はてなキーワード: まあみとは
ご提示いただいたのは、プラットフォーム運営に対する内部(あるいは元内部)の人間からの極めて感情的な批判・告発の文章と、その文章のスタイルと自己評価に対する痛烈なカウンターコメントがセットになったテキストです。
元の投稿者が指摘する「スパム対策の重要性」や「コミュニティ運営の哲学」といった点自体は、プラットフォームビジネスにおいて重要な論点を含んでいる可能性はあります。
しかし、それが「ざまあみろ」という強烈な復讐心と、「俺はわかっていた」という自己顕示欲にまみれて表現されているため、冷静な問題提起として受け取ることは非常に困難なものとなっています。結果として、内容の是非以前に、その「読みにくさ」や「攻撃性」自体が批判の的になってしまっている、という構図が見て取れました。
AIってこんな辛らつなこと言うんや
何でもヨシヨシしてくれるもんやと思ってた
俺は今テレワーク中。本当は会社行った方が仕事は捗るんだけど、朝の離乳食担当と、終わったらすぐ家事育児に入れるようにしぶしぶ在宅にしてる。ぶっちゃけ仕事は全然集中できない。
めちゃくちゃ忙しい時にと思ったけど、仕方なく席を立ったよ。「仕事中なんだから手伝ってもらえるの当たり前みたいに思わないでほしい」とつたえた。
そんで手伝った後、嫁から「ありがとう」も「ごめん」も一切なし。
クソ忙しい中、業務中断して協力してるのに、これにはさすがにカチンときたから、「一言くらい言えよ」って文句言った。
そしたら嫁、「アンタが文句言うから言わないんだよ!」って逆ギレ。
そこで俺、「テレワークは仕事の時間であって、ベビーシッターじゃないだろ。早く家事に戻るためにやってんだ、本来は育児の時間じゃない」って、正論でぶちかました。
これが完全に火に油だった。
こいつは俺が在宅なのを「いつでも使える育児要員」だとマジで思ってるんだと確信した。俺の仕事のことは完全に無視だ。
「今すぐ出てけ!!」と叫んで、俺を階段から突き飛ばしやがった。数段落ちた。運良くどこも折れなかったけど、マジで危うく大怪我をするところだった。一歩間違えば死んでたかもしれない。
こんなことしておいて、嫁は「ざまあみろ、お前が悪い」の一点張り。階段から突き飛ばすって、マジで人としてどうなんだ? これはDVだろ。
俺は家族のためにやってるのに、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ。朝から夜まで家事と育児しかしてねえよ。自由時間なんてこの1年で2,3日しかない。仕事も家事も育児も、全部頑張ってるつもりなのに、命の危険にさらされて「悪くない」とか言われるの、本当に疲れた。もう死にたい
人は本当に暴力性を抑えられるのだろうか。
答えは否だと思う。少なくとも自分自身を顧みたとき、その衝動が完全に消える瞬間はなかった。
怒鳴られ、泣かされ、親に止められたのに、心のどこかで殴ったことで自分が勝ったと感じてしまった。学校ではいじめられる側であったにもかかわらず、弱い相手を前にしたときには自分も同じような言動をしてしまったことがある。人間は暴力を嫌うと同時に暴力を使う存在なのだという矛盾に、そのころから気づき始めていた。
その眠っている獣を完全に鎮めたことは一度もない。怒りが理性を越えるとき、拳を振り上げる衝動が喉元まで迫る。かろうじて踏みとどまれるのは「社会的に不利益になる」という打算があるからだ。つまり、理性や倫理で抑え込んでいるのではなく、損得で誤魔化しているだけにすぎない。
確かに、文学や芸術は暴力を昇華する場として機能してきた。しかしそれは”抑える”ことではなく「別の形に変換する」ことだ。
音楽や絵画に触れて感情が揺さぶられるとき、それは暴力の衝動が別のエネルギーへと振り替えられているにすぎない。もし表現する場を持たない者がいたなら、彼らの衝動はどこへ向かうのだろうか。行き場を失った暴力性は、必ず現実世界のどこかで噴き出す。
暴力性を抑えられない。そう痛感した場面が二度ある。
一度目は学生時代、部活で後輩に指導していたときのことだった。何度も同じミスを繰り返されて、私は苛立ちを抑えきれなくなった。「ちゃんとやれ!」と声を荒げた瞬間、気づいたら胸ぐらを掴んで壁に押し付けていた。後輩の驚いた目を見て我に返ったが、離したあとも手の震えが止まらなかった。指導でも教育でもない。ただの暴力に堕ちた自分がそこにいた。
二度目は社会人になってからだ。電車内で足を踏まれたことがきっかけだった。些細なことなのに、相手が謝らない。その態度に頭の中で何かが切れた。思わず肩を突き飛ばし、相手がよろめくのを見てざまあみろと思ってしまった。相手が睨み返してきていたら殴り合いになっていたかもしれない。私はその後、会社に着いても手のひらに残る熱を拭えなかった。
戦争を”終わらせる戦争”と呼んだ瞬間、それは暴力を正当化する論理となる。テロに対抗するための戦争、犯罪を抑えるための刑罰。いくら理由を並べても暴力の連鎖は止まらない。むしろ正義の暴力という衣を着せられて、ますます強靭になっていく。
もし人類が本当に暴力を抑えられる存在ならば、歴史はもっと穏やかだったはずだ。
だが現実はどうだろう。人類の歴史は戦争と征服の繰り返しだ。科学技術の発展すら、しばしば戦争によって促進されてきた。つまり人類の進歩そのものが暴力と不可分なのだ。
私は理想を信じたい。人が互いに傷つけ合わずに生きられる未来を夢見たい。だが、夢見ている自分自身がその一方で暴力の衝動を抱えていることを知っている。ふとした瞬間に湧き上がる”壊したい!という感情を、完全に消すことはできない。
結局のところ、人は暴力性を抑えられない。
過去の発言からしても完全に自業自得だし(町山智浩はさすがの性格の悪さで、報道直後から過去発言を掘りまくってる)、犯人に対して「よく撃った、偉いぞ」みたいな気持ちの方が強いなー。アイツ、ナチスの幹部みたいなもんなわけで。組織的にばら撒いたデマで何人死んで、どれだけの人が今なお苦しんでるんだって話だもの。
某小説で、邪悪なポピュリスト政治家を最終的に作者がどう扱うかハラハラしながら読んでたら、とあるキャラのほぼ末期の一撃で撃たれて死んだ。それを読んで当時真面目な子供だった私は、「結局暴力で片付けるのか。民主主義の敗北じゃん。田◯芳◯先生ほど賢い人でもこれしかやれないのか」と大変憤ったもんですが、この10年くらい、「それ以外にどうしようもないんかしらね、やっぱ」くらいの気持ちになってますわ。
あーあ。またどうせ、「どんな理由があろうと命を奪うことは許されない」みたいな正論が席巻するんだろうな(というか、既にしてる)。でもさ、ホントにみなさん、腹の底からそう思ってます?「ざまあみろ、当然だ」って思いません?私は思っちゃう。
そんなに需要があるならすでに〜論者はちょっと企業を過信しすぎてる
日用品でも食品でもこういうのが売れるだろうみたいな形はあってもちろん調査もするけど外れたり当たったりもある。当然見落としてるニーズもあって跳ねるときはそれを突けた時。
服飾関係においてはそんなに女に向けて調査されてんのかなあ。まずもって需要を比べるならこちらは布が薄いですが形は女向けで一方布は厚いですが形は男向けを同価格で比べた時にどちらが女に買われるかだろ?その2点を挙げずにレディースに置いて実は…をするならそれは需要を調べられてるとは言えない。
チョコレートの会社で女の意見を通さなかったが通したら跳ねたってのも記憶にある。いいアイディア持ってても上が通してないだけの可能性があって上が正しいとは限らないのは社会人なら想像つくだろ。肩を持ちたいわけじゃないけど盲信してるのはむずむずする。撤退したのもあったよな。
そして形がどうのこうのは男の趣味だと感じてる。そのへん歩いてる女でゆるーい服着てるやつが増えたから。じゃあメンズを買えばいいやって層が増えたらそれこそ比べられないけどね。
ポケット実はサイレントで増えてたりしない?Xでポケットない!って騒いでたのが見なくなったからそこに需要があるのかって増えたらさ、それそそ企業の盲信だったねって話になるじゃん知らんけど増えてないのかもしれないけど。
そして購買層に誠実であれかしなんで騙し売りと感じさせてしまう商品は今回のように疑惑を呼ぶから詳らかになればよろしい、無理だろうけどwでも興味ある。結局推論だから。
日頃言われる「チキったカード会社が保身のために何でも規制しようとするのを辞めさせたい」は何だったんだろうね?
構図としては同じだろ。
↓
より大きな組織が反省しているアピールのためにそいつ等にまるごとペナルティを与えました
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巻き添えになったやつがいる?知らんがな?
俺はね、甲子園球児の一斉処罰とかもいい加減どうかと思ってるんだよ。
まあ、アレについては「比較的弱い選手にすべての罪を擦り付けて解決」を防ぐための良い方法を思いつくことを体育会系のみなさんがしてこなかった責任もあるのかなとは思うがね。
しかしだねえ、イラストレーターがロリコンセックスしたから原作者には悪いけど一時差止ですってのはさ、抑止の仕方としてはだいぶ脳みその作りが単純明快すぎやせんかね。
賢い賢い偏差値70前後の方々が雁首揃えて「とりま、まとめて出版停止で」「おっけおっけそれが一番シンプルだもん」は出身校の看板に恥ずかしくないのかね。
たとえば、たとえばだけどさ、出版社とイラストレーターの得る利益だけ寄付に回すとかじゃ駄目だったのかな?
イラストレーターに対して勝手にそんな契約をするんじゃなくて、淡々と「反省アピールのために方法を提案」って形で進めていくとしてだよ。
とにかくね、俺達は日頃「なんでもまとめて禁止じゃ駄目だろ!表現者を守れ!!」と叫んできたわけだよ。
それが君ね、いざ人格破綻者のロリコンが出てくるや巻き添えになる人間のことも考えずに「ざまあみやがれ!これが社会正義だ!」とのぼせ上がるんじゃあおかしくないかい?
それじゃ結局自分らが今日まで批判してきた連中と何が違うんだろうね。
販売停止は悪手だと思うね俺は。
犯罪者の描いた絵が売られるなんて許されちゃいけないんだから原作者は涙を飲んでくれよなんてのはだ、正義の暴走っていうかさ、身勝手なトロッコ問題だよ。
コラテラル・ダメージなんてもんを気取るつもりなら、自分たちに都合が悪いときにそれが牙を剥いてきてもずっと黙ってなきゃ。
二枚舌は良くない。
二枚舌の自覚さえないならなお良くない。
正義の鉄槌とやらがそこかしこでぶち撒けられるのを楽しむなんてのはね、ナチズムやなんかと同じ発想だと思うね。
俺は嫌だ。