はてなキーワード: サブカルとは
変化球が集まってるとか、スタンダードとされる都会に対する田舎とか、そんな感じでいいし、
カジノもリニアもいらないし、だったら下水道とかインフラ維持とか、
困難なことは適当にほっぽっといて、トンネル掘ったり、なんか新規に製造する方が楽だもんね…😟
で、レガシーなシステムを維持し続けると、負債だの何だの言って、みんなやりたがらないし、文句言うけど、
そうは言っても、実際社会を動かしてるのがレガシーなCOBOLだったり、古いJavaだったりするかもしれないわけで、
そりゃ、難しいおもり、保守をやりたくないから、新規開発やりたいですよね、高見から物言えるし…😟
でも、その新規で世界的に勝てる感じがしない、近年のAIとか、まあ勝つな、とは言わんし、勝てるなら勝てばいいんだけど、
政治も、その楽な新規開発ばかり応援するんですよ、リニアとか、カジノとかそうでしょ、
そうじゃなくて、みんな困ってることはそこじゃないんじゃないの?と、思うわけですよ
リニアとか、カジノがないから、今の俺の生活が大変だ!死にそう!助けて!ってわけじゃないでしょ?😟
もっと、やるべきことがあって、でも、それを直視して取り組むのは難しいから、
取り組むのが簡単な新規案件にだけ取り組んで、やってます!頑張ってます!感を出すのは違うと思うんですよ
90年代の「サブカル優勢」から「オタク文化の圧勝」への転換は、ざっくり言うと以下の力学が重なった結果だと思う。
作品より“キャラクター”の継続消費(推し活)が拡散・可視化しやすい。MAD/二次創作→SNS→公式展開の循環が強かった。
[2] 反復消費モデルの強さ(シリーズ化・ソシャゲ・グッズ)
ガチャ・ライブ・2.5次元舞台・イベント・コラボカフェ…同一IPで何度も課金/参加できる仕組みが整備。収益の再投資でIPがさらに巨大化。
ファン字幕→公式配信→世界同時上映へ。国内ニッチが海外需要で“メジャー並み”の規模に。
強いエンゲージメントを生むジャンルがレコメンドに乗る。コアファンの熱量がそのまま可視化・拡散力になる。
90年代サブカルは雑誌・セレクトショップ的な編集=ゲートキーパー依存。雑誌衰退とともに拠点を失い、オタクはコミケ/同人即売会/SNS/配信で自前の分配網を持った。
同人・二次創作・コスプレ・ファンイベントなど、作り手と受け手が往復する設計。参加コストが下がり、定着率が上がった。
深夜アニメの一般化、秋葉・池袋の観光資源化、「クールジャパン」文脈等で社会的許容が拡大。羞恥コストが低下。
原作(漫画/ラノベ)→アニメ→ゲーム→舞台→実写→海外、の水平展開が定式化。投資判断がしやすく、外部資本が入りやすい。
[9] 景気・労働環境の変化と“内向き娯楽”
長時間/低予算でも深く楽しめる継続型エンタメが求められ、可処分時間の細切れ化にも合致(スマホゲーム・配信視聴)。
90年代的サブカル(音楽・アート・ストリート・批評)は“場”を媒介にした横断が強みだったが、場(雑誌/クラブ/独立系書店)の弱体化でネット上に散り、まとまった産業スケールを作りにくかった。
要するに、オタク文化は「キャラ×反復課金×参加コミュニティ×国際同時流通」を握り、プラットフォーム時代のKPI(熱量・継続・可視化)に合致した。一方で90年代サブカルは“編集=場”依存で、デジタル転換後の収益装置を持ちにくかった——この非対称性が“圧勝”の正体だと思う。
エヴァのTVシリーズが終わって、サブカル的な盛り上がりを見せてた頃、ヤングアニマルで庵野監督と漫画家の二宮ひかるさんの対談というのが掲載された。
正直内容はほとんど忘れてしまったが、こんなやりとりがあったことは覚えている。まあなにしろ昔の話なので細かいところは違っているかもしれない。
ひょっとしたらオナニーの話だったかもしれないが、手元に当時の本はないので、持ってる人がいたら確認してほしい。
読んだ当初は、いや庵野さん女性相手に何言ってるの?という気持ちだったが、今思うと、確かにこの感覚は女性に説明しても伝わらない部分かもしれないな、と思う。
女性はよく、男は勝手に果てて満足しちゃうんでしょ?みたいな事を言うが、割とセックスって男にとってプレッシャーで、まずきちんと機能するか、そして相手をある程度満たすことができるかって結構重い。若い頃は自分の欲が先行するけど、ある程度大人になるとまあまあ考えてしまう。まあ、考えないやつもいるんだろうから、あくまで個人的な問題としておくけど、それなりにそういう人いると思う。
男ならわかってもらえると思うけど、大して良くもないのにただ出ちゃう時のやるせなさみたいなの、あれなんなんだろうね。
増田ではイタリアンブレインロットも進研大学も言及してるの俺だけか。
dorawiiより
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そこまで大槻ケンヂに詳しくなくて適当にディスクユニオンの中古の特撮のCD買ってハマったと最近増田に書いた者だけど
もう十分な知名度かもしれないけどもう少し有名になってほしい…
二枚目のアルバム。ファーストも名盤だが二枚目以降はNARASAKIという全体のサウンドプロデュースしてる人の作曲が増えて本来の特撮になっている。
さよなら絶望先生の主題歌を主軸に無理やりアルバムにしたアルバム。アニメ主題歌+セフルカバー+オリジナル曲
人として軸がぶれていると林檎もぎれビームのバックで流れてるピアノの音に注目してほしい。めっちゃかっこいいから。
もう今の日本の音楽マーケットには存在しない作家性、歌詞の面白さが詰まっている。
それを過剰に前に出しすぎてサブカルになっちゃったのが筋肉少女帯だけど特撮はバランスが本当に良い。
平日に組織的に上がってくる朝日のエモ記事ブクマとか誰得なのかよくわからない。
トレンド感があるわけでも社会課題に鋭く切り込んでいくわけでもない。
なんかふわっとした感じで何がしたいのかよくわからないやつ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASTB104DLTB1ULLI003M.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASTBB0PP3TBBULLI00BM.html
あと先日釣りに引っかかっていた人たちがいたけど、
「女性はこうして虐げられてきた!」みたいなタイトルがあると機械的にぶくまがつくやつとか。
そういうのがあってもいいけど、メインの世の中カテとかもっと世界中の面白ニュース重要ニュースあるんじゃないのって思う。
いまなら翻訳のハードルも低いから本当にアフリカとかアジアとかいろんなところ発のニュースサイトブログサイトプレスリリース政府広報とか
ブクマできるはずだけど、そういうの全然ない。インドア派が良く行く博物館美術館とか全然ブクマない。なんならスミソニアンとか大英博物館さえほとんどブクマない。上野でも京都でも同じかな?サブカルでさえ最近は低調。
半分ぐらいは馴れ合いのための手段としてやってた趣味なんだが、それならもう続ける理由もないかなと。
しかも、そういった趣味を持ってると口にすればまともな交友関係は離れていくという。
昔俺はネットのオカルト板に入り浸っていたんだが、そこもすっかりキチガイばかりになってしまって離れたんだよなあ。
偶発的に上下するキチガイ濃度がある一定まで高まったあとの「まともな人は離れていき、新しく来るのもキチガイばかり」となって終わりへ向かう状態。
鉄道趣味はまだぎりぎり持ち堪えていると思っていたのだが、キチガイの質と量を鑑みるに蟻地獄のような下り坂からもう戻ってこれなそうだ。
有名人がはてなブログからnoteへ逃げていくのも「はてブをやっている」と語るのが「ギブハブしている」と語るぐらいに奇異の目に晒されるからだろうね。
さて次はどんな趣味を探そうかな。
いまだにあのへんはサブカルくせえ
三年前、渋谷の桜丘町にある古いマンションの一室で月に一度だけ開かれていた読書会があった。
「Books & Beyond」とか「本と珈琲」みたいなカフェが並ぶあの界隈で、オーナーが趣味でやってるようなサブカル風の空間。壁にはカフカのポスターが貼られ、スピーカーからボサノヴァが流れていた。
六畳ほどの小さなスペースに八人くらいが座りそれぞれが持ち寄った本を紹介し合う。それが俺と彼女の出会いだった。
俺がその日持っていったのは『呪術廻戦』の第八巻。ほかの人たちが『中動態の世界』とか『そして誰もいなくなった』とか『サピエンス全史』とかを並べる中で、俺だけがジャンプコミックスを机に置いた。
でも当時の俺はそれを承知の上で、ある種の逆張り的勇気みたいなもので挑んでいた。会社では誰にも話しかけられず、Slackのアイコンもずっと初期設定のまま。それでも自分を注目して欲しいという欲求はあった。
「呪術廻戦のテーマは、“死の受け入れ”よりも“存在の肯定”にあると思うんです」
俺はそう言った。
それに対して、口を開いたのが彼女だった。白いマスクを外して冷静な目で俺をまっすぐに見た。
「でもそれって、“他者を媒介にしない存在”ってことですか?」
唐突にそんな言葉が出てきた。返す言葉に詰まった。彼女の声は低くて落ち着いていた。大学院で哲学を専攻していると言った。
その瞬間、空気が変わった。
みんなが「へえ〜」と頷いて、俺は笑ってごまかした。その笑いが妙に引きつっていたのを今でも覚えている。
そのあと彼女が言った。
「でも、面白いですよね。呪いって、社会の圧みたいなものですし」
その一言に、俺は救われた気がした。
彼女は俺を笑わなかった。
それどころか俺の話を拾って補足し、言語化してくれた。その会の後、俺たちは駅まで一緒に歩いた。
外は冷えていてコンビニの前のホットコーヒーの湯気が白く漂っていた。
「行く」と俺は答えた。
新宿御苑の近くに住んでいて、大学はお茶の水。彼女の持ってくる本はいつも背表紙が硬かった。
『悪について』
対して俺の持っていくのは『チェンソーマン』や『ブルーピリオド』。
彼女はよく笑った。
笑うときに、指先を口元に添える癖があった。
その仕草が上品で、俺はそれを見るたびに自分がどれほど下卑た生き物なのかを思い知らされた。
付き合うようになったのはその年の秋だった。
彼女が修論で忙しくなってから俺の存在が息抜きになったらしい。
「あなたと話してると、時間を忘れちゃう」と言われた夜、俺は人生で初めてコンビニの帰り道が輝いて見えた。ファミリーマートの青い光がネオンのように見えた。俺の中でなにかが初めて肯定された気がした。
イルミネーションが飾られてSNSでは「#冬の光2021」というタグが流行っていた。俺は寒くてポケットに手を突っ込んでいた。彼女は小さな紙袋を下げていて中には文房具店で買ったモレスキンのノートが入っていた。
彼女はそう言って笑った。そして突然立ち止まって空を指さした。
「ねえ、見える?オリオン座」
俺は空を見上げた。
そこには三つの星が斜めに並んでいた。
「……あれか?」
俺は正直何もわからなかった。
星はただの光の点にしか見えなかった。
俺の住んでいた葛飾区の夜空では、星なんてほとんど見えなかった。中学の帰り道、空を見上げてもあるのは街灯と電線だけだった。だから星座の名前なんて知る機会がなかった。
彼女がそう言った。
本当は行ったこともなかった。そんな余裕のある家庭じゃなかった。週末は母親がスーパーで特売の鶏むね肉を買って帰るのが恒例で、俺はその肉を味噌マヨで焼いて弁当に詰めてた。
星よりも肉の値段を見てた。だから空を見上げるという行為が俺には贅沢に思えた。
彼女は俺の顔を見て、少し笑った。
「かわいいね。知らないことがあるって」
それがなぜかすごく悔しかった。笑われたわけじゃないのに馬鹿にされた気がした。
俺は「そうだね」とだけ言って視線を落とした。
地面に落ちた枯葉を踏みつけた。カサッという音が、やけに大きく聞こえた。俺はあの夜自分が一生星座の名前を覚えないだろうと悟った。
通勤電車の窓に映る自分の顔は相変わらず冴えなかった。イヤホンからはYOASOBIの「群青」が流れていた。「夢を描くことが全ての始まりだ」なんて歌詞を聞きながら俺は窓の外を見た。
見たのは空じゃなく、線路だった。
陰キャは夜空を見上げない。
星の位置を覚えられる人間は、いつだって上を見て生きてきた人間だ。
図書館に通い、正しい敬語を使い、誰かに恥をかかされないように育てられた人間だ。
俺はそうじゃない。
俺の星座はコンビニの防犯カメラの赤い点滅と、タワマンの最上階で光る部屋の灯りでできている。
これは遺書だ。
俺はもう彼女と会っていない。
バレンタインだった。俺はその日会社で義理チョコすらもらえなかった。彼女からのチョコを待っていたわけじゃないけど期待してた。
「ねえ、今年はどんな本読んでるの?」
その一言が来るだけで救われたと思う。メッセージはもう既読にならない。
仕事帰りの山手線、品川から田端までの間イヤホン越しに呼び出し音が虚しく鳴った。ワンコール目、ふたつ、みっつ、……留守電に切り替わる。
録音された「この電話は現在使われておりません」という機械音声。それがまるで彼女の声に聞こえた。その瞬間息が止まった。ほんの数秒で胸が焼けた。
どうして?
俺のスマホには彼女の写真がまだある。表参道の青山ブックセンターの前で撮ったものだ。彼女は黒いコートを着て、手に『ロラン・バルト/恋愛のディスクール』を持っていた。俺は同じ日カバンの中に『チェンソーマン』の最新巻を入れていた。
その夜二人で神宮外苑のいちょう並木を歩いた。イルミネーションの下で彼女が「あなたはどんな未来を望むの?」と訊いた。俺は「普通に働いて普通に暮らせたら」と答えた。
俺は夢を語る勇気がなかった。陰キャは、夢を語ると笑われると思ってる。
それでもあの頃の俺は必死だった。休日には「丸善丸の内本店」で彼女が好きそうな本を探した。
『夜と霧』
『哲学の慰め』
表紙をめくっても内容の半分も理解できなかった。けど読んでるフリをすることに救われた。カフェ・ベローチェでブレンドを飲みながらマーカーで引いた単語をスマホで調べた。
「内在性」
「超越」
「主体性」。
どれも俺には関係ない言葉だった。それでも彼女の世界に近づける気がした。
夏になっても連絡はなかった。彼女のTwitterアカウントは鍵がかかりInstagramは削除されていた。
唯一Facebookだけが残っていた。プロフィール写真は変わっていなかったけど交際ステータスの欄が消えていた。俺は夜中の三時渋谷のファミマでストロングゼロを買って歩きながらそのページを何度も更新した。酔いで画面が滲み青白い光が夜風に揺れて、まるでオリオン座みたいだった。
俺は空を見上げた。
もしこれを読んで俺のことだと気づいたのなら、どうか連絡をして欲しい。俺はおまえが好きだ。おまえがいないと俺はもう駄目みたいなんだ。
たくさん本も読んだし勉強した。今なら話にだってついていけるし、楽しませることだって出来る。
これを俺の遺書にはさせないでくれ。