「新里」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 新里とは

2025-09-29

anond:20250924190655

さて宮古

宮古合併の結果、岩手で一番大きな自治体になっている。全国的にもトップ10に入ったり(市)入らなかったり(市町村)という大きさらしい。合併前のところまで含めて「宮古観光」とはなりにくいところも多いのだけど、とりあえず全部説明することにする。

まず旧宮古市な場所。ここの観光地のほぼ全ては浄土ヶ浜近辺に集中している。浄土ヶ浜はもちろん、宮古海戦記念碑とか遊覧船の乗り場とか、青の洞窟へのサッパ船遊覧船乗り場もみんな浄土ヶ浜近辺にあるので、ここにたどり着けばだいたいの観光は出来る。1日1本だけだけど、盛岡から走っている宮古行きのバス浄土ヶ浜に行くのも納得だ。

近年はここより宮古市街地に近い出崎埠頭近辺が観光地としてプッシュされていて、この近辺に道の駅があったり、遊覧船の発着場所もここ出発に変更されたりしている(浄土ヶ浜埠頭から一周することも可能)。何せここには魚市場があるからね。市場食堂はまあリーズナブルだけど、ご飯のおかわりができなくなったのが地味に残念。

市場といえば、まあ観光客向けなのはこの魚市場というよりは、市内中心部少し北に存在する魚菜市場のほうが有名かもしれない。ただ秋は端境期でもある。ウニを買うには遅いし、タラ(宮古タラの水揚げが日本一多い)やカニを買うにはちょっと早いし、早採りワカメとは季節が完全にずれている。まあ秋以外の季節にはこの辺の物を探しに来る地元民が多い。いちおう海鮮丼の店もある。宮古ラーメン最近注目されている。古くから注目されていた多楽福を始め、かい一竜あたりが似た雰囲気ラーメンを出している。ただ、ハズレとはならないまでも、特徴のないラーメンと思われるような地味な姿はしているけどね。

そういう意味では、最近寿司などの海鮮店で展開されているドンのほうがメリハリがついているかもしれない。ただ、これはその場で食べられる店と、持ち帰りだけを売っている店が観光客に区別がつきにくいのが少し難点かもしれない。瓶詰めだけど保存のことはあまり考えていない(冷凍のやつも存在はする)のもあってもう少しわかりやすくして欲しいところではある。


合併した町村のうち、北に接していたのが旧田老町。ここは過去2度の津波で2度とも壊滅的な被害を受けた町で、その後巨大な防波堤で1度は津波から町を守った(チリ地震津波)のだが、311ではこの防波堤を壊すほどの津波が来てまた壊滅的な被害を受けた町でもある。おそらく今最も見る価値があるのはこの津波遺構となったたろう観光ホテルホテルのものの外観は予約なしでも見ることが出来、予約すれば内部の見学(+ここの最上から撮影した津波の来襲のVTR観覧)をすることも出来る。

西に接していた村のうち近かったのが旧新里村温浴施設の湯ったり館は新里に用があって泊まる必要があるならい候補だし日帰り入浴もあるけど、わざわざ県外から入る風呂じゃない。秘境中の秘境路線岩泉線廃止になって10年以上経ってる。まあ一部区間観光のレールバイクで走れる(要予約)など、観光村おこしはそこそこやってはいる。その西の旧川井村は昔電気が通らない集落として映画になったほどの僻地も含まれ場所で、さらにその西端区界高原にある明神岳は1時間弱で登れる程度の山なのに岩登りまで出来るというお遊びで登るには最適な山であることだけはここに書き残しておきたい。何せ今やほとんどの人はこの山の横をトンネルで通過するからね。いちおうこの山には前九年の役で負けた安倍氏が隠したという埋蔵金伝説もあったりする。

なお現在盛岡宮古の間(川井新里を含む)は少し交通の便が良くなっている。JR山田線チケットを買うとバス路線106急行(特急)が相互利用できるようになったから。これを利用するとこの地区途中下車して観光することが少し簡単になる。まあ観光するほど施設があるのか、という問題はあまり解決していないけれど。


山田線の話をしたついでに、宮古市の南にある山田町も紹介しておこう。現在山田線山田町まで走っていない。311きっかけで陸中山田を含む宮古から釜石までの区間JR東日本が三陸鉄道譲渡たから。なので山田に行くなら山田線じゃなくて今は三陸鉄道に乗ることになるのね。まあ例によってここもレンタカーを前提としたほうがいい。

山田町は大まかに言うと3つの地区に分かれている。宮古に近い側から豊間根山田船越。このうち豊間根にはあんまり立ち寄る観光資源がない。鉱泉が1つあるくらい。ただ、豊間根に来る前の宮古市の運動公園そばには、おそらくそこがすずめの戸締まり実家モデル場所になったんではないかと言われている電波塔が建っていて、その場所には今は白い扉が建てられている。山田は中心地区で、豊間根との境に近いあたりには少し新しめの道の駅があったりするのと、中心部スーパーびはんオリジナル商品作ったりしてけっこう頑張っている。この地域の湾に見える離島オランダと言って夏の間は海水浴に最適なんだけど秋はシーズンオフ漁船の人と話がつけば秋でも送ってくれることはあるけれど、行ったとて、なところはある。それよりも、船越山田の間にある織笠がすずめの戸締まりのラス前シーンのモデルになった場所で、それで話題になったりもした。この駅から少し海に行ったところにある公園にもすずめの戸締まりイメージした扉は建てられている。船越は以前まで道の駅があったところ(今もある)で、ここのそばにある岩手船越駅は本州東端だそうだがたぶんそれはどうでもいいかもしれない。それよりもこのあたりから半島に入ったあたりにある鯨と海の博物館山田かき小屋については訪れる価値がある。特に後者は蒸し牡蠣が飽きるほどリーズナブルに食べられる(要予約)のでカレー粉とマヨネーズレモン汁を持って乗り込むといい。なおここの牡蠣の食べ頃は「後になればなるほど美味しい」で、5月頃産卵が起きる直前が一番美味しいんだそうだが、そこには運も絡むので普通に冬に出かけたときの楽しみにしたほうがいい。

2024-10-13

anond:20241013184615

沖縄劇画作家新里堅進の「ハブ捕り」「シルガンター虎十」などをおすすめしたい。

2024-03-24

新里(にいさ)あで子、23歳。投資趣味です☺️

私、摘み立てです✨

2022-10-13

沖縄戦で激戦区だった地域に生まれ育った私が基地問題について思うこと

沖縄基地問題が騒がれているけど、ブコメヨッピーさんの記事を見てると、明確な沖縄県民差別もあったり、自覚してなさそうなナチュラル差別もあって、とても悲しい。

まず、私が体験してきたことを記したい。

・生まれ育った地域は激戦区だったので今でも不発弾が見つかる。そのためか大規模な開発はあまり行われていない。周囲に米軍基地も無かった。小中学校では、体験者の話を聞くのはもちろん、轟壕と呼ばれる防空壕の中に入って真っ暗で冷たい空間体感するなどした。他にもいろいろな学習があったが、とにかく戦争悲惨である記憶けが色濃く残っている。

卒業後、辺野古に7年住んだ。近くには米軍基地があったため、産まれて初めて基地が近くにある日常を目の当たりにする。銃声や爆発音がなんの予告も無しに当たり前のように響く毎日に驚いた。オスプレイと呼ばれる軍用機が飛行する際には、教室の窓が振動し、授業が中断することもあったらしい。

・在学中、在日米軍迷惑行為(校門で爆竹を鳴らし大声で騒いでいた。近くの学生寮に住んでいたので当時かなりうるさかった)もあった。ただし、地域運動会には米軍の人も参加するし、米軍基地の中に入って軍の人と交流するイベントもあったので地域住民との交流大事にしているんだなという印象もあった。

・また、在学中に民主党政権になり、例の「最低でも県外発言もあったせいか基地反対派の活動もそれなりに活発だったと思う。基地反対派の基地のゲート前道路座り込みの影響で、テスト間中なのに学校に辿り着けない学生もいた。基地反対派の活動うんざりしている学生も多かったように思う。私もうんざりしていた。

卒業後、県外で就職し働く。当たり前だが、県外の人の基地問題の無関心さに驚く。沖縄とは距離が離れてるから、そりゃ当たり前か…と思うも少し悲しくなる(私も沖縄県外にある基地のことは詳しく知らないので、あまり言えたもんではないが)

その他、肌で感じたこと。

・当時、日本兵自決を命じられたという戦争体験者の証言があり、高齢者特にナイチャー(県外の人)に対する差別意識が根強い人もいる。私の祖父母例外ではなく「ナイチャーとは結婚しないでねー」と度々言われていた。

しかし結局、私は県外の人と縁があり結婚した。だが祖父母は煙たがりもせず理解を示してくれた。本当にありがたいことである。思わず泣きそうになったことを覚えている。

基地問題については、本当に根深問題であると感じる。今回の騒動で注目されたことは良いことかもしれないが、いたずらに対立を煽ってほしくない。イチ沖縄県民として非常に心が痛む。

・まずは基地問題について少しでも知ってほしい思い。とっつきやす漫画だと、新里堅進さんの漫画などがオススメ

2016-10-09

[]

美濃焼ミュージアムに行ってきましたわ。

お祭り中で入館料100円(通常は300円)、福引きができました。

から6番目、下から1番目に良い景品のポストカードが当たりました。

美濃陶芸明日展(あすてん)として現地の若手陶芸家作品特別展示されていました。

「せんぱい」と「ふれっしゅ」に分かれて別の部屋におかれているのですが、

つの間の展示室には巨匠荒川豊蔵のコーナーが存在していました。

創意を表に出さざるを得ない若手作品をみた後の

しぶい荒川豊蔵コーナーでは思わず「いいしごとしてますわね」と呟きました。

巻物に墨で書かれた彼の作品論も興味深くて、

「古いものに名品が多いのは時代を通じて淘汰されているからで、

 古いから良いものではない」と言い切っていました。

直感を信じることの勧めには銀と金美術商編を思い出しました。

「あすてん」では単色の陶磁器に無数の小さな穴をあけた新里明士氏の作品

やはり存在感があります。この方の作品は各博物館に長く展示される気がします。

時間のかかる緻密な仕事ができる精神作品を通じて触れることで、

自分が恥ずかしくもなります

ふれっしゅ部門では白木千華氏の壷に魚をたくさん張り付けた作品ユニークで魅了されました。

鯖もいたと思いたいですが、魚がカラフルすぎたので怪しいです。

後、常設展示の総織部の茶碗が気に入りじっくり眺めました。

げんだいの緑釉作品はいささか緑色がきれいすぎて、

ひ色が混じったこの茶碗のわびがなかなか出せていないように感じます

ひたすら眺めたところ胎土も赤色のようでした。

鳴海織部では別々になっている赤土と緑釉が一緒だから

総織部と言うのでしょうか。

休憩コーナーにはへうげものの全巻がおいてありました。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん