はてなキーワード: 祝儀とは
10年以上前だったか、かつて親しくしていた元友人の結構式に行った。
そのとき俺は非正規労働者で、当時既に疎遠になりつつあったその元友人のために、少なからぬ犠牲を払って3万円を絞り出し、出席した。
式以来、一度もその元友人とは会っていない。今更再開したとしても、ライフステージが違いすぎて、ギクシャクするだけだろう。
今も俺はボーナスも無いような底辺労働に勤しみ、自家用の軽自動車がもし突然故障したら、即、詰むような生活をしている。
あの3万円が今あれば、風俗に行けるのに……。
あのとき「人間関係継続税」だと自分に言い聞かせて泣く泣く支払った3万円が、惜しくて惜しくて仕方ない。
世の中の夫婦に言いたい。2年以上会っていない人を結婚式に呼ぶのはやめてくれ。そして、式の日を最後に5年以上交流の無い人には、飯代は差っ引いても構わないので、祝儀を返金してくれ。
それが難しければ、引き出物なんかいらないから、1万円以下の会費制にしてくれ。
いくら脳内お花畑の新婚でも、生涯未婚率が年々上昇する中、ペイできる見込みもない3万円を払うのがいかに苦しいか、想像できないことはないだろう。
葬式は年々縮小化傾向にあるのだから、一生に一回とも限らない結婚式なんぞを大々的にやるのは時代錯誤だと、どうか理解してくれ。
25歳、旅人。
旅先で出会った男と結婚し、九州の離島に移住して、心身ともにボロボロになって地元に帰ってきた。
私は関東を拠点に、月に二週間ほどボランティア活動をしながら全国を旅してきた。
旅先のシェアハウスで出会った九州出身の男の人と恋に落ち、結婚し、彼の住む離島に移住することになった。
私は私抜きでわからない会話が進んでいく空間が死ぬほど苦手だ。
旅先ならいい。わからない会話が飛び交っていても、旅中はそもそもアウェイなのだから、「ここの文化はこんな感じなんだ」と参与観察的な感じで楽しく聞くことが出来る。
でもそれが日常となると話が変わってくる。
物理的な距離の近さから、九州出身の彼の家族や友達に会う機会が多かったのだが、とにかく話に入れない。
地元の思い出話、学生時代の部活の話、 九州の居酒屋の話……味の濃すぎる生レバーを食べながらわからない話を延々とされ、精神的にきつかった。
彼は福岡の北九州出身で、根強い男尊女卑文化があった。彼本人も女性を見下す傾向はあったのだが、男性で集まるとその傾向はさらに強くなった。
「女は添え物」的な価値観なのか、彼に紹介された7人のうち私に挨拶して、積極的に話を振ってくれたのは2人だけだった。
結婚祝いをくれた福岡出身の彼の先輩に連盟でお酒を贈ったのだが、次会いに行くと名前も覚えられてなかった。
シェアハウスで出会ってシェアハウスで結婚したので、彼と私は最初から距離が近かった。
さらに私は車がないので、彼に送迎して貰わなければどこにも行けない。(免許はあるが、「お前は運転が下手だから」と運転を禁止されていた)
デート中に失礼なことをされたら、東京や陸続きの田舎だったらさっさと帰ればいい。でも車がなければ帰れないし、帰ったところで同じ家にいるのだから逃げようがない。
「こいつはなにをしても離れないだろう」と油断した人間は、大体甘えが出る。
離島のシェアハウスという環境は、彼の元々あったモラハラ気質を何倍にも増大させていった。
彼は長男で、父親が早くに離婚したため幼い弟の世話と母親を一身に背負っていた。
そういうわけで、彼は「強くいなければいけない、弱みを見せてはいけない」という信念を持っていた。
私はそこに惹かれたわけだが、実際に一緒に生活してみると思った以上に大変だった。
まず、会話が成り立たない。弱みを見せるのが苦手なため、「疲れた」や「助けて欲しい」がまったく言えないのだ。
「年越し蕎麦作るけど食べる?」と言われたので、そんなにお腹空いてないけど作ってくれるならいただくか、と思って「ありがとう」と返した。
テレビではガキ使が流れていたので、「乃木坂見たいから乃木坂が出てる時だけ紅白に変えてもいい?」と聞くと、
「乃木坂なんて誰が好きなん?みんなガキ使が見たいのに、お前だけ紅白を見るなんて自己満でしょ。そもそも、俺は疲れて帰ってきて久々にゆっくりできるのに手伝いもしないって、思いやりがないよね。お前はずっとダラダラしてるだけなのに……」
その後4時間近く対話し、彼が仕事で疲れていたこと、家事を手伝ったり趣味の時間をとる必要があったことを話してくれたのだが、最初から「疲れてるから年末はゆっくりしたい」と言ってくれれば私もサポートしたのに、責める形でしか伝えられないから話がとてもややこしくなる。
彼の束縛は日に日にエスカレートしていった。
「俺は働いてるのに自分だけ遊んで不公平だ。旅に行きたいなら誠意を見せろ」と言われ、私は元々別々だった部屋を解約して彼の部屋に移動し、浮いた分の家賃を彼に支払うことになった。
「俺だって本当はお前と一緒に旅がしたい。でも奨学金も保険も車の維持費もあるし、働かなきゃ生きていけない。お金を援助してくれれば仕事をセーブできるから、場所に囚われず働くための勉強ができる」
その言葉を真に受けたものの、彼は仕事がない日もゲームをしたり飲み会をするばかりで勉強をしようとしない。そのことを責めると、「まだ少ししか経ってないのに焦らせるな。俺はお前が一緒に旅がしたいと言うからそれに合わせてるのに、次から次へと要求が増えてわがままだ」と怒られる日々。
さらにプライドの高い彼は女にお金を出させているのが嫌なのか、どんどん私に対して高圧的になり、行動を制限するようになった。
「どこかに行く時に「行ってくるね」じゃなくて「行ってもいい?」って聞いて欲しい」
「女友達と遊ぶ?女子会なんて共感ばっかりで腹割った話しないから俺は好きじゃない」
「新しくできたカフェに行きたい?ああいうお洒落な建物は自然じゃないから嫌いなんだよね」
大好きな旅を禁止され、自由を制限され、人格否定を繰り返された私は8ヶ月目で限界に達し、彼に別れを切り出した。
別れを切り出した私を、彼は「無責任だ」と責め立てた。
「別れるなら、ご祝儀を全額渡して欲しい。そうじゃないなら、真実の中に嘘を混ぜて言いふらして、お前を島に居づらくしてやる」
この時点でシェアハウスメンバーは全員男性。明らかに空気感がおかしくなっていった。
後に住人ではない別の友人に話を聞いたのだが、元夫が私の言動を相当湾曲した形で愚痴っていたらしい。
私がリビングに行った途端、元夫が「パチンコ行こうぜ!」と言い出して全員いなくなる。
みんなで旅行の計画を立てていたので、私も行きたいと言うと「男子旅だからお前は来るな、空気読め」と怒られる。
外から来た女性ゲストと恋愛の話になった時、「過去にセックス中にこういうことをしてくる女がいて嫌だった」と話題にされる。
私を除くメンバーで一日中大声でゲームをし、朝5時まで騒ぎ続ける。
言い逃れできるくらいの巧妙なやり方だから、非常にタチが悪い。
関係ない男性陣からしたらただ遊んでるだけだろうし、気を使ってくれていたのかもしれないけど、とにかく帰る家でこれはかなりしんどい。
なんとか気にしないように努めていたのだが、シェアハウスのイベントに参加する度に彼に呼び出されて「お前がいると空気が悪くなる。早く出ていけ」と言われて本当にきつかった。
この時点でオーナーにも相談したが、「ふたりの問題だから俺たちにはどうすることもできない。このまま住み続けたいなら和解するしかない」と言われてしまって、もう限界だった。
この時点で精神的にかなりやられていて、荷造りや引越し手続きどころか航空券の予約すら難しい状態だった。
なんとかオーナーに相談し、「あなたにも辛い思いをさせたからいない期間の家賃は払わなくてもいい。一旦離れて心を休めて欲しい」と言われ、荷物を置いたままなんとか航空券を予約し、シェアハウスを出ていくことになった。
そして地元に帰ってきた。
地元に戻り、家族の作ってくれたご飯を食べて友達と遊んで好きなお店に行って、すっかり心が回復した。
あれほど自分を責めて食事も取れず化粧もできずなにもやる気が起きなかったのに、今はすべてが嘘みたいに心が晴れやかだ。
もう旅をするためにお金を払う必要も、彼に反論するために頭を使う必要もない。
離島でできた友達にお別れを言う暇もないまま出てしまって心残りはあるけれど、仕方がない。
彼と過ごして、どんどん自分が醜く戦闘モードになっていくのがしんどかった。
楽しいことよりも嫌なことを思い出す時間の方が多くて、大好きだった旅もできなくなって、人生に希望を持てなくなっていた。
手放すのは怖かったし、もう少しできたことはあったんじゃないかと後悔することもあったけど、あの環境であの相手を選んでしまった以上、私にはもうどうすることもできなかった。
いい経験だったで片付けるには苦しすぎる一年間だったけど、自分と向き合うことや手放すこと、建設的な対話の仕方を模索したあの時間は無駄ではなかったと思う。
そして私はやっぱり自然と自由を愛する旅人なので、あんな風に束縛してくる人とはもう二度と関わりたくないと心に決めた。
式の当日、参列者は十数人。
祝儀をもらわずに式だけ挙げたような感覚で、親戚も友人もいないから質素に招待状を手渡しで配り、「おめでとう」の言葉だけを残してお開きになった。
挙式から披露宴までノンストップで三時間、なぜか水ばかりが進んで、いつもと同じようにちょっと胸がざわつくのを忘れていた。
夫と初めて二人きりで過ごした夜、リビングの蛍光灯はすでに消えていて、廊下の間接照明だけが淡く揺れていた。
お互いに言い合いのない沈黙を交換しながら、寝室のドアを開けた瞬間、彼の姿を初めて真正面から見た。
布団の上の彼は、そこに「あるはずのもの」がない人だった。
まるで身体の一部を断片的に削ぎ落とされたかのように、彼は静かに、自分がかつて持っていた「男らしさ」の輪郭を探しているようだった。
それを決めたのはプロポーズの日だった。「無理して増やさなくても良いよね」と軽く笑い合った。
けれど、本当に何かを失った人と、何かを持たずに歩み寄る人、二人が寄り添うとき、約束の重みは思っていたよりもずっしりと胸に沈んでいった。
「運転中に歩行者を避けようとして」「鎖骨を折った」「そこから下は――」
抱擁を交わすたび、私の胸の中に無かったはずの空洞がひとつ、またひとつと生まれていく感覚がした。
彼のいないものを受け入れることは、私の身体に刻まれた既成事実の境界を揺さぶる行為だった。
目を閉じると、手のひらに触れる温度、吐息のリズムだけが確かな実感として残り、その隙間を埋めようと私の意識は懸命に探りを入れた。
「これでいいの?」
問いは無言のまま、私たちの間を漂っている。
完璧とは程遠い身体を抱きしめながら、私は自分の内側からこみ上げるエネルギーを感じる。
欠損と合意のレイヤーが重なり合う瞬間、そこには見えない約束の光と影が浮かび上がる。
それでも私は思う。
どんな形であれ、他人の身体の不在に寄り添うことで、自分自身の境界線は再定義されるのだと。
この先、彼と歩む道のりは氷の上を進むような不安定さを孕んでいるだろう。
白いドレス、天使の羽、花びら、スピーチ、ケーキ入刀。全部安っぽいロールプレイ。あんな茶番に何百万とかけてるのは正気の沙汰じゃない。
「人生で一番幸せな日」って言うけど、それ言った瞬間から人生下り坂になるってことだろ?そもそもなんであんなもんに参加しないといけないのか。金と時間と気力を削られて、食いたくもない料理を食って、笑いたくもない余興を見て、見たくもないドレスに「かわいい」と言わされる。誰の罰ゲームだ。
祝儀も意味がわからない。三とか五とかの奇数をありがたがる文化、マジで呪術。偶数は「割れる」からダメ?偶数に親でも殺されたのか。五千円とか中途半端な額も避けろって?もうこっちが割れたい。財布も、心も。
結婚式って要するに穢れと縁起と差別のミキサーみたいなもんで、古くて臭くてどうしようもない価値観を光と音と装花でごまかしてるだけ。「女の一番綺麗な日」って、いつの話?誰が決めた?あれが「綺麗」だとしたら、社会はこの上なく病んでいる。
しかも式をやらないと一人前扱いされない風潮がある。籍入れるだけじゃだめ?だめらしい。親が泣くから?親が泣いたら何でもやるのか?そういう義務と強迫でできてるのが、あの「おめでたい」イベント。
式が面倒だから結婚しない人もいる。式を挙げたいからお金をためて数年待つ人もいる。子どもを先に産んだら親族から白い目で見られる。ぜんぶ式のせい。あんなものを続けるせいで、少子化は進む一方。
人の家で鐘が鳴ると、シャリバリしたくなる気持ちがわかる。むしろ鳴らせ。太鼓叩け。鍋を打ち鳴らして、騒ぎに騒ぎで返せ。こっちも我慢してきた。今度は式の側が我慢する番だ。
ウェディングが世界から消えたらたぶん社会はかなりまともになる。儀式がなくても愛は証明できるし、祝福は静かにやってもいい。金と見栄と呪いが詰まった白い箱をそろそろ焼却しよう。
・仮にしたとしてもふざけた言い方しかできない
・「悪かったとしても」とか言い出す
・感謝もできない
・図工や家庭科の制作物を見て第一声が「本当にセンスないよね〜」
・なにか理由を説明しても「でもお前が○○だからでしょ?」で済ます
・「○○してくれてもいいよ」という言い方を多様する
・悪いことはなんであれすぐ他人のせいにする
・宅配や御祝儀を勝手に開封して「開けておいてあげた」といい出す
・自分の都合がまかり通らないとキレる
・第三者都合による拒否であっても「その第三者と付き合いのあるお前が悪い」と言い出す
・約束は基本守らない
なんか、体調不良の娘と焼肉行きたい長男次男とその間何もしない父親と男家族を明らかに優遇してる母親、としか読み取れないポストが炎上してたので「うちは男がいたらこのポストみたいになってたかも」と思って辛くなって書き出してみた。
ワイはHUNTER×HUNTERがかなり無理なんだよな。なんでこれがウケてるの?って思ったけど作者の前作がヒット作だったらしい。
なるほど過去にヒット作飛ばした作家がそのご祝儀で応援してもらってるだけのつまんない二作目なわけだって
合点がいったよ