はてなキーワード: 地誌とは
学術会議が何なのか、皆わからないままに叩いていると思うのでちょっとまとめてみます
の主に二つだと思います。
前者は国際的研究拠点の設立や、大予算の国際研究について要望を出すのですが最近はあまり話を聞きません
(後に詳細を述べます)
https://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/bunya/souko/26/pdf/kankyoeikyo-yoshi2602.pdf
その他の回答:
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/division-3.html#1
1949-10-12 大学等学術機関の人事及び大学の教授会の権限について
1949-10-12 醗酵工業に関する試験研究機関のあり方について
1949-09-06 団体等規正令について
まずは大学を設置するところから始まりました。年度にも注目してください。1年間に大量の議題があるのが見て取れます。
一部を抜粋してみましょう:
本会議は災害を受けた学術研究機関の十分な修復が速やかに行われることを希望する。地方自治体その他の災害復旧につき、国庫補助を行うにあたって学術研究機関の施設が軽んじられることのないよう政府において特に留意し、かつ注意を促すよう希望する
60年代に入ると研究所の設立や、大型予算の研究要請が目立つようになってきます。
1967-11-06 人間行動研究所(仮称)の設立について 第49回総会
1967-11-02 基礎育種学研究所(仮称)の設立について 第49回総会
1967-05-20 私立大学に対する研究体制確立のための助成の拡大について(1)
私立大学に対する研究体制確立のための助成の拡大について(2)
私立大学に対する研究体制確立のための助成の拡大について(3) 第48回総会
1967-05-20 総合地誌研究所(仮称)の設立について 第48回総会
1967-05-19 微生物株センター(仮称)の設立について(1)
1967-05-15 結晶学研究所(仮称)の設立について 第48回総会
1967-05-13 大学院学生に対する奨学金制度の改善について 第48回総会
1967-05-10 地球大気開発計画の実施について 第48回総会
1966-12-15 国語・国文学研究資料センター(仮称)の設置について 第47回総会
1966-11-19 古生物研究所(仮称)の設立について 第47回総会
1966-11-10 科学者の研究、調査旅費(学会研究旅費を含む)の大幅引上げについて 第47回総会
1966-05-23 研究用生物系統株保存利用機構の整備について 第46回総会
1966-05-23 生物研究所(仮称)並びに生物科学研究交流センター(仮称)の設立について 第46回総会
この辺りピンとくる名前も多そうですね。
現代につながる国際的研究拠点がこの時代に築かれていきました。
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/division-3.html#6
リンク先を見てもらった方が早いのですが、2009年から2024年まで全ての議題をコピペします:
これで全部です。15 年間で 2 件。
日本が豊かになり国際的研究拠点も充実した結果、勧告するものがなくなっちゃった感じですね。(みなさん自分の目で確認してください)
個人的な印象を述べると日本学術会議はPTAみたいなものだと思います
PTAは嫌いだけど校長が口出ししてくると立場上困る・・・といったところではないでしょうか
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/division-2.html
です。政府ではなく研究者に対する要請。知らない間に一部の人たちが決めてしまったこと、そもそもどんな権限があって学術会議がそんなことをいうのかとだいぶ揉めていました。理系の人間に学術会議を嫌う人が多いのは主にこの声明文のせいです。
とりあえずこんなかんじです
図書館司書の非正規問題について昨今取り沙汰されているのを見る。
ざっと見た感じの問題点は、優秀な専門職が安月給で酷使されているということと、技術の継承が行われないということ。
私は先日、正規の図書館司書職を退職した。理由は、専門的な業務に従事したいという当初の動機と実際の現場が異なっていたところ。つまり、現場職員の専門性の低さに絶望して辞めた。
・30代
「優秀な専門職」と言うのは、何も知らない外野か自分たちを大きく見せたい現職だけ。図書館司書なんて単位を取ったら誰でも資格を取れるので、その資格一つで医師や教員のような実務実習を伴う国家資格と並べると思っているのが恥ずかしい。(課程の図書館実習は任意なことが多いし、たかだか一週間程度で比較にならない)
そして、専門職の専門性が発揮できる分野としてレファレンスが挙げられるが、これはレファレンスの難易度による。例えば、地域の「◯◯という地名の由来が知りたい」というレファレンスを受けたとして、まず地名辞典を見る。地名辞典になければ地方が発行してる地誌を見る。どちらかにはだいたい載っている。これの何が専門性だというのか。こういう定型化されたレファレンス対応について、口を大きくして専門性だの専門職だの言っていることが多い。逆に、人名辞典に載ってない郷土の人物などを、辞典や地誌など基本的な資料以外から、記憶や所蔵資料目録などをヒントに見つけることが専門的なレファレンスだと思う。このような真の専門的なレファレンスをできる人物がどれほどいるのか。私が勤務していたところでは、非正規職員は誰もできなかった。正規職員も半分以上できてない。
能力によって給与が異なるのはどの世界でも一緒で、非正規職員が非正規の待遇であるのは相対的な能力不足から当たり前のことであると思う。正規職員でもできてないのだから、そんな大きな声で「専門職の待遇改善をー!」なんて言える状況じゃない。そして、優秀な人間、例えば某国立図書館では正当な待遇が与えられていると思うし(ちなみに某国立図書館の応募資格に司書資格は必要ない。この点から司書資格の不安定さが伺える)、地方の優秀な人間は現状に見切りをつけて出て行く。
何度も職員の意識を変えようとしたけど凝り固まった40代後半以上の頭は変わらないし、上司層が変わらなければどれだけ下から頑張っても現場は変われないし、疲れた。非正規職員も、正規職員ですらも、基本的なコミュニケーションすらできない人がいるし(聞かれたことに答えられない、処理能力が低いなど)、現状維持ばかりで新しいことはせず、ただ自分の世代が円満に終わることばかりを考えている。こんなの一般企業の事務職ですら無能扱いだろう。一般企業で使い物にならないレベルの職員でも、一度公務員になってしまったら解雇はできない。そんな人たちがただの肩書きだけで「専門職ー!」と叫んでると思うと悲しいものがある。図書館司書の知識は年々新しいことが増え司書課程の内容も更新されていくが、大昔に司書資格をとった現状維持ばかりのおじさんおばさんたちは自分の頭を更新しようとしないので、なおさら「専門資格とは?」と思う。
図書館司書の世界では、募集の少なさもしばしば取り上げられる。募集もたくさんあるし、優秀な人は普通に就職できる。(気になる人はJLAの採用情報ページを見てみてね)40歳まで受けられるところも多く、年齢制限がないところもあり、他の公務員よりだいぶ応募資格が緩くなっている。それで若手をとろうが経験豊富な人材をとろうが、それはその館の方針によるので知ったことではない。挑戦し続けて正規職員に合格する人もたくさんいる。つまり、機会は開かれているのに挑戦しないことに問題があるし、たくさんチャレンジして受からないのであれば本人の能力の問題であろう。能力が足りなくて受からないなんてことは他の業種でも同じで、何も図書館司書に限った話ではない。それを何でそんなに特別に大々的にアピールできるの?と思う。他の業種でも、能力が足りないけど続けたいなら待遇を落とすしかないし、諦めて他の業種に行くだろう。それと同じ。
思いつくまま殴り書きしたので読みにくくてすみません。私が言いたいことは、周りが言うほど図書館の専門職に価値はないこと、専門職の中でも専門性にグラデーションがあること、能力に応じて待遇が変わるのはどの世界でも当たり前で現状に違和感はないこと(非正規職員のこと)、待遇を変えたところで職員あるいは職員の意識を変えないと半永久的な技術の継承は不可能なこと、です。40代後半以上の人たちを見て、ここにいたらこうなってしまうと思って辞めた。
こんなに読んでもらえるなんて思ってなかった。たくさんの反応ありがとうございました。いろんな意見があって面白かった。
◯タイトルと内容が違う。非正規職員の雇い止め等はどうなのか。正規職員にとって非正規職員はどうでもいいように見える。
どうでもいいです。非正規待遇が嫌なら正規になればいいし辞めたらいい。いわゆる氷河期世代など新卒時の社会状況に言及する人もいるが、正規職員の多くは中途採用(非正規職員経験者)です。社会のせいじゃない。昨今の非正規図書館員の話題を見てると、現状を変える気力や能力がないくせに空っぽの「専門性」を笠に着て「かわいそうな私たち」を演出しているだけのように思う。元職場でも組合から非正規雇用の待遇改善の署名がよく回ってきてたけど、バカだなって思ってたし一回も署名してない。私が見ていた世界では、前述の通り非正規職員の専門性なんていうのはまったくなかったので、辞めても職場や社会にとって問題ないと感じた。
私の元職場の管理職や上司は、個人の能力如何ではなく「図書館司書資格があること」を重要視し、「図書館司書資格保有者の職員数を確保すること」に専心していた。無能でも資格さえあればいいみたいな。私は資格なんていらないから優秀な人間と働きたかった。今は転職して、求めていた環境に身を置けて嬉しい。
タイトルと内容は少し違っていたかもしれません。すみません。私が図書館司書の非正規問題に触れる時、その前提にある専門性の具体的な話が出てこないように見えたので、こういう話になりました。
郷土資料は必要で、各地域の図書館が郷土資料を収集することで全国的に郷土資料を収集保存できる仕組みがある。それは大事だなと思う。場所や予算は限られているのでその限られた状況でどういう資料を収集するかといった選書にも、職員の専門性が不可欠。専門性はほとんどが属人化するから、それを半永久的に継承していくべき。実際に働いてみて、この辺はロボットやAIには難しいと感じた。
郷土資料を含む図書館資料の必要性で言えば、例えば陰謀論とか根拠のない噂話が力を持った時など、正しい情報や情報の比較検討に役立つ。図書館では全ての人がその機会を得られる。ググれば簡単な情報は出てくるけど、やっぱり紙の資料の量や質とは比にならない。少しでも調査研究をしたことがある人はわかると思うけど。
図書館は国民、県民、市民がユーザーなので、ユーザーから「図書館なんて必要ない、AIやロボットでいい」と言わしめてるこの状況を、図書館司書や図書館制度が変えていかなければいけないと思う。
私は前述のような現実に辟易していたので、一部の優秀な人間のみ残して専門性を保持し、あとの無能な正規職員と全ての非正規職員は指定管理に変えたらいいと思ってる。元職場でも一部指定管理が入っていたが、図書館業務のほとんどを占める定型化された業務なんて誰がやっても同じだし、むしろ公務員的な頭のかたさがなく新しい視点で物事を考えられるところはこれからの図書館運営に必要なのではと思った。無能は切り捨てられそうだし。図書館正規職員(公務員)の働かないおじさんおばさんや無能も切り捨てられたらいいのに。そしたら現場のモチベーションも上がるし優秀な人間も集まるかもね。
◯都道府県立図書館と市町村立図書館では非正規職員の職務が違う。(=後者では正規職員と同じような仕事をしている。)
市町村立図書館ならなおのこと、誰でもできる仕事ばかりです。図書館のあり方に関われるのは多くが館長レベルで、日常的な貸出、返却、選書(都道府県立と違って保存より利用を重視した選書)、目録(市町村ではほとんどがTRC流用)など、逆にどこに専門性があるか教えてほしい。
現職の人はこんなチラ裏に青筋を立ててないで、「図書館なんかいらない」って言わせないように頑張ってください。図書館や司書の存在意義を評価するのは仲間内じゃなくてユーザーですよ。内輪でヨシヨシしあってても意味ない。
◯コメントより抜粋「図書館司書は今の情報化社会に負けないよう専門性や職域を高めないと相対的に価値は低くなる」「専門性を定量化し、カテゴライズやレベリングを行うのは、業界のスキルアップだけでなく、権威づけや地位向上に必要」
私は図書館司書の専門性のなさと図々しさに嘆いてたばかりだけど、本当にその通りだと思った。現状に即してよりよくする方向に考えられるのがすごいと思った。
何かに対する言及が知識量を基にしたエントリー制なら、それこそタリバンのせいで勉強できない女性達は永遠に言論の自由が無いままだろ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4707194750704088386/comment/malasumasu
元ツイート
「人権、人権と騒ぐ奴らが、アフガニスタンの現状について黙っている」という揶揄的tweetが回ってきたが、あの複雑な部族社会を理解し、特有のガバナンスを理解した上で的確に人権に関する発言が出来る者は、そんなに多くないと思う。自分もできない。
そもそも日本は、中央アジア地域——に限ったことではないが——に関する地誌・民俗学・政治学など人文的研究が薄い。言葉が使える者もどれほどいるだろうか。すぐには訳に立たない学術的研究を営々と積み上げることこそ国力の基礎だということが、政府においてもコンセンサスになっていない。
https://twitter.com/ShinyaMatsuura/status/1428623276759162882
現状を正しく認識するのが難しいと言ってて、
だれも知識がないと発言しちゃいけないとか一言も言ってないのに 「タリバンのせいで勉強できない女性達は永遠に言論の自由が無いままだろ」
佐野静代「西郷菊次郎の来歴に関する再検討 : 横浜・米国・台湾・京都 」(『人文学』202号、2018年11月)
以下のURLに全文ファイルあり
【西郷菊次郎に関する史料の発掘と基礎的な分析を行い、その前半生における経歴の空白部分の解明を試みた。特に海外所蔵の新史料の検討により、横浜居留地での生活実態や、ジョンズ・ホプキンス大学での留学時代と恋愛、新納家との養子縁組、台湾淡水・基隆での近代水道事業の実施など、これまで知られていなかった彼の来歴の一端をうかがうことができた。さらに、京都市長時代の邸宅が、聖護院門跡内の「北殿」であったことを史料から裏付けた。 】
人文地理学や地誌学で業績ある同志社大学の佐野静代教授による新報告。
新渡戸稲造と西郷菊次郎との関係など、今まで知られていなかった事実を史料から明らかにされている。
昨今、大河ドラマ「西郷どん」でも、西郷菊次郎は注目の的である。
西郷菊次郎の子ども時代は、注目の役者今井悠貴が演じ、またナレーションの西田敏行が市長時代の菊次郎を演じる演出でも話題になった。