はてなキーワード: 機序とは
自分の名前、親戚の名前、友達の名前、同僚の名前、かつての同級生の名前を検索するのがやめられない時がたまにある
エゴサの広範囲バージョンというかネットストーキングというか。facebookとかlinkedinが出てきて近況を知る場合もあるけど、大体は何もなく終わる。どうせ検索しても大したものは出てこないと知ってても繰り返し検索してしまう
本当に時間の無駄だし我ながらキモい。でも人に言えないだけで同じようなことやってる人はそれなりにいるのではと思ってる。報復性夜更かしとか共感性羞恥とか、キャッチーな名前がつけばみんな話題にするのかな。自分でもなんでこんなことするのかわからなくて単純に気になるから、機序が解明されてれば知りたい
俺はどういう機序だと聞いているんだ
以下、説明。
一般セックス射精に対してアナニーが別次元の強烈な快楽をもたらすことは周知の事実。
ところがアブノーマルな手法であり、心理的抵抗感が高く、そもそもいきなり男のアナルをズコバコしても快楽は得られない。
しかしドライ到達すれば人生観が変わる。セックスの快楽など比較にならない。
ソープで快楽を得られなかった幸運なキミはアナニーの才能があるのだ。
説明を続ける、
ルーインドオーガズムという用語がある、射精直前に陰茎への物理刺激を止める、一切触れない、オナニーであれば握っていた手を離す。
そうするといわゆる甘出しとなりオーガズムが台無し(ルーインド)になる。気持ちよさが激減する。
つまりのところ射精快楽の機序は陰茎の物理刺激がトリガーになっている。
これはA10神経と刷り込み連携による報酬系快楽の発動なのだ。
動物の脳は子孫繁栄のため射精を繰り返すべく快楽という報酬を与えるメカニズムが備わっている。
精通初期にSM物のAVばかり見て射精をしていると脳はSMと性感がリンクされSMでなければ興奮しなくなる。
盗撮犯が何度捕まっても盗撮がやめられないのも同じ。刷り込み。
ソープで快楽を得られなかったってことは快楽トリガーがピュアな状態と推測される。
ドライ到達のネックは性的快楽のトリガーを一般的な射精からアナル及び前立腺刺激によるトリガーに切り替えること。
だが人間の脳はなかなか忘れてくれない。
女を口説いて脱がして乳をもんで挿入して射精し快楽の報酬を受け取る、この(正当な)プロットが刷り込みされてない人の方が「切り替え」のハードルが低い。
アナニーはめちゃくちゃ体力を使う。ドライで連続イキをしていると生命の危機を感じるほどだ。
アラサーであればまだまだ間に合う。
40をすぎると痔を患ったり、前立腺が肥大したり、性欲も減退する。そうなるともう遅い。
始めるなら今しかない
GoogleAI
本来の蛙化現象とは「相手が好意を持った途端、その相手に対して嫌悪感を抱いてしまう心理現象」を指しますが、近年では「好きな人の些細な言動に幻滅する」という意味で使われることも多く、若者の間で新しい意味が定着しています。
本来の「蛙化現象」の意味
概要:恋愛において、片思いの相手が自分に好意を持っていることがわかった途端、それまでの好意が冷めて嫌悪感に変わる心理現象です。
由来:心理学者の藤沢伸介氏が提唱した言葉で、グリム童話の「カエルの王様」にちなんで名付けられました。
具体例:ずっと好きだった相手が振り向いてくれたことで、生理的な嫌悪感を抱いてしまうケースなどがあります。
若者の間での「蛙化現象」の意味合い
概要:若者の間では、「好きな人の些細な言動や仕草で突然気持ちが冷めてしまう」という意味で使われることが多いです。
「なんか冷めた」の6文字ですむ概念を、わざわざ複雑な言葉使ってそれっぽく頭良く話してる風にしてる感じが馬鹿くさい
偏差値45とかの人がつかってそう
“カエル”が元来の「王子が蛙に見える」の反転や嫌悪喚起の象徴として使われ、恋愛嫌悪、自己嫌悪、暴露後の認知変容など複数の解釈が混在しやすい(対象=カエルに機序が埋まっていない)。
現象の根本因(理想化の崩壊、親密化に伴う嫌悪感、投射の剥落、恐れの防衛など)が「カエル化」という定義文に入らず、結果(冷める)のみをラベル化してしまい、学術的枠組み(例:脱錯覚、親密性回避、嫌悪感感受性)に結び付きにくい。
“カエルとはなんの象徴か"を定義化するための判定基準が合意されておらず、キャッチ―さだけでSNS流通で意味が拡散・変質しやすい。
グリム童話では、姫の嫌悪の源泉は外見的容姿の違いによるのに対し、本ミームでは「相手の行動」が嫌悪のトリガーとなっているのも設計の精密さに欠ける。
良い名詞比喩は「構造の写像(図解可能)」を提供するのに対し、カエル化現象は「前提となるグリム童話と連動しない」「主観的・情緒的な印象メタファー」に留まり、原因機序と再現条件が弱いため定義が揺れやすい。
運よくホットエントリにはいったので、たくさんのおすすめをいただきました。ありがとうございます。
以下、いただいた作品を「(電子、物理問わず)持ってるもの」 「読んだことがあるもの」 「読んだことない・知らない」で分類しました
・猫と竜
・チ。
・ラーメン再遊記
・葬送のフリーレン
・ラーメン赤猫
・だんドーン
・寄生獣
・銃夢
・映像研には手を出すな!
・SLAM DUNK
・武装錬金
・銀の匙
・三国志
・イムリ
・封神演義
・キメラ
・J↔︎M
・片喰と黄金
・天国大魔境
・サマータイムレンダ
・火花
・最果てのソルテ
・ハニワット
・血の轍
・烏に単は似合わない+烏は主を選ばない
・運命の巻戻士
・対ありでした
・日本三國
・北北西に曇と往け
・ 峠鬼
・令和のダラさん
・オルクセン王国史
・税金で買った本
・生き残った6人によると
・ コーポアコーポ
・バルバロ
・ダークギャザリング
・ねこ、はじめました
・シグルイ
・ROUTE END
・孤高の人
・きみにかわれるまえに
・ながたんと青と。
・宝石の国
・刻刻
・オレンジ
・ニセモノの錬金術師
・相席いいですか?
・わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)
・ニャイト・オブ・ザ・リビングキャット
・アルテ
・その着せ替え人形は恋をする
・ペリリュー
・私が死んで満足ですか?
・猫奥
・ARIA完全版
・怪獣を解剖する
・路傍のフジイ
・煙たい話
・ 最後のレストラン
・ドラゴン養ってください
・冥天レストラン
・家栽の人
・幽麗塔
・ EDEN
・ 幻獣の國物語
・聖女に嘘は通じない
・ダーウィン戦記
・マップス
・バルバロ!
・路傍のフジイ
にしたいと思います。
あと、
・日本三國
・峠鬼
あたりは機会があれば(セールだったり、ポイントがあったら)優先度高めで読みたいと思いました。ありがとうございます。
条件にこの10年くらいの漫画としておけばよかったですね。それ以前の作品はちょっと今は読む気分ではないですすみません。
あとスポーツものと歴史ものが苦手なので、メダリストとか三国志、風雲児たちも今回は無しで。ペリリューはいつか読もうかと思ってますが。
猫と竜買ってるけど、別に猫マンガ好きではないです。むしろ犬派です笑
あとおっさん剣聖あげてるけど、なろうだから好きみたいなのもないです。特に転生物は読みません。
なんだかんだで漫画歴40年くらいだし、ジャンプラやウェブリ、コミックデイズは入れてるのでマンガを読む機会はそこそこあるのですが、世の中にはまだまだ知らんマンガがいっぱいあるなと当たり前の感想を持ったりしました。
ありがとうございました。
【追記 08261421】
ブコメで「バルバロが未読の人の興味を引いた機序を知りたい」とあったので、バルバロ以外も含めて選んだ理由を書いときます
・バルバロ! 1話目がブクマでホットエントリに上がってるときに読んで面白いな続き読みたいなと思ったものの、その後、忘れてて思い出して開いたら途中が読めなくなってたたので。風俗周りは一時期興味があって色々調べてた(意味深)ので、その辺で興味があるのもある。
・怪獣を解剖する +解剖、幽霊、密室 これもホットエントリかXに流れてきてしったやつ。僕は怪獣8号が1話のまま続いてほしかったと思ってるタイプの人間なので、そういう人間として読まずにはいられないので期待しまくってる。
・路傍のフジイ Xのプロモツイートに何度も何度も流れてきて、どうせくだらないやつだろと思って無料分を開いたら想像の10倍くらい面白かったのと、けっこう外部評価が良いみたいなので興味を持った。
・図書館の大魔術師 タイトルの漢字がごついのだけ知ってたが、今回名前が挙がってたので1話を読んでみたら結構面白かった。でも、これ買うと他が買えなくなるので後に回します。あとで買うには入れておきました。
・日本三國 これも話題なのでタイトルは知ってるのと、2.5次元で舞台化してるらしく昔の推しが出てるのでちょっと興味がある。これは冊数的に路傍のフジイと迷ったので、次回買うかな。
・峠鬼 全然知らないタイトルだったけど複数の人が名前を挙げていて、気になったので1話を読んでみたらよさそうだったので。ガチ歴史ものはあまり好きじゃないんだけど、歴史ファンタジーは好き。
・瑠璃の宝石 絵を見て、ちょっと性的過ぎるなと思ってパスしかけたんだけど1話読んでみたら面白かった。鉱物周りは昔の上司がやたらと詳しく、自分も化石が好きなので一時期東京ミネラルショーに足を運んだりしていたので気になってはいる。けど、上記の3冊と比べたら優先度下がるかな。
なぜ以下の文章を読まないの?
水俣病などの公害は「環境に影響を与える可能性がある事業」であって「表現の自由等の個人に認められている人権を規制する」ものではないよね
予防原則ってのは新薬、新技術を使った製品や環境に影響を与える可能性がある事業に対して
その機序がわからなくても規制するものであって(例えば薬機法)
表現の自由等の個人に認められている人権を規制するのに使う原則ではありません
https://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=2635
https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.1401101668
僕はずっと、「政治家になりたい、政治をやりたいなんていう人を『支持』するのは、なんか嫌だな」と思い続けてきました。
fujiponさんのこのエントリ、全体としては共感できるところが多く、良い読み物だったという感想なんですが、一点少しひっかかる記述がありました。
でも、いまの日本で、少なくとも直接的に移民によって傷つけられているわけではない人たちが、いまの自分が置かれている状況への不満を「移民差別」や「懐古主義」に置き換えてしまうのが、正解だとは思えない。
ここに書かれているのは、なにかしらの現状への不満を抱えた人がそれを排外主義に転化しているという認識です。
この認識自体は決して珍しいものではありません。というか、排外主義について語られる際にはほぼほぼこのような語りがなされると言ってもいいくらいのスタンダードな認識です。
でも、排外主義の裏には社会への不満があるという認識が事実に基づいているのか、自分はかねてより疑問に思っています。
例えばこんなケースを想定してみてください。
Aさんは長年正社員として勤め、定年退職した。現役時代の稼ぎは悪くなく、老後の経済的不安は少ない。配偶者や子供との関係も良好である。
退職して自由な時間が大きく増えたAさんは、その時間でYoutubeをよく視聴するようになった。
Youtubeのトップページに表示されるオススメの動画の中には政治についての動画もあり、タイトルやサムネイルから興味を持ちそのうちのひとつを視聴してみると、その後オススメにはそれと似た政治系の動画が数多く表示されるようになった。
Aさんはそれらの動画を視聴していく中で、現在日本では外国人による凶悪犯罪が多く発生し治安が脅かされていること、外国人が過度に優遇され日本人はないがしろにされていること、そしてメディアや政治家の多くが反日左翼勢力に支配されているためにそれらの問題は軽視されたり否認されたりしていることを知った。
そのことから、Aさんは選挙では日本人のための政治をしてくれる愛国的な新興政党に投票すると決めた。
以上のケースはあくまで自分の創作ではあります。しかし、これがただの勝手な創作に過ぎないのか、それとも似たような事例が日本中のあちこちに実在するのか、というと後者ではないかと思います。
ではこのケースでAさんが排外主義的主張をする政党への投票を決めた背景に社会への不満は存在すると言えるでしょうか?
おそらくAさん自身に聞けば外国人ばかりが優遇される社会に大いに不満があると答えるでしょう。
でもそれはAさんが排外主義的主張に染まった結果生じた社会への不満であり、元々Aさんがなにかしらの社会への不満を抱えていたがゆえにそれが排外主義的主張を受け入れる背景になったとは言えないでしょう。
このように考えてみると、不満の感情が排外主義に転化しているという認識は現実に即しているのか極めて怪しいと言わざるを得ません。
確かにここ最近の日本の話題といえば、まず物価上昇による生活苦という問題が大きなものとしてあり、その後排外主義的主張を掲げる新興政党の伸長という事態が発生しています。よって大きな話題を時系列順に単純に考えるとそこに因果関係を見出すのも理解できる考えではあります。
しかし、本当に因果関係が存在するのかは慎重に見なければならないでしょう。
参政党の支持者層の偏りとして、男性が多いというのはありますが、低収入の人が多いという傾向は存在していません。収入が低い層ほど物価高の影響を大きく受け、社会への不満が高まるはずなので、これは経済の影響は大きくないことを示唆しています。
欧州では低所得層ほど反移民感情を持ちがちな傾向があったとしても、それを単純に日本に当てはめられないということも指摘しておきます。なぜなら、日本は島国であり、近隣の貧しい国の人が仕事を求めて不法に入国し就労するということは非常に困難ですし、そもそも少子化・人手不足社会です。よって、低所得層の仕事が移民に奪われる恐れからの反移民感情は極めて発生しづらいからです。
不満の感情の転化でないならば、何が人を排外主義に向かわせるのかですが、自分はこれはインターネットの利用とメディアリテラシーの欠如でだいたい説明がつくと考えています。
前提として、人間の認知は遥か昔の野生生活で生存率が高くなるように作られており、巨大で複雑な国際社会を生きるのに適合的ではありません。
よって、我々は余所者が嫌いです。仲間でない余所者の中には友好的な人物も敵対的な人物もどちらもいますが、友好的な人物に対して警戒心を持って接しても死ぬことはなく、逆に敵対的な人物に警戒心を持たずに接してしまえば最悪命を奪われるわけで、生存のためにはそのほうが都合がいいからです。
同じように、我々は性善説よりも性悪説を現実的だと感じます。実際には多くの人は自身の良心を裏切るような行動を取ることに大きなストレスを感じ、自身が善良な人間であるという自己認識を得られることは大きな報酬と感じるわけで、好ましいとされる振る舞いをすることが多いです。しかし、生存のためには他者の悪意に備えたほうが都合がいい。よって実際の現実とは無関係に性悪説のほうが現実に即していると感じられるのです。
このような認知のバグの存在が意味するところは、人間は排外主義者になるのが自然だということです。
余所者を脅威に感じるのは我々の認知がそのようにできているからであって、当たり前のことですから。
そして、この認知バグに沿った言説ほど、我々はわかりやすいし好ましいと感じるわけです。
いわゆるオールドメディアは、まだ正しさや妥当性という評価軸にとらわれています。
しかしインターネット上ではより多くのインプレッションを稼げる言説こそが強く、ウケているからこそより多く拡散されるという正のスパイラルが生まれます。正しさや妥当性よりもウケるか否かが重要な世界では、認知バグに沿った言説ほど有利になります。
そして、前述のように排外主義はまさに認知バグに沿ったものであり、インターネット時代において最強の立場であると言えます。
この認識は世界各地で極右勢力が伸長していることに対して「インターネットが普及した結果の必然」という簡潔な説明を可能にします。
また、「ネット右翼(ネトウヨ)」という言葉は存在するのに「ネット左翼(ネトサヨ)」という言葉はネット右翼という言葉ありきでしか使われないのはなぜかということの説明にもなります(左派・リベラル派は認知バグに反することばかりを主張するのでネット時代では支持されない)。
なぜ2016年米大統領選のときにヒラリーやサンダースの支持者向けのフェイクニュースはあまり読まれず、結果トランプ支持者向けのフェイクニュースばかりが作られることになったのかについても、これは説明可能です。
言うまでもないことですが、自身の認知バグに無自覚で排外主義に同調してしまう人というのはメディアリテラシーの欠如した人と言わざるを得ません。
一定以上のリテラシーのある人は事実と反するにも関わらず支持されてしまいがちな言説のパターンをある程度把握しており、そのパターン通りの言説に対しては「あ、これデマっぽいな」という嗅覚が働きます。
また、情報の信頼性について自分が納得できる内容なのかよりも発信者の信頼度によって判断するため、動画サイトやまとめサイトを情報源として信頼しません。
多くの情報を得ると情報強者になったような気になります。しかし、本当に大事なのは情報の量ではなく、情報の信頼度を判定するメディアリテラシーです。これが欠如していると、ジャンクな情報に振り回され、情報強者を自認する情報弱者になってしまうのです。
以上のことを逆の言い方をすれば、人を排外主義に向かわせる最大要因はメディアリテラシーの欠如であると言えます。
実は思想の左右と思われているもののうちの多くは、思想の差ではなくメディアリテラシーの差であろうと自分は考えています。
思想の左右というと対等な関係に思えますが、メディアリテラシーの高低は対等ではありません。よって、ネット右翼が「リベラルは傲慢だ、対立する意見も見下さずに対等に扱うべきだ」と言ったところで、無茶な注文でしょう。なんならその「リベラル」も単にネット右翼よりもまっとうなメディアリテラシーを持っているというだけで特別リベラルな考えの持ち主というわけではないパターンも多いでしょう。
まとめると、なにかしらの社会への不満などの要因が転化して人は排外主義に染まる、というモデルは間違いだろうということです。
そうではなくて、なんの要因もなくても自然に人は排外主義の主張を好むものであって、逆に排外主義に染まらない人のほうにこそその不自然を説明するためのなにかしらの要因を見出すべきであり、その要因として最大のものはメディアリテラシーを身につけていることが挙げられる、というのが自分の考えです。
そして、突然人々のメディアリテラシーが急上昇することはない以上、たとえ今後経済が上向いたとしても排外主義は支持を伸ばすでしょう。もしかしたら参政党は支持を失うかもしれません。しかし、その際は他の党が排外主義票の受け皿として伸長するはずです。
排外主義の裏には不満の感情があるはずだと考えれば、経済や社会が良くなって人々の不満が減れば排外主義も退潮するはずだと希望が持てます。でも、そうではないでしょう。
元増田だけれども、ループし続けるとは一言も主張していないぞ?
何故ループという解釈に至ったのか、その解釈へ至る機序の方が気になるくらいにビックリな解釈だと感心しているくらいだ
主観上は"終わりの時空"を認識できないので主観は"終わりの時空"へ到達しないというのが自分の考えだ
つまり、この"終わり時空"を客観的に解釈すると"終わり時空"へ至る"直前の時空"は無限に延長されていく
「今苦しんでいる奴は過去に悪いことをしたからだ」みたいな考え方。
こういう考え方をしてると、何の罪もない被害者に対して「過去に悪いことをしたから今ひどい目に遭っているんだ」みたいに被害者を責めたりするからよくないよね、という文脈で使われたりする。
俺もそういうのはよくないと思うので、世界公正信念は有害な考え方で正されるべきだ、という人の話も理解できる。
でもさ、バカみたいな疑問なんだけど、「世界公正信念は認知バイアスである」って言う時、そこには暗に「世界は公正ではない」っていう隠れた前提があるじゃん?
この世界は、本当に不公正なのか?
いや、俺もまあ世界は不公正で理不尽なもんなんだろうなあと思ってるけど、でも世界は不公正だってちゃんと確かめたことはないんだよね。
にもかかわらず世界は不公正だと決めつけている俺は、世界が公正だと思っている人とわりとどっこいどっこいのようにも思える。
言わば俺は「世界不公正信念」の人なのかもしれない。
また、世界公正信念には有害な面があるけど、いい面もないわけではないらしい。
例えば、犯罪をしたら巡り巡って自分に返ってくるんだから、悪さはしないでおこう、という倫理が働くかもしれない。
人助けをしたら巡り巡って自分に返ってくるから、困っている人を見かけたら助けようという気持ちになるかもしれない。
逆に「世界不公正信念」の人は、このような機序で倫理は働かないから、より強い理性と信念を持って自分を律していく必要があるかもしれない。
立場によっていろんな考え方はできるけど、俺は世界は不公正だと思っている方が実世界のあり方に即しているし、総合的に見て有益であるとも思っている。
でもそれはきちんと確かめたわけではない以上、信念の域を出ていないんじゃないかとも感じる。
世界が公正であると思うのが認知バイアスなら、世界が不公正であると思うのも同様に認知バイアスなのではないかと。
世界公正と世界不公正のどちらが真理かは確かめることが難しい以上、世界公正信念の側だけを一方的に有害な認知バイアスであると切り捨てることに、俺はいくらかのためらいを感じてしまう。
人は過失を犯すものであり、その結果は交通事故といった形で統計に表れていますが、いくら啓蒙がなされて減少傾向にあるといっても毎年必ず一定数の事故が起きていることになります。これは言い換えるなら交通安全意識の高まりによって事故を減らすことはできても人が運転する以上は完全になくすことはできないということでもあります。ではなぜそうなのかをGPTに聞いてみたところ、ヒューマンエラー、インフラの限界、天候要因など尤もらしい答えが返ってくるわけです。
特に人のミスというのは限りなく真実に近いでしょう。人はロボットや機械ではない以上、プログラム通りに行動できるわけではありませんから。逆に言えばロボットや機械でも故障やソフトウェア的なトラブルがないわけではないですが、機械の場合では原因をつきとめることで対策をすることが可能であり、フェイルセーフを何重にもかけることで安全率を多くとることもできるでしょう。現代では大型旅客機などによる航空機事故は珍しいものとなり、事故による死者も交通事故と比べてはるかに少ないことはだいぶ以前から言われてきたことですが、これはもちろん利用者の母数も考慮にいれた話であり、単に死者数だけを比べるなら交通事故による死者の方が多いのは間違いないでしょう。
航空機も人が操縦するとはいえ厳しい資格要件を満たしたプロであること、自動車の運転などよりも格段に安全に配慮した手順が定められているといった理由があるでしょう。ということで車の運転免許も取得難易度を高くすることで事故抑止効果は期待できそうですが、それが航空機の操縦免許ほどの費用や難易度となって実質的に多くの人が取得できないほどでなければ結局のところ殆どの人が取得することになり、難易度が高くなる結果は受験回数に反映されるような形となりそうです。ということから交通事故は多分に人的要因が大きそうだということが示唆されるわけです。
とったことや外国人による高速道路での逆走事件を受けて外面切り替え制度は厳格化されることになるようですが、交通や法規に関する知識だけでは測れない何かがあることを示しており、こういったものも規制の対象となる日はいずれやってくるだろうと思います。
なお6/1に起きた高速道路への転落事故では運転者が無免許だったことでやはり警察の取り締まりも含めた運転免許システムは事故の抑制に大きな効果を上げているものと思いますが、そのように制度の外側から法律を無視してでも運転するのだという人に対する対処は警察の手にかかっていると言えるでしょう。
高速道路への転落では運転者が無免許だったことで現場を離れて逃亡したことからも、その発覚を免れようという動機が強く働くことが考えられ、転落事故では被害者はいなかったようですが万が一人を死傷させた場合には救護措置を取るかどうかについての疑問は残るでしょう。ということから運転免許を取得した人よりも無免許だったり外面切り替えといった簡易な方法で取得した人物による轢き逃げの割合が大きいのではないかと疑うことはそれほど不自然なことではないですが、実際にどうなのかは分かりません。
轢き逃げの検挙率は死亡事故に関しては100%に近いようですがそうでない場合を含めた全体としては7割程度のようであり、防犯カメラの設置が進んだとはいえ検挙の限界はあるでしょう。特に犯罪人引渡し条約のない国へ逃げた場合などはそうでしょう。これも事実はどうなのか知りようがありませんが、犯罪揉み消しは実際に行なわれてきたことは事実であり、特に白人は沖縄での自国兵士への扱いからも分かるように白人は白人による犯罪に寛容です。
話をもとに戻しますと、なぜ人は過失を犯すのかですが、それこそ機械であれば原因を突き止めることが出来ても、人の「魔が差した」機序を科学的に明らかにすることなどできないでしょう。それも人にはAIなどとは違って思考過程にブラックボックスがあると考える理由ですが、もっと端的には「どれだけ気をつけていても過失を犯す理由は、寧ろ事故とは人は過失を犯すという性質が具現化したもの」ではないか、というくらいのことしか言うことはできないでしょう。
ということで人が死傷する事態=交通事故をなくすことを目指すなら自動運転化への流れは必然ですが、そのためには現状のAIやカメラで捉える資格情報などでは限界があり、そういった未だ黎明期にある技術に生命を預けるというよりも道路自体に信号を発するようなものを埋め込むという、それも永久磁石の磁力のような電力供給に左右されないものが望ましい筈ですが、EVなどへの走行充電装置の実証試験は行われても自動運転への本格的な取り組みはなされていないと判断できるものと思います。
なぜそうなのかは、上記のようなイキリダッシュ動画や、インスタなど各所で見かける高級車、スポーツカーといったものを「魅せる」文化が関係しているように思えてなりませんが、そういった富や高級なものを魅せる文化の本場はアメリカといった白人国家であり、そういったことが白人の生殖に不可欠だからだ、と短絡するよりももう少し掘り下げて考えてみたいところです。
ついでに信号機の制御なども今後はAIに任せていくべきであり、不必要としか言いようのない赤信号停止がどれほど多いかです。AIに任せれば信号停止の頻度や時間の最適化は簡単に解決する問題です。こういったことにも何か裏がありそうです。