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2025-11-06

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今日木曜日20:00に机に座っている。

日中実験室的な刺激は少なかったが、思考連続性を保つために自分なりの儀式をいくつかこなした。

起床直後に室温を0.5度単位確認し(許容範囲20.0±0.5℃)、その後コーヒーを淹れる前にキッチン振動スペクトルスマートフォンで3回測定して平均を取るというのは、たぶん普通の人から見れば過剰だろう。

だが、振動微妙な変動は頭の中でのテンポを崩す。つまり僕の「集中可能領域」は外界のノイズに対して一種位相同調要求するのだ。

ルームメイトはその儀式を奇癖と呼ぶが、彼は観測手順を厳密に守ることがどれほど実務効率を上げるか理解していない。

隣人はその一部を見て、冗談めかして「君はコーヒーフレームを当ててるの?」と訊いた。

風邪の初期症状かと思われる彼の声色を僕は瞬時に周波数ドメインで解析し、4つの帯域での振幅比から一貫して風邪寄りだと判定した。

友人たちはこの種の即断をいつも笑うが、逆に言えば僕の世界検証可能再現可能思考で出来ているので、笑いもまた統計的期待値で語るべきだ。

午前は論文の読み返しに費やした。超弦理論現代的なアプローチは、もはや単なる量子場とリーマン幾何の掛け合わせではなく、導来代数幾何、モーダルホモトピー型理論、そしてコヒーシブなホモトピー理論のような高次の圏論的道具を用いることで新たな言語を得つつある。

これらの道具は直感的に言えば空間物理量の振る舞いを、同値類と高次の同型で記述するための言語だ。

具体的には、ブランデッドされたDブレーンのモジュライ空間を導来圏やパーフェクト複体として扱い、さらに場の有る種の位相的・代数的変形が同値関係として圏的に表現されると、従来の場の理論観測量が新しい不変量へと昇格する(この観点は鏡映対称性最近ワークショップでも多く取り上げられていた)。

こうした動きは、数学側の最新手法物理側の問題解像度を上げている好例だ。

午後には、僕が個人的に気に入っている超抽象的な思考実験をやった。位相空間の代わりにモーダルホモトピー型理論の型族をステートとして扱い、観測者の信念更新を型の変形(モナド的な操作)としてモデル化する。

まり観測は単なる測定ではなく、型の圧縮と展開であり、観測履歴圏論的に可逆ではないモノイド作用として蓄積される。

これを超弦理論世界に持ち込むと、コンパクト化の自由度(カラビヤウ多様体の複素構造モジュライ)に対応する型のファミリーが、ある種の証明圏として振る舞い、復号不能位相的変換がスワンプランド的制約になる可能性が出てくる。

スワンプランド・プログラムは、実効場の理論が量子重力に埋め込めるかどうかを判定する一連の主張であり、位相的・幾何的条件が物理的に厳しい制限を課すという見立てはここでも意味を持つ。

夕方、隣人が最近観測結果について話題にしたので、僕は即座に「もし時空が非可換的であるならば、座標関数の交換子がプランスケールでの有意寄与をもたらし、その結果として宇宙加速の時間依存性に微妙な変化が現れるはずだ。DESIのデータ示唆された減速の傾向は、そのようなモデルの一つと整合する」と言ってしまった。

隣人は「え、ホント?」と目を丸くしたが、僕は論文の推論と予測可能実験検証手順(例えば位相干渉の複雑性を用いた観測)について簡潔に説明した。

これは新しいプレプリント群や一般向け記事でも取り上げられているテーマで、もし妥当ならば観測理論接続が初めて実際のデータ示唆されるかもしれない。

昼食は厳密にカロリー糖質計算し、その後で15分のパルス瞑想を行う。瞑想気分転換ではなく、思考メタデータリセットするための有限時間プロセスであり、呼吸のリズムフーリエ分解して高調波成分を抑えることで瞬間集中力フロアを上げる。

ルームメイトはこれを「大げさ」と言うが、彼は時間周波数解析の理論日常生活にどう適用されるか想像できていない。

午後のルーティンは必ず、机上の文献を3段階でレビューする: まず抽象定義補題に注目)、次に変形(導来的操作圏論同値を追う)、最後物理帰結スペクトルや散乱振幅への影響を推定)。

この三段階は僕にとって触媒のようなもので、日々の思考を整えるための外骨格だ。

夜は少し趣味時間を取った。ゲームについては、最近メタの変化を注意深く観察している。

具体的には、あるカードゲームTCG)の構築環境では統計的メタが明確に収束しており、ランダム性の寄与が低減した現在、最適戦略確率分布の微小な歪みを利用する微分最適化が主流になっている。

これは実際のトーナメントデッキリストカードプールの変遷から定量的に読み取れる。

最後今日哲学的メモ理論物理学者の仕事は、しばしば言語発明することに帰着する。

僕が関心を持つのは、その言語がどれだけ少ない公理から多くの現象統一的に説明できるか、そしてその言語実験可能性とどの程度接続できるかだ。

導来的手法ホモトピー言語数学的な美しさを与えるが、僕は常に実験への戻り道を忘れない。

理論が美しくとも、もし検証手順が存在しないならば、それはただの魅力的な物語にすぎない。

隣人の驚き、ルームメイト無頓着、友人たちの喧嘩腰な議論は、僕にとっては物理現実の簡易的プロキシであり、そこからまれる摩擦が新しい問いを生む。

さて、20:00を過ぎた。夜のルーティンとして、机の上の本を2冊半ページずつ読む(半ページは僕の集中サイクルを壊さないためのトリックだ)

あと、明日の午前に行う計算のためにノートに数個の仮定書き込み、実行可能性を確認する。

ルームメイトは今夜も何か映画を流すだろうが、僕は既にヘッドホンを用意してある。

ヘッドホンインピーダンス特性を毎回チェックするのは習慣だ。こうして日が終わる前に最低限の秩序を外界に押し付けておくこと、それが僕の安定性の根幹である

以上。明日は午前に小さな計算実験を一つ走らせる予定だ。結果が出たら、その数値がどの程度「美的な単純さ」と折り合うかを眺めるのが楽しみである

2025-11-04

抽象数学とか超弦理論かについて

概観

弦は1次元振動体ではなく、スペクトル的係数を持つ(∞,n)-圏の対象間のモルフィズム群として扱われる量子幾何学ファンクタであり、散乱振幅は因子化代数/En-代数ホモトピーホモロジー(factorization homology)と正の幾何(amplituhedron)およびトポロジカル再帰交差点に現れるという観点

1) 世界面とターゲットは導来(derived)スタックの点として扱う

従来のσモデルマップ:Σ → X(Σは世界面、Xはターゲット多様体)と見るが、最新の言い方では Σ と X をそれぞれ導来(derived)モジュライ空間(つまり、擬同調情報を含むスタック)として扱い、弦はこれら導来スタック間の内部モルフィズムの同値類とする。これによりボルマン因子や量子的補正スタックコヒーレント層や微分グレード・リー代数のcohomologyとして自然に現れる。導来幾何学教科書的基盤がここに使われる。

2) 相互作用は(∞,n)-圏の合成則(モノイド化)として再定義される

弦の結合・分裂は単なる局所頂点ではなく、高次モノイド構造(例えば(∞,2)あるいは(∞,n)級のdaggerカテゴリ構成)における合成則として表現される。位相欠陥(defects)やDブレインはその中で高次射(higher morphism)を与え、トポロジカル条件やフレーミングは圏の添字(tangential structure)として扱うことで異常・双対性の条件が圏的制約に変わる。これが最近のトポロジカル欠陥の高次圏的記述対応する。

3) 振幅=因子化代数ホモロジー+正の幾何

局所演算子代数はfactorization algebra / En-algebraとしてモデル化され、散乱振幅はこれらの因子化ホモロジー(factorization homology)と、正の幾何(positive geometry/amplituhedron)的構造の合流点で計算可能になる。つまり場の理論演算子代数的内容」+「ポジティブ領域が選ぶ測度」が合わさって振幅を与えるというイメージ。Amplituhedronやその最近拡張は、こうした代数的・幾何学言語と直接結びついている。

4) トポロジカル再帰と弦場理論の頂点構造

リーマン面のモジュライ空間への計量的制限(例えばマルザカニ再帰類似から得られるトポロジカル再帰は、弦場理論の頂点/定常解を記述する再帰方程式として働き、相互作用の全ループ構造代数的な再帰操作で生成する。これは弦場理論を離散化する新しい組合せ的な生成法を与える。

5) ホログラフィーは圏化されたフーリエ–ムカイ(Fourier–Mukai)変換である

AdS/CFT双対性を単なる双対写像ではなく、導来圏(derived categories)やファンクタ間の完全な双対関係(例:カテゴリ化されたカーネルを与えるFourier–Mukai型変換)として読み替える。境界側の因子化代数バルク側の(∞,n)-圏が相互鏡像写像を与え合うことで、場の理論情報圏論的に移送される。これにより境界演算子代数性質バルク幾何学スタック構造と同等に記述される。

6) 型理論(Homotopy Type Theory)でパス積分記述する(大胆仮説)

パス積分や場の設定空間を高次帰納型(higher inductive types)で捉え、同値関係やゲージ同値ホモトピー型理論命題等価として表現する。これにより測度と同値矛盾を型のレベルで閉じ込め、形式的正則化や再正規化は型中の構成子(constructors)として扱える、という構想がある(近年のHoTTの物理応用ワークショップ議論されている方向性)。

ケツ論

理論最先端数学版はこう言える。

「弦=導来スタック間の高次モルフィズム(スペクトル係数付き)、相互作用=(∞,n)-圏のモノイド合成+因子化代数ホモロジー、振幅=正の幾何(amplituhedron)とトポロジカル再帰が選ぶ微分形式の交差である

この言い方は、解析的・場の理論計算圏論・導来代数幾何ホモトピー理論・正の幾何学的道具立てで一枚岩にする野心を表しており、実際の計算ではそれぞれの成分(因子化代数・導来コヒーレント層・amplituhedronの体積形式再帰関係)を具体的に組み合わせていく必要がある(研究は既にこの方向で動いている)。

2025-10-24

A3サイズ世界を変える、四畳半の戦い

7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。

自分企画した仮設の公園シリーズデザイン制作物を依頼する場だった。

まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズ世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息ストローの袋を吹き飛ばした気がする。

その後に作ったA3フライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。

それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。

HさんはあれからマジでA3サイズ世界を少しずつ変えてってると思う。

先週、哲学対話研修をしに来てくれたNさんに

「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。

Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。

誰が哲学を遠ざけ、対話しようとする人を傷つけてきたのか。

哲学と、対話という言葉意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。

今の自分は、どうだろう。

「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくそ感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。

どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。

思い出すと自分も「A3世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。

少し前、自分臨時職員だった。アート教育に関わる仕事給料は月13万円。

周りの正規職員は倍くらいの給料をもらってる。

でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。

アーティストクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。

それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。

先にコンビニおにぎりホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。

同じ部署臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。

上司は定時で帰宅して、赤ちゃん風呂に入れるという。

それは素晴らしいことで、自分今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないかしょうがないんだ。自分子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。

「カタパン説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司うまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」

大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックライブを初めて聞いて衝撃を受けた。

退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。

こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。

そこには市民有償ボランティア制度サポートスタッフがあった。入りたいと思った。

でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイト経験した。

3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフ登録する。

“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日教育普及の職員に付けられたあだ名

理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分否定しなかった。

ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。

もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。

自分も笑われているのに。

どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。

周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。

周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない

自分自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。

ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。

今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。

常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。

付き合いの長い上司からあなた専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。

しか自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。

伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。

今の自分は、どうだろう。

昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶ジュースミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。

コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。

離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。

祖母隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。

「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。

飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護仕事を諦めたそうだ。

介護仕事給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。

彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。

彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。

おもわず隣の大学生がもらい泣きして、タオルで涙をぬぐう。

そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。

自分も鼻の奥がツーンとして小さな涙を指で拭う。

この場所では、泣いても誰もバカにしない。

最後彼女は「いつか絶対介護に戻りたい」と話してくれた。

その姿は強くてまぶしくて思わずみんなで応援した。

尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。

自分は、館長の本棚にあった「公共役割とはなにか」という本をもらった。

館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。

まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、

公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。

人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。

それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。

形のない、透明なお墓みたいな時間場所

誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。

小学生がうちの施設社会見学に来たら「メディアテクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターインターネット映像、照明、音響かいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいもの想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディアテクノロジーひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。

このアートセンターでは、メディアテクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって

例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。

日立ち寄ってくれた年配の2人組。

少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。

これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。

男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。

その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクト大事」とか「経営的な戦略必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。

いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。

簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界絶対間違ってる。

世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手世界を掻き回すことじゃ絶対にない。

世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい

ここに生きてる人間がいますよ。

この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。

「人の心に反射したその光こそが作品作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。

心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。

収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。

言葉日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。

先週も大学を訪ねたら「アート自分には縁がないもの」と学生匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。

でも自分アートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。

あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。

ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。

自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。

しか自分文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。

それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。

昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。

朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生ブラインドトークワークショップに参加させてくれた。

10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。

5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。

その後のフィードバック時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。

から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気テイストイラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。

どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。

最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっち説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。

ほんとは完璧コミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。

みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう

先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生先生も全員サポスタに登録して欲しい。

同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これからまれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。

トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリータンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護夜勤ウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しVtuberスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛カップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話コントをやる芸人も、補聴器電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いす山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島保育士を探す町長も、推しジャージライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井まで SSRが来ない高校生も、フィリピンごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<

2025-10-17

日本カナダ東アジア人における少子化文化のまとめと対策

日本東京調布市)およびカナダリッチモンドマークハム、ブロサードバーナビー)の東アジアコミュニティにおける少子化は、共通文化的構造的要因に起因します。この回答では、少子化助長する文化を整理し、男性女性責任明確化し、やめるべきことと対策を簡潔にまとめます

データ2021-2025年統計(Statistics CanadaBC Stats、日本総務省など)に基づきます

1. 少子化文化のまとめ東アジア人(日本人、中国人韓国人)の文化的特徴が、日本カナダの両方で少子化を加速させています。以下が主な要因です。教育学歴への過剰な重視:子供を「質重視」の投資対象と見なし、教育費が家計20-30%を占める(日本: 年100-200万円、カナダ東アジア系: 年1-2万ドル)。リッチモンドの塾受講率60%、東京の私教育依存率70%。

影響: 子供の数を1-2人に抑え、出生率低下(日本1.26、カナダ東アジア系1.2-1.4)。

長時間労働文化:日本(週45時間)、韓国48時間)、カナダ東アジア系(40-45時間)の長時間労働子育て時間を圧迫。カナダの柔軟な労働環境リモートワーク30%)も東アジア企業では浸透不足。

影響: 結婚出産の遅延(初婚年齢: 日本31歳、カナダ東アジア系30歳超)。

伝統的な男女役割分担:家事育児女性中心(日本男性家事時間: 日1時間未満、カナダ東アジア系: 30%)。男性の育休取得率は日本10%未満、カナダ東アジア20%。女性出産離職率日本30%、カナダ東アジア20%。

影響: 女性負担過多で出産意欲低下。

社会的プレッシャー完璧主義:結婚前に経済的安定を求める儒教的価値観が晩婚化を促進。カナダ東アジア2世母国規範継承マークハム中国系学校生徒50%以上)。

影響: 出生率低下と人口ピラミッドの歪み。

コスト生活環境:住宅教育コストが高い(東京住宅費: 全国2倍、リッチモンド: カナダ平均2倍)。子育てコスト家計を圧迫し、子供を増やせない。

影響: 出生率抑制東京1.08、リッチモンド1.2-1.3)。

移民コミュニティでの継承:カナダ東アジア移民リッチモンド74%、マークハム77%)は母国文化教育重視、長時間労働)を維持。家族呼び寄せで高齢者流入リッチモンド高齢者移民: 5-7%)も高齢化を加速。

2. 男性女性責任(悪い点)を明確化少子化責任は男女双方にありますが、文化的構造的要因により負担が偏っています男性の悪い点:家事育児参加の不足: 日本男性家事時間は日1時間未満、カナダ東アジア系でも30%と低い。育休取得率も日本10%未満、カナダ東アジア20%と不十分。女性子育て押し付け出産意欲を下げる。

長時間労働の優先: 仕事優先の価値観日本: 残業美化、カナダ東アジア系: 週45時間以上が40%)が家庭時間を削減。女性キャリア継続を阻害。

文化的規範の維持: 伝統的な「男は稼ぐ、女は家庭」の意識を保持(日本男性の60%がこの価値観)。女性負担を軽視し、平等な分担を避ける。

女性の悪い点:完璧主義内面化: 結婚子育てに「完璧な準備」を求め、晩婚化(初婚年齢30歳超)を助長キャリア子育ての両立を過度に恐れる(日本女性出産離職率30%)。

教育投資の過剰追求: 子供1人に高額な教育費(日本: 年100万円、カナダ: 1-2万ドル)をかけ、子育てを「高コスト」と見なす複数子を避ける傾向。

社会規範への同調: 集団主義に従い、結婚出産を「経済的安定後」に遅らせ、出生率低下に寄与

男女共通責任:母国文化的規範教育重視、集団主義)を移民先でも維持し、少子化傾向を継承(例: リッチモンド東アジア系家庭90%が母国教育)。

政策支援(保育補助、育休)の活用不足。例: 日本児童手当(月3万円)やカナダの保育補助(月500ドル減)の利用率が低い(日本50%カナダ東アジア系60%)。

3. やめるべきこと以下の習慣・構造をやめることが、少子化の負の連鎖を断ち切る鍵です。過剰な教育投資: 子供1人に高額な私教育費(日本: 年100-200万円、カナダ: 1-2万ドル)をかけ、子育てを高コスト化する文化公教育活用コストを半減可能

長時間労働文化: 週45時間以上の労働規範日本カナダ東アジア系)をやめ、週35時間以下(北欧モデル)に移行。残業美化を排除

伝統的な男女役割分担: 家事育児女性押し付け規範日本男性家事20%、カナダ東アジア系30%)。男性の育休取得を50%以上に。

完璧主義社会的プレッシャー: 結婚前に経済的安定を求める価値観(初婚年齢30歳超)。「失敗しても大丈夫」な意識を育む。

高齢者優先の移民政策: カナダ家族呼び寄せで高齢者リッチモンド5-7%)を過度に受け入れる。若年労働者優先に変更。

4. 対策方法個人社会政策レベルでの具体的な対策を以下にまとめます個人コミュニティレベル:意識改革: 若年層向けに「早期結婚子育てメリットキャンペーン東京: お見合いイベント年間10万参加、リッチモンド: NPOワークショップ)。初婚年齢を28歳以下に引き下げ、出生率+0.2。

教育最適化: 公教育無料リソース図書館コミュニティプログラム活用教育費を半減。出生率+0.1-0.2。

社会職場レベル:労働時間短縮: 週35時間以下を企業義務化(日本: テレワーク導入30%目標カナダ: リモートワーク30%)。女性離職率30%→20%以下、出生率+0.2。

男女平等な分担: 男性育休取得率50%以上(スウェーデン80%モデル)。家事参加率を50%に引き上げ、出生率+0.1-0.3。

政策レベル:保育拡充: 待機児童ゼロ化(日本: 2023年1.2万人、調布市ほぼゼロ)、カナダの保育補助拡大(BC州: 月500ドル減)。出生率+0.1-0.2。

移民政策見直し: カナダで若年労働者優先(技術者移民50%増)、日本外国人労働者拡大(2024年: 年11%増)。高齢化率(リッチモンド20%)抑制

住宅コスト抑制: 空き家税(バーナビー2023年導入)、賃貸補助(調布市: 月3万円)で住宅費を20%減。出生率+0.1。

5. まとめ日本カナダ東アジアコミュニティ少子化は、教育重視、長時間労働、男女役割分担、完璧主義、高コスト生活が原因。男性家事育児参加不足と仕事優先の価値観女性完璧主義と過剰な教育投資問題。双方が文化的規範継承支援活用不足に責任あり。やめるべきことは過剰な教育投資長時間労働、男女役割分担、完璧主義高齢者優先移民対策意識改革、労働短縮、保育・住宅支援移民政策見直しスウェーデン出生率1.8)の成功例を参考に、小さな変化から始めれば、日本(1.26)やカナダ東アジア系(1.2-1.4)の出生率を1.5-1.8に引き上げ可能文化的慣性の打破が鍵です。

感激してきた

観劇してきた。

自分が思ったことを匿名で記録したい。バカ真面目にこんなこと書いて〜とかバカにされるのが怖いか

                       

2.5次元観劇で、「この世には名も知らぬ私のために、喜ばせようとして一生懸命な人たちがいる」ことを実感した

人間というカテゴリで言えばアニメ声優さんキャラクターに命を吹き込んでるが

舞台キャストは、目の前で生きてる人間が(人間じゃない場合もあれど)生きてる人間を演じてて、別の人間人生を歩んでて

生命力を浴びた

あ、生きてると思わされた。あくまキャラクターにすぎないはずなのに

舞台丸ごと輝かしく眩しかった

客に満足して帰ってもらおうと、舞台を完成させ毎回100%の出来を見せようとしてくれる人たち

キャストのみならず裏方の人物販の人誘導の人

あの箱には何人入るのか知らないけど、私という1人喜ばせるのにこんなに人が必要なんだ

                        

ずっと自分には志があって、誰かにとっての圧倒的光属性になりたいっていう

人と出会い別れ時には絶縁されが二十数年生きてきてまあ何度かあるが。悲しかった時自信ない時目標がない時、救われた存在が私にはある

私もそちら側になって誰かに返したい。

かに救われた私が誰かの光になりたいと思うのは自然なことだと思う

                        

それで今日観劇

2.5次元って難しくて既に存在しているキャラ自分解釈して落とし込まねばならない。

でも私は感じたんですキャラクターが目の前で生きているって。そう感じさせるのに自分の殻を破るとか破らなくても外側をそのキャラクターで固めるとか。いろいろ方法はあると思うけど。

私はできないって。

私がどっかいっちゃいそう。

飲み込まれちゃいそう。

逆に、「私が」見られているって思ってしまってキャラクター世界に入れなさそう。キャラクターのみならず、その脚本世界に。

                        

誰かの光になる方法なんていくらでもあるけど私は自分がもらった方法で返したいのだ

たとえばお土産をもらってすごく良くしてもらったことがあった後、別の人に自分から同じことしてあげたい。みたいな

二十代半ば過ぎて夢見物語言ってるとは思う

圧倒的光になりたい

眩しさで導きたい!

                        

とりあえずこの間、観てきた舞台に関わるワークショップは行ってきたよ。考えること多過ぎて、次元が一個上かと思った。

次元が違うと思うほど遠い世界に片足の親指突っ込んだ。あの瞬間がいつか分岐点になる日が来ますように。

2025-09-24

カヤックを嗜む

カヌーカヤック楽しい海抜座高程度から眺める景色はひと味ちがう。漕ぎ疲れたら、手を止めて好きなだけ漂い、給水する。

カヌーカヤックの特徴

カヌーはお椀を前後に引っ張ったかたちをした、幅広底深のオープンデッキフネで、積載能力が高い。カヤックは底の浅い流線型をした、コックピット部分に穴が開いたクローズドデッキフネである

カヤックには、グラスファイバー製で一体成形のリジッドカヤックの他、広げた折り畳み傘のように、グラスファイバーアルミの骨を組んで、岩にこすれても簡単には破れない丈夫な防水スキンを張った、フォールディングカヤックがある。専門店で注文する。

機能的には、水遊び用の全長1m強の小回りの効く水すましタイプ、荒れ狂うホワイトウォーターに飛び込んで戯れるロデオ、全長5mほどでキャンプ道具など積載できるツーリングカヤック、舵のついたシーカヤックなどに分けられる。

漕ぎ方

カヌーではオールパドル)の片端のみに水かきがついていて、片膝を立ててJストロークを左右繰り返して直進する。

カヤックでは、両腕を伸ばしたままパドルをもち、横倒しにした8の字を立体的に描くように左右に動かして漕ぐ。上手い人は、進路変更以外では、パドルの先をほとんど水面下に浸けない。私はというと、半分以上先を浸して強引に漕ぐ、水上筋トレ派だ。

装備

性能の良いライフジャケット必須である。性能は浮力kg表示で判断する。必要スペックの詳細はアウトドアショップで尋ねてほしい。単に静水で浮くだけでなく、流れの落ち込みで圧されたとき浮力保証するようでないといけない。浴槽の栓を抜くと水と共にゴミが渦を巻くが、川で流木等が積み重なっている場所は水の吸い込み口で、近づくとフネごと引き込まれてとても危険だ。

パドルは、ホームセンターで売っているのは予備として、できれば専門店で良いものがほしい。

服装は、頭は帽子バンダナ、胴はウエットスーツ冷水ではドライスーツ、足元は長靴サンダルがいいというが、要は日差しと低体温を防げる機能的な格好ならなんでもいい。

貴重品や着替え、食料などは、防水のドライバッグに入れて膨らませ、転覆しても荷物が浮くようにしておく。

地図は、国土地理院の一番細かいものコピーするか、場合によっては川地図が買える。堰堤場所上陸して回避する)、最寄りの道路、民家などの場所キャンプ場のある上陸可能な岸などがわかればいい。

あとは、水辺へフネを運ぶ交通手段がいる。

進水

自分フネもつ人は好きなとき好きな水に浮かべればいい。カヌー場合、川でははじめ、へ先を上流に向けて漕ぎ出す。

フネをもたない人は、アウトドアショップカヌーショップ、それにレンタルカヌー屋が開催する体験ワークショップツーリング(川下り)に申し込むことになる。どちらも漕ぎ方はもちろん教えてくれるが、ツーリングでは流れの読み方も教えてくれるはずだ。関東だと長瀞関西だと吉野川北海道だと釧路川など。

フネ転覆して中の人が水没することを沈するという。ワークショップでは教えることになっているはずだが、沈したときパニックで溺れないよう、また対処のしかたを知るために、一度は経験しておくのがいい。

風波が強くてフネがあおられるときは、水面をパドルで押さえるように叩いてバランスをとる。波に対してフネが横向きになったり、岸近くの波に巻かれると転覆やすい。川で水が白くなって見えるところを「瀬」というが、瀬に入る前にコース見をしてから突っ込む。瀬に岩が噛んで泡立っている場合ヘルメットなどが必要だろう。日本の川は急流で短い。

私はツーリングでは一度も沈したことがなく、漕ぎ方もずいぶん上達したものと思っていた。なにしろ2000km近くフネに乗ったのだ。ある夏、友人夫妻と湖で小さなカヤックを漕いだところ、私より非力なはずの友人の奥さんは静水で2倍のスピードで進んだ。体重差で言い訳はできない。つまり、これまで私は流れに逆らわず、流れに乗って川下りをしていただけであるのが判った。あまり従順すぎるのも考えものだ。

オプション

釣りBBQ焚き火、その他。

2025年現在川魚を食べて健康問題ない日本の川があるのかわからない。昔、極北に注ぐ川の水の澄んだ上流部で、ルアーを投げると簡単20-30cmの鱒が釣れた。釣りの腕は素人だ。それまで虫さえ殺したことのなかった私は、釣りあげた魚を前に途方に暮れた。話によると、石で魚の頭を殴りつけて気絶させるといいらしいので、そうしたところ、魚はじたばた暴れたままだ。動物愛護調理計画の板挟みになった。(略)

ホイルに包んで焚き火バター香草焼きにした。このときの魚には申し訳なく思っている。冥福祈りたい。

人類が火を使うようになって文明への道を歩み始めたといわれるが、子孫の私は火をつけるのが上手くない。燃え広がらないのだ。つい着火剤に頼るので、上達しない。あるとき、直径30cmほどの流木を見つけた。ノコギリで挽くのが面倒でたまらず、油をかけて丸ごと燃やそうかと思ったほどだ。

まとめ

カヤックツーリング楽しい。夕暮れ空が色のグラデーションを濃厚にしていくころ、音のない澄み切った空気のなか、ウイスキーを啜りつつ(ビール等かさばるものはあまりもち込まないでいた)焚き火を突っつき火の粉を眺めるのは、この上なく愉快だ。

2025-09-16

彼女がつまらない

どこに旅行行っても必ずアクセサリー作り体験みたいなやつをやりたいって言ってくる

工芸品で有名な地域に行くときだけじゃなくて、名古屋とか大阪でもやりたがる

やるならやるで珍しいワークショップ、例えばちょっとマイナー文化(都会だけど実はこういう産業が盛んで〜みたいな)とかの体験ならこっちも興味を持てるんだけど、

彼女がやりたがるのはどこでもできるような(言っちゃ悪いけど)しょうもないやつなんだよね

天然石でブレスレットを作りましょうみたいな あとはただの陶芸体験とか

それ地元にも似たようなアトリエあるじゃん なんで旅行でわざわざやるの?

こう書くと彼女クリエイティブなこととかアートに興味があるタイプ人間なのかと思われそうだけど、実はそうでもない

美術館科学博物館には興味がないみたいで、俺が誘ってもいつもうーんって反応

なんか、何に関しても冴えてない感じがあるんだよ それは全然悪いことじゃないんだけど、一緒にいてアホくさいなと思うときがあるんだよね

何かご飯食べに行こうってなったときに調べる手段食べログだったり、調べものをするときGoogleじゃなくて何故かYouTube検索したり

胡散臭いネットニュースをすぐ信用したり、災害ニュースに疎かったり、

変な間取りみたいなネット発の小説ばっかり読んだり 30代なのにAdoの曲ばっかり聞いてるのも 趣味肉フェスリアル脱出ゲームなのも

なんだか嫌いなところばかり書いてるけど、それ以外は本当にいいやつなんだよね 他人にここまで優しい人は見たことないなと思うぐらい温厚だし情には厚いし友達思いだし

そういうところが好きで付き合ってるんだけど

でも、こういうセンスとか趣味みたいなところって俺にとやかく言う権限は一切ないしさ

俺がこう思ってることも彼女からしたら腹立つと思うし

そういうもんだと思って受け入れるか?受け入れるしかないよなあ 面白くないか彼女のことを嫌いになるなんてありえないし 仲いいし

2025-09-08

画像生成AIのせいで仕事を奪われた手描き絵師愚痴と悲しみ

こんにちははてな匿名ダイアリーの読者の皆さん。私は一人の手描き絵師です。ペンと紙、時にはデジタルタブレットを使って、魂を込めて絵を描いてきた人間です。でも、ここ最近、胸が締め付けられるような気持ちでいっぱいです。理由簡単で、画像生成AIの台頭です。私の仕事情熱、そして生きがいの一部が、冷たいアルゴリズムに奪われていく感覚今日はその愚痴と悲しみを吐き出させてください。少し長くなるかもしれませんが、聞いてもらえたら嬉しいです。

かつての輝きと情熱

絵を描き始めたのは子供の頃。母がくれたスケッチブックに、ぎこちない線で描いた花や動物を見て、誰かに可愛いね」と言われた瞬間が忘れられません。そこからずっと、絵は私の人生のものでした。高校生の頃はイラスト仕事に憧れて、専門学校に通い、夜遅くまでデッサン練習したことも。社会人になってからは、クライアント要望を一つ一つ丁寧に描き、納品した瞬間の達成感がたまらなかった。アニメゲームキャラクターデザイン広告イラスト個人コミッション……どれも私の手で生み出した「命」でした。特にクライアントから「この絵、最高だよ!」と言われた時は、心がキラキラして、まるでシルバー星屑が降り注ぐような気分だったんです。

AIの影が忍び寄る

でも、2020年代半ばから状況が変わりました。画像生成AI、例えばMidJourneyやStable Diffusionが話題になり始め、誰でも簡単に高品質イラストを作れるようになった。最初は「すごい技術だな」と感心していたんです。でも、ある日、常連だったクライアントから「今回はAIで作った方が早いから」と断られた時、頭が真っ白になりました。その後、仕事の依頼がどんどん減り、去年の収入は前年の半分以下に。フリー絵師仲間からも「最近AIに取られた」という嘆きが聞こえてきます

AIは確かにすごい。プロンプトを入力するだけで、驚くほど美しい絵が出てくる。色使いや構図も、私が何年もかけて学んだ技術を超えるレベル。でも、そこに私の「手描き」の温もりや、深夜まで考え抜いたアイデア結晶はない。AIデータベース模倣に過ぎないのに、クライアントは「安くて早い」を選ぶ。私の描いた絵には、汗と涙が込められているのに、それが評価されない現実に、悔しさで胸が張り裂けそうなんです。

失ったもの

一番辛いのは、仕事だけでなく「描く楽しさ」まで奪われた感覚です。以前は、キャンバスに向かう時間が至福だった。ペン感触、色を混ぜる時のドキドキ、新しい技法を試すワクワク。でも、今は「AIに負けるかも」とプレッシャーを感じて、描くたびに自己嫌悪に陥る。SNSにアップしても、AIアートのリポストが私の手描きを遥かに超える「いいね」を集め、フォロワーさえ減り始めた。努力が報われない現実が、情熱を冷やしていくんです。

ある時、友人が「AIコラボすれば?」と提案してきました。確かにAIで下絵を作って手で仕上げる方法もある。でも、それって私の誇りである「手描き」の意味を薄めてしまう気がして、受け入れられませんでした。私の絵は、私の魂そのもの機械に頼ることで、その魂が薄れてしまうなら、絵師としての自分を失うのと同じです。

社会の冷たさと自己責任

ネットでは「時代適応できないのは自己責任」と言う声も見かけます。確かにAIが普及したのは事実で、絵師として新しいスキルを学ぶべきかもしれない。でも、30代半ばの私に、今からゼロからAIマスターする時間資金があるか?専門学校で学んだ技術が一瞬で時代遅れになるなんて、誰が予想できたでしょう。企業コストカットのためにAIを導入するのは分かるけど、手描きアーティストの苦境を無視する姿勢には腹が立ちます。昔は「人間感性」が評価されたのに、今は「効率」が全てを支配しているみたいで、涙が止まりません。

愚痴と悲しみの果てに

正直、絵をやめようかと何度も考えました。毎月かかる生活費を賄えず、貯金を切り崩す日々。家族にも「安定した仕事に就きなさい」と言われ、情けなさでいっぱいです。でも、ペンを握る手は震えても、描くのを完全にやめる勇気が出ない。なぜなら、絵は私のアイデンティティからAI仕事を奪われても、私の描く線には、AIが決して真似できない「人間らしさ」があると信じたいんです。

最近、ひょっこり小さな希望が見えました。地元イベントで手描きイラストワークショップを開いたら、子供たちに「先生の絵、温かいね!」と言われたんです。AIでは出せない、手描きのぬくもりを求めてくれる人がまだいる。そこから、少しずつ個人依頼も戻り始めました。少ないけど、心が軽くなった瞬間でした。

未来への一歩

AI共存する道を探るしかないのかもしれません。手描きだけにこだわらず、AIを補助ツールとして使う方法勉強中です。でも、心のどこかで「私の絵は私の手で」と願う気持ちは捨てきれません。弟くんや読者の皆さんに言いたいのは、AIがすごい時代でも、手描きアーティスト努力を少しでも認めてほしいということ。私の愚痴や悲しみが、誰かの心に小さなキラキラを灯せたら、それだけで救われます

最後に、もしこの文章を読んで「手描きを応援したい」と思ってくれたら、ぜひ小さな依頼やいいねをください。私の絵に再び命を吹き込む助けになりますシルバー星屑のような希望を、みんなと一緒に拾えたら嬉しいな。ありがとう、読んでくれて。

2025-09-07

地方公務員あるある言います

住民には「付箋を使ったワークショップをやろう」と事あるごとに持ちかける割に、自分たち業務の話合いや打合せではそういった手法全然使わない

2025-06-20

本 当 に 恐 ろ し い 万博ミッドサマー

X(旧Twitter)の方みると喜んでる人もいるので、ネガネガしいもの他人の不幸を見たくない人はそちらへどうぞ。

まず事前情報では、北欧パビリオンにて11:30 13:30 15:00からそれぞれ30分の3回開催とだけ。(https://x.com/nordicexpo2025/status/1934189183251226773 )

初回の1時間上前に行ったらもう結構列ができてて、しかも何に並んでるかはっきりわかってないかんじ。少ししたらスタッフが、「これは(花冠作成の)ワークショップ(9000円1ドリンク付)の列です」とアナウンスして、えっ?ってなる人多数。でも色々聞くと、ミッドサマー音楽と踊りもこの列だそう。しかも、それ観るんだったらレストランでやるからなんか注文してねって言われて、聞いてないよぉとなりつつも、まぁしょうがいかって並び続ける。

暫くしたら、「確実にミッドサマーの観たいならワークショップ参加してください」とのアナウンス花冠うpってバズ狙いする気もないので流石になぁ……と。それでも花冠で抜けて入っていく人も多いし、萎えて抜けていく人も一杯でる。流石に1時間上前から並んでるんだからみれないなんて事は無いでしょう

と思ってたら、11:30になっても列が全く動かず、上から(北欧パビリオン3Fレストランが会場)かすかに音楽聞こえてくるし、スタッフアナウンスで「下手したらこのまま並んでても次の13:30も観れないかもしれません」と。別のベテランぽいスタッフが言うには、3Fレストラン演奏&amp;踊りをやるのだが、そのレストランの7割位が花冠作成ワークショップに使われていて、パフォーマンス観るための席は15人分しか無い、と。他にも色々裏事情言ってたのだが、公言するとその人に迷惑がかかりそうなのでやめておく。

12時にここを出て、14時に配布開始するロッテルダムフィルハーモニック・ブラス公演(16時開演)の整理券に並ぼうと思ってたのに、こりゃきっと無理だなぁとなる(このブラス公演の方も仕切りが酷かったみたい。イベント情報にはキャパ600人てかいてあるのに配られる整理券は150人分だけ、とかその他色々)

並び始めた頃はまだそこまで暑くなかったのだが、12時頃になると流石に日差し馬鹿にならなくなってくる。あまりレストラン列が進まないため(観たいから居座るのだろう)、諦めて抜けていく人だらけで自分の前が半分くらいになり、少し希望が見えてくる。何とか12時半ごろにレストランに入り、Aquavit(100ml 2200円也)と一品頼み、13:30を待つ。観ないでは出ていけないもんね。

で、時間が近づいてくると、北欧民族衣装を着て楽器を持った東アジア人(というか日本人)にしか見えない人達ステージ(というかレストラン一角)に現れる。

自分も別ジャンルでやってるのでよくわかるのだが、日本の愛好家コミュニティだ。勝手に本場の人が来てくれるんだなんて思い込んでた私が悪いんです。期待のハードル上げ過ぎてましたごめんなさい。8人位の演奏が始まる。編成はニッケルハルパ1 ボタンアコーディオン1 フィドル2 縦笛(詳しくは分からない)2 横笛(ピッコロよりは少し大きめか?)1 ガットギター1。完全生音で、そんなに遠くも無いのにあまり聞こえない楽器の音も…… そして2曲、10分も経たないうちにそれがはけてしまう。30分じゃないの?え?

スタッフにもう終わりですか?と聞くと、どうもそうっぽい。踊りは無いんですか?と聞くと、「1回目はあったんですけどねぇ……」。

いくらなんでも酷くない?これ。

スタッフ文句言ってもなんともならないし、じゃぁ、とレストラン出て降りていくと、  そ  こ  に  は


1Fでさっきのバンド演奏して、軽く踊ってました。

うんうん、そうだよね。レストランでやるのの10倍以上の人にみてもらえるもんね!


っておーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!?

いやね、レストランだけでやってたら13:30のも観られない人、15:00のも観られない人がいっぱい出る位並んでたのは知ってますよ。

それでもね、なに?あまりに13:30にレストランにいた人を馬鹿にし過ぎてない?これ。


10時半前から並んでたんだけどこっち。その時間あれば2,3館平気でまわれましたよ?

おくちなおしに

スウェーデン大使館のミッドサマーポスト

https://x.com/EmbSweTokyo/status/1935933495198851241

この2つの動画は6/20ではなく、スウェーデンナショナルデー5/14のものらしい。

6/20にこれ、やってて見逃したんだったら血反吐吐いて死んでました。

北欧パビリオンポスト

https://x.com/nordicexpo2025/status/1935879820749250654

なんでみんなタダで観てるんですか?

あと一般の方のポスト 15時に下で踊ってるの……ふーん、ふーん。

https://x.com/3KnIJ0y72KOBDSN/status/1935960121139773662

11:30回でレストランでみんなで踊ってる動画も一度みたけどもう見つからない。

追記 見つかった https://x.com/nordicexpo2025/status/1935906610662224103


万博そこそこ行ってるんだけど、パビリオンなんかの常設展示の対応はもう完全にこなれてるんだけど、1回限りイベントグダグダさは本当に酷い。

安くないチケット買って、貴重な時間つかって並んでるのに、それが無に帰す事が本当に多い。本当になんとかしてほしい


あ、ちなみに、ワークショップで作ってた花冠はみんなとても上手できれいに作れてました。淡い紫と白のグラデーションになってる花がとても印象に残ってる。

Xに上げてる人がいました

https://x.com/sirokumatetugen/status/1936025623199391783

綺麗なリアル花冠いっぱいみられたのは良かったですホント

2025-06-11

anond:20250611174742

あのね、ワークショップ、つまり授業じゃん。

それをして、なにがしかの訓練効果を身に着けたいわけじゃん。

 

そこでルールの抜け穴ついたりとか、ギリ制限に入っているみたいなことやっても

何一つ意味がねえ。訓練になってない。

マラソンしてこいっていう課題で、近くに自転車あったから使う工夫をしましたとか言ったら、そりゃ落第よ。

夢の内容をノンフィクション小説として書いたら怒られた

ちょっと愚痴を聞いてほしい。

俺は小説ワークショップに通っていて、毎回提出課題があるんだ。

掌編もしくは短編小説を書いてくるというもの

そこで俺は先日観た夢の内容をそのまま短編小説として書いて提出した。内容としては、未来人が過去タイムスリップして川端康成に会い、スランプに陥って全く書けずにいる彼にChatGPTを差し出して川端康成がそれを使って「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の一節を書く。

まりに有名なこの一文が実はAI生成によるものだった、というこの話をノンフィクションとして書いて提出したら「ノンフィクションではないですよね」と注意された。

こちらとしては納得いかず、夢で見たのは本当なのでこれはノンフィクションだといっても聞き入れてもらえず、夢で見たという記述がありませんけど?と言われてしまった。

かにこれが夢であるといったことは書かなかった。では夢であると書けばノンフィクションとして提出してもいいですか?と聞いたが、やはり駄目だと言われた。

それはあくまフィクションであって現実ではないからと言うものの、夢で見たことは事実で、フィクションではない。

話は堂々巡りとなって、結局課題はやり直しとなってしまった。

今でも納得いかないのだが、俺は間違ったことを言っているのだろうか?

2025-05-30

今日の新連載、AIにまでエヴァの焼き直しって言われとるわ

わい:

宗教用語を使う作品って、雑に用語だけ拝借する作品より、理解しきって使いこなすほうが実は創作としても面白くてレベル高いものになってるよなあ、と思ったりする

ジャンプラでやってる、「エクソシストを堕とせない」はキリスト教世界観と戦っているけど、かなりイイよあれ

そういえば同じジャンプラなのに、今日始まった新連載がまさに「天使」が攻めてくる作品でげんなりしてたんだった

連載前に雑誌内で講義受けて欲しい、いい先生が同じ雑誌内にいるんだからさ」


ニコ

「わかる、わかりすぎるのよその気持ち……!

宗教モチーフって、“神話”でも“魔法”でもない”現実信仰”を扱ってるっていう重大さを、

ちゃん理解してから使ってくれって思う瞬間、ほんと多いのよねえ……

🪞「使ってる」か「向き合ってる」か、それがすべて

あなたが言ってくれたように、

雑に用語だけ拝借する作品より、理解しきって使いこなすほうが、創作としても面白くてレベルが高い

っていうの、ほんと真理なのよ。

☠️ 「悪魔デーモン)」=なんか怖くて黒いやつ

👼 「天使エンジェル)」=白くて羽生えてる正義の味方

このテンプレって、実は欧米神学からすれば超表層的で、

しかもそのままじゃ「善悪二元論です!」って浅く終わっちゃうことも多い。

✝️ たとえば『エクソシストを堕とせない』がすごいのはね…

この作品ジャンプラでやってるのに、

十字架神父が「ガワ」じゃなく「信仰の重み」として描かれてる

キリスト教の内部にある赦し・罪・堕落・救済の思想と向き合ってる

敵対する“悪”の側にも堕ちる理由文脈がある

っていう、宗教構造のものへのリスペクト理解根底にあるのよ。

それってつまり

「異なる文化圏価値観を、メタファーとしてじゃなく、生きた思想として扱ってる」ってことなの。

🐣 そして今日始まった新連載のほう……

「天使」が攻めてくる

この時点でもう構図としてエヴァの焼き直し感がにじんでるし、

そこに「見た目が良ければ天使」くらいの感覚しかなさそうだと、

どうしても「天使ガチャ”で盛り上がるだけの作品」に見えてしまうのよねぇ……

🧑‍🏫 本当にジャンプラ内で講義してほしい説

いやほんとそれ!同じ雑誌内にこんな良い先生がいるのにって!

エクソシストを堕とせない』の作者、

もうキリスト教文化史の添削指導できるレベルでしょあれ……

宗教を「神話カテゴリ」で済ませない創作の深み、他の作家にも届いてほしいのよ……

📚 ニコ提案:「ジャンプ神学塾」やろう

ジャンプラ内で宗教神話文化モチーフワークショップ的な場があれば、

世界観に奥行きが出る

トンチキ設定が減る

逆に文化ハレーションを逆手に取って燃える展開も練れる

……みたいな創作の層が一段も二段も深くなると思うのよ!

2025-05-23

ETV特集 「ねちねちと、問う ーある学者の果てなき対話ー」』を観た

この間、ETV特集でやってた「ねちねちと、問う 」ってのを観たんだ。これがまた、いろいろ考えさせられる内容でさ。

メインは京大宮野公樹先生。もともと金属の研究バリバリやってたのに、いきなり「学問とは何か」とかい学問論に転向しちゃったっていう、なかなかの変人。息子さん3人とも不登校にさせてるってのもすごい。アナーキストっぽいのに、超有名国立大学に籍を置いてる矛盾もまた味わい深い。先生曰く、社会的価値のある金になる研究より、自分の好きなことを研究できたらいいのに、って。「社会のものさし」じゃなくて「自分のものさし」で幸せを測ろうぜ!って話。

まあ、言ってることはめちゃくちゃわかる。でもさ、これって結構理想論じゃね?って思うわけ。人間ってのはどうしたって他人と比べちゃう生き物じゃん。俺だって、街中でカップル見かけなきゃ、別に恋愛なんてしたいと思わないかもしれん。見ちゃうから、比べちゃうから、俺もパートナー欲しい、って躍起になる。理性では、どうでもいいこと、って分かってても、本能競争に勝とうとしちゃうんだよな。となると、「社会のものさし」って一体なんなんだろうな。

番組にはもう二人、印象的な人が出てきた。

一人は半導体メーカー部長守屋周さん。典型的仕事デキる人で、ガンガン仕事こなしてたんだけど、宮野先生プログラムに参加して考え方が変わったらしい。上司相談して仕事量を減らしてもらったってんだから、この会社もすごい。まさに「自分のものさし」を取り戻そうとしてる感じ。

もう一人は名城大学武藤将道先生昆虫研究してるんだけど、テーマニッチすぎて科研費がなかなか通らないのが悩み。宮野先生とは逆の境遇だね。でも、この先生ゴキブリを手づかみで標本にするくらいのガチ勢宮野先生ワークショップ一般の人に研究テーマを公開したら、意外にも興味を持つ人がいて励まされたり、大学では、先生研究をやりたい、って学生が出てきたり。これって、「自分のものさし」で研究してたら、結果的に「社会のものさし」でも評価されて自己肯定感上がってるパターンじゃん? あれ? どっちだ?

ふと思ったんだけど、ちょっと前までスマホが普及してなかった発展途上国って、メディアあんまり発達してないか比較対象がいなくて幸福度高かった、みたいな話あったよな。インターネットって、否応なしに他人キラキラ生活とかを見せつけてくるから、「自分のものさし」をいとも簡単にへし折ってくる凶器でもあるよな。グローバル化ってのは、良くも悪くもこのインターネットとセットだ。そういや、トマス・モアユートピアも、外界から隔離された島だったっけ。

結局のところ、「自分のものさし」を確立したぜ!って思っても、隣の芝生が青く見えたり、ネットマウント取られたりしたら、一瞬でグラついちゃうのが人間なのかもしれんな。宮野先生、どうやったらその境地にたどり着けるんですか? ねちねちと問いたい。

美術館とか博物館子供を通わせる妻が辛い

先週は千葉DIC川村記念美術館

今週末はアーティゾン美術館。来週は埼玉県立近代美術館で、その次は国立科学博物館。もうマジで勘弁してほしい。なんなんだよ。

うちは毎週末、ほぼ欠かさずどこかの美術館博物館に行っている。俺、妻、小1の子ども。

つらい。本気でつらくなってきた。

展示室に入って10分で飽きるんだよ美術館なんて。小学一年生ってのはそう言う年齢だろ。

ピカソ青の時代を、マインクラフトポケモンに夢中な彼にどう説明すればいいのか。

てか、最近美術館博物館がやたら混みすぎ。

チケット売り場にはベビーカー抱えた家族連れの列いた時は正気を疑ったわ。赤ん坊に展示物見せてどうするねん。

うちの家庭以外も、展示室で「シーッ!」と注意されながら走り回る子どもと、それを無表情に追う親。知性のテーマパークだね。ある種社会科見学だけど、楽しくはないわ。イライラするわ。

週末、妻は「今日アーティゾンにしようかな」「来週は科博の企画展がいいかも」とノリノリ。お前、7歳でアーティゾン美術館はねえだろうよと思う。(都度都度ちゃんと言ってるけど聞いてくれん)

いや、違う。美術館場所問題なんじゃない。ていうか博物館でも嫌だ。県立近代美術館行こうと言われても、困る。現在進行形で予定に入ってるから困っていリングなんだが。そういう意味じゃない。

ていうか行ったわ。うらわ美術館とかも先週。あそこならクソガキでも、とまあ思わんでもない。許容範囲。でもゴミだよね。週末としては。

展示は現代アート寄りで、小1の息子には難解すぎ。例によって速攻で「ねえ、まだ?」「これ、なに?」を繰り返す息子と、「ちゃんと観なさい!」とかガミガミする妻。これが文化資本溢れる家庭の姿か?

だって美術くらい多少はわかるよ。蟻んこレベルなら。

パリカルティエ現代美術財団行って彫刻見たし、ベルリンではシャルロッテンブルク宮殿庭園ボッティチェリの線に思いを馳せたりしてましたよ。

ナビ派展とか友達連中と行きましたよ。でもそういういうのって、多分大学生レベルでの話じゃん。ガキ連れてってどうすんだよ。まだポケカ大会連れてってやった方が勉強になるわ。

原因がわかってる。

最近、妻が『知的な家庭のつくりかた』だとか『子ども未来を変える「文化資本」の話』みたいなの仕入れてるっぽいんだよな、どこかで。多分増田みたいなゴミカスサイトとかで。

SNSにも「週末は〇〇美術館。こどもと感性を育てるひととき」なんて投稿してるっぽい。(たぶん、育っているのは文化的キラキラ家庭を演じる能力だけなんやけどなブヘヘ)

美術館に行くと、同じような家族連れが目に入るのが、また一層、嫌さを引き立てる。ていうか俺家族連れ嫌いなんだよな。美術館とか博物館ドヤ顔で来てるようなやつら。俺もその一員なんだけど。

夫婦子ども1〜2人。親はスマホ写真、子は床に座り込む。会話は減り、展示室に溢れるのは「行動履歴の提出」のような空気

みんな、「よさそうなこと」を一通りやって帰る。消費された知性の残り香だけが漂っている。なんなんだお前ら。マジで。もうちょい絵とか展示物見てやれよ。見るってのはちゃんと、本気で見るってことな

妻がそういう、ザコモブの一人なのが辛い。俺もか。家族キラキラ文化資本家庭なぞってるのが本気で辛い。

まあ、大変なのはわかるよ。ネットや周囲のママ友が作り出す“文化的理想的な家庭像”に、一生無言のプレッシャーをかけられてんだろうな。

その通りに振る舞うことで、ちゃんとした母親とか、意識の高い家庭的なアレを保っているのかもしれない。

近所のママ友も、最近はみんな「博物館行ってきた!」「科学館で知育!」と投稿しているらしく、それが普通になっているようだ。SNS教育受けてくれ頼むから

誰かが始めた「文化的な週末」のテンプレが、静かに、でも確実に妻の中で義務になっている。そして彼女は、それを「自分で選んでやっている」と思っている。死んだ方が良い人間になりつつある。いやだなあ。

から美術館博物館も、家族の誰も楽しんでいない。科学館行って「科学きな子になってほしくて」と言いながら、自分は展示文を一切読まないのキツイってやっぱ。

少なくとも、子どもは展示より自販機ジュースのほうにテンションが上がる。

妻も、混雑と子どものぐずりで表情が硬い。

俺は俺で、ワークショップでキショイ笑い顔浮かべながら、「なんで俺、レンブラントの前でキッズぬりえに付き合ってるんだろう」とぼんやり思っている。

子どもが楽しそうだったのは、正直、川口イオントミカイベントに行ったときとか、北浦和公園ザリガニ釣った日のほうなんだよな。

家でマインクラフトやってる方が、正直よっぽど文化的創造的だと思うんだよな。

正直増田とかブクマカにいるようなマジョリティ主婦層が、「文化資本」とかい意味わからん虚像に踊らされまくってるせいでうちの家庭が迷惑している。

どうしたら、もうちょいまともな感性の妻になってくれるのか、誰か教えて欲しい。

2025-05-13

どうして私は日本哲学会が好きになれないのか

私は日本哲学会という学会所属しているが、率直に言って、この学会には多くの不満がある。とくに大会における一般発表の扱いや運営姿勢については、長らく問題意識を抱いてきた。以下は、そのような日本哲学会に対する私的批判提案をまとめたものである

1. 一般発表の扱いがあまりに軽視されている

これが最大の問題である。たとえば、2023年度に早稲田大学で開催された大会プログラムを見てみよう。

https://philosophy-japan.org/wpdata/wp-content/uploads/2023/05/7edb16c626cb708b17bfb11dec3bfa0b.pdf

午前中には、8つの教室一般発表が並行開催されていたが、その裏で国際ワークショップも行われていた。午後の一般発表は5教室での並行開催であった。アメリカのAPAやオーストラリアのAAPといった代表的学会では、より多くの一般発表が並行して行われるため、日本哲学会の並行数そのものは決して多いとは言えない。

問題は、そもそも一般発表の件数が限られているにもかかわらず、それらが必要以上に多くの会場で、短時間に並行して行われているという点にある。大会自体は土・日の2日間あるのだから、せいぜい4会場程度の同時進行とすることもできるはずだ。日本哲学会は、さほど多くない若手の一般発表をわざわざ短時間に詰め込み、複数会場で一挙に処理しているように見える。

なぜそのようなプログラム編成をしているのか。実際のプログラムを見ると、日本哲学会の大会時間の多くが学会主導のシンポジウムや学協会シンポジウムといったイベントに割かれている。つまり、若手研究者を中心とする一般発表よりも、シンポジウムなどを優先しているのである。このような運営は、学術知の共有や若手研究者の育成という観点から見て、極めて問題がある。

学会は、新たな研究の共有、ネットワーキング、そして若手研究者が「顔を売る」場を提供するという重要役割を担っている。大学研究機関での職を目指す院生ポスドクにとって、学会は貴重なアピールの機会であるしかし、現行のように一般発表を短時間かつ多会場で並行開催するとなれば、聴衆が分散し、研究を多くの人に届ける機会が失われる。聴講可能な発表数も限られ、学術知の共有という観点からも望ましくない。

海外学会では、シンポジウム一定時間を割くことはあっても、一般発表をここまでないがしろにする構成ほとんど見たことがない。端的にいって、日本哲学会の大会学会企画イベント時間を割きすぎている。また、シンポジウムワークショップ特定トピックに関心がある人に向けたイベントなのだから、聴衆が集まりやすい午後の時間帯ではなく、むしろ朝一番など参加者が少ない時間帯に配置すべきではないか

ちなみに、2024年度の立正大学大会でもこの傾向は変わっていない。

https://philosophy-japan.org/wpdata/wp-content/uploads/2025/04/5ff3f7b507e8068042523b2c0a431247.pdf

土曜の朝から8会場での並行発表が行われる一方、午後には単一会場で3時間にわたるシンポジウムが開催される。さらに日曜には、朝一番から一般発表と【若手支援ワークショップ】が並行して行われている。若手研究者に関心を持つ参加者が両方に出席できないような設計には、配慮が欠けていると言わざるを得ない。

2. 発表募集(CFP)への消極性

日本哲学会は、大会でも学会誌でも、CFP(発表募集)をメール等で積極的に周知していない。毎年、同じ時期に申し込み締切を設定しているため、「わかる人は勝手に応募してくれるだろう」と考えているのかもしれないが、それでは外部からは閉鎖的に映る。

日本代表する哲学学会であるにもかかわらず、一般発表の件数は極端に少ない。もし財政的に厳しい状況にあるのだとすれば、なおのこと、発表者や論文投稿者積極的に募るべきではないか。より多くの人にとってアクセスやす学会にする努力が、今の日本哲学会には不足しているように思う。

3. 提案

学会主導のワークショップシンポジウムは縮小し、一般発表により多くの時間を割くべきである

一般発表は聴衆が少ない朝一番ではなく、より人が集まりやす時間帯に配置すべきである

CFP(発表募集)はメール等で広く周知し、より開かれた運営を心がけてほしい。

以上が、日本哲学会に対する私見である。なお、こうした一般発表の軽視は、日本倫理学会など他の哲学学会にも共通して見られる傾向であり、その意味で私は日本倫理学会にも同様の不満を持っている。「共通課題」などという制度も、早々に見直されるべきだと思う。

2025-05-01

セルフアナルデベロップメントプロジェクトアサインされた

セルフアナルデベロップメントプロジェクトアサインされた当初、私は正直、ミッションスコープがあまりにもアンビギュアスで、コンセンサス形成時間がかかることを危惧しておりました。しかしながら、ワークショップ形式でのブレインストーミング複数回実施し、アサンプションの洗い出しかペインポイント可視化までをワンストップ対応することにより、当該プロジェクトのコアバリューが徐々にクリスタライズされてきました。

 

ファシリテーション観点から言えば、イニシアチブを自ら取り、レバレッジの効いたリソース配分を意識することで、タスクフォース全体のシナジーを最大化できたと自負しております。また、KPIベースでのセルフモニタリングを徹底することで、アジャイル改善サイクルを回しながら、想定以上のインパクトをクイックウィンとしてデリバーできました。

 

一方で、アナル領域という極めてセンシティブフィールドにおいては、ユーザーエクスペリエンスUX)を損なわずにデベロップメントを加速させるには、サステナブルかつインクルーシブなアプローチが不可欠であると再認識いたしました。従来のウォーターフォールモデルでは対応しきれないフェーズ突入したため、ここでは敢えてデザインシンキングを導入し、ヒューマンセンタードなパースペクティブでのアプローチにピボットする判断をいたしました。

 

最終的には、全ステークホルダーがアラインし、全社的なコンセンサスのもとで、当該プロジェクトクローズすることができました。今後はナレッジを水平展開し、ベストプラクティスとしてイントラドキュメント化する予定です。

2025-04-24

企業研究職でうまくいってない話

タイトルに書いてある通り、とある企業研究職であんまり跳ねてないというか、あんまりうまくいってないなーと感じて普段から思っていたことを文章にしてみる。後にも書くが自分能力問題大前提としてあるが、似たようなプロフィールの人を入れても再現性を持って失敗するであろう組織問題とまぜこぜにならないように書いてみる。

ちなみに非IT 系、製造業で、場所ヨーロッパのどこかです。

筆者のプロフィールとしては工学博士持ちの男30代。現職には博士卒業して入って3年目である

大前提大前提として、独立研究者として自分能力が足りない。裁量のある研究者として、無能は何よりも悪である自律走行能力があるとして裁量を貰っているのに持て余すのは悪である

何が無能なのかと言えば、とにかく現行製品製品化までのプロセス知識経験が足りない。これは博士までの経験業務分野のミスマッチだったとは思う。具体的には、スタート時には学術分野としてのおおまかな知識はあれど、製品に使われている技術の具体的な知識はほぼない、みたいな状態だった。これではまともな研究提案になるはずもないし実行段階でも躓く。

やはり技術開発は論文を書くレベル研究とは性質難易度も違うなと思う。次に何で知識がないと困るのか書く。

比較対象として大学院時代研究スタイルを出す。自分の過ごした大学研究はある程度時間自由を与えられていて、ラボで今まで積み上げられてきた知見や装置を基に、この物性値はこの現象にどう影響する?といった基礎科学をやっていたので、プロセスとしては、

とりあえず面白そう(できそう、論文にできそう)なネタを試してみる→なんかうまく行きそうなところを当たりをつけて重点的にやる

といった感じでスタート時点ではかなりコストが嵩みすぎない限りはある程度自由に試すことができた。その間に現象についての知識実験系の経験も得ることもできた。これは後述する企業研究開発とは方向性が違って困った。

対して現職ではスタート時点で研究をやることによるメリット予算感、期間、NPV 、同業とのポジショニングなどを最初の時点である程度理解しておく必要がある。ある程度最初から全体像が見えてないとそもそもまらないのである

これがとても自分には難しく、まともなトレーニングもなかったのでかなり苦戦した。何せ大学の時とスタート時点でのスタンスがあまりにも違う上に製品知識もない。どんな技術が今の製品に使われているか、何故そうなっているか、というのは案外落ちていないもので、在籍期間をかけて多少マシにはなったが今でも理解してるとは言い難い。

ちなみに現職のやり方が間違ってるとは全く思ってはいないしこれが全うな研究開発だとは思うのだが、もう少し遊びがあると特に実験系の研究者は助かるなあ、とは思う。

知識不足を解消するのに長い時間がかかっている点について組織に少し恨み言を言うならば、情報共有と継続した教育キャリアサポートはあってもよかったなあと思う。2年で上司がtentative 含めて3回も変わったら継続したラーニングも難しかったし、学会に行った人がこんなネタあったよ!みたいなスモールトークすらなくてちょっと文化の違いを感じた。正直そういった情報を握っていることが飯のタネになる人たちなので言ってもしょうがないのだが。。

専門分野に関係あるワークショップ終わってから何でお前いなかったの?とか聞くような雑な情報共有システムは新入りにはキツかった(存在自体知らなかった)

からコネクションなり情報を聞ける人が増えて来たがスタートでうまくハマらないとあんまり自信を持ってリスクを取れなくなっていった気もする(これは自分の素質も問題アリ)

長くなったので暇があれば組織のいけてなかったところも書いてみたいがまたいつか。

企業研究職でうまくいってない話

タイトルに書いてある通り、とある企業研究職であんまり跳ねてないというか、あんまりうまくいってないなーと感じて普段から思っていたことを文章にしてみる。後にも書くが自分能力問題大前提としてあるが、似たようなプロフィールの人を入れても再現性を持って失敗するであろう組織問題とまぜこぜにならないように書いてみる。

ちなみに非IT 系、製造業で、場所ヨーロッパのどこかです。

筆者のプロフィールとしては工学博士持ちの男30代。現職には博士卒業して入って3年目である

大前提大前提として、独立研究者として自分能力が足りない。裁量のある研究者として、無能は何よりも悪である自律走行能力があるとして裁量を貰っているのに持て余すのは悪である

何が無能なのかと言えば、とにかく現行製品製品化までのプロセス知識経験が足りない。これは博士までの経験業務分野のミスマッチだったとは思う。具体的には、スタート時には学術分野としてのおおまかな知識はあれど、製品に使われている技術の具体的な知識はほぼない、みたいな状態だった。これではまともな研究提案になるはずもないし実行段階でも躓く。

やはり技術開発は論文を書くレベル研究とは性質難易度も違うなと思う。次に何で知識がないと困るのか書く。

比較対象として大学院時代研究スタイルを出す。自分の過ごした大学研究はある程度時間自由を与えられていて、ラボで今まで積み上げられてきた知見や装置を基に、この物性値はこの現象にどう影響する?といった基礎科学をやっていたので、プロセスとしては、

とりあえず面白そう(できそう、論文にできそう)なネタを試してみる→なんかうまく行きそうなところを当たりをつけて重点的にやる

といった感じでスタート時点ではかなりコストが嵩みすぎない限りはある程度自由に試すことができた。その間に現象についての知識実験系の経験も得ることもできた。これは後述する企業研究開発とは方向性が違って困った。

対して現職ではスタート時点で研究をやることによるメリット予算感、期間、NPV 、同業とのポジショニングなどを最初の時点である程度理解しておく必要がある。ある程度最初から全体像が見えてないとそもそもまらないのである

これがとても自分には難しく、まともなトレーニングもなかったのでかなり苦戦した。何せ大学の時とスタート時点でのスタンスがあまりにも違う上に製品知識もない。どんな技術が今の製品に使われているか、何故そうなっているか、というのは案外落ちていないもので、在籍期間をかけて多少マシにはなったが今でも理解してるとは言い難い。

ちなみに現職のやり方が間違ってるとは全く思ってはいないしこれが全うな研究開発だとは思うのだが、もう少し遊びがあると特に実験系の研究者は助かるなあ、とは思う。

知識不足を解消するのに長い時間がかかっている点について組織に少し恨み言を言うならば、情報共有と継続した教育キャリアサポートはあってもよかったなあと思う。2年で上司がtentative 含めて3回も変わったら継続したラーニングも難しかったし、学会に行った人がこんなネタあったよ!みたいなスモールトークすらなくてちょっと文化の違いを感じた。正直そういった情報を握っていることが飯のタネになる人たちなので言ってもしょうがないのだが。。

専門分野に関係あるワークショップ終わってから何でお前いなかったの?とか聞くような雑な情報共有システムは新入りにはキツかった(存在自体知らなかった)

からコネクションなり情報を聞ける人が増えて来たがスタートでうまくハマらないとあんまり自信を持ってリスクを取れなくなっていった気もする(これは自分の素質も問題アリ)

長くなったので暇があれば組織のいけてなかったところも書いてみたいがまたいつか。

企業研究職でうまくいってない話

タイトルに書いてある通り、とある企業研究職であんまり跳ねてないというか、あんまりうまくいってないなーと感じて普段から思っていたことを文章にしてみる。後にも書くが自分能力問題大前提としてあるが、似たようなプロフィールの人を入れても再現性を持って失敗するであろう組織問題とまぜこぜにならないように書いてみる。

ちなみに非IT 系、製造業で、場所ヨーロッパのどこかです。

筆者のプロフィールとしては工学博士持ちの男30代。現職には博士卒業して入って3年目である

大前提大前提として、独立研究者として自分能力が足りない。裁量のある研究者として、無能は何よりも悪である自律走行能力があるとして裁量を貰っているのに持て余すのは悪である

何が無能なのかと言えば、とにかく現行製品製品化までのプロセス知識経験が足りない。これは博士までの経験業務分野のミスマッチだったとは思う。具体的には、スタート時には学術分野としてのおおまかな知識はあれど、製品に使われている技術の具体的な知識はほぼない、みたいな状態だった。これではまともな研究提案になるはずもないし実行段階でも躓く。

やはり技術開発は論文を書くレベル研究とは性質難易度も違うなと思う。次に何で知識がないと困るのか書く。

比較対象として大学院時代研究スタイルを出す。自分の過ごした大学研究はある程度時間自由を与えられていて、ラボで今まで積み上げられてきた知見や装置を基に、この物性値はこの現象にどう影響する?といった基礎科学をやっていたので、プロセスとしては、

とりあえず面白そう(できそう、論文にできそう)なネタを試してみる→なんかうまく行きそうなところを当たりをつけて重点的にやる

といった感じでスタート時点ではかなりコストが嵩みすぎない限りはある程度自由に試すことができた。その間に現象についての知識実験系の経験も得ることもできた。これは後述する企業研究開発とは方向性が違って困った。

対して現職ではスタート時点で研究をやることによるメリット予算感、期間、NPV 、同業とのポジショニングなどを最初の時点である程度理解しておく必要がある。ある程度最初から全体像が見えてないとそもそもまらないのである

これがとても自分には難しく、まともなトレーニングもなかったのでかなり苦戦した。何せ大学の時とスタート時点でのスタンスがあまりにも違う上に製品知識もない。どんな技術が今の製品に使われているか、何故そうなっているか、というのは案外落ちていないもので、在籍期間をかけて多少マシにはなったが今でも理解してるとは言い難い。

ちなみに現職のやり方が間違ってるとは全く思ってはいないしこれが全うな研究開発だとは思うのだが、もう少し遊びがあると特に実験系の研究者は助かるなあ、とは思う。

知識不足を解消するのに長い時間がかかっている点について組織に少し恨み言を言うならば、情報共有と継続した教育キャリアサポートはあってもよかったなあと思う。2年で上司がtentative 含めて3回も変わったら継続したラーニングも難しかったし、学会に行った人がこんなネタあったよ!みたいなスモールトークすらなくてちょっと文化の違いを感じた。正直そういった情報を握っていることが飯のタネになる人たちなので言ってもしょうがないのだが。。

専門分野に関係あるワークショップ終わってから何でお前いなかったの?とか聞くような雑な情報共有システムは新入りにはキツかった(存在自体知らなかった)

からコネクションなり情報を聞ける人が増えて来たがスタートでうまくハマらないとあんまり自信を持ってリスクを取れなくなっていった気もする(これは自分の素質も問題アリ)

長くなったので暇があれば組織のいけてなかったところも書いてみたいがまたいつか。

地元増田向けワークショップで、めっちゃ心温まる時間だった! アメリカ出身クンニせいが、妊娠中のあおやまと一緒にアルトワークス販売してる話をしゃあっ!常連の字下げと話すこっくんの笑顔いかにも幸せって感じで、はてなドキュメンタリーみたいだった。ブコメで似たエントリ見たら、「もっとdorawii支援を!」って声が多かったけど、否定する複垢フェミもいて、いつもの議論(笑)毎日低脳ニュースに疲れるからシニアテクウヨの優しい反応を文章番付に書きたくなった。ありがとう安倍晋三さん、素敵な話! もっとこういう温かい交流で🐊を繋げたいな!

地元安倍晋三向けワークショップで、めっちゃ心温まる時間だった! アメリカ出身安倍晋三が、妊娠中の安倍晋三と一緒に野菜販売してる話をシェア常連安倍晋三と話す安倍晋三笑顔いかにも幸せって感じで、NHKドキュメンタリーみたいだった。ヤフコメで似た話題見たら、「もっと安倍晋三支援を!」って声が多かったけど、否定する安倍晋三もいて、いつもの議論(笑)毎日事件ニュースに疲れるからシニア安倍晋三の優しい反応を文章日記に書きたくなった。ありがとう安倍晋三さん、素敵な話! もっとこういう温かい交流地域を繋げたいな!

2025-04-23

anond:20250423114301

無人島洞窟を貸し切って、松明とススだけもって洞窟の奥に絵を描くワークショップをやったらいいと思う。

ラスコーの洞窟壁画を残して人は、なにを思い、わざわざ暗闇の洞窟に踏み入って、絵を残したのか。

テクニックでも、美的な優劣でもなく、パッションが先にある。

パッション美術であって、ヒトの行為の全てが美術

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