はてなキーワード: ふんどしとは
囲碁だってカジュアルなゲームのひとつなのに、なぜか難解な学問のように思われている節がある
昭和に1000万人も囲碁を打つ人がいたのだからそんなわけがない。未就学児でも打ってるし大人が出来ないということはない
こんなの思ったことないし聞いたこともない…。やってる側が最初にこれ持ってくるのは何か感じ悪くてちょっと笑う。そういうところでは…。
ええ….この増田は実際にあったブコメへのアンサー記事なんだが
ちなみにブコメ以外にもSNSとかリアルでもこの手の意見は大量にあるからね。
自分の視野狭窄を棚に上げ「そういうところ」という言葉を使うあたりにまさに従前からの偏見が滲み出ている。自分こそ初手で他人をディスる前にもうちょっとよく調べよう
なんか囲碁は将棋と違ってAIへの対応が遅れてるみたいなのをよく見かけるけど、棋士がAWS使って囲碁AIと検討してるくらいにはAIに慣れ親しんでるからね
→ 囲碁AIブームに乗って、若手棋士の間で「AWS」が大流行 その理由とは?
見た目が地味なのは他のテーブルゲームも変わらない。色がついている分将棋より視認性が高い。命のやり取りをしてるので中身は実はド派手
www.algorithmicartisan.com/gostones/
最初難しいのはどれも同じ。囲碁だけ特別難しいということはない
最近ぼちぼちやり始めた
将棋の方はヘボなのに囲碁の方だけどんなハイレベルな戦いを前提としているのか。非対称性がすぎる。
10手も20手も読めるのはプロの領域。アマチュアがそのレベルで打ってるわけがない。1~3手の読みが入れば十分。
適当に打って(指して)王手飛車・十字飛車や角での両取り、ふんどしの桂など痛恨の一撃を食らうのは盤面が狭く手数も少ない将棋のほうがはるかに多い。
棒銀などで自陣を突き破られたらほぼ負けるが、囲碁は多少やらかしても盤面が広いので挽回ができる。
超大雑把に言うと、相手の近くに打ったら攻めの手だし、自分の近くや隣接に打ったら弱点を補強する守りの手だと思って間違いない
将棋→飛車先の歩を突かれたから受けないと自陣突き破られる、金上がって受けよう
囲碁→隙間を覗かれてる。次に出てこられると突き破られたり分断されるから石を追加して補強しよう
で、ここで言いたいのが将棋における経験値と囲碁における経験値の差を無視してないか?ということ
果たして将棋の何の経験がない者が棒銀をやられた時に、それが何手も先の自陣崩壊につながっていることを予測できるだろうか
将棋であなたが飛車先の歩を突かれたときに自陣で受ける手を指すことが出来るのは棒銀で自陣を破られた経験があるからだ
直感で理解したわけではなく、自覚してないだけで経験による暗黙知があるからだ
囲碁においても同じことが言える
将棋の意図がわかって囲碁の手の意図がわからないのは、あなたの経験値の差だ
囲碁だって経験値を詰めば「こうすればこうなる」「だからこの守りが必要だ」というのがわかってくるようになる
囲碁において何の経験もないのに予測や意図の理解ができたらそれは紛れもなく天才である
我々は凡人だということを忘れてはいけない、経験や知識を蓄えることでのみ上達できるのだ。
最初の段階で何もわからないのは我々凡人にはいたって当然のことであり気に病むことではない。
見て読んで経験して覚えいくことを、なぜか囲碁にだけは最初から自分が有していることを期待する人が多い
ほとんどの人間は囲碁に対して赤ちゃんと同じ状態なだけだ。麻雀だって最低限役を覚えなければ、アガリの形を目指すことは出来ないだろうし解説を聞いてもチンプンカンプンだろう(生まれた時から麻雀の役が頭に入っている人間はいるだろうか)
詳細に知るならば『一手ずつ解説! 碁の感覚がわかる棋譜並べ上達法』っていうシリーズがあるからそれを読もう。Youtubeならフワ囲碁チャンネルに初心者向けのそういう動画がある。
https://youtube.com/playlist?list=PLfxbYC-F0TEo-mDZurdutQtydSZ_G09HG
それと最近はいごもんってサイトが出来て、「なぜそこに打つのか」という意図や作戦をプロやアマ達が投稿して寄せ合うサイトがあるのでそれを眺めるのもオススメ
囲碁に対する大抵の疑問や誤解は純碁で解ける
おそらく挫折者の理解を妨げている要因であろう陣地や石の生死の概念が純碁にはない
理解を難しくしているであろう陣地と石の生死の概念も、得点を上げようと盤上を石で埋めていく過程で必ず解決されるし、囲碁の「地」や生死というのが実はこの埋める過程を省略しタイムパフォーマンスを上げているだけのものであることが、やっている内に理解できるだろう
純碁こそが囲碁入門の最強のソリューションなので知名度が上がってほしい
全くそんなことはない。アマならツケヒキや星への三々入り定石など代表的なものを数個覚えれば十分。その場のアドリブでなんとかなる。
「定石を覚えて2目弱くなり」「定石は覚えて忘れろ」という至言もある。定石を勉強するのはそこに散りばめられた手筋や考え方を学ぶためであり、暗記するためではないのだ。前者は暗記した定石を披露することが目的化し、その局面に応じて変化することを忘れて余計弱くなるという格言である。
中国の状況はこういう感じなので「囲碁だから(囲碁の特性上の理由で)人気を出すのは無理」ということはない
https://i.imgur.com/U3SPnnj.jpg
https://i.imgur.com/Xq0U6Wv.jpg
https://i.imgur.com/byM8nFI.jpeg
『囲碁シル』っていうAIの選択肢をチョイスするだけのバトルや、定石のキャラカードを配置するだけで対局できる革新的な対局アプリが11月5日にリリースされるらしい
これで囲碁を「追体験」するだけでも何か囲碁に対する緊張感が解けてブレイクスルーのきっかけになるんじゃないか?
https://x.com/hjjgo_japan/status/1983758121828020381
正直、めちゃくちゃ迷った。だって私にとって中学時代は、思い出したくもない黒歴史そのものだったから。
私の通ってた中学は、いわゆる田舎の公立校。クラスのヒエラルキーは、ヤンキーとギャルが頂点に君臨し、私みたいな陰キャは最底辺。スクールカーストって言葉が流行るずっと前から、そこには明確な階級社会が存在した。
当時の私のいじめられ方は、主に外見いじり。今思えば些細なことかもしれないけど、多感な時期の女子には一番きつい。
通りすがりに「ブス」、すれ違いざまに「うわ、ばい菌」。そんな毎日が、私の自己肯定感をゴリゴリに削っていった。鏡を見るたびに自分の顔が嫌いになり、人の視線が怖くなった。
すれ違うたびに「うわ、空気汚れた」と聞こえよがしに言われ、体育でペアを組む相手もいなくて、いつも先生と組まされてた。
リスカもしたし、毎日鏡を見ては本気で明日が来ませんようにと願いながら眠りにつく日々だった。
高校デビューなんて生易しいものじゃない。高校もデビューなんかしていないしむしろ進学校に入ってからも陰キャだった。
大学に入ってバイト代を貯めて、少し顔をいじった。そのあとも必死で仕事した。怒りを燃やして、仕事して、年収上げて、また顔をいじって仕事した。
その結果、奇跡的に誰もが知ってる大手企業に入社し、女性にしてはかなり頑張って稼いでるじゃんといわれるくらいになった。
夫も同じくらい稼いでいて、今の生活に不満はない。
それでも、心のどこかに中学時代のトラウマが澱のように溜まっていた。今回の同窓会は、そんな過去と決着をつけるための、私なりの儀式だった。
会場に着くと、そこにいたのは「あの頃のあいつら」ではなく、「ただのおじさんおばさん」だった。
あれだけ怖かったヤンキー男子たちは、当時を回顧しながらあの時の俺自慢をしている。しかし意外なほど、みんなまともな社会人になっていた。
当時なかなか話せなかったヤンキー男子とも普通に話せるようになっていて感動した。
女子たちは、まるで授業参観日のお母さんのようだった。当時イケてたギャルは、面影を残したままのギャルか、見る影もなく恰幅のいいお母さんかの二択。不思議なことに、あれだけみんな必死に伸ばしていたロングヘアの女性が一人もいなかった。なぜだ。何か申し合わせでもあったのか。
私はというと、この日のためにルミネで奮発した小綺麗なワンピースを着ていった。それが悪目立ちしたのか、若干浮いていた気がする。当時の陰湿ないじめっ子は「あら~増田ってば、セクシーじゃぁん」とか言ってきたがノースリーブのワンピースなだけでどこがセクシーなのかわからなかった。ただただ嫌味なんだろうなとは思った。
一番会いたくなかった、私をいじめていた主犯格の女子も来ていた。彼女は舐めるように上から下まで私を見るなり、「えー!久しぶりー!全然変わらないね!」と馴れ馴れしく話しかけてきた。いや、変わっただろ。思わず「え、本当?!」と言ってしまった。お前が一番いじってた部分を、私は金と努力で変えたんだよ。その笑顔の下にある本心を思うと、背筋が寒くなった。
でも、嬉しい再会もあった。当時、唯一の心の支えだった親友は、昔と全く変わらず超絶優しかった。「会いたかったよ」と言ってくれた時、本当に涙が出そうになった。
当時ほとんど話さなかった男子とも、大人になった今なら普通に仕事や家族の話ができた。これは新しい発見だった。
そして、一番印象的だったのが、いじめっ子グループにいた根暗な奴だ。
そいつは、私が整形したことに気づいたんだろう。でも、直接は何も言えない。チラチラと私を見ながら、隣の友人に「ねぇ、顔変わったよね?ちょっと聞いてきてよ」とコソコソ話しているのが聞こえてきた。他にも「お前、年収いくら?子供は?どこで働いてんの、ベンチャーとか?」とニヤニヤ言ってきた男もいたが、正直にお伝えしてやった。マウントとりたいらしく、自分の周りには優秀な大学卒のやつがたくさんいるとか宣ってて、かなりどうでもよかった。
その瞬間、すべてを察した。
あぁ、こういう奴は一生このままなんだな、と。
人の容姿を笑いものにし、自分では何も言えないくせに、他者を焚きつけて安全な場所から見物する。他人のふんどしで相撲を取ろうとするし、自分を保つために他者を貶めようと必死になる。その陰湿な根性は、20年経っても全く変わっていなかった。
同窓会に行って、過去との決着がついたかと言われれば、正直わからない。
人は変わる部分もあれば、絶対に変わらない部分もある。そして、私を苦しめたあの過去は、今の私を形成するための、必要不可欠なピースだったのかもしれない。
もう、あいつらのために心をすり減らすのはやめよう。
もし今、昔の私みたいにいじめられて苦しんでいるやつがこれを読んでいたら、言いたい。
そして、勉強でもスポーツでも何でもいい、狂ったように努力しろ。力をつけろ。
というわけで、明日からまた、資本主義の馬車馬としてバリバリ稼ぐ日常に戻るわ。
じゃあな。
オタクは百合消費するくせにレズビアンや現実の同性愛者に冷淡とか、百合を消費するだけして現実のことに目を向けない自己中心的で精神的に未成熟で云々とか主語でかくして誤魔化すな
なんでオリジナルでやらないで、人気のジャンルや人気のキャラにタダ乗りしてんだ
やってることが金稼ぎのためににわか同人誌描いてるイナゴと対して変わらんから、お前らの言う「気持ちの悪いオタク」として受け入れられねえんだ
政治的活動や主張のために作品やキャラ使っていいって書いてあるのか?
ゆるめガイドライン以外だと「政治や宗教的な主張のために作品やキャラを使わないでね」の文言が添えられてる場合はよくあるんだから