はてなキーワード: 日本国憲法とは
ごめん。100字じゃ書き切れなかったので増田に書く。
まず大前提として,日本は憲政国家であり,政府は憲法に反することはできない。これが絶対的な条件として存在する。
そして日本国憲法には第九条がある。その是非やら改正に向けた議論やらはあるが,現状は間違いなく存在している。
んで,自衛隊は憲法の禁じる「戦争のための戦力」ではなく「自衛のための戦力」だという建前で存在を許されている。その行動は自国の防衛(個別的自衛権)に限定され,他国が攻められたときの防衛(集団的自衛権)は明らかな戦争であり,絶対に許されない,というのが,この国の大原則だ。
それを踏み越えたのが,集団的自衛権の行使を認める2014年の安倍内閣の閣議決定と2015年の安保関連法の成立だ。本来なら,このような暴挙は許されるはずはない。
立法の意図は明らかだ。台湾有事には自衛隊が米軍と同調して介入することを可能とし,もって台湾有事の発生自体を抑止する,というものだ。
だが,抜いたら明らかに違憲状態になる「刀」を,あるだけで効果があるから,という理屈で成立させるわけにはいかない。野党はありとあらゆる手段で抵抗した。なので三条件をはじめとした数々の妥協と制限が成立に当たってはかけられた。
その一つが,この法律は特定の紛争を意図したものではなく,とんでもない状況(それこそ世界大戦とか)に対応するためのものである,という態度を政府が堅持する,ということだ。「刀」は存在はするけど,けっして特定の相手にむけて突きつけることはしない,ということだ。これは当然のことだ。その存在意義(紛争の抑止)からして,刀をむけてしまったら逆効果だからだ。
このような,存在自体があやうい「刀」であるが,台湾有事の発生の危険は現実的なものとなっており,それを抑止できるのであればと,野党はしぶしぶ存在を容認している。だが,野党はその義務として,ことあるごとにこの「刀」が正しく運用されていることを国会で確認している,というのが現状だった。
もちろん,「刀」の実際の行使者たる自衛隊は,刀が使われれる可能性があるあらゆる紛争に対して準備はしている。その中には台湾有事も含まれて,防衛白書にも載っている。が,政府が「刀はどこにも向いていない」という限り,野党も,そして中国も,しぶしぶ(後者については本当にしぶしぶ)静観している状況だった。
さて,高市早苗氏。首相就任前には,政府見解を逸脱する過激な発言を繰り返していた。特に台湾問題については,首相就任時に中国が慣例の祝電を送らなかった程に。中国は,その一挙手一投足を監視し,今後つきあえる相手かを見定めている状況だった。
で,岡田氏は就任後の質疑で恒例の質問をした。「刀」は台湾を向いていないですよね?と。これは助け船の意味もあったと思う。議員時代は過激な発言を繰り返してきたけれど,首相になったんだから,ちゃんと過去の政府見解を踏襲しますね?ということを確認し,中国を安心させるということで。
が,よりにもよって高市首相は,「刀」は台湾有事にむけて中国に向いている,と答弁してしまった。
そら中国は激怒するし,野党はあわてて政府から「刀」を取り上げるべく動き出す。麻生は「これから私が育てます」と言い出す。
これが現状だ。
そもそも表現の自由戦士は自称なのか他称なのかわけわからなくなってるけど
いわゆる「表現の自由戦士」が「表現の自由」を口実に戦ってるということは実際ある
日本では一定の条件のもとで制限を認めているし、それは先進諸外国でも同じこと
あくまで「無制限の表現の自由」を求めているのでなければ個別の表現についての自由を主張すべき
つまり「Aの自由が認められなければBの自由も危なくなる」といった論法をすべきでない
当然敵対勢力の主張もダブルスタンダードなどと批判すべきでない
でないとブーメランが突き刺さる
関内関外日記 https://blog.tinect.jp/?p=90366 の 黄金頭@goldhead 氏が直腸腫瘍に侵されたとのことで、度々ホッテントリに上がっている。どうも、直腸癌~カルチノイド(NET)、直腸傍リンパ節転移があるかもしれないという状況らしい。氏の投稿を見ている限り、医療はまともに仕事をしている。ただ、FDG-PET/CT が必要かは正直分からない…patho で NET 成分が含まれるかなど、どちらかと言えば patho の方が治療方針に影響しそうだ。
なんで PET を撮るんだろうね? 直腸 NET は low grade が多く、 low grade なら FDG はあまり入らない。リンパ節転移判定に FDG-PET が有効かどうか疑問だ。
しかし CT の撮影・読影時点は直腸癌想定だった。このサイズの直腸癌でリンパ節転移はまれだし、転移の有無は術式選択に大きく影響する。また、直腸癌のリンパ節転移判定なら FDG-PET は有用だから…という状況だから PET 薦めたのか。まぁ patho が出るまでに時間はかかるし、FDG-PET による delay はないだろう。
patho で NET が含まれるなら、FDG-PET の結果がどうであれリンパ節は取りに行くだろう、人工肛門になる可能性が高いだろう。NET なら化学療法や放射線治療はあまり効果がない。手術だ。
「生老病死」などという言葉があるとおり、生まれた時から常に老いや病はいつも隣にいる。誰だって今日死ぬとも限らない生を生きている。老いや病、死に目を向けずに生きてきて、ふとそれが目の前に迫ってきた時に慌てている様は、実に見苦しい。
40台よりも若くに、より悪性度の高い腫瘍や治らない病気に冒され、苦しむ人もたくさんいる。たくさんいた。「この程度で大騒ぎするのか」とあきれる限りだ。
良くもまぁこの短い文章の中にレッテリングを詰め込めたもんだ。俺が書いた文章が不快だって言うのは分かる。なら不快だと書けば良い。同じように、彼のブログは俺にとって不快だ。彼よりも苦しんでるやつはいっぱいいる。いっぱい見てきた。もっとかわいそうな人がたくさんいるんだよ。彼よりも救うべき人たちが、いっぱいいるんだよ。そいつらのことをオマエはどうするんだ。無視か?
普通に生きて、税金や社会保障費を払っていることで、苦しむ人たちをサポートしてるんだよ。別に彼をことさらにサポートする必要もない。普通に生きるだけで、みんな彼をサポートしてるんだよ。勿論俺だってオマエだってな。
彼の投稿を見れば、医療はきちんと仕事をしている。なんの問題もない。
CHU、傲慢でゴメン。
オマエまず日本語読めよ。日本語理解出来てないだろ。「黙ってろ」なんて書いてない。馬鹿はどっちだ。
この程度のやつはたくさんいるのに「地獄だ」とか、情けないって言ってんだよ。
へー。 言論の自由は無視? 基本的人権は無視? 日本国憲法に反対なのか。 びっくりだな。 憲法は尊重しろ。
他人には「黙れ」。でも自分は言いたい放題。二重基準だな。自分さえよければいい、他人を尊重しないってことだ。いや他人も自分と同じく尊重しろよ。
「馬鹿なんだな」「はて爺ってクズ」こういう人格否定・印象操作・レッテリング、まぁ何でも良いけど。こういう言葉が自然に出てくるって、思考パターンヤバいよ。
「この程度の病気の人は日本中に山ほどいる。これより苦しんでるやつだってたくさんいる。この程度のことで『地獄だ』とか、恥ずかしいな」、それだけ書いても信憑性ないだろ。伝わらないだろ。
ウンチクって「NETがどう」とか書いてるやつのこと? 普通のだろ。キャンサーボードとか教授回診で普通に話されるレベルだよ。ふつうのはなし。これくらい知っとかないと教授回診で困るだろ。大勢の前で吊るし上げられるのが嫌ならこれくらい知っとけ。
「何でカルチノイドを疑ったのにPET取ったんですか?医療費の無駄じゃないですか」とか「PET取らなければ先週のカンファに出せたから手術枠だって空いてたのに、手術が集中してる or 学会で人手がない今持ち込まれても困るんです」って言われたらお前はどう返すんだよ? 手術枠調整するのも大変なんだよ。
だから「ゆとりは…」って言われんだよ。甘えんなよ。命扱う仕事なんだよ。お前は研修医からやり直せ。
see comment:https://anond.hatelabo.jp/20251019125903
「天皇の戦争責任」を云々することは、東京裁判・サンフランシスコ平和条約の否定につながり現在の日本を否定することにつながるわけだけど、賢い増田くんはそれも理解しているんだよね。じゃあ増田が内閣総理大臣だったとして、つまり、「日本国憲法を掲げる現在の日本の内閣総理大臣」として、あれ以外にどういうコメントを出せるのか、出すのが適当か、説明してみてほしい。
もし君が学者ならね、ただ真実にのみ従えばよい。責任は自分一人が負えばよい。
彼(石破)は政治家だよ?
なんでそんな話するかというと、増田くんが「教科書に載せるべき」というコメントをあきらかに誤解しているからなの。
あのね、「教科書に載っている」ことは「正しいとされている建前」なの。真実ではないの。「真実とすることにみんなで合意したこと」なの。社会で必要な「一般常識」ってそういうもんなの。
だから、大学に行って「学問」の世界に入ると、「高校までの教科書では~って習ったかもしんないけど、それウソだから」って言われるんだよ。その意味で「教科書」に書くのは石破演説の内容であるべきなの。歴史を前提として、今ある日本の形を踏まえて「こう考えるべき」とされる一つの形を穏当に提示しているの。だから「教科書に書く」内容として、少なくとも歴史を踏まえない昨今のうわ言とは比べ物にならないくらい適しているの。
それはちと違う。
b:id:f_d_trashbox「元老がいたほうが良かったというのは、民主主義よりも寡頭共和制のほうが優れているということなのかね?」
にしかならん。ちゃんと小見出しに「大日本帝国憲法の問題点」とつけてくれてるのを見落としちゃいかんだろ。
という認識(ごく普通の歴史解釈)で記述されてるのは一目瞭然。
なので、後の方の「今日への教訓」で
と微妙に奥歯に物が挟まった言い方してるのはご愛敬という感じだが、そこを正直に書くと
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kantei.go.jp/jp/content/20251010shokan.pdf
を見ても右や左の旦那様はそこを誤魔化した事にはほぼ言及してないようなので、ゲル様の作戦勝ちというか無難にまとめたと評すべきだろう。
いや想像ぐらいはしていたかもしれない。ここは日本という、かつて切り捨て御免がまかり通って国なのだから。
欧米風の法律に着替えたぐらいで野蛮な人間の素質が消滅するわけがないのだから。
人殺してナンボの侍を利用してきた官僚国家だ。苦労して人の死を回避しようなどという医師などいるわけがない。毎日何人が病院で死んでいる?死亡者の80%。死人が何人増えたところで気にしない、院内死亡率、非公開だからさ。
検査会社は医師の指示通りの検査をする。本来のやり方と違っていようが関係ない。データをねつ造する必要すらない。医師の指示は間違っていようが絶対だからさ。殺人を意味する処方は警察や裁判所が、迅速に隠ぺいしにかかってくるのかな。
だからさ、生殺与奪の権は裁判所にあり、なんていう日本国憲法を必死で守ろうとしているサヨクの資金なんて、出どころが知れている。世界のテロ組織の資金源と同じだよな。
「公金チューチュー」が「憲法違反である」と断定するには、その行為が日本国憲法第89条に定められた「公の支配に属しない」慈善、教育、博愛の事業への公金支出にあたるかどうかの判断が必要ですが、多くの場合、公的資金が宗教団体や公の支配に属さない私的団体へ流れることは政教分離原則に反し、憲法違反と判断される可能性があります。憲法89条は、公金を特定の目的以外に支出することを禁じており、これは政教分離の原則を財政面で支える条文です。
公の財産は、宗教上の組織や団体、あるいは公の支配に属さない慈善、教育、博愛の事業には、原則として支出してはならないと規定しています。
この条項は、憲法20条に示された政教分離の原則を公的資金の支出に具体的に適用するものであり、国が特定の宗教に依拠したり、特定の団体を優遇することを防ぎます。
「公金チューチュー」が何を指すかによりますが、もしそれが、国や自治体が憲法89条に反して宗教団体や、国が直接管理していない私的な教育・慈善事業に公金(税金)を支出している状態を指すのであれば、憲法違反となる可能性があります。
支出の対象となる事業が、憲法上の「公の支配に属する」と判断できるかどうかは重要な争点となります。公の支配に属さない場合、その事業への公金支出は憲法違反と判断されやすくなります。
宗教団体への支出は、政教分離原則の観点から憲法89条に抵触する可能性が非常に高いです。
“独身のままでいることや子を持たずにいることへの風当たりは現代とは比較にならないほど強かった”
のソースって何処よ?
昔からおじろくおばさという言葉が知られているし、江戸時代の江戸の男の未婚率は極めて高かった
つまり昔も「独身のままでいることや子を持たずにいることへの風当たり」はさして強くなく、寧ろ共同体のために
「独身のままでいることや子を持たずにいること」こそが推奨されていたんだよ
だから、
少なくとも日本国憲法が施行されて男女平等が認められた戦後の皆婚時代は「独身のままでいることや子を持たずにいることへの風当たりは現代とは比較にならないほど強かった」からじゃなくてもっと普通ーーーーに
「結婚を望む人達が当人らの希望に基づいて結婚できていた」からだとは考えないのか?
元々生物には子孫を残す本能というものがあるんだから、 自然状態にしておいたら勝手に番って産むものなんだよ
なんかあらぬ方向の「リプライ」も発生してるみたいだから書いておくけど
男はみんな殺して女だけにしてるんだよね。
そうやってできた子孫がたくさんいる。
チンギス・ハーンのY染色体は、世界中の男性の約0.5%に受け継がれている
https://note.com/shiny_oxalis335/n/nafff7e72641f
という話。ちなみに角川春樹はチンギス・ハーン(ジンギス・カン)の
生まれ変わりと自称している。源義経の生まれ変わりとは言ってない。
つまり、そういう騎馬民族の子孫がくさるほど「アジア」にいるという事。
ただ・・・肉体と魂はまた別だからね。魂は邪悪な方が滅びやすい。
だからモンゴル系の顔をしてても日本人の魂なんて事もあるでしょう。
まぁ、だいたいこんな感じかと。
https://ameblo.jp/anne1950/entry-11371622052.html
むしろ創価学会の「聖教新聞」が絶賛してる「ひろゆき」なんかが
https://www.youtube.com/watch?v=_QVjGvjseRQ
https://x.com/Ootani_Acid/status/1961623241119899982
https://ameblo.jp/japan-bear/entry-10433086727.html
問題は善か悪かなんだけど強いか弱いかでしか判定できない奴って
新興が一番よいわけではなくて、宣伝される新興は
たたかれてる順番こそがましな順。
悪:参政>自民>維新>N国>れいわ>国民>無所属連合>公明>立憲>共産:まし
・・・なんて書くと消されるかも知れないし。安全確保のため、あるいは
今後の発信のために自分で消すかも知れないし。
消されない内にしっかり呼んで保存しといてね。
【転載】北九州市の『ムスリム用ハラル給食』に関する市議会質疑は相当面白かった - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/m-dojo.hatenadiary.com/entry/2025/09/22/090812
これのブコメがけっこう酷いのだけれど…
は特に酷い
ハンバーグ好き好き教がなぜ、カウンターになるの分からないが、ハンバーグが子供に人気の食べ物であることを考えると
好きな物だけを食べさせろという一般的にわがままと思える主張と宗教上の配慮を求める主張を同一視しているのだろう
毎日ハンバーグは栄養の偏りという点から却下されるが宗教上の配慮は、そう簡単ではない
宗教上、給食が食べられないとなった場合、給食の目指すところである、子供の健康を害する恐れがあるためである
神主の家系に生まれながら継がなかった身としては、命や健康より大事なものがあるのだろうかと思うが他所の事情は分からないし、そういう人たちもいるのだろう
まあ、わがままだと主張するのは分かるけれど学生団体出てこないかなが酷いのだ
まだ、道理の分からない子供が主張するのは分かるが、成熟したはずの大人が自身の主張を子供に擦り付けようとしている
僕は甲殻類アレルギーがあるが喉がイガイガする、痒くなる程度で重度ではなかった(エキス程度は問題ない)
当時は、アレルギーに対する考え方が今ほど厳しくなかったこともあり、配慮も何もなくヤバそうな物が出た時は、友達に食べて貰っていた(そもそも給食で甲殻類はほとんどでない)
そのような中で、配慮してもらっていたそばアレルギーの子を羨ましく思ったことはある
体に強いコンプレックスがあり、人前で肌を晒さすことに強い抵抗があるから、プールを生理で休める女子を羨ましく思ったこともある
だから、子供があいつだけズルいと思うことはあると思う、でもそれは、道理が分からないからでしょう、過去の自分を正当化するようで恥ずかしいが
なのに道理を分かっているはずの大人が、当てつけを道理の分からない子供にやらせようとするその醜悪さに自覚がないのだろうか
コメントした人も☆を付けた人も少し考えてみた方が良いと思う
第20条
・信教の自由は,何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も,国から特権を受け,又は政治上の権力を行使してはならない。
教育基本法
第15条
第1条
・この法律は、学校給食が児童及び生徒の心身の健全な発達に資するものであり、かつ、児童及び生徒の食に関する正しい理解と適切な判断力を養う上で
重要な役割を果たすものであることにかんがみ、学校給食及び学校給食を活用した食に関する指導の実施に関し必要な事項を定め
もつて学校給食の普及充実及び学校における食育の推進を図ることを目的とする
第10条
・栄養教諭は、児童又は生徒が健全な食生活を自ら営むことができる知識及び態度を養うため、学校給食において摂取する食品と健康の保持増進との関連性についての指導
食に関して特別の配慮を必要とする児童又は生徒に対する個別的な指導その他の学校給食を活用した食に関する実践的な指導を行うものとする
以上の3つがまず、議論の大前提なのだがそれを満たしているブコメが少なく感情的なものが目立つ
代表的なのは「出ていけ」や「イスラムは他に配慮しないだろ」的なものであるがどちらもこの問題には関係ない
日本人がイスラム教国に行って様々な権利の制限を受けても、日本国憲法の及ぶ範囲では、そのようなことは一切関係なく平等である
特定宗教への配慮が宗教的活動に当たるのかという議論はあって当然だが
文部科学省は「外国人児童生徒受入れの手引き」で一定の配慮を求めているのが現状
この問題は、宗教的活動に触れるからと宗教へ一切の配慮を行わなかった結果、特定の宗教が大きな不利益を被る可能性がある場合、どうするかという話だと思う
有名な神戸高専剣道実技拒否事件があるじゃんか、エホバの証人の信者の学生が剣道の実技を拒否していたら、留年、退学になったっていう
学生側が処分の取り消しを求めて裁判を起こしたわけだけど、最終的に原告が勝って、処分は取り消され、復学した訳で
健康や心身の発達に関わる給食の場合も一定の配慮が求められる正当性があるんじゃないかって思う訳よ
もちろん、コスト的に難しいってのはよく分かる、リソースは無限じゃないし、だからこそ、色々方法を探って議論をして何とか道を探っているんじゃないか
それなのに、そういう建設的な議論をすっ飛ばしたブコメが目立っている
弁当を持たせたら良いというのはその通りで実際にそうしている家庭も多くある、で、弁当の時に問題になるのがコピー弁当問題
コピー弁当というのは、アレルギーや宗教の関係で給食を食べられない子に親が学校の献立と全く同じ弁当を持たせるというもの
学校で子供が浮かないようにやいじめられないようにという親心、子供が求めるケースもあれば親の独りよがりなケースもある
コピー弁当でなくても大丈夫という指導があるようだが親として少しでも子のリスクを減らしたい、同じ給食を共有という体験をさせたいのだろう
それなら、子供のために教えをちょっと逸脱してもいいのではと僕は思うけれど当事者はそう簡単にいかないらしい
また、子供たちが宗教への理解がある程度あれば、献立の違う弁当でもいじめられたり、妬まれたりすることは多くないだろうと思う
しかし、子供たちのお手本となるべき大人がカウンターとしてハンバーグ好き好き教を立ち上げて宗教上の理由で毎日ハンバーグを食べさせろみたいな学生団体出てこないかななどといい
キャッキャしているのだ、これで子供が同じ釜の飯を食べない子供を尊重出来るだろうか?
世の中、理念だけでは回らないし、リソースも有限だしでどこかで線を引いてやりくりしていく必要があるが、理念まで忘れてしまってはいかんでしょう
ちょっと注意深く整理して考える必要があります。結論からいうと、「公共の福祉が思想の自由より常に上位」とは言えません。法律上の考え方はもう少し nuanced です。
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日本国憲法では、思想・良心の自由は第19条で保障されています:
> 「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」
一方で、「公共の福祉」という概念は第12条・第13条・その他の条文で出てきます。たとえば:
第12条:「この憲法が保障する自由及び権利は、公共の福祉に適合するように利用しなければならない。」
第29条・31条などでも「公共の福祉」が調整原則として現れます。
ここでいう 公共の福祉 とは、個人の権利・自由を他人の権利・自由や社会全体の秩序・利益と調整するための基準です。
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思想・良心の自由は非常に強く保障されるため、原則として制限されません。
しかし、現実的には「公共の福祉」の名目で制限される場合があります。例えば:
犯罪行為を助長する思想表現(例:過激な扇動やテロリズムへの勧誘)
ここで重要なのは、制限は 必要最小限 でなければならず、「公共の福祉」といえども絶対的な理由にはならないことです。裁判所も「必要かつ相当な制限であるか」を厳しく審査します。
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3. まとめ
公共の福祉は、思想の自由を制限する場合の 調整・例外の基準 に過ぎない。
したがって、「公共の福祉>思想の自由」と単純には言えない。むしろ「思想の自由を最大限尊重しつつ、どうしても衝突する場合に公共の福祉で制限できる」というイメージ。