はてなキーワード: 殺害事件とは
26年の時を経て解決した名古屋主婦殺害事件だが、容疑者は被害者の旦那さんの同級生ということだった。
動機に関しては、まだ詳しく報道はされていないが、片想いから何度かトラブルがあったということだ。
知人ではあるので当然捜査線上には上がっていたとは思うが、26年間その中に隠れられていたのは、最後に旦那さんに接触した大学時代の20歳以降は長らくなりを潜めていたのだろう。
容疑者が犯行をした年齢は43歳ごろなので、20年間は何もなく容疑者リストにははいらなかったのだろう。
おそらく、前年の同窓会で顔を合わせたあたりで昔の情熱が甦ったのかも知れない。
容疑者は当時結婚をしていたということだが、不本意な結婚をしたかなにかで現実に不満があったのかもしれない。
かつて好きだった人が、若く美人の女性と結婚したことに嫉妬をしたか、もしくは「本来であれば私の旦那であった」という身勝手な思いがあったのかもしれない。
この容疑者の動機は僕の想像でしかないが、その時の気持ちや今後続く26年の逃亡のときの気持ちは深くエンパシーを感じる。
取り戻したい(自身の物であったことは一度もないはずだが)とか
復讐したいとか
そして、犯行を既遂した後に何か自身が救われると漠然と思っていたのかもしれない。実際希望がなければ行動にも移さないだろう。
ところが事件を起こした後はそれどころではなかった。
凶器も驚かす目的て持参したのだろうが、相手との話で激高して突発的にさしてしまったのかもしれない。
供述では、自分の手もその時に刺してしまい血が出てしまったそうだ。刺した後、洗面所で手を洗いタオルで押さえて、被害者が倒れている居間をみることなく現場から逃走した。
最初の数日はすぐに見つかると思って逮捕を覚悟していただろう。
1年が過ぎるころには捜査に進展がないが、いつ警察が訪れるか気が気ではなかったはずだ。
遺族はことあるごとに事件を風化させまいと、街頭にたっていた。事件発生日が近くなれば報道も厚くなった。
それに殺人罪の公訴時効撤廃運動に遺族が携わり、ずっとずっと気が休まる日がなかっただろう。
離婚をして遠くに引っ越したいと思ったこともあるかもしれない。
だが、知人で急に音信不通になる人がいれば怪しまれるかもしれないとためらっただろう。それに家族も子供もいるのでそれはできない。
近所で目立つこともさけ、かといって引きこもったら怪しまれる。地域で空気のようにふるまわなければならない。
新しい友人もできなかっただろう。
旧知の友達に会えば遺族の話がでるかもしれない。自身が起こした事件を冷静に聞くことなんてできない。
同窓会に出れば、遺族の友人が怪しむ可能性だってあるかもしれない。
そうやって旧知の友人とも疎遠になっただろう。
容疑者は子どもがいるそうだ。どれくらいの年齢かはわからないが、事件当時でも未成年だっただろう。
子どもに対して接するとき、自身が重大な罪を背負っているということは大きな負い目だ。いじめをするな、物を盗むな、人に優しくしろ。そんな言葉をかけるたびに自身の罪が重くのしかかる。
エンターテインメントも楽しく見れなかっただろう。
刑事ドラマや人が死ぬドラマを見れば自身が犯した罪を思い出さずにはいられない。
だが、あの事件を機に好みが変わったと思われては怪しまれる。だからそんなことをおくびにも出さず、家族とドラマを見ていたのかもしれない。
26年、誰にも言えない大きな悩みをずっと抱えてきた。
そして気付いたはずだ。
犯行を犯した後、執着していた被害者の旦那さんのことよりも、ずっとあの日から逃げることばかりを考えていたと。
それどころか、もう忘れたいとも思ったはずだ。
好きだったのにもうそれどころではない。
何も得たものがない。
一体何をしているんだろうと
だが身勝手なもので、今年に入って警察が接触をするようになっても少し粘ってしまった。
11月6日 篠原直樹に殴られる
12月15日 ざちゃんから、やーいお前の家、実に虚無じゃありゃせんか(ねっとり)と言われる
2月23日 真夜中の運動会
4月1日 新しい元号は、令和、であります。 国民のみなさんが、ことほぐことができるように。
12月25日 宮脇が覚知し 平成31年からの11か月分の払いすぎたものの返還を請求したが、実際には9か月分なので、余計に計上していた
令和2年 1月2日 国会ですっころんでケガをした政治家が自殺
2月22日 河川敷で確保 処罰しても理解しているか分からない
3月26日 ケース診断会議
女性がいわゆる「おぢアタック」を嫌う理由は、大きく三つある。
一つ目は「おぢにもイケる」と思われるのが嫌だからだ。恋愛や婚活の場では、誰に選ばれるかもまた自己イメージに直結する。「おじさんからアプローチ可能と判断された」という事実は、「私はその層から需要がある女」という烙印になる。それは「自分が求める相手像」と「自分に群がる現実」とのギャップを突きつけられる屈辱になる。
二つ目は「おぢが申込欄にズラッと並ぶと気持ち悪い」からだ。おじさん一人から来るだけでも気分は沈むのに、それが何人も重なると、自分のプロフィール画面が「おじさんの集合場所」と化す。これは単なる数の問題じゃなく、利用体験そのものが嫌悪で侵食される現象だ。求める相手からのアプローチを探す以前に、並んでいるおじさんの名前や顔写真そのものが心理的負担を増やす。
三つ目は「断るコストが高すぎる」ことだ。男性からのアプローチを断るとき、女性の頭には常に「断った相手が逆上するリスク」がよぎる。最悪の場合、殺害事件やストーカー被害に発展する。ニュースで何度も見てきた現実だ。だから「おぢアタックがたくさん来る」=「その分だけ断るリスクを背負う」ことに直結する。これが一番根深いストレスになる。
結局のところ、「おぢアタック」が嫌がられるのは単に年齢が上だからではない。
自己像を汚される屈辱、利用体験を侵食される嫌悪感、断るだけで命のリスクすら背負わされる恐怖。この三重苦が重なって、女性にとって「害悪」とまで感じられる現象になっている。
歌野晶午著の長編推理恋愛小説(2003年刊行、文藝春秋)。第57回日本推理作家協会賞、第4回本格ミステリ大賞を受賞するなど、数々のミステリ賞を総なめにした名作。表向きは中年の元探偵と女性の恋愛物語に見えるが、叙述トリック(読者の誤認を誘う描写手法)を駆使したどんでん返しが最大の見どころ。物語は過去と現在を交錯させ、保険金詐欺や不正受給の犯罪を軸に展開。タイトル自体がトリックのヒントで、「葉桜の季節」(桜の散った時期=人生の晩秋、つまり老境)を示唆し、登場人物の年齢を若く誤認させる仕掛けが秀逸です。
#### 主要登場人物
- **久高隆一郎**: 愛子の祖父。さくら(節子)が蓬莱倶楽部の指示で殺害に関与した被害者。
- **世羅元輝・田辺賢太・小暮明里**: 将虎の過去の探偵仕事(ヤクザの覚醒剤密売事件)に関わる人物。世羅の殺害事件がフラッシュバックで描かれる。
- **蓬莱倶楽部**: 悪徳霊感商法集団。高額な「霊水」(ただの水)を売りつけ、借金漬けにした被害者を保険金詐欺に利用。
物語は非線形に進行し、将虎の視点を中心に過去(50年前のヤクザ事件、2年前のパソコン教室、1年前の安藤自殺)と現在が交錯。読者は将虎やさくらを30-40代の若者と誤認するよう誘導される(例: 性描写、トレーニングシーン、デジタル機器の扱い方)。
将虎はフィットネスクラブで汗を流す日常を送る。後輩の清から、愛子の相談を持ちかけられる。愛子は祖父・隆一郎の轢き逃げ事故が、蓬莱倶楽部の保険金詐欺によるものだと疑い、将虎に調査を依頼。将虎は元探偵の見栄を張り、引き受ける。
帰り道、地下鉄駅で自殺を図るさくらを助け、連絡先を交換。二人はデートを重ね、急速に惹かれ合う。将虎はさくらに過去の探偵エピソード(ヤクザの覚醒剤密売事件で世羅を殺した小暮の自殺)を語り、さくらは将虎の優しさに心を開く。さくらは実は蓬莱倶楽部の被害者で、借金返済のため倶楽部の指示に従っていた。
2. **中盤: 調査の深化とフラッシュバック(過去と現在交錯)**
- **蓬莱倶楽部調査**: 将虎と清は埼玉の本庄にある倶楽部の無料体験会に潜入(妹の綾乃とその孫・美波が囮)。事務所から電話番号を入手し、詐欺の実態を暴く。倶楽部は高額商品を売りつけ、借金被害者を「偽装結婚」や「保険金殺人」に利用。隆一郎の事故は、さくら(節子)が倶楽部の指示で轢き逃げしたものだった。
- **安藤の過去(1-2年前)**: 将虎はパソコン教室で安藤と知り合い、娘・千絵の写真を撮る依頼を受ける。安藤は自殺し、将虎は遺体を山に埋め、安藤の年金・保険金を不正受給。毎月、千絵に匿名送金している。将虎自身も過去に離婚し、娘を失ったトラウマを抱える。
- **さくらの正体(フラッシュバック)**: さくらは本名・古屋節子。買い物癖で借金を作り、蓬莱倶楽部に嵌められる。倶楽部の指示で隆一郎を殺害(保険金目的)。次なるターゲットとして、将虎の持つ「安藤の保険証」を狙うが、将虎を安藤本人と誤認(将虎は安藤の身分証を使っていたため)。さくらは将虎に近づき、偽装結婚を画策。
さくらは将虎の保険証を盗み、偽装結婚を強行。自分の生命保険の受取人を「さくら」に設定し、将虎の自殺を誘う(保険金詐取)。しかし、将虎はさくらの本性を察知。将虎の生命保険の受取人が実は「さくら」になっている事実が発覚(将虎がさくらを本気で愛したため)。
蓬莱倶楽部のボスが逮捕され、さくらの過去の犯罪(複数回の不正受給、隆一郎殺害)が明るみに出る。将虎は安藤の身分を明かし、さくらに「本当の自分」を告白。さくらは将虎を愛するあまり、詐欺計画を断念。
これらのトリックが連動し、再読を促す構造。賛否両論あるが、「綺麗に騙された」と絶賛される理由です。
#### 結末
さくらは逮捕を免れ(将虎の証言で情状酌量)、将虎と本物の恋に落ちる。将虎は安藤の身分を清算し、千絵に真相を告白(彼女は将虎の送金を感謝)。愛子と清は結ばれ、蓬莱倶楽部は壊滅。
最終シーンは、葉桜の季節。将虎とさくらは老いた体で寄り添い、「君を想うということ」を実感。感動的なハッピーエンドだが、犯罪の代償を背負った切ない余韻が残る。恋愛とミステリの融合が、読者の心を掴んで離さない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.ntv.co.jp/category/society/d56a308ce8b94c9c8a1a92dec8c4b173
警察の落ち度に賭ける人
cinefuk 警察に申告あったのにストーカー殺人を未然に防げなかった、桶川ストーカー事件の事例「被害女性は『交際男性に別れ話をしたところトラブルになった』という趣旨の相談を先週、警視庁に」/ こんな事件でも朝鮮人叩き ストーカー殺人警察korea差別
RIP-1202 警察はそもそも女性に関しては初めから守る気がないのか、男性の相談も関係なく門前払いしているのか。男性のストーカー相談は数回の付きまといで女を捕まえてたケースあったな。
hiro7373 国籍に触れる必要がわからない記事だし、韓国で生活してる韓国人だと確定できる情報もないのに日本でやるなというブコメにスターが集まるのが怖い コメント
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20250902-2XVOIXNOEZLVTGB57KIQV3YIOE/
bogus-simotukare この記事でタイトルに国籍を書く必要が何処にあるのか?。排外主義を扇動したいのかと疑います。 また産経か 排外主義
実際は容疑者は韓国在住の韓国人で、警察は相談を受けたあとは手厚くフォローしていて、そもそも容疑者も被害者も韓国人なのに国籍書かないほうが不自然だよね
神戸のつきまとい殺害事件、その前に狙われて難を逃れた人がいたみたいだな。
警戒心が自らの命を救ったことになる。
俺は男だが、女性が一緒にエレベーター乗るのを嫌がったりするのは(もちろん不快さはあるが)理解できる。
ごく低い確率だが、一定の割合で性犯罪者は潜んでいて、全ての男に対して性犯罪者に対するかのように警戒する、というのは自衛として必要なんだろう。
これを食らった善良な男性が感じる不快感は、女性のせいではなく、一部の性犯罪者のせいである。
ここまでの理屈はわかる。
で。
ごく低い確率だがクルド人には性犯罪者含む犯罪者が潜んでいて、全てのクルド人に対して犯罪者に対するかのように警戒する、というのはどうだろう。
善良なクルド人が感じる不快感は、日本人のせいではなく、一部のクルド人犯罪者のせいである、と言えるだろうか。
自衛する女性を「差別主義者」だと言うつもりはなく(差別的な行動ではあるが、必要悪だろう)、
クルド人を見たら犯罪者だと思っていい、と主張するつもりもない。
この矛盾に答えはないと思う。
「高田馬場 女性殺害事件 容疑者 凶器のナイフ“ネットで購入”」←女性が殺害されたとは書くが男性が殺害したとは書かない
「大阪 バケツから熱風でやけど 中身はガソリン 危害目的疑いも」
「茨城 山あい住宅に2人組押し入り90歳女性縛り逃走 強盗で捜査」←女性が強盗にあったとは書くが男性が強盗したとは書かない
「太陽光発電所から銅線ケーブル窃盗か 容疑者を再逮捕 栃木」
「秋田県警の警視 女性警察官につきまとうなどした疑い 書類送検」
「東京女子医大 元理事長を起訴 不正な報酬で大学に損害与えた罪」
「路上で女性にわいせつ行為 39歳警部補を懲戒免職 警視庁」
「女子バレー部員に暴行の元監督 罰金10万円の略式命令 神奈川」←女子バレー部が暴力を振るわれたとは書くが男性が暴力をふるったとは書かない
「俳優の女性2人に性的暴行の罪 映画監督が無罪主張 東京地裁」
職業があれば職業を示し、なければ客とか知人とか容疑者とか書いて「男」とは書きません。
こないだ、貸した金を返さない女を殺した男いたよね。あれは馬鹿なことしたなと思ったのよ。
だって殺しても金は返ってこないどころか、自分に前科がつくし、貸した金以上の損害賠償請求をされる可能性だってある。
なにもてにはいらない。恨みはある程度晴らせるのかな?希死念慮が強い俺からしたら死は罰にならんやろとしか思えないから余計に、馬鹿なことしたなぁと思う。
で、彼のやったことに対し「情状酌量の余地がある」とか言ってる人が多かったから、「司法はあーいう怨恨殺人に情状酌量するほど甘いかな」と思って、実際殺人だけどかなり安い量刑になった事件の記事をいくらか読んだ。
いわゆる「そうか、あかんか」。
これは「恨みを晴らしたい」とかそういうのでなく、本当に立ち行かなくなって、無理心中未遂だから、まぁ情状酌量の余地あるよね。
これは「恨みを晴らしたい」という目的も少なからず含まれるだろうけども、それ以上に親の束縛からの解放を得るには、そうするしかなかったと言うのがあるよね。逆に殺害する以外どうやって逃げたらいいのこんな親。成人してるから児相でもないし、家に金がないわけじゃないから生活保護でもないし、どこに相談したら??
とか色々みて、まぁみんな結局ムショ暮らしはそうなのよな。社会全体で被害者も加害者も減らしてかなきゃなぁと思いつつ、人殺さないと得られないものごある人とない人の違いは割と明確なのかなと思った。
だが、その時点では間違いなく被害者だった男性は、適切なレベルの報復を超えて殺してしまった。
例えるなら、妻に対してモラハラな夫がいたとして、追い詰められてメンタルがおかしくなった妻が夫を殺害したみたいなもん。
モラハラは罪だけど死刑になるほどの罪じゃないから、明らかに妻は過剰防衛であり、殺人罪で有罪。
でも、みんな妻に同情するでしょ? どちらかというと夫が悪いと思うでしょ?
妻は逮捕されて裁かれるけれど、「殺しちゃった時点で絶対悪であり一切同情の余地がない」とか思わないでしょ?
尊厳や人生が崩壊するレベルの借金を負わされて正気を失った男が女を殺すのも、これと同じ過剰防衛。
でも今回の男性については「殺した時点で絶対悪」に近い意見が結構見受けられるよね。
「男性には同情の余地が大きい。でもやり過ぎた以上は裁かれる」
「女性は殺されるほどじゃなかったけど悪いことしてたよね」
これでいいじゃん。