「バイト代」を含む日記 RSS

はてなキーワード: バイト代とは

2025-11-11

ありがとうKAT-TUN オタクより

18歳だった。子どもの頃から筋金入りのおたく少年ジャンプがなによりも楽しみで二次元男の子たちのかっこよさに安心して興奮してた。

受験頑張ってそれなりの大学に入ったか大学デビューしてみるかと思って色々頑張ったけれど、学籍番号が近くて最初にできた友達自分同様一皮剥けようと頑張ってるオタクで、やっぱりどうしてもオタクといるのが楽しくて楽しくて上京してきたその子が暮らす西武新宿線の家に入り浸っていた。

無限時間を生きていた私たちにとってのいちばん問題は某スポーツ漫画激推ししていたキャラの登場頻度が激減したことで、あまりさびしいさびしすぎると嘆きながら毎朝五時までジャンプを模写していた。楽しくて楽しくて仕方がないのに某スポーツ漫画で味わったような衝撃をもう一度、人生であと一度だけでいいから味わいたいという若さ特有飢餓感の中にいた。もうあんな衝撃はないんじゃないか若さ特有の悲観に囚われ始めた、そんなときにその子が見つけたのが彼らだった。

ごくせん2っていうドラマに出てる子達、二人ともホストみたいだけどなんか気になる。見てみてほしい。

えー人間じゃんと思った。ずっと二次元に向けてきたもの人間に向けるという発想がなかったし、高校にいた癖の強いジャニオタが頭に浮かんであんまり気が進まなかったが、友達と一緒になにかにまれたら良いなと思ってテレビをつけてみた。

ふんふん、面白いじゃん、へえ、かっこいい。なんか顔が似てるなこの二人。ヤンキーもの漫画っぽくて嫌いじゃない。なんかアングラ感ある店でバイトする高校生か、悪くない。

デゴイチノーモアクライが流れる中、仏頂面の小田切が投稿してくる。集団を引き連れそれを迎える矢吹「久しぶり、今更なに? 俺まだお前のこと許してないんだけど」見開かれる目、暴力の気配、小田切の頬を打つ矢吹の拳。

自分が殴られたような気分だった。

「なにあれ、なにあれ、なにあれ!!」

当時はガラケーだった。友達に速攻メールした。即返信あり。言語化できない興奮。無限に連なっていくRe:Re: Re:Re: Re:Re:

次の夜には西武柳沢にいた。なにもわからYouTubeの荒い動画あさり離さないで愛に行きつき、ハルカナ約束に行きつき、ボニーバタフライに行きつき、バイト代ぜんぶ注ぎ込んで横アリチケット買った。予習はした。お客様サマーも見た。こんなに人気なのにCDがまだなくて「デビュー前」なのがどういうことなのか意味がわかってなかった。ほんとうになにもわかってなかった。ヤフオクで競り落としたよからチケットを握りしめて会場に行った。嫌われ者のごく出新規だったが、それでも生まれて初めての横浜アリーナ階段を、自分たちの席を探しておりていったとき光景を一生忘れられない。

私たちは順調に転がり落ちていった。ファンクラブに入った。バイトの鬼になった。たくさん申し込んで金欠になって外れて返金で首の皮一枚繋がるサイクル。

つのまにか箱推しになっていた。神サマーベストフレンドでうえぷのこと大好きになって横アリ中丸夢になって田中聖ラップすごくない?ってなって教習所で再会した同小の子布教により田口のこと大好きになった。ニューヨーク写真集で6人が踏んだ土踏んでみたくてバイト代貯めてニューヨークに行った。写真集を見たお母さんが言ってくれた言葉が忘れられない。例えばこんな子たちが飛行機にいたら、綺麗だなってびっくりするわよ。

自分の手柄でもなんでもない誇らしかった。推しが素晴らしいと誇らしいんだという最初気づきだった。これまで想像してきたジャニーズから逸脱しているように見える規格外グループ出会たこと、そのファンであることが、自分にとっての新しいアイデンティティだった。私たちジャニオタなんだ、って友達と定期的に言い合っておどろいていたけれど振り返ると私はKAT-TUNオタクだった。他のグループコンサートにもだんだん行くようになったし遠征もしたけどKAT-TUNほどに心を揺さぶってくる人たちはいなかった。

この無敵のように浮かれた期間は短かったはずだ。赤西留学によりブレーキがかかったから、ほんとうに短い。それからもいろんなことがありすぎた。アイドルってこんなふうになるもんなの? これがジャニーズなの?って思ったけれど、アイドルらしくなくジャニーズらしくない人たちにハマる手数料みたいなものなのだとしたら案外釣り合いがとれるのかもしれない。

でもけっきょく、KAT-TUNを好きでどんな日々だったか振り返ろうとするといつだって同じ景色が見える。あの横アリ階段をもうすぐあえると思いながら降りていったときのことをいちばん覚えている。

あれから20年経って大人すぎるくらい大人になり、良くも悪くも人生はいろんな衝撃があると知ったけれど、18歳の自分を襲ったあの衝撃がうすれることはない。

あのころのように新しい衝撃を渇望するだけの元気はもうないけれど、生きていたら同じくらいの衝撃が襲ってくるかもと期待する気持ちがどこかにある。

殴打音と共に、舌打ちと共に、あのとき過分な衝撃を与えてもらったからだ。彼らのおかげで私は18歳のころから、期待しながら生きられている。

ありがとうKAT-TUN。次の衝撃があなたたちによるものであればよいと願わずはいられないけれど、どっちにしたってあなたたちを追いかけた青春がこの先の道を照らしている。

 

ありがとうKAT-TUN オタクより

18歳だった。子どもの頃から筋金入りのおたく少年ジャンプがなによりも楽しみで二次元男の子たちのかっこよさに安心して興奮してた。

受験頑張ってそれなりの大学に入ったか大学デビューしてみるかと思って色々頑張ったけれど、学籍番号が近くて最初にできた友達自分同様一皮剥けようと頑張ってるオタクで、やっぱりどうしてもオタクといるのが楽しくて楽しくて上京してきたその子が暮らす西武新宿線の家に入り浸っていた。

無限時間を生きていた私たちにとってのいちばん問題は某スポーツ漫画激推ししていたキャラの登場頻度が激減したことで、あまりさびしいさびしすぎると嘆きながら毎朝五時までジャンプを模写していた。楽しくて楽しくて仕方がないのに某スポーツ漫画で味わったような衝撃をもう一度、人生であと一度だけでいいから味わいたいという若さ特有飢餓感の中にいた。もうあんな衝撃はないんじゃないか若さ特有の悲観に囚われ始めた、そんなときにその子が見つけたのが彼らだった。

ごくせん2っていうドラマに出てる子達、二人ともホストみたいだけどなんか気になる。見てみてほしい。

えー人間じゃんと思った。ずっと二次元に向けてきたもの人間に向けるという発想がなかったし、高校にいた癖の強いジャニオタが頭に浮かんであんまり気が進まなかったが、友達と一緒になにかにまれたら良いなと思ってテレビをつけてみた。

ふんふん、面白いじゃん、へえ、かっこいい。なんか顔が似てるなこの二人。ヤンキーもの漫画っぽくて嫌いじゃない。なんかアングラ感ある店でバイトする高校生か、悪くない。

デゴイチノーモアクライが流れる中、仏頂面の小田切が投稿してくる。集団を引き連れそれを迎える矢吹「久しぶり、今更なに? 俺まだお前のこと許してないんだけど」見開かれる目、暴力の気配、小田切の頬を打つ矢吹の拳。

自分が殴られたような気分だった。

「なにあれ、なにあれ、なにあれ!!」

当時はガラケーだった。友達に速攻メールした。即返信あり。言語化できない興奮。無限に連なっていくRe:Re: Re:Re: Re:Re:

次の夜には西武柳沢にいた。なにもわからYouTubeの荒い動画あさり離さないで愛に行きつき、ハルカナ約束に行きつき、ボニーバタフライに行きつき、バイト代ぜんぶ注ぎ込んで横アリチケット買った。予習はした。お客様サマーも見た。こんなに人気なのにCDがまだなくて「デビュー前」なのがどういうことなのか意味がわかってなかった。ほんとうになにもわかってなかった。ヤフオクで競り落としたよからチケットを握りしめて会場に行った。嫌われ者のごく出新規だったが、それでも生まれて初めての横浜アリーナ階段を、自分たちの席を探しておりていったとき光景を一生忘れられない。

私たちは順調に転がり落ちていった。ファンクラブに入った。バイトの鬼になった。たくさん申し込んで金欠になって外れて返金で首の皮一枚繋がるサイクル。

つのまにか箱推しになっていた。神サマーベストフレンドでうえぷのこと大好きになって横アリ中丸夢になって田中聖ラップすごくない?ってなって教習所で再会した同小の子布教により田口のこと大好きになった。ニューヨーク写真集で6人が踏んだ土踏んでみたくてバイト代貯めてニューヨークに行った。写真集を見たお母さんが言ってくれた言葉が忘れられない。例えばこんな子たちが飛行機にいたら、綺麗だなってびっくりするわよ。

自分の手柄でもなんでもない誇らしかった。推しが素晴らしいと誇らしいんだという最初気づきだった。これまで想像してきたジャニーズから逸脱しているように見える規格外グループ出会たこと、そのファンであることが、自分にとっての新しいアイデンティティだった。私たちジャニオタなんだ、って友達と定期的に言い合っておどろいていたけれど振り返ると私はKAT-TUNオタクだった。他のグループコンサートにもだんだん行くようになったし遠征もしたけどKAT-TUNほどに心を揺さぶってくる人たちはいなかった。

この無敵のように浮かれた期間は短かったはずだ。赤西留学によりブレーキがかかったから、ほんとうに短い。それからもいろんなことがありすぎた。アイドルってこんなふうになるもんなの? これがジャニーズなの?って思ったけれど、アイドルらしくなくジャニーズらしくない人たちにハマる手数料みたいなものなのだとしたら案外釣り合いがとれるのかもしれない。

でもけっきょく、KAT-TUNを好きでどんな日々だったか振り返ろうとするといつだって同じ景色が見える。あの横アリ階段をもうすぐあえると思いながら降りていったときのことをいちばん覚えている。

あれから20年経って大人すぎるくらい大人になり、良くも悪くも人生はいろんな衝撃があると知ったけれど、18歳の自分を襲ったあの衝撃がうすれることはない。

あのころのように新しい衝撃を渇望するだけの元気はもうないけれど、生きていたら同じくらいの衝撃が襲ってくるかもと期待する気持ちがどこかにある。

殴打音と共に、舌打ちと共に、あのとき過分な衝撃を与えてもらったからだ。彼らのおかげで私は18歳のころから、期待しながら生きられている。

ありがとうKAT-TUN。次の衝撃があなたたちによるものであればよいと願わずはいられないけれど、どっちにしたってあなたたちを追いかけた青春がこの先の道を照らしている。

 

2025-11-05

最近Twitter

実家暮らし学費もなにもかも親にだしてもらってて好き勝手朝帰りしてバイト代を全部好きなように使えて,その状況で5000円積み立てていることを明るみにして,えらーいって言われて,これくらいのマネーリテラシーあって当然ですけど,ないお宅らが低俗なだけでは?って得意げになっている様,やーだな。って,思ったときのことを思いだした。

最近Twitter貧乏人 VS 親が金持ち。その前は,美容命 VS すっぴん

なーんかさ,わかりあえないからって嫌味を言い合うからよくないんじゃん,と思う。経済状況が悪かろうが生まれ持った容姿女優級じゃなかろうが,生きてていいしバカにされる筋合いはない。それでいて,なおかつそのような性質の人だからといって,経済的に豊かなひとや見た目に自信があるひとを不用意に傷つけていいわけではない。逆もしかり。

おかしいよ,最近Twitter

私も自分生活費等々をなんとかしてるからさ,暮らし向きの明るし実家住みのひとのあれやこれやを聞くとはあ?って思うことはある。思うことまではしょうがない。けど,それをその人の前で出したらあかん,ただそれだけやないんかな。経済状況も容姿のこともしゃーないやんか。配られたカード勝負しなくちゃいけない局面だってある。羨んでも仕方ないとわかりつつ,恨めしく思うときもある。けどそれが常になっちゃだめだし,ましてや自分と違う環境にいるひとを攻撃するのはお門違いだよ。

不幸になりたいならそうするほうがいいのかもしれないけど,とふと思う。

ま,マウンティングして優位性を確認して初めて安心感を得る人種というのもいるんだろうけれども,それはそれ。

2025-10-24

A3サイズ世界を変える、四畳半の戦い

7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。

自分企画した仮設の公園シリーズデザイン制作物を依頼する場だった。

まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズ世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息ストローの袋を吹き飛ばした気がする。

その後に作ったA3フライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。

それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。

HさんはあれからマジでA3サイズ世界を少しずつ変えてってると思う。

先週、哲学対話研修をしに来てくれたNさんに

「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。

Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。

誰が哲学を遠ざけ、対話しようとする人を傷つけてきたのか。

哲学と、対話という言葉意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。

今の自分は、どうだろう。

「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくそ感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。

どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。

思い出すと自分も「A3世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。

少し前、自分臨時職員だった。アート教育に関わる仕事給料は月13万円。

周りの正規職員は倍くらいの給料をもらってる。

でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。

アーティストクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。

それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。

先にコンビニおにぎりホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。

同じ部署臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。

上司は定時で帰宅して、赤ちゃん風呂に入れるという。

それは素晴らしいことで、自分今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないかしょうがないんだ。自分子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。

「カタパン説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司うまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」

大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックライブを初めて聞いて衝撃を受けた。

退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。

こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。

そこには市民有償ボランティア制度サポートスタッフがあった。入りたいと思った。

でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイト経験した。

3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフ登録する。

“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日教育普及の職員に付けられたあだ名

理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分否定しなかった。

ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。

もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。

自分も笑われているのに。

どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。

周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。

周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない

自分自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。

ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。

今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。

常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。

付き合いの長い上司からあなた専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。

しか自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。

伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。

今の自分は、どうだろう。

昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶ジュースミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。

コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。

離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。

祖母隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。

「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。

飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護仕事を諦めたそうだ。

介護仕事給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。

彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。

彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。

おもわず隣の大学生がもらい泣きして、タオルで涙をぬぐう。

そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。

自分も鼻の奥がツーンとして小さな涙を指で拭う。

この場所では、泣いても誰もバカにしない。

最後彼女は「いつか絶対介護に戻りたい」と話してくれた。

その姿は強くてまぶしくて思わずみんなで応援した。

尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。

自分は、館長の本棚にあった「公共役割とはなにか」という本をもらった。

館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。

まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、

公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。

人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。

それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。

形のない、透明なお墓みたいな時間場所

誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。

小学生がうちの施設社会見学に来たら「メディアテクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターインターネット映像、照明、音響かいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいもの想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディアテクノロジーひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。

このアートセンターでは、メディアテクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって

例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。

日立ち寄ってくれた年配の2人組。

少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。

これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。

男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。

その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクト大事」とか「経営的な戦略必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。

いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。

簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界絶対間違ってる。

世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手世界を掻き回すことじゃ絶対にない。

世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい

ここに生きてる人間がいますよ。

この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。

「人の心に反射したその光こそが作品作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。

心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。

収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。

言葉日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。

先週も大学を訪ねたら「アート自分には縁がないもの」と学生匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。

でも自分アートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。

あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。

ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。

自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。

しか自分文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。

それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。

昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。

朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生ブラインドトークワークショップに参加させてくれた。

10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。

5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。

その後のフィードバック時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。

から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気テイストイラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。

どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。

最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっち説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。

ほんとは完璧コミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。

みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう

先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生先生も全員サポスタに登録して欲しい。

同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これからまれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。

トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリータンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護夜勤ウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しVtuberスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛カップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話コントをやる芸人も、補聴器電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いす山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島保育士を探す町長も、推しジャージライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井まで SSRが来ない高校生も、フィリピンごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<

2025-10-12

anond:20251011161343

あれ、薄っぺらい経歴だなって上司が思うということは、これまでその職場にはもっと薄っぺらくない人が来てくれていた蓋然性が高いんだよな。高いバイト代なんてこれまでも出していないだろうけど、それでもそれなりの人が来てくれるような職場だったわけだ。どうもあれを読んで騒いでいる人たち、そのことが頭に入ってないようだけど。

2025-09-24

anond:20250924091520

普通バイト募集に誰も応募してこなくて地方の零細工場なのにショットワーク系アプリを使わざるえない

タイミー一強すぎて高い手数料タイミーを使わなければならない

その高い手数料分をバイト代に乗せて募集したら来そうと思ったがそうでもないんかね。

固定費がどうのとあったし、固定費分を引くと対して上げれんのか?

anond:20250924151047

バイトって雇い続ける必要があるからある程度固定費が掛かるんだよ。

バイトとしてその店に収まりたい人はある程度まとまった収入が欲しいわけで、店都合でシフト入れないみたいなのはまれない。

でも店としてはいらないバイトバイト代払いたくない。

てなると必要とき必要な人を雇ったほうがコスパが良い。

2025-09-23

20年ぶりに中学同窓会に行ったら、地獄天国がそこにあった

先日、約20年ぶりに中学同窓会に行ってきた。

正直、めちゃくちゃ迷った。だって私にとって中学時代は、思い出したくもない黒歴史のものだったから。

私の通ってた中学は、いわゆる田舎公立校クラスヒエラルキーは、ヤンキーギャルが頂点に君臨し、私みたいな陰キャは最底辺スクールカーストって言葉流行るずっと前から、そこには明確な階級社会存在した。

当時の私のいじめられ方は、主に外見いじり。今思えば些細なことかもしれないけど、多感な時期の女子には一番きつい。

通りすがりに「ブス」、すれ違いざまに「うわ、ばい菌」。そんな毎日が、私の自己肯定感ゴリゴリに削っていった。鏡を見るたびに自分の顔が嫌いになり、人の視線が怖くなった。

すれ違うたびに「うわ、空気汚れた」と聞こえよがしに言われ、体育でペアを組む相手もいなくて、いつも先生と組まされてた。

リスカもしたし、毎日鏡を見ては本気で明日が来ませんようにと願いながら眠りにつく日々だった。

そのコンプレックスが、ある意味私を動かす原動力になった。

高校デビューなんて生易しいものじゃない。高校デビューなんかしていないしむしろ進学校に入ってから陰キャだった。

大学に入ってバイト代を貯めて、少し顔をいじった。そのあとも必死仕事した。怒りを燃やして、仕事して、年収上げて、また顔をいじって仕事した。

その結果、奇跡的に誰もが知ってる大手企業入社し、女性にしてはかなり頑張って稼いでるじゃんといわれるくらいになった。

夫も同じくらい稼いでいて、今の生活に不満はない。

それでも、心のどこかに中学時代トラウマが澱のように溜まっていた。今回の同窓会は、そんな過去と決着をつけるための、私なりの儀式だった。

会場に着くと、そこにいたのは「あの頃のあいつら」ではなく、「ただのおじさんおばさん」だった。

あれだけ怖かったヤンキー男子たちは、当時を回顧しながらあの時の俺自慢をしている。しかし意外なほど、みんなまともな社会人になっていた。

当時なかなか話せなかったヤンキー男子とも普通に話せるようになっていて感動した。

女子たちは、まるで授業参観日のお母さんのようだった。当時イケてたギャルは、面影を残したままのギャルか、見る影もなく恰幅のいいお母さんかの二択。不思議なことに、あれだけみんな必死に伸ばしていたロングヘアの女性が一人もいなかった。なぜだ。何か申し合わせでもあったのか。

私はというと、この日のためにルミネで奮発した小綺麗なワンピースを着ていった。それが悪目立ちしたのか、若干浮いていた気がする。当時の陰湿いじめっ子は「あら~増田ってば、セクシーじゃぁん」とか言ってきたがノースリーブワンピースなだけでどこがセクシーなのかわからなかった。ただただ嫌味なんだろうなとは思った。

一番会いたくなかった、私をいじめていた主犯格女子も来ていた。彼女舐めるように上から下まで私を見るなり、「えー!久しぶりー!全然変わらないね!」と馴れ馴れしく話しかけてきた。いや、変わっただろ。思わず「え、本当?!」と言ってしまった。お前が一番いじってた部分を、私は金と努力で変えたんだよ。その笑顔の下にある本心を思うと、背筋が寒くなった。

でも、嬉しい再会もあった。当時、唯一の心の支えだった親友は、昔と全く変わらず超絶優しかった。「会いたかったよ」と言ってくれた時、本当に涙が出そうになった。

当時ほとんど話さなかった男子とも、大人になった今なら普通に仕事家族の話ができた。これは新しい発見だった。

そして、一番印象的だったのが、いじめっ子グループにいた根暗な奴だ。

そいつは、私が整形したことに気づいたんだろう。でも、直接は何も言えない。チラチラと私を見ながら、隣の友人に「ねぇ、顔変わったよね?ちょっと聞いてきてよ」とコソコソ話しているのが聞こえてきた。他にも「お前、年収いくら子供は?どこで働いてんの、ベンチャーとか?」とニヤニヤ言ってきた男もいたが、正直にお伝えしてやった。マウントとりたいらしく、自分の周りには優秀な大学卒のやつがたくさんいるとか宣ってて、かなりどうでもよかった。

その瞬間、すべてを察した。

あぁ、こういう奴は一生このままなんだな、と。

人の容姿を笑いものにし、自分では何も言えないくせに、他者を焚きつけて安全場所から見物する。他人ふんどし相撲を取ろうとするし、自分を保つために他者を貶めようと必死になる。その陰湿根性は、20年経っても全く変わっていなかった。

同窓会に行って、過去との決着がついたかと言われれば、正直わからない。

でも、一つだけ確信したことがある。

人は変わる部分もあれば、絶対に変わらない部分もある。そして、私を苦しめたあの過去は、今の私を形成するための、必要不可欠なピースだったのかもしれない。

もう、あいつらのために心をすり減らすのはやめよう。

私は私の人生を、これからも胸を張って生きていくだけだ。

もし今、昔の私みたいにいじめられて苦しんでいるやつがこれを読んでいたら、言いたい。

世界学校だけじゃない。そこが地獄なら、逃げろ。死ぬな。

そして、勉強でもスポーツでも何でもいい、狂ったように努力しろ。力をつけろ。

20年後、最後に笑うのは絶対に君だ。

というわけで、明日からまた、資本主義の馬車馬としてバリバリ稼ぐ日常に戻るわ。

じゃあな。

2025-09-22

anond:20250922104155

いや日本米軍植民地なんだから

からロシア語中国語フランス語話者

郵便宛あて先とか電話とか、違法検閲されてるだろ

諜報員やってバイト代貰うとかクズだな

こっちにはそんな話来たことねえわ

2025-08-30

anond:20250826183054

これもともとの増田と違う相談についての答えでしょ?

「妻:アルバイト週2で月10万弱。家計に入れず。」

これで妻が「足りない」って言ってる

足りないのは本当?って聞いてる

答えは「足りないのは本当」

なぜなら食費で5万くらい使ってるとして残り自由に使えるお金は5万ほど

それでは足りない

化粧品美容院洋服、などもこのバイト代から出してるだろうから純粋に遊びに使えるのって3万くらいじゃない?

「足りない」って思うのは普通

2025-07-31

anond:20250731025456

使役バイト文句言うのは当たり屋すぎだろ

自分達も出る大会運営人員必要バイト代出るだけましなのに、そんな文句言うならボランティアにするか?

馬事公苑以外の場所への移動も、誰かしら親が車持ってるからその車で行かない?

上京地方出身しかいない(付属から馬術やってるような関東出身者が少ない)大学ってことは、ザコ大なわけだから大会でるのやめたら?

2025-07-29

趣味に突っ走りがちな人が勘違いやすいこと

趣味の界隈で

自分でもここまで夢中になるなんて思わなかった、自制効かなくならない方法ある?」

という相談を受けた

「君の人生なんだから好きにすればいい」

という答えしかできなかった。

おそらく相手には真意が伝わってなかったと思う。

 

上手く要約して直接伝えられなかったから、思考整理も兼ねてここにたれ流す。

 

突き放してるように見えるかもしれないけど、ぶっちゃけ現実文字通り、そうなんだよ

ここで「気にせず突っ走れ」「何とかなるさ」って言われて

それでそれを信じて何も考えずに突っ走るようなバカが自滅したとして

あとでこっちに文句愚痴を言いに来たりしたらそれも後味悪い

なら最初から突き放した方が幾分かマシで、それは単純にこっちの都合だよ

 

建設的なアドバイスを求めてるならまだしも

背中押してほしいだけなら好きにしろしか言えないじゃん

感情論相手にまともに知恵絞るなんてバカらしい話だよ

女の愚痴と同じで相づち打って聞き流してればいい程度でしかない

 

自制できないような人間節度も守れなくていつかトラブルになる

それがニュースになってその趣味自体イメージが悪くなるくらいなら

いっそ趣味としても性癖としても足洗ってくれた方がぜんぜん助かる

こればっかりはもう本人には何言ってもムダで、周囲の友達とか親になんとかしてもらうのを期待するしかない

身近な人間ならそれとなく情報流したりできるけど

ネット越しの知らない相手ならこっちからできることが無い以上は単純に交渉術しかならない

 

まともな大人ならこれくらいまでは考えてるよ

 

結局みんな自己責任でやってるんだよ

趣味範囲」ってやつを逸脱しなければある程度は目をつぶり合えるのが日本人

害がなければ許容する、悪だと判断されればストレス解消も兼ねてフルボッコされる

少なくともここは多数派社会であって、少数派が堂々と生きられる場所ではない

マイノリティ自覚持ってるうちは上手くやっていけるよ

遠慮したり謙遜できる人間を表立って叩くのはいない

しろ譲歩の姿勢を見せてるのに叩かれれば、こっちにちゃんと同情してもらえる

 

(それを分かってやるぶんには)どこまでも好きにしていい

ただそれだけの話だよ

 

自己責任って重くて難しい言葉だよなぁ、つくづくそう思う

というか、この言葉意味と重さを理解して初めて大人なんだと思ってる

 

子供のうちは結局誰かに保護されて生きてる

自立を意識しないで生きていけてるって言うのは幸せなことだけど

保護者の言うことは聞かなきゃいけない

どんなに理不尽でもそれが保護されていると言うこと

『黙認』は『許容』ではない、『様子見』られているだけ

何かあればすぐ動けるように準備と根回しはされているだろうし

それにすら気付いていない時点で何も反論する権利はない

 

一人暮らししてても仕送りは?

経済的に自立してたとしても役所手続きとか契約関係は?

全部自分でやるって意外と難しいし、たとえば40過ぎても知らなかった事なんてのもいくらでもある

 

その趣味のためのお金がどこから出てるかだよね

自分バイト代だとして、じゃあ実家に住んでるなら生活費は?

自分給料だとして、将来的な貯蓄は?家族は?

生計を共にする人や身の回り人間理解は?

誰に迷惑かけてるか客観的に考えたことは?

普通そこまでちゃんと考えられるなら自分感情論だけで突っ走ったりなんか間違ってもできないよ

何も考えずに突っ走れるなら、むしろその環境に全力で感謝すべきだよ

2025-07-23

岡山市中学校の60代男性教諭 コンビニアルバイトをしていたとして戒告処分

 副業収入で得たバイト代は約170万円

文科省は以下はルールを守らないやつばっかやな

2025-07-20

あれ?参政党叩き記事がいきなり減った???

自民からバイト代が出るのは昨日までだったんか?

2025-06-30

11年前、Skid Rowライブの帰り池袋まで送ってくれたお兄さん二人組

2014年4月14日Skid Row来日公演渋谷O-EAST(現Spotify O-EAST,当時はTSUTAYA O-EAST)であった。

関西高校2年生だった私は、19年ぶりに来日するSkid Row日本で見れる機会なんてもう無いだろうと思って、初めて東京に行くことを決めた。

バイト代ライブチケットと4列シートの夜行バスを買って、公演の朝に東京に着いて、その夜には帰るスケジュールだった。

右も左も分からない大都会で、チケットをなくしかけたりしながら、近くのカフェで開演を待っていると隣の席に男性2人組が座った。

会話の内容から彼らもSkid Rowを観に来ていることが分かって、暇だった私は彼らに声をかけた。

夜行バスで観に来たこと、今夜そのまま帰ることを話すと、その歳で凄い行動力だね!いいね!と褒めてもらって、嬉しかった。

時間が近付き、じゃあ楽しもうね〜と行ってその場で別れた。

公演が終わったあと、彼らにまた声をかけられた。

俺達はこれから埼玉に帰るから夜行バスターミナルがある池袋まで一緒に行こうということだった。

私はとにかく暇だったので了承して、一緒に電車に乗って、夜行バス時間までターミナルの近くのコンビニの前で3人で今日ライブの話をした。

じゃあまたいつかSkid Rowライブで会おう、と別れた気がする。

それから11年で、私は上京して、渋谷で働いた。

リクルートスーツを着てたらドンキで変質者に追いかけ回された。

酔っぱらいに絡まれたこともあったし、夜道男性に声をかけられて怖い思いもした。

あの時の私の行動がどれだけ危うく、彼らの行動がどれだけ素晴らしかたかに気付いた。

11年前、Skid Rowライブの帰り池袋まで送ってくれたお兄さん二人組、ありがとう

あなた達のおかげで私は都会を嫌いにならずに済んだし、どれだけ嫌な思いをしても、世の中には良い人と悪い人がいるということを知っているよ。

2025-06-19

転売屋って、売れそうな商品を常に観測して、発売日になったらバイト集めて買い占めて、バイトに指示してメルカリに出品送付までさせて、って考えていくと労力の割りにそんなに儲からない気がするんだけどどうなんだろうか。

バイト代をほとんど払わないから儲かるのかな?

大本人間はいくらぐらいもらっているんだろう?人件費を抜いての利益率は何%なんだろうね。

2025-06-16

不正選挙不安があるなら

朝6時から夜8時までの選挙事務従事したらいいのに…一般の人も従事できて慢性的人手不足だしバイト代も悪くないのに…。前日の夕方から準備して、当日も終わったら片付けと掃除で約17時間の拘束を受けるけど。開票バイトは無いけど、バードウォッチング感覚開票従事する死んだ目の職員を眺めることはできるよ。

2025-06-03

おっパブに飽きた

これも歳ゆえか…

学生時代ならバイト代全部つぎ込んで通ってたかもしれないけど

結局、おっパブでその先は基本的に出来ないかコスパ悪いというか

もっと枯れたらまた楽しめるんかな?

飲食店価格

常々思うのだが、世の中の8割くらいの飲食店ってぼったくりじゃないか

家賃やら高熱費やらバイト代やらのコスト転嫁されるのは仕方ないが、

それ以上にぼったくっている店が多すぎる

地獄に落ちるといいですね

2025-06-01

からSwitch2を6月中に入手する方法

タイミーに偽名で登録する。足がつかないようにネット回線施設フリーWiFiを推奨

②5日から1週間程度の配送バイトに応募する。ヤマト運輸が狙い目

バイト先に顔を出す

④日々の配達物からSwitch2の箱を探す

⑤箱を探し当てたら配達せずに持ち帰る。配達物ステータス配送済みにすることを忘れずに

これだけで簡単にSwitch2が入手出来る。タイミングによってはバイト代も稼げるお得な手段だ。

2025-05-31

10年前ここで愚痴を書いた貧乏学生です。

anond:20161017031727

結局未だにはてなを利用し続けている。

最近AI増田流行っていて、生きた人間の、線としてつながる日記を書いてみたくて投稿することにした。

匿名の人にも人生があって、その後もあるんだなって感じたので、そういえばと思い自分記事を読み返してみた。

もし、誰かの暇な時間を満たせられれば幸いです。

どんな過去

片親の生活保護家庭から高卒後自立して貧乏学生になった増田です

将来の不安について綴ったところ、色んな人から反応をいただきました。

それから10年、何度か自分記事ホッテントリに載ることはあったけど、そんなに多くは書いていない(年2~3記事?)

結局あれからどうなったか

奨学金バイト代自動車免許は取れたよ

・でも車乗れる人間じゃなかったから持て余してるよ

・所有資格基本情報ぐらい、NCPやCCNA(期限切れ)みたいなベンダー資格は何度か取得したけど…

・当時のバイト先はスーパー海鮮だったけど、その後、みんな知ってるレンタルサーバー屋さんでバイトしていた

就職もっと給与いいところを目指したので、バイト先には勤めなかった(高卒であっても入れるらしかったのも一因)

結局学生生活バイトがそれなりに忙しいこと、成績維持のために楽単ばっか選んで、専攻分野もそんなに勉強できず、将来仕事に活かせられなかった。(とはいえIT分野については独学でそれなりにやっていたので、就職先は6社受けて4社受かる、みたいな感じだった)

成績上位は同じゼミ金持ちの子で、当時思っていた通り、生活に支障がないやつが学費免除受けられやすいんだろうなぁと実感した。

就職してから(~5年)はどうなのか

総資産は300万程度

借金奨学金)も多分大体あと300万程度

貯金ギリギリ生活ギリギリ

年収400万は以前より貧困ではないかもしれないが、東京でみるとやっぱり貧乏だと思う

職場で飼い殺されている

生活は苦しいままだと思うけど、定職があるのは確かにいいことだと思う。

大学の先輩は就活に失敗し、携帯電話販売スタッフ転々としていたので、それに比べるとマシかもしれない。

ITに関して独学していたからというのもあり、職場の同期や元同期からも信頼が厚いが、金融インフラ系という堅い仕事ながらに、裁量が多すぎる(というか抽象的でフワフワな職場)はかなり自分にあっておらず、6年経ってもスキルが1人前に身につかないと感じている。

書いてて思うけど、全く職場風土自分にはあっていない。しか転職するスキルもないので、八方塞がりで、とにかくしがみつくので精一杯。

元同期からいつも「うちに来なよ!」と言われるが、みんなのように外資系とかIT大手とか行ける気がしないよ・・・

幸せかどうか?

客観的に見て幸せだと思う。大学職場では、優秀な友人たちに恵まれ、今でも交流がある。

家賃9万の家を会社の補助で4.5万で住めている。

だけど補助は2年後に打ち切られる予定だから不安しかない・・・

ただ、貧乏生活を得て、「有るもの」を数えることが得意になった。

iPhone持ってて、好きなアニメ音楽聞けて、服も楽しめるし、ご飯は食べられるし、眠ることも、お風呂に浸かることもできて・・・

から、無いものを数えていた昔に比べて今は幸せなんじゃないかと思う。


大学を出るべきか

この選択は未だにわかっていない。姉は高卒就職し、フリーター精神障害2級で人生詰みみたいなところあったけど

工業高校出身からモテてて専業主婦してる

弟も同じく工業高校出身で、最近死亡事故起きたような割と名前の知られてる会社で日勤夜勤を繰り返しながら働いている。

俺だけ偏差値真ん中ぐらいの総合学科で、そこから大学に行った。よく考えるとちょっと家族でも異質な生活してるかもしれない。

個人的には給付奨学金収入のおかげで受けることができたこと、大阪家賃2万の家に住めたことなどで

ある程度有意義学生生活は送れたと思う。でも、不登校時代があったりヤングケアラーだったりして、ハングリー精神がないので

まれ環境にいながらも、大学という世界をうまく使えなかった気がする。

今も、東京に住んで、様々な専門家と触れる機会があり、趣味を最大限に楽しめる環境にいながらも、意欲がなくて機会を持て余している。

学費借金は、車1台分と考えれば、まあそんなもんなのかなと思うし、会社も約1000人規模の大きな会社に勤められたので良かったと思う。

あとは転職でこの大卒という資格恩恵を受けられれば・・・だけど産近甲龍未満の私文なので微妙そう。


10年の人生の変化について

一生このまま一人で趣味をしつつ、このままこの地でこのまま死ぬのかなぁとか25歳あたりまで考えていた

作業手順もステータス判定基準も、ミス後のリカバリ手順などすら共有しない組織で、放り込まれ現場でみんなと大きなミスをしたところ休職をすることになって

希死念慮が高くなってしまった。大学まではITに意欲的で、スキルもあったと自覚している人材だけど、現場では情報共有もなく、何も得られず

飼い殺されて第2新卒期間を逃したあたりで、どうしていいのかわからなくなった。うつ病は今もそのまま残っている。

その時ゲームをしていた友達ウクライナ人で、ドローン爆撃や真冬ブラックアウトなどを間接的に体験したので、人のために生きることを決意した

貯金はないけど、なんとかボーナスとか持株会とか使って、空港チケット買ったり、大使館に連絡したりして友達日本に連れてくることにした。

お互い狂っていると思う。会ったこともない相手同士をこんなに信頼して、モルドバ行って手続きをしたり、ポーランドから日本へ来たり

主に相手のほうが必死にやったと思うけど、その後の手続き周りは全部頑張った(歯列矯正メンテナンスとか地味に大変だった)

今は一緒に1DKの狭い部屋で暮らしてる。最近他の人の手助けがあり、ようやく難民補助ももらえるようになって、少しだけ生活が安定し始めた。

貧乏学生の第二部は難民身元保証人として生きている。


奨学金や、人を助けることの意義

貧乏学生はなりふり構わず差し伸べてくれた手を握れば、何とかなるかもしれない。

大学受験は資格推薦制度で確実に受かるように努力したし

大学奨学金制度掲示板を見て自分手続き行ったし、単身IT会社自分を売り込みに行ってバイト採用まったり

就活も上手くは行かないものの、拾ってもらえる会社出会えて

今も誰かに助けられつつも、自分も誰かを助ける番として生きることができている。

人生の大きな立ち回りは上記ぐらいかもしれない。

見返りを求めるわけじゃないけど、人助けは「砂の中の金」を探すものなのではないかと感じた。

自分学生としては大成しなかったと思う。

まれないお腹の空いた子どもが、与えられたご飯を人1倍食べられるわけではないように、与えられたもの活用できる人は少ない。

財団給付奨学金は、そんな人たちにも機会を与え、100人中1人でも大成できる人を見つけたかったんじゃないかと思った。


それを感じることが自分もたまにある。

独学したIT勉強は、他の友達にも教えた。一人は就活ときに俺を裏切ってどっか行ったけど、まあそういうこともある。

たくさん人を手助けしては、損をすることが多かったけど、今は真摯で誠実な友達に恵まれている。

ウクライナ人友達もその一人で、難民申請中は俺が日本語を教えたりして、今始まった日本語学校では、ほぼトップの成績を誇る

何より、Java勉強を始めて、今後の人生を一緒に歩む目標に向かって進んでくれている。

友達死ぬのが怖いから」と差し伸べた手だけど、掴んでくれたのなら絶対に離さない。死ぬまで俺も人助けの責任を全うしようと思う。

俺は、砂の中から砂金を見つけたのだ。

貧困について

社会に出て思うのは、貧乏も裕福も選んで決めたもんじゃないし、得られたものでやりくりするしか無いなということだった。

まれ人生の中でクソみたいな結果しかさないやつも存在するし、恵まれ人生の中で、それでも更に欲深く生きるやつもいた。

苦労も惜しまない、得ようと思った人が得るのが社会に出てから人生なんだなと感じた。

そういった「意志の強さ」が疲弊して、貧乏なままで居続けるのが貧困なんだなぁとも感じた。


第二の人生として

自分は人を助ける側として、働きたいと思った。

当然職場など、色んなところで人に助けてばかりの人生だけど、それでも何か少しでもいいから誰かの助けをして

自分も誰かの役に立ちたいと思った。

それはそれとして、現状まだ貧困のままだと自分は感じる。


転職したいなぁ・・・

2025-05-30

高1女子だけで夏フェス

知り合いの娘(15歳高1)が友達夏フェスに行くらしい。某大規模なフェス

フェスの会場までは新幹線距離

2日間行くらしい。そのため宿泊もする。

保護者は帯同せず高1女子たちだけらしくフェスは全員はじめてとのこと。

知り合いはフェス経験が無いから、未成年しかも15歳が保護者なしで遠方のフェスに行く危険性を理解していないと思われる。

女の子から残念ながら痴漢リスクゼロではないし、

明らかに未成年フェス慣れしていない女の子がウロウロしていたら、

酒に呑まれ悪ノリする大人に絡まれるかもしれない。

そもそもフェスでなくとも新幹線距離の遠方なわけで、

我が子が何かトラブルに巻き込まれた時に、未成年

ましてや数ヶ月前まで中学生だった子どもが適切に対処できる自信はあるのだろうか……

ちなみにチケット代等の費用諸々についてだが、少なくとも知り合いについては

子どもお小遣いバイト代ではなく、知り合いが全額負担らしい。まじかよ。

具体的な金額は聞いていないが、交通費チケット代等どれだけ少なく見積もっても6,7万はかかるはず。

フェスには何度か行ったことがあるが、

明らかに未成年(高1程度を想定)だけのペアグループを見かけたことはほとんどない。

俺の他者を見る目が皆無かもしれないので実数は知らんが。

普段から過保護だし甘やかしてるな〜とは思ってはいたが、

今回の件は特に俺と感覚乖離していてびっくりした。

今のご時世はこんなものなのか?

それとも俺が高1を子供扱いしすぎているのか?

2025-05-28

anond:20250527073255

おれの場合

①充実した高校図書館

913.6の全集もの読破した程度だからそんなでもない

アラビアンナイト全集検閲(切り取り)されていることを発見して驚いた

夏休み司書さんにバイト代もらって司書ごっこやってた

児童館

全部読んだ。早く返せとおもった

公民館

なんでこんなにエロが多いんだ大人用は、と思った(かあちゃんにみつかって怒られた)(とうちゃんとおなじとこに隠せば良かった)

星新一集とブラックジョーク集と艶話落語と金瓶梅だけ覚えてる

2025-05-27

anond:20250527014926

わからんでもないが

今じゃユニクロでもホテルアフタヌーンティーに入れるぐらいのスマートカジュアル揃えられるし

子供たちが居たらそれこそ自分の服に金かけらんないんだよな

1020代ブランド好きで毎月バイト代はたいて毎月5万円ぐらい被服費に使ってたおじさんより

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん