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https://www.yomiuri.co.jp/national/20251023-OYT1T50201/
本店住所を5棟のどれかに置いている法人を調べたらかなり怪しかった、経営ビザを悪用している可能性が高いというニュースだ。
報じているのも読売だし共同調査者の阪南大の松村嘉久教授も人文地理学と観光の研究者で変な人ではないだろうから信用して大丈夫そうだ。
「特定の建物に登記されている法人登記簿を全部見ればいい」と思うじゃない?
2.本店住所
(3.法人番号)
を書く必要がある。故に商号屋号が分らないと登記簿は見れないのである。
「本店住所から商号屋号を検索する」方法というのも存在しない。登記所で「無い」と言われる。
因みにタダで登記簿を閲覧する方法は無い。昔はあって登記所(法務局)で登記簿の束を閲覧してメモも取れたが電子化で出来なくなった。だから一件当たり600円が掛かる。登記官押印無しで証明力が無いオンラインPDFだと300円強くらいだが、やはり金が掛かる。
だから同一住所の法人登記を調べるには、何らかの方法で対象群をピックアップしてから総当たりするしかない。「何らかの方法」が謎だし凄い金額が掛かってしまう。
これは結構問題で、起業したりオフィス移転でどこかにオフィスを借りたとする。もしそこで以前に詐欺業者が操業していた場合、被害者からの連絡が来てしまうのだ。前の会社が夜逃げしていた場合も同じ。
だから念の為に入居前に調べたくても方法が無いし、入居後にそういう連絡に悩まされても、前の会社が登記と違う商号を使っていたら調べようがない。
最近の反AI界隈は「お~元気だね~過激なこと言っとるね~」とウキウキで見に行ったら単に政治垢の反自民が普段通りキレてたり逆張りしてるだけだったりしてややこしい
反AIの古参が2024年あたりで騒ぐの飽きて活動停止したり誹謗中傷しすぎで凍結したり内輪揉めしたりで消えたりX改悪で鍵に閉じこもっちゃったのも辛い
ペンギン(penpenguin2023)
このアカウントだけは海外反AIニュースの収集に便利、でもたぶん中の人はあんまり英語できないんだよね
具体的には、最近ペンギンがpenginじゃなくてpenguinであることに気付いてID変えたくらいの英語力
主に理想の著作権を基準に著作権侵害を認定してたり本気で生成AIを検索ツールだと思ってたり
何をどう読んだらその知識がつくのってくらい生成AIについて勘違いしてる偽知識を披露してたり
AI推進勢の誇大広告とは逆のデマを流してる人とあとはAI前から精神病んでたりシンプル口が悪くて愉快な人達
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そのひと(tttttttttsasddy)
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これは全部Xだけど
ポリシーに従ってBlueskyに移住したメンツは、比較的ピュアな反AIクラスタが形成されてるからいい感じにヲチり甲斐ある
https://natalie.mu/music/news/116327
朝日新聞で連載された乃木坂46「乃木坂と、まなぶ」のスピンオフ企画として、乃木坂46と麻布高校討論部による討論会が昨日5月9日に東京・麻布高校で行われた。
また松村が「乃木坂には地方から出てきてお母さんと離れて暮らしてる子が多いので、みんな実家に帰ってお母さんとお話するだけでもお母さんが喜ぶんじゃないかな。私は絶対に家に帰って、お母さんが作ってくれた手料理を食べる。それが母の日のプレゼントかなって」と話すと、ほかのメンバーからは「それプレゼントあげてない! 逆だよ!」とツッコミが飛ぶ。
現在、「パン食い競走」の起源については、一般にこう説明される。
この「1874年海軍兵学寮起源説」と「1896年札幌農学校起源説」について検証する。
1874年の海軍兵学寮では、イギリス人のダグラス提督の提案により「競闘遊戯」という日本初の「運動会」が開催された。
そこで実施された競技は詳しく記録されているのだが、そのなかにパン食い競走に類するものは見当たらない。
二年後の1876年にも同様の運動会が開催されたとするが、その内容を伝える『Japan Weekly Mail』の記事を確認しても、やはりパン食い競走はない。
一方の札幌農学校であるが、こちらは1878年から毎年「遊戯会」という名の運動会を行っていた。
これは「大志を抱け」で有名なクラーク博士や、その後継のアメリカ人教師たちの指導のもと、生徒たちにより実施されたものであるという。
『恵迪寮史』によると、1896年の第十五回遊戯会にて「食菓競走」という競技が行われた。
これが「1896年札幌農学校起源説」の根拠になっているのだろう。
また1898年刊行の『札幌農学校』という書籍でも、現今の遊戯会では「菓子喰競走」が行われている、とある。
この「食菓競走」あるいは「菓子喰競走」はパン食い競走と同様の競技だったのだろうか。
1895年に札幌農学校を卒業した松村松年は、『人間学としての体育』という本において、「昔時著者の学生時代に行はれたる競技」として「菓子喰競走―之れは両手を後方に廻はし、口にて途中に吊れる菓子を喰へ行くの競走」と説明している。
1902年(明治35年)の新潟県高田中学校修養会の機関誌では、秋季大運動会の「食菓競走」について「飢えたる狼の如く押開いて突貫して来る一隊。目の前にぶらつくを取り得ぬもどかしさ」と説明している。
1910年(明治43年)の『運動世界』の記事では、早稲田大学春季陸上運動会について「滑稽なのは菓子喰競走で宙にぶら下げた菓子を手を結びて馳け付け下からガブリとやる、それを側に居る係りがワザと動かす、喰い付く動すと云う滑稽もの」と書いている。
これらを勘案すると札幌農学校の「食菓競走」「菓子喰競走」が現在のパン食い競走と同じ形態だった可能性は高く、とりあえずは「1896年札幌農学校起源説」を採用していいのではないかと思う。
というか松村の記述を素直に捉えるなら「菓子喰競走」は1895年以前にも行われていたかもしれない。
ただし松村はいくつかの学校を転々としているので札幌農学校のことである確証はなく、また研究者として農学校に残っているのでそれ以降の記憶と混じっている可能性もある。
当時、こうした競技を指導していたのは、ダグラス提督やクラーク博士といったお雇い外国人教師であった。
たとえばクラーク博士の母校であるマサチューセッツ農科大学では「サイダーミート(Cider Meet)」というイベントがあったらしい。
「サイダー・ミート」と呼ばれる最初の集まりがブレイク・フィールドで開催されたのは1878年10月20日で、’80年卒のクラスと’81年卒のクラスの対決は引き分けに終わった。両クラスは夕方にフィールドに集まり、平和的にサイダーを飲んだ。興味深いのは、800人以上がこの集まりに参加し、その中にはスミス大学の女子学生も多く含まれていたことだ。後の世代には奇妙に思えるかもしれない競技としては、ジャガイモ競走、3マイル競歩、フットボール蹴り、三本脚競走、目隠し手押し車レース、野球ボール投げ、太った男の競走、背負い競走、そして何よりも人気だったのが、油を塗った豚を追いかけるレースだった。
海軍兵学寮の競闘遊戯の種目だった「二人三脚」「背負い競走」「豚追い競走」などが記されているのは興味深い。
また「ジャガイモ競走(Potato Race)」は札幌農学校の遊戯会に「薯拾」として採用されていたようだ。
時系列的に、アマースト大学の「サイダーミート」そのものが、「競闘遊戯」「遊戯会」に直接の影響を与えたわけではないだろう。
しかし、おそらく同種の競技はサイダーミート以前から行われており、それがお雇い外国人教師を通じて日本にも導入されたのではないだろうか。
その線で考えるなら、菓子喰競走も当時のアメリカの大学などで行われていたのではないかと思う。