが、私宅監置とか座敷牢というのは、玄関の「外側」から鍵をかけるものです、
自分が「カリフォルニアから来た娘」であることの自覚がないのでは?
寄り添えていないから、見えているものにフォーカスできていない
退院後の部屋にカメラをかまえてずかずか入っていくのもいかがかとおもうが、その時ベッドのわきにあるごみ箱に注目できていない
あの位置にゴミ箱があるとき、自分だったら「薬の副作用などで吐き気があるのか」とか、まさかだがここで用を足しているのかとか考えますね、
統合失調症は大変な病気ではあるが、肺がんのステージ4というのはそれ以上に深刻な病気
ステージ4まで気づけなかったことに対する反省とか後悔とか何もないの?
お父さんの「失敗したとは思わない」とかいう言葉、これは重い、ある意味真理をついている
障害のある子どもをかかえる親にとって、健康に留意して子どもより長生きをして、子どもの葬式をだしてやるというのは一つの成功パターンですよ
作者には理解できないことかもしれませんが、
精神科の長期入院は悪いということになっていて、医療関係者などは
「短期入院で退院して、またなにかあったらそのときに入院して治療すればいいのです」などと言う
なにかあったら、の中身については触れない
深夜にマンションの隣の部屋のドアを、ダンベルで何度もたたく(本当にあった)
近所のスーパーに行って、幼稚園児を蹴りケガをさせた(これもあった)
家族とケンカをするたびに、110や119に通報する(これもよくある)
地域住民が精神疾患に対する理解がないから受け入れてもらえないと言われるけれど
日本の精神医療はライシャワー事件で大きく変わったと言われるが、どうなの?
「疾患」であるなら治療すべきだし、「障害」であるなら直すことより抱えていても、より幸福に生きていける道をさぐるべきだし
なんの予備知識もなく鑑賞したがガッカリな内容だった。ただただ薄っぺらい。意味のない無駄カットが多すぎる。そして、やたらナレーションや説明が多い。NHK『ノーナレ』千本ノックしてほしい。
「狭いところに閉じ込められてカワイソウ」以上のメッセージをわたしは受け取れなかった。さらに、アフリカの精神障害者は野外に鎖で繋がれているだけなので開放的というエピソードは一体なんのために挿入されたのかも意味不明。
この映画にはたくさんの精神障害者の顔写真と名前が出てくるが、ご本人やご遺族の許可が取れているのだろうか? 遺族の上映許可なく「この人は精神障害者で私宅監置されていた」と映画にしたなら、これは大規模な公衆アウティングであり重大な人権侵害だ。
事実、一部の遺族から無許可および事実誤認について異議申し立てがあったそうだ。原監督は「公表したのは名前だけで苗字を含まないから特定不可能」だという。地方の部落では同姓も多いからお互い名前で呼び合うのが普通だ。都会の人には想像すらできないだろうけれど、そこには隣近所のプライバシーや匿名性のない濃密な社会が存在する。映像内で第三者の「帰りたくても帰れなかった」という表現(事実誤認)は、インタビュー形式であればその発言の責を逃れられるという意味でそのまま残したのか? (わたしは初見だが、このインタビュイーの発言を事実として受け取った)
こうした遺族の異議申し立てによって、文化庁の上映会が延期されたそうだが、かかる人権侵害の申し立てがあれば主催する上映会の一時差し止めが常道であろう。それを遺族からの「クレーム」問題と捉える姿勢は悪質。原監督が「国家権力による言論封殺」と述べた時にはズッコけた。
現代社会の精神障害者が置かれている立場や精神科医療問題、さらに法整備への問題提起とはならなかった。むしろ、歴史上の「沖縄カワイソウ」にフォーカスし、精神科入院病棟があった本土や台湾などを上位づけするのは、現代につながる精神科病棟の諸問題(例えば医療保護入院や社会的入院など)を正当化するに等しく大いに誤解を招く内容だった。