はてなキーワード: 冷房とは
大きいのは生活習慣。日本って昔から朝に家事や活動を始める文化が根強いから、朝日で部屋が明るくなる東向きが好かれる。洗濯も換気も朝にやる家庭が多いし、高温多湿だから午前中に乾燥させたい、みたいな発想もある。共働きが増えてから、この「朝が勝負」の感覚はむしろ強まってる気がする。
次にデカい要因が西日の暑さ。日本の夏は湿度も気温も高いので、夕方の西日は本当に凶悪。部屋は灼熱化するし、冷房は効きにくいし、カーテンも焼けるしで、正直メリットがほぼない。だから「午後は日が入らなくていい」=東向きがちょうどいい、となる。特に西日本では「西向きだけは避けたい」みたいな人も多い。
冬も日本は日照時間が短いので、午前中に光が入るのはありがたい。リビングが暗いと精神的にも地味にストレスだから、東向きでも十分な採光があるのは重要ポイント。
風水や文化の影響もある。「東=太陽が昇る方向=縁起が良い」という価値観が昔からあるし、広告でも「朝日の入るリビング」は定番のセールスポイント。この文化も人気を押し上げている。
さらにマンション市場の慣例も重要。日本では南向き・東向きが売れ筋だから、供給もそれに寄る。本来の利便性とは別に「市場がそういう価値観」を作ってしまっていて、南→東→西→北の序列が固定化されている。
じゃあ海外はどうかというと、国ごとに全然違う。例えばアメリカやカナダは南向き・南西向きが人気。日本みたいな湿気+夕方の殺人的西日があまりないので、単純に明るくて暖房効率が良い方が好まれる。
ヨーロッパも基本は南向き最強。特に北欧は冬の日照が少なすぎて、南向きじゃないと暗すぎる。地中海の方は夏が暑すぎる地域もあって、そこでは日本みたいに東向きの評価が上がることもあるけど、全体では南向き圧勝。
アジア圏(中国・韓国・台湾)は日本とかなり似ていて、風水的に南向きが最上で、次に東向き。西日は嫌われるし、高温多湿なので採光と換気が重視される。
あとで飲もうと思って冷蔵庫から出したヤクルトを逆さにしてこたつの上に置いている。独立洗面台のなかった1Kに住んでいた頃の名残で、部屋で髪を乾かす習慣が抜けない。つい数週間前まで冷房をつけていたというのに、もうこたつでぬくぬくとしている。最後に冷房つけたのいつだっけ?毎年記録しようとして忘れる。今季初めて息が白くなった日は記録に残せるけど、日常生活でこれが最後だと思いながら何かをすることはあまりない。
今まで生きてきて、何度か文才があると言われたことがある。学生時代の自由作文と、はてな匿名ダイアリーがTwitterの知らない人に呟かれてバズった時。どちらも匿名だった(前者は作者を伏せて先生が朗読する形式だった)。小学生の時には作文は大嫌いだったし、大学では理学系に進んだのでそういうのとは縁遠い方だと思うけど、思い返せばマニュアル作成を任されがちだ。ちなみに卒論のときにはちゃんとボコボコにされている(理科系の作文技術にはお世話になった)。それはさておき、言われてみると「文章うまい」「文才ある」ってなんなのか気になる。
一言で言えば「読ませる文章」だというのは理解できる。技巧じゃないんだ!気持ちだ!またはセンスだ!という言説もわからなくもない。いややっぱりわからない。「自分運動のセンスないから」って言う人は言い訳してるように聞こえる。もうちょっと具体的な言葉を使っていれば言い訳には聞こえにくくなるのになーもったいないなーと思う。印象はいい方がいいから。どういう要素があれば/なければ文才があると言われやすくなるんだろう。あったからどう、ってわけじゃないけど、強みっぽく言えたらそれは強みだなと思う。
なんか今日はあまり筆が乗らなかったな。がーっと勢いで書いたときのほうが良い。書きたいものが先行しているから当然ではあるけどね。
日本銀行は30日の金融政策決定会合で、6会合連続で利上げを見送った。米国の関税政策の影響をなお見極め、高市早苗新政権ともコミュニケーションを図っていく考えだ。一方、高市氏が後継を自任する安倍晋三・元首相の経済政策「アベノミクス」を理論面から支えた浜田宏一エール大学名誉教授はいま、利上げを主張している。大規模な金融緩和を唱えていたリフレ派の経済学者が、「必要なのは金融引き締めだ」と訴えるようになったのはなぜか。詳しく聞いた。
「最大の問題は物価が上がり続けるインフレの放置です。『物価の番人』である日銀はなぜ、利上げをためらうのでしょうか。円安も是正されず、交易条件の悪化で日本人は輸入品を高く買わされる一方、外国人が『安い日本』を買いたたいているような状況を見過ごせません。国民を苦しめ、国家の基盤を揺るがす事態です。金融引き締めが必要です」
「状況が違うのだから、対応が変わるのは当然です。暑ければ冷房を入れ、寒ければ暖房を入れる。ケインズいわく『事情が変わったのに意見を変えない人は愚か者だ』と。第2次安倍政権でアベノミクスを始めた2013年初頭は1ドル=80円台で、製造業はコストカットに追われ、物価が下がり続けるデフレが問題でした。今は1ドル=150円台、インフレ、人手不足で、状況が正反対です」
――物価上昇率は日銀の目標の2%を3年6カ月上回っています。ただ、原材料など供給側のコストプッシュが主因で「一時的」として、日銀は慎重に利上げを進めています。
「国民は一時的だと思っていますか。3%のインフレも3年続けば10%。人件費や家賃なども上がり始め、デフレマインドも変化しているはずです。1970年代の石油ショックや、コロナショックも供給側を起点としたインフレでしたが、実際に価格が上昇すると、需要曲線も上がるのです。『一時的』と見ていて、利上げが後手にまわった例は少なくありません」
「確かに日本では少子高齢化による需要の弱さや、デフレへの逆戻りに懸念もあるのでしょう。ただ、もしそれらが表面化したら、また利下げすればいいのです。日銀は昨年夏の利上げ直後の株価急落がトラウマなのかもしれませんが、政治や市場の反応を過度に恐れて、正攻法である金融引き締めができないようなら日銀は要りません。今すぐ利上げをするべきです」
――高市首相の「金融政策の責任は政府にある」との発言をどう評価しますか。
「同意します。政治家には『難しい』といって日銀に任せきりにしたがる人もいましたが、それではダメです。金融政策は景気や物価、雇用に直結する重要な政策です。私たちが大規模緩和を主張したのは、変動相場制になって以降、米国の金融緩和が円高を通じて日本経済を冷やす構造に、日銀が対応できていなかったからです」
「一方、日銀は膨大な経済データを駆使する金融政策のプロ集団で、政策手段を巧みに操作できるため、その独立性は極めて重要です。だからこそ、政府と日銀は互いの立場を尊重しつつ、よく意思疎通するべきです」
――車利用者の家計を助けるガソリン旧暫定税率の廃止はどう考えますか。
「対症療法にすぎず、筋違いです。インフレの影響は年金生活者や勤労者だけでなく、利上げ時に価格下落リスクを負う株式投資家など国民全体に及びます。国民全体の物価上昇を抑えることが重要で、ガソリン利用者の負担だけを軽減するのは不十分。ガソリンが安くなれば車の利用も増え、かえってインフレを強めかねません。減税は本当に困っている人を助けるよりも、結果的に国民全体の負担を重くする恐れがあります」
「そう単純ではありません。インフレによる税収増は景気の過熱を緩やかにする役割があり、経済学では『自動安定化装置』といいます。バラマキ的な財政拡張はインフレを強めかねません。逆にデフレや不況の時には借金してでも財政出動が必要です」
――アベノミクスは課題もあったと思いますが、いま再設計するならどうしますか。
「第2次安倍政権では雇用を約500万人増やし、デフレ脱却の土台となりました。ただ、賃金や生産性、男女平等では課題も残しました。いま必要なのは『量』ではなく『質』の向上です」
「アベノミクス第3の矢の成長戦略は不十分でした。高市首相が掲げる官民による危機管理投資や成長投資は大いに期待します。特にデジタル分野では、米国や中国のようにデジタル技術で世界規模の付加価値を生み出す力を持たなければなりません。そのためには、記憶力偏重の教育から脱し、議論を通じて創造性や独自性を伸ばす教育も欠かせません」
経済政策の「正解」とは?
――経済政策に「正解」はあるのでしょうか。
「私は過去に重いうつ病を患いました。外から見ていると、医者は病の治し方を完璧に知っているように見えますが、実はそうではないようです。経済政策も同じで完璧な答えはありません。それでも、物価高に苦しみ、『安い日本』と呼ばれる現状に自信を失っている国民にとって、いま本当に必要なマクロ経済政策は何なのか。私は経済学者として考え続けたいですし、高市政権の閣僚も考え抜き、議論を重ね、最善の政策を実行してほしいと願っています」
浜田宏一氏の経歴
はまだ・こういち 1936年生まれ。米エール大名誉教授、東大名誉教授。専門は国際金融論、ゲーム理論。第2次安倍晋三政権で内閣官房参与を務め、アベノミクスの理論的支柱とされた。著書に「21世紀の経済政策」(講談社)や「うつを生きる」(文春新書、内田舞氏との共著)など。
体内で糖質・脂質を消費して熱に変えるボイラー(肝臓・脳・心臓)の活動度の違いなのね。
コロナでボイラーが壊れたから、体内の発熱量全体が下がってしまい、
②食事量が減る
ことになった。その結果、常時使えるエネルギー源も減ったので、
④体力がない
状態に陥ったように見える。
幸い回復したが、その間は「ずっとこのままだったらどうしよう」とひたすら不安だった
以下自分が感じた後遺症の内容を残しておく(ちなみに30代後半既婚男性である)
■①エアコンの風が気になる
自分はこれまで「エアコンの温度が気になる」とか「風が直接あたる」みたいなことを気にする人のことが理解できなかった
コロナ後遺症期間は、その人たちと同じようにエアコンが非常に気になるようになった
これまで気にしたことがなかったエアコンの送風口の位置が肌でわかるのである
また、仕事中の冷房の温度も、これまでよりも1~2度上げてほしいと感じようになった
■②食事量が減る
自分はご飯をお茶碗1.5杯程度たべていたのだが、後遺症の期間は食べられる量が減りし、1杯程度しか食べられなかった
ご飯の消費量は身体に紐づくと思っていたので、コロナにかかったとしても自分の消費カロリーは変わっていないので、摂取しようとするカロリーも変わらないはずである
■③朝起きれない
自分は寝起きがいいほうで、休日でも朝起きてすぐに活動するタイプだったが、後遺症の期間は朝ベットで1~2時間だらだらするおうになってしまっていた
■④体力がない
何かするとすぐに疲れる。ちょっと歩いただけで息切れする。休日の午前中になにか出かけるイベントをこなすと、午後はもうへとへとになってしまっていた。
おそらく体力がない話と関連しているが、夜仕事から帰ってきて、体力がなくてもできること(アニメや漫画を見る)しかできなくなっていた
これまではブログを書いたり個人開発をやっていたが、後遺症の期間はそういう創作的なことができなくなっていた
とにかく気分が乗らないのである
人生への気力というか貪欲さというか、そういうのが抜け落ちてしまった感覚を味わった
■総評
これは個人的見解だが、おそらくコロナ後遺症期間は「気力」※が減衰していたように思う
(※他に適当な言葉がおもいつかないので気力と呼ぶ。漢方とかででてくるやつ。呼び方はエネルギーとか活力とかなんでもいい)
コロナにかかったことで、「自分の気力の最大値が半分になった」というのが、自分の感覚に基づく後遺症期間の説明である
自分がおどろいたのは、「ちょっと病気にかかったぐらいで気力の最大値が半分になるのか」ということだった
自分が持っている能力や日々のパワーというのは、こんなにあっけなくなるなるんだ、という点で、人生観が変わったと言ってもいいかもしれない
あとはほんとうに、ちょっとしたきっかけで、自分もエアコンを気にしたり、日々漫画やアニメで時間を浪費する立場になるということは学びであった
人の違いは、遺伝子や体の作りが違うことが原因だと思っていたが、
肉体が同じでも気力が違えばこうも変わるのである