はてなキーワード: 読売巨人軍とは
読売ジャイアンツ終身名誉監督兼株式会社読売巨人軍専務取締役兼日本プロ野球名球会顧問兼ジャイアンツアカデミー名誉校長兼ポケオナボケ老人、故・長嶋茂雄氏の葬儀に巨人小笠原が参列した。
ダァーッと行ってスパーンと天覧死骸をレイプするや糸色丁頁身寸米青したカッスは肉体関係を理由に相続権を主張するもセコム、していたため無事射殺。
下品院玉金嘗英涜巨精小笠原大居士と九品院殿希誉英徳巨聖茂雄大居士のON葬が執り行われた。
なお、カッスの死亡により相続権は次順位者のプリティ長嶋が継承。形見分けで余った一茂を相続放棄した。
近年、インターネット上で「メシウマ」と「シマウマ」の混同が見られる現象が観察される。
本報告では、この二つの概念が持つ生物学的特性と文化的背景を多角的に分析し、その本質的差異を明らかにする。
両者の差異を理解することは、現代社会における言語の進化と生物多様性の重要性を認識する上で極めて重要である。
シマウマ(学名:Equus spp.)は奇蹄目ウマ科に属する哺乳類で、現在3種が確認されている。
分子系統解析によれば、シマウマはウマ属においてロバの系統と近縁関係にあることが明らかになっている。
この事実は、外見的類似性にもかかわらず、家畜馬(Equus caballus)との遺伝的距離が大きいことを示唆している。
系統樹分析では、グレビーシマウマ(Equus grevyi)が約180万年前に分岐し、続いてサバンナシマウマ(Equus quagga)とヤマシマウマ(Equus zebra)が約120万年前に分化したことが示されている。
この進化的分岐はアフリカ大陸の気候変動と植生の変化に対応した適応放散の結果と考えられる。
シマウマの縞模様は黒色色素細胞の分布パターンによって形成される。
近年の熱画像分析によれば、縞模様の黒色部と白色部では表面温度に最大3℃の差異が生じ、微気流の発生による冷却効果が確認されている。
カリフォルニア大学の研究チームは、縞密度と生息地の気温に正の相関関係があることを実証した(r=0.78, p<0.01)。
吸血性昆虫忌避効果については、縞幅2.5-5cmのパターンがツェツェバエ(Glossina spp.)の偏光視覚を混乱させる機序が解明されつつある。
実験的検証では、縞模様を施した模型馬では吸血率が75%減少することが確認されている(n=120, χ²=34.56, p<0.001)。
メシウマという表現は「飯が美味い」の略語ではなく、「他人の不幸で飯がうまい」という反語的表現に由来する。
その起源は2003年頃の2ちゃんねる「野球ch板」に遡り、読売巨人軍の敗戦を嘲笑するスレッドタイトルから発生した。
当時の投稿データ分析によれば、このスレッドは72時間で1,200以上のレスポンスを集め、ネットミームとして急速に普及した。
初期の使用例ではスポーツチームの敗北を嘲笑する文脈が86%を占めたが(n=500投稿)、2010年代以降は政治スキャンダル(32%)、企業不祥事(28%)、個人の失敗体験(25%)などへ適用範囲が拡大している。
特に注目すべきは、2020年代に入り「自己の利益獲得」を意味する肯定的用法が15%出現した点である。
例えば、投資利益や転職成功を「メシウマ案件」と表現する用例が観察される。
両者の混同は音韻的類似性(/mesiuma/ vs /shimauma/)に起因するが、より深層的に見れば、デジタルネイティブ世代の自然体験不足が背景にある。
若年層(16-24歳)を対象とした意識調査(n=1,200)では、シマウマの実物認知率が58%にとどまる一方、メシウマの語義理解率は89%に達する。
メシウマ現象はシューデンフロイデ(他人の不幸を喜ぶ心理)のデジタル時代における表現形態と言える。
一方、シマウマの縞模様研究は生物多様性保全の重要性を再認識させる。
例えば、グレビーシマウマの個体数は過去40年で75%減少し、現在は2,500頭以下と推定されている。
この危機的状況は、インターネット文化が現実の生態系問題から注意力を逸らす負の側面を示唆している。
生物学教育においては、シマウマの生態的地位(ニッチ)と適応戦略を重点的に指導すべきである。
具体的には、縞模様の熱力学モデル(黒部の吸収率α=0.95、白部の反射率ρ=0.85)を用いた数値シミュレーション教材の開発が有効である。
インターネットリテラシー教育では、メシウマ的思考が持つ倫理的危険性(共感能力の低下、社会的信頼の損傷)を事例分析を通じて指導する必要がある。
本考察により、シマウマが生物進化の驚異であるのに対し、メシウマはデジタル社会の病理的現象であることが明らかになった。
頭Qな人たちにサイン馬券を教えてあげたら、まだ健全なほうにハマってくれんやろか。
あっちも、タカモト式って言って元は「競馬は陸軍中野学校出身の秘密組織の資金集めで、結果は仕組まれている」云々のアレなんやけど。
しかし世界日報や電子版は一般紙であるため、メディアとしての中立性を保つ以上宗教的に踏み込んだ話自体がそもそも掲載出来ません。
なんて書いてあるけど、これウソの定義に基づいたウソの主張だぞ。
あたかも出版物が一般大衆向けの「新聞」とセクト内向けの「機関紙」に分類され、「新聞」である場合には「メディアとしての中立性」があるかの如く書かれているが、日本語の「新聞」には「一般大衆向け中立の物」なんて意味は包含されていない。
そもそも新聞は中立性を要求されない。日本新聞協会の新聞倫理要綱ですら中立性は謳われていないし、まして世界日報社は日本新聞協会の会員社ですらない。
ここで言われている「新聞」「中立性」は、世界日報社内部の用語と言わざるを得ない。
そして重要なのは、「カルト勧誘の本質は正体隠しという情報操作である」と言われるとおり、統一教会をはじめとするカルト宗教では、一般人への接触点を作る際は、宗教色・勧誘色を隠すようにマニュアル化されていることだ。
一般向けメディアでは宗教色・勧誘色を廃すのが、カルトの勧誘の手法だ。記事で「過度な宣伝・勧誘を行う記事を寄稿したとしても取り下げられる」といっているのは、この手法を自白しているようなものだ。
このようなカルトの勧誘マニュアルを前提に、記事が「新聞」「中立性」という語をことさらに持ち出していることを見ればその狙いは明確で、「宗教色・勧誘色のないメディアである」とアピールする意図に出たものだ。日本新聞協会の加盟社でもないのに世界日報を毎日新聞や産経新聞になぞらえるのも、大学生の勧誘時に大学公認サークルになぞらえるのと同じ手法である。
加えて、記事は、統一教会から世界日報社への「資金提供が漸次目減りしており自己資本での企業経営を強いられてきた」ことをもって、世界日報社が統一教会と無関係になったと主張するが、「漸次目減り」とは今なお資金提供を受けているという意味であるし、そもそも「資本的な協力が無い以上現在の支持母体であるとは見做せない」というのがウソである。読売ジャイアンツの運営母体である株式会社読売巨人軍は独立採算性かつ単独黒字で読売新聞からの資金援助を受けていないが、ジャイアンツと読売新聞が無関係だなどと言う者は居ないだろう。
元記事に現れた数々のウソは、どれもカルトの勧誘マニュアルに驚くほど一致しており、そのような記事が、統一教会と無関係だなどとカルト勧誘マニュアルと同じ主張をしても、信用に値しない。
大阪で生まれ育って26年、東京に出てきてもうすぐ丸7年になろうとしているんだけれども、すっかり東京弁が板についてきたな、と思う。特に仕事中はかなりスムーズに東京弁がすらすらと出るので、しばらく会話した相手に自分が大阪出身であることをいうと「分からなかった」と言われるまでには東京弁をマスターしてきたかな、と思う。東京弁とは、べらんめぇの江戸訛りというよりかは、一般的には標準語というのかもしれないが、ここは関西人の言う「東京弁」のことだと思ってもらいたい。
7年前に東京に出てきた最初の一瞬は、特に意識することもなく相手が誰であろうと関西弁で会話していたものの、これを続けるのはやはり難しかった。というのも、いわゆる「でんがなまんがな」までとは言わないまでも、それなりにもともと関西弁が強い方なので、人の名前を呼ぶときも関西弁丸出しのイントネーションで声をかけるんだけども、聞き慣れないイントネーションで呼ばれても、相手に自分のことだと思ってもらえない。何度か声をかけるうちに「あ、もしかして俺のことを呼んでたの?」と言うふうに、そもそも聞き慣れない方言はすんなり頭の中で処理できない人が多い、と言うことに気づき、無意識のうちになるべく聞き取りやすい言葉=東京弁で喋らないといけない、という意識が湧いてきたと思う。すると今度は、自分の中に東京弁が無いので、思っていることがスッと言葉に出てこず、頭の中で変換するのに時間が掛かる。そうなると、話すこと自体が億劫になったり、ストレスに感じたりして、一時期比較的無口な時期が続いたりもした。比較的喋る方だと思っていたのに。
当然ながら東京では日常が東京弁に溢れ、自身も多少頭で変換しながら東京弁を話す、という作業を続けること数年。触れる関西弁といえばテレビに出ているお笑い芸人のみ。関西芸人の露出も大阪にいた頃の比ではない少なさで、東京弁が少しずつ耳に馴染んでいくにつれ、いつのまにか頭の中の思考もハナから東京弁で行われるようになり、すっかり東京弁をマスターした、と言えるようになった。
すると今度は、たまに関西人と会話するときに、関西弁がすんなり出ない、ということが増えてきた。これは他の地方出身者なら気にならない人も居るのかもしれないけども、本来大阪の東京へのライバル心たるや凄まじく、文化においては関西の方が上、つまり江戸に対しての上方であると言っていたり、ただの対戦相手のひとつである読売巨人軍に並々ならぬ敵対心を燃やしたりというので、関西人に対して東京弁を話すと「もうおまはんは大阪の人間ではない」「東京に心を売ったんか」というようなことを言う人もあり、アイデンティティが薄れていってると言う心持ちがして少し寂しいな、と思うことがあった。
一方で、ここ最近芽生えてきた思いがある。それは「東京弁、ありじゃないか」というので、実は結構東京弁が好きになってきている。
というのも、最近芸人がパーソナリティを務める深夜ラジオをradikoで聴くようになって、関西芸人関東芸人問わず色々聞いてるんだけども、関東芸人の話すエピソードトークが、どれも壮絶なオチがあるわけでもなく、とはいえしみじみと相手に訴えかける話が展開されて、これが滅茶苦茶に良い。これは恐らく、良くも悪くも方言にサービス精神が乗っかる、例えばとにかく大袈裟にであったり、少しでも相手に面白おかしく伝える関西弁の悪いところが一切排除されているからで、このサービス精神の要素が無く、かつ話術に長けたエピソードトークは、粋を感じさせて良いな、という気がしてきている。
自分が大阪に居た頃、いかに会話を話しかたで誤魔化してきてたか、曖昧なニュアンスを曖昧なまま伝えていたか、勢いのある方言に頼っていたか、という反省と、東京弁だからこそ活きる言葉の選び方の妙、相手に与える印象みたいなものの面白さに趣きを感じつつ、この感覚は東京と大阪を両方を体感して初めて味わえるものだし、言語化が難しそうだけれども、稚拙でも良いから明文化して残しておこう、そして自分は東京弁と関西弁のどちらの良いところも扱いながら、言葉の妙を使いこなすバイリンガルを目指していこう、と心に決めたのでした。
そんな矢先。毎年実家から年末年始の関西ローカル番組の録画をブルーレイに焼いたものを送ってもらっており、週末に計10時間以上の関西弁を浴び続けた結果、東京で育った家人に「なんか急に早口な関西弁になって、心なしか性格までキツくなった気がする」と言われました。わずか7年では、たった10時間のテレビ番組に打ち負ける。バイリンガルの道は程遠い。
ダイエーが滅びの呪文を受けて全国的に崩壊しているころ、近所のダイエーもご多聞に洩れず閉店となることが決まった。だいたい、今話題のゴーンさんが日産に乗り込んできたころのことだ。そのとき、久しぶりに上から下まで店内を散策していたとき、見切り品に凄まじいものを見つけた。
本当は売り物ではなく、店内の販促用のPOPを作るための用紙だと思うのだが、ひと包み198円だった。
ダイエーのコーポレートカラーのオレンジの用紙を山積みにして本当に売ろうとしているのか、ほのかな疑問が頭の中をよぎったがそんな狂気が崩壊間近の企業グループにはただよっているのかもしれない。ライバルのジャスコやサティでオレンジ色の紙でPOPを作るわけにはいかないだろうし、オレンジだから読売巨人軍になら引き取ってもらえそうな気がした。