2025-04-30

“寝た子(版元)を起こすな”論の限界について〜S乃氏を添えて

“寝た子(版元)を起こすな”論の限界と、創作文化社会資産になった現在責任について

「版元を巻き込んで論争になると(二次創作文化が壊れるから、黙っていろ」という論を時折目にするけれど、本当にそれでいいのだろうか、と思っている。

S乃氏の件で発生した議論は、彼女行為のものよりも、むしろその周辺で浮き彫りになった「ルールに触れるな」という空気の方がよほど気になっている。

かに批判通報拡大解釈されて、過剰に取り締まりが強化されることは望ましくない。

けれど、それを理由に「触れること自体タブー視する」ような方向に進むのは、健全文化運営からはむしろ遠ざかるのではないだろうか。

そもそも、いま日本コンテンツは、国の外にも広がって、世界中市場流通している。

アニメマンガゲームキャラクター

それらはもはや「サブカル」ではなく、輸出可能経済資源であり、知的財産としての扱いが世界的に問われる存在になった。

にもかかわらず、依然として「ファンがわかってくれればいい」とか、「自浄作用でどうにかなる」といった、暗黙の了解に頼っている現状が、果たしてこのフェーズにふさわしい態度なのかは疑問が残る。

いつまで“わかってる人だけ”で界隈を回していられるのだろうか?

二次創作ファン活動が支えてきた文化であることは間違いないし、それらを大切に思う気持ちもよくわかる。実際私もその恩恵に預かっている。

しかし、「守りたいから黙っておけ」という姿勢が、結果的に“何も問われない”“線引きされない”空白を生み、そこに過剰な商業利用や不信が入り込む土壌をつくってしま可能性がある。

特に海外ファンメイド文化が盛んだし、日本IPコンテンツと似た性質を持つ、韓国K-POP界隈ではすでにそのリスク顕在化している※1

いや、日本コンテンツもそうなんだけど。

誰でも、どこからでも作品を知り、使い、時に無断で販売・展開することができる世界において、黙っていれば収まるどころか、黙っていること自体が「ルールがない」と受け取られる危険すらある。

対照的に、任天堂ポケモンのように、早くから国際展開を見越して著作権ブランド管理を厳格に行ってきた企業は、今も安定してグローバル市場で戦えている。

逆に、日本式の曖昧な“空気”や“配慮”だけでやってきた界隈が、国際基準でのトラブルや不信に晒されたとき、その矛先は一部のファンではなく、文化全体の信用に向かうかもしれない。

ファン自由創作と、版元による権利保護は、本来対立するものではない。

両者の信頼関係が成り立つには、黙認ではなく、明示的なルールや許容ライン必要で、そのラインを“問う”ことは、むしろ文化を守るために必要行為だと思う。

S乃氏の行動も、「これまでは見逃されてきたけれど、今後もそうであるべきか」は、議論されるべき段階に来ている。

誰かの善意結果的文化の傷にならないように、ルールや枠組みを見直すことは、“界隈を壊す”どころか“守るために必要成熟”なのではないか

※1

新大久保の、ほとんどの店で売られているK-POPアイドルグッズは、8割が模造品で、その収益は一切運営に入らない。

それでもまだ、“正規品を買うこと=忠誠・推しへの貢献”という価値観が強い日本はマシな方だ。

日本以外の国ではグッズが売れない現実がある。

  • 世界で売れてるからこそ、今まで培ってきた文化に変に手を入れるべきではないんだよ グローバル化したものは残らずおかしなことになった ガラパゴスなんて言われるのは、ガラパゴス...

    • ロータリーエンジン「せやな」

      • それを例に出すならロータリーエンジンにどんな手を入れるのが良かったんだと思う?

  • 堅そうに見える法律の条文は、あえてグレーゾーンが残るように設計されている。なぜなら、明確にすると社会が回らなくなるから。 ルールてのはそういう面があるんよ

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