はてなキーワード: リリィシュシュとは
リリィ・シュシュのすべて
今から20年くらい前に当時の恋人にレンタルビデオを観せられた。
予備知識なく観せられ、衝撃を受け、とても暗い気持ちになった。何なら20年経った今でも暗い気持ちが続いている。
今でも、ドラマやSNSで市原隼人を観る度にリリィシュシュのことを思い出すくらいトラウマになっている。「おいしい給食」などのコメディやハッピーエンドのドラマに出る市原隼人を観る度に、「よかったな‥」という気持ちになる。
人生観を変えた、とはどういうことかというと、「不幸」に高い関心を持つようになった。自分自身はこれまで深刻ないじめを受けたり犯罪に巻き込まれたことはなかったが、「リリィシュシュのすべて」を観たのをきっかけに、世の中にはどんな不幸があるのか無性に気になり、過去の凶悪犯罪事件をネットで延々調べたり、残虐な内容の漫画や小説を見つけると読まずにはいられなくなった。そして新たな「不幸」の種類をみつけ自分の中に不幸カタログを作り鬱々とした気持ちになる、という、自分でも何でそんなことしているのかよくわからないことが趣味?になった。
それに加え反出生主義に共感するようになった。自分の子供がこんな目に遭ったらどうすればいいんだ、生まれてこない方がいいんじゃないか、と思うようになった。
もともとネガティブな方だったとは思うが更にネガティブになった。
今現在、自分は結婚していて(リリィシュシュのすべてをみせてきた恋人とそのまま結婚した)、子供もいる。子供が小学校に上がって以降は、残虐な漫画や小説が読めなくなった。子供には、嫌なことがあったら学校行かなくていいから、と口を酸っぱくして言い聞かせている。
以下ネタバレ含む。
自分は、学生の頃にリアルタイムで、エヴァ旧劇とかリリィシュシュとかヒミズとかを観ていた世代だ。
ああ言う救いの無い作品を観た時の、絶望感に浸る感覚が好きだった。
当時は商業主義丸だしのエンタメ作品なんて、クソ食らえだと思っていたし
そんなものを好むやつを、心の中で見下していたと思う。
さくらの唄も、ワールドイズマインも、人間失格も、ノルウェイの森も、絶望の世界も、レディオヘッドも、その頃に出会った。
自意識過剰で自己顕示欲の強い、典型的なサブカル被れの痛い学生だった。
年齢を重ねるごとに、そう言う選民思想みたいなものの痛さも知り
付き合っていた彼女の影響もあって、売れてるものには売れるだけの理由とか魅力がある。
って言う風に考えがシフトチェンジして、今はワンピースもミスチルも伊坂幸太郎も好き。みたいな
この作品は救いの無い中学生編(まさに現代版リリィシュシュのような)と
読後に、これは傑作だと思った。
そう思えたのは(ネットの評判を見ると割と蛇足とされる意見の多い)高校生編の展開があったからだ。
中学生編で終わらなくて良かったと心底思う。
登場人物が過去と決別して、普通の幸せを手にする過程は読んでいて心地良かったし
絶望だけで出来たような物語を、もう今の自分は求めていないのだと改めて思った。
誰かが不幸になる話なんてクソくらえで、どうせなら登場人物が幸せになって欲しい。
そう思うのは自分が歳を取ったからなのか、時代の流れがそうさせるのか。
今は、綾波がポカポカして、アスカが鳥に食われない時代なのだ。
救いなんていらねえよって思うんだろうか。
焼身自殺で終われよって思うんだろうか。
なんとなく、そんな事を考えた。