カヌーはお椀を前後に引っ張ったかたちをした、幅広底深のオープンデッキのフネで、積載能力が高い。カヤックは底の浅い流線型をした、コックピット部分に穴が開いたクローズドデッキのフネである。
カヤックには、グラスファイバー製で一体成形のリジッドカヤックの他、広げた折り畳み傘のように、グラスファイバーやアルミの骨を組んで、岩にこすれても簡単には破れない丈夫な防水スキンを張った、フォールディングカヤックがある。専門店で注文する。
機能的には、水遊び用の全長1m強の小回りの効く水すましタイプ、荒れ狂うホワイトウォーターに飛び込んで戯れるロデオ、全長5mほどでキャンプ道具など積載できるツーリングカヤック、舵のついたシーカヤックなどに分けられる。
カヌーではオール(パドル)の片端のみに水かきがついていて、片膝を立ててJストロークを左右繰り返して直進する。
カヤックでは、両腕を伸ばしたままパドルをもち、横倒しにした8の字を立体的に描くように左右に動かして漕ぐ。上手い人は、進路変更以外では、パドルの先をほとんど水面下に浸けない。私はというと、半分以上先を浸して強引に漕ぐ、水上の筋トレ派だ。
性能の良いライフジャケットは必須である。性能は浮力のkg表示で判断する。必要スペックの詳細はアウトドアショップで尋ねてほしい。単に静水で浮くだけでなく、流れの落ち込みで圧されたとき浮力を保証するようでないといけない。浴槽の栓を抜くと水と共にゴミが渦を巻くが、川で流木等が積み重なっている場所は水の吸い込み口で、近づくとフネごと引き込まれてとても危険だ。
パドルは、ホームセンターで売っているのは予備として、できれば専門店で良いものがほしい。
服装は、頭は帽子かバンダナ、胴はウエットスーツか冷水ではドライスーツ、足元は長靴かサンダルがいいというが、要は日差しと低体温を防げる機能的な格好ならなんでもいい。
貴重品や着替え、食料などは、防水のドライバッグに入れて膨らませ、転覆しても荷物が浮くようにしておく。
地図は、国土地理院の一番細かいものをコピーするか、場合によっては川地図が買える。堰堤の場所(上陸して回避する)、最寄りの道路、民家などの場所、キャンプ場のある上陸可能な岸などがわかればいい。
自分のフネをもつ人は好きなとき好きな水に浮かべればいい。カヌーの場合、川でははじめ、へ先を上流に向けて漕ぎ出す。
フネをもたない人は、アウトドアショップやカヌーショップ、それにレンタルカヌー屋が開催する体験ワークショップやツーリング(川下り)に申し込むことになる。どちらも漕ぎ方はもちろん教えてくれるが、ツーリングでは流れの読み方も教えてくれるはずだ。関東だと長瀞、関西だと吉野川、北海道だと釧路川など。
フネが転覆して中の人が水没することを沈するという。ワークショップでは教えることになっているはずだが、沈したときパニックで溺れないよう、また対処のしかたを知るために、一度は経験しておくのがいい。
風波が強くてフネがあおられるときは、水面をパドルで押さえるように叩いてバランスをとる。波に対してフネが横向きになったり、岸近くの波に巻かれると転覆しやすい。川で水が白くなって見えるところを「瀬」というが、瀬に入る前にコース見をしてから突っ込む。瀬に岩が噛んで泡立っている場合はヘルメットなどが必要だろう。日本の川は急流で短い。
私はツーリングでは一度も沈したことがなく、漕ぎ方もずいぶん上達したものと思っていた。なにしろ2000km近くフネに乗ったのだ。ある夏、友人夫妻と湖で小さなカヤックを漕いだところ、私より非力なはずの友人の奥さんは静水で2倍のスピードで進んだ。体重差で言い訳はできない。つまり、これまで私は流れに逆らわず、流れに乗って川下りをしていただけであるのが判った。あまり従順すぎるのも考えものだ。
2025年現在、川魚を食べて健康に問題ない日本の川があるのかわからない。昔、極北に注ぐ川の水の澄んだ上流部で、ルアーを投げると簡単に20-30cmの鱒が釣れた。釣りの腕は素人だ。それまで虫さえ殺したことのなかった私は、釣りあげた魚を前に途方に暮れた。話によると、石で魚の頭を殴りつけて気絶させるといいらしいので、そうしたところ、魚はじたばた暴れたままだ。動物愛護と調理計画の板挟みになった。(略)
ホイルに包んで焚き火でバター香草焼きにした。このときの魚には申し訳なく思っている。冥福を祈りたい。
人類が火を使うようになって文明への道を歩み始めたといわれるが、子孫の私は火をつけるのが上手くない。燃え広がらないのだ。つい着火剤に頼るので、上達しない。あるとき、直径30cmほどの流木を見つけた。ノコギリで挽くのが面倒でたまらず、油をかけて丸ごと燃やそうかと思ったほどだ。
カヤックのツーリングは楽しい。夕暮れ空が色のグラデーションを濃厚にしていくころ、音のない澄み切った空気のなか、ウイスキーを啜りつつ(ビール等かさばるものはあまりもち込まないでいた)焚き火を突っつき火の粉を眺めるのは、この上なく愉快だ。