はてなキーワード: 券売機とは
令和だぜベイベ
この記事の人とは別人だぜ
https://anond.hatelabo.jp/search?word=paspy&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
特に旧市内なんかはわりと同じルートを複数のバス会社が通ることが多くて、「来たバスどれに乗っても目的地に着く」ことが結構ある。
のだけど、PASPY終了に伴って「広電とそれ以外でICカードの取扱いが違う」なんてことになったものだから、一定数の乗客が「いちいち覚えられんわ。現金ならどのバスでも払えるんでしょ? じゃあ現金で払うわ」ってなってる。平日昼間の利用者が少ない時間でも目的地に着くまでに一人は現金払いしていく人を見るレベル。平成か?
そしてバスは遅延する。
2025年3月まで広島市内で一番大きな顔をしていたローカル交通系ICカード。
広島電鉄(広島でたぶん一番つよい私鉄系交通会社。路面電車とバス)、広島高速交通(通称アストラムライン)、広島バス、広島交通(路線バス)など広島市内のほぼすべての公共交通機関がPASPYでの乗降車に対応しており、使い方も乗るときと降りる時にリーダにかざすだけ/入金も車内、窓口、券売機などで現金支払いのみと単純明快。老若男女に優しいシステムのおかげもあってか累計で約210万枚発行されたらしい(含県内全域/他県での路線バス会社等)
(なおJRはサービス開始当時から終了まで一貫してPASPY非対応。しかしカープの本拠地ズムスタはJR広島駅が最寄り駅である。よってJR用にICOCAとPASPY2枚持ちの広島市民もまあまあ多い。)
対応ICカードをICOCAに一本化してほぼこれまで同様の運用を続ける。
自社の独自規格電子マネー(モビリーデイズ)を導入。スマホでのQRコード決済のほか、独自ICカードのダブルシステム。
利用方法自体はQRコード/独自ICカードを乗降車時に専用端末にかざすだけなので別に難しくはない。
ただしQRコード、独自ICカードともにクレカor広島銀行の口座のいずれかと紐づけ必須。口座からのチャージは都度25円の手数料が発生する。
従来どおりICOCAやSuicaの利用も可能だが、乗車時に整理券を取る→降車時に運転手に整理券を提示し、料金を確定してからICカードをタッチとかいうクレイジーダイヤモンドな運用をしている(タッチは降りる時の一回のみ)。令和だぜ?
結局26年春をめどにモビリーデイズの読み取り端末を交通系ICカードに対応させる予定らしい。
(要は従来PASPYでやっていたのとほぼ同じ運用ができるようになるっぽい)
モビリーデイズを利用すると運賃割引があるんだけど、正直ローカルな交通系ICカードにクレカやら銀行口座を紐づけさせるのってちょっと負担が重いので増田は利用してない。そうなると現金払いもめんどくさいし、他のICカードでももたつくし、今のところ選べるときは広電以外を使っている。たぶん従来と同じ乗り降りができるようになったらまた広電も使うだろうけど、マジでなんだったんだろう、モビリーデイズって。
とある地方の繁華街に、その地域だけの人だけしか知らないであろうカツ丼チェーン店がある。
そこは店の外の自動券売機で会計を済ましてから店内でレシート(食券)を渡す仕組みになってる。
券売機はQRだろうがクレジットだろうか現金だろうかなんでも来いのオールマイティだ。
ただ、そのせいもあって、日本人でも初見では操作に戸惑うシステムになってる。
そこにイタリア人観光客らしき親子連れ3人が、食券を買おうとして悪戦苦闘してる。
クレジットで支払おうとしてるようだが、どうにもこうにも上手く行かない。
しばらく観察してたんだが、全然うまく行かない。
そろそろ助けてあげようかと数歩歩み寄りかけたところ、
はたと立ち止まった。
でも、まったく助け舟を出す様子がない。
ああ、なるほどなあ。
要するに、この親子に入ってきてほしくないんだな。
と察して、いらんことはせずにおこう、と決めたのと、
イタリア人お母さんが、ガッデム!!のイタリア語版みたいな言葉を発しながらプンプンと立ち去っていったのが同時だった。
さいきん券売機のあるラーメン屋で導入してるけど、英語メニューと日本語メニューでそもそも金額が違うとかね
法事自体は問題なく終え、1泊して帰るまでに少し時間があったので時間を潰せる場所を探していたら見つけたのが中野プラネタリウムだった。
まだ小学生だった頃、夏休みの間は共働きだった両親の負担を減らすために私は母方の実家である中野へ預けられていたのだが、よく祖父が連れて行ってくれたのがそこだった。
何だかとても懐かしくなり、ふらりと訪れてみたプラネタリウム。
大人200円子供100円という破格の値段で驚きながら中へ入ると、おぼろげな記憶だが当時とまったく変わっていないように見えた。
部屋の中央へ据え付けられた大きな鉄アレイみたいなフォルムの投影機械。
…夏の暑い日、祖父に手を引かれて入場した記憶がよみがえり、ちょっと涙ぐむ。
しばらくして上演が開始された。
説明を聞いていて驚いた事に施設で使用されている機械は三十数年前、つまり私が祖父に連れられて来たあの日と変わっていないらしい。
「最新の機械だと星々を線で結んだりする機能が付いていたりするのだけれど、出来なくて申し訳ない」と解説員さんがちょっとだけ申し訳なさそうに言っていたが、とんでもない。
──つまり私は、祖父と観たあの日と同じ夜空を、同じ場所で、眺められているのだ。
そう感じたら空を見上げながら涙が溢れてきた。
偶然の思い付きで数十年ぶりに訪れたプラネタリウムでこんな追体験ができるなどとは思っていなかった。
少しだけ滲んだ星空を眺めながら、私は亡き祖父を偲ぶ事ができたのだ。
絶対にまた来ようと、そう誓い私は施設を後にして母方の実家へ戻る。
そしてこの話をしたら母が思い出したようにこう言った。
「あー…そう言えばおじいちゃん、『安いし涼しいし暗いから昼寝するのにプラネタリウムは最高』って言ってたわ」
なんと、かなり頻繁に連れて行ってくれてたのはそれが理由だったらしい。
おじいちゃんも意外にロマンチストだったんだなぁ…とか思ってたよ。
笑いながら昔話に花が咲いた。
何がラーメン屋として「上手く行くか」というゲームがチェンジされてしまった。
かつての成功とはのれん分けをガンガンやっていく二郎・吉村家スタイルだった
そうでなくても有名店として名を馳せれば十分だった
潮目が変わったのはせたが屋がファンドに買収された辺りからであり、大手チェーンが次々に株式上場を始めたあたりからだ
このころからラーメン屋も資本拡大が主流となり、いいラーメンを作るにしてもスケールメリットを出す必要が生じた
またつじ田の買収などラーメン産業が有望ベンチャー扱いされる日本の事業創出の終わりみたいな状況へ
実際最新シリーズでも出てくるラーメン店主の大半は複数店経営を行っている
そんなこと聞いたことないけど、と思って調べたが、過去やってたんだな。2007年。
Suicaイオカードから現行品への交換。多機能券売機に入れると交換対象だと言われてその場で交換できる。
今もこの仕組み生きてるのかな?
10時に髪を切りに行こうと思ったのに、家を出たのが10:40
1時間に1本のバスは使えなかったので新交通に乗車。めっちゃ人が多い。夏休み割増
ついたら並び1人でラッキー、と思ったら片割れの理容師がどこかに去って結局2人分待ち
5Fは東西直通通路がなく1F戻り、目的の建物で反対方向に行ってしまい往復
たどり着いたらそこそこ混んでた。
券売機では地域振興Payが使えず、やや混みの店内で口頭注文&QR読み取りで申し訳ない
素のラーメンを頼もうと思っていたが、詫びの月見ラーメンに変更。これが失敗。
クッサぁな豚骨ラーメンに生卵のクリーミーさが合わさると、嫌な臭さに変化。うーん。
時間が余ったので自転車で聖地巡礼をしようとしたら、道中の信号機がまさかの押しボタン式
炎天下で炙られる
聖地は今日は普通に展示会やってたので、サラリーマンが多かった
でも自分の乗った電車は、乗らなかった人も多かったので空いててよかった。
お書きください
3月に続けて、この連休も乗り鉄してきたので、また日記を増田に残そうと思う。
6時前の起床は目覚まし前に起きられた。夏なので暗くはなく、起きるのも困難ではないのだ。
横浜に出て、途中の行程を端折る新幹線切符をえきねっと経由の券売機で購入。
(券売機を直に操作すると、並ぶ列のプレッシャーが嫌なので、発券以外はえきねっとで済ませた。)
降りたところにはあまり選択肢が無かったので、自分には珍しくそばを食う。
窓側ながら眠くて大宮までは寝てて、あとはGoogleマップで現在位置を追う。
新前橋を過ぎれば遠方にこんもりとした山を見るが、吾妻線に入るとそこに挟まれた感じとなる。
橋で川を渡れば、岩に立つ白波が涼やか。強い光ゆえ緑の色彩も濃く見える。
小野上では採石がとれるようで、それを積む特殊車両が泊まっている。
中之条で山あいは開ける。それなりに人が降りるのは四万温泉に向かうのか。
トイレしたくて車両を渡ると、二人ほどロードバイクを持ち込む人が居てうらやましい。
岩島からは最近作ったろう高架橋で国道をまたぎ、長いトンネルに入る。これが八ッ場ダムによる新線なのか。
ダムの湖面が木々の合間にわずかに見える。その前方には急峻な地形に貼り付く国道。駅前にはキャンプ場もあるのね。
また長いトンネルとなり、トンネルではWikipediaの沿線概況を見て過ごす。
ダム下だからか、削り込まれた吾妻川を橋から見ては、長野原草津口でもごっそり降りる。
片面の行き止まりホームを見ては遠景を撮ろうとするが、時間が足りず。
そして、大前での折返時間は短いので、事前に車内で精算しておくようにとの放送。ここまで30人程度は残っただろうか。
羽根尾の構内も広い。それを過ぎると、シールドや木々に包まれては20km/hなんて看板まである。
強く減速し、災害の多いこと、そして線路の終わりも近いだろうことを知る。
万座・鹿沢口手前でも同じくらいの減速。
街は川向いにあり、駅前には旅館を示す剥げた看板と土産店。反対側にはバイクの集まるカフェ。
そしてさらにトンネルで、大前まで乗り切った。プツっと終わる感じの平面ホーム。
気持ちだけかもしれないが、降りても涼しく思える。見どころはけっこう多くて飽きない行程だった。
ロードバイクも組み立てている。
そして出発となるが、乗車証明発券機はなかったので、帰りの車内で切符を発券してもらう。
ひとりひとり処理するの大変だなあ。
また強い減速で始まる帰りは、長野原草津口手前で旧太子線の橋脚、その先では引上線として残る旧線がみつけられた。
川原湯温泉では今回も行き違いで、わずかに見える湖面に向け写真を撮る。
帰りはなんだか行き違いが多くて、ちまちまと停まる。
そして考えることもなく車窓を眺めていると、幸せすぎて「ずっとこのままで居たい」とさえ思ったりもする。
ちなみに、親は親で観光地に出かけたらしい。
じいさん、ばあさんの写真とともに撮った観光地の写真が送られてきて、
夫婦には子供なり老人なり慈しむ存在がないと、関係性が保てなくなるのかなと思ったりする。
そんな詮無いことばかり考えないよう、Vtuberの雑談を聞きつつ、平野が広がれば渋川に戻る。
まともなものが食いたく、今回は菓子パンで済まさず、中華屋で豚キムチ定食。
そして、飲み物買っての上信電鉄は建物のすき間を縫うような改札口。
車両は107系の改造らしいが、LEDはフルカラーで行先案内もディスプレイ化され、手間暇かかっている感じ。
でもトイレは不可か。
車両所には剥がれる古き車両も見て、街を抜けては新幹線下からねじるようにして川を越える。
スピードはゆっくりなのに、線路の整備がいまいちなのか、左右に振られて轟音がある。
車窓は吾妻線と比べると、山々に挟まれるというか囲まれるといったくらい。
住宅もそれなりに多く、昼間のワンマン運用ながら乗降は細かくある。
吉井からはひたすらまっすぐなのにやはりスピードは緩く、車両は揺れる。
上州福島はほぼ中間ゆえ、行き違い。駅舎はホーローの駅名標だったりしてそれなりに古い。
上州一之宮ではきついカーブから、同じ方向に折れた川幅を高いところから眺める。
そしてラストの千平からは、鏑川の渓谷と急峻な山肌に挟まれ、スリルさえ感じる空間をこわごわと進んでいく。
ここはさすがに相当(体感で20km/hくらいか?)減速するようだ。
山肌を回り込んでは下仁田駅に着く。
駅名標と山々を合わせて撮っては、車線もない駅前から5つものコミュニティバスが入れ替わりに発車する(列車に合わせるので当然か)。
乗り潰しは14時台ながら早くも終わりなので、折り返し便では帰らず、
バス待合室で時刻表の少なさ(6系統+南牧村便があるが、休日は4便ずつしかない。
乗合タクシーに至っては曜日運行!)をじっくり見ては、廃墟かわからない昭和な建物とか、
旅館がこんにゃく料理を出すとか、河原で人々が水遊びをする遠景を見るとかして駅に戻る。
上州富岡は名所に合わせてか、新しい建物で屋根が高く作ってあるのも知る。
行きは乗るべき列車があったから急いだが、帰りは急ぐ理由もない。
酒飲むかは迷ったが、暑さによって酔ったような頭のかすみがあり、辞める。
車両区には吾妻線で見た砂利運ぶ車両が複数居て、SLも構内で入れ替えしていた。
烏川を越えた光景には見覚えがあり、やっぱり一度来たことあるなと思える。
そして車窓も気になるのだが、暑さからの疲れで眠くなる。
こんなんではダメだと、短編で興味がキレギレとなるゆえ、まだ読み終わらない「異常論文」を読み出す。
「ザムザの羽」は感情的に来るものがあり、「論文」として並ぶ中では特に面白かった。
そして横浜は19時前であり、さすがに薄暗くなる。
帰っては速攻でシャワーを浴び、20時には楽しみな議席予測を聞く。