はてなキーワード: オールウェイズとは
オッス!オラド底辺!よろしくな!バリバリ働いてる上級なはてな民は回れ右してくれよな!
オラは現役40代ニートだ(家に6万/月金を入れるために治験か楽そうな日雇いを時々やる程度)
暖かい季節になってきたので
スロージョギングっていうのはざっくり説明すると、歩くのと同じ速度ぐらいで走ることだ。それやる意味あるの?って思うかもしれないが大いにある。あんまり疲れないのに長い間続けてると体が適応していき、息があがらないペースでも速度が少しずつ早くなっていく。走り始めは5kmを45分かけて走っていたが、今では5kmを25分で走っても息があがらなくなる。そんな俺でも今では毎朝10kmを55分で走っている。
人間運動をしないと認知能力が低くなり、さらに活力が低下し、それらが慢性的な体の不調に繋がる。体の不調は頭の回転を鈍くさせ、楽しめることも楽しめなくなる。
走る気力が湧かない気持ちだけはわかるので、図書館でこれらを借りて読んでみてくれ。本を読むのが苦手なら一番上の本((スロージョギングについて短く分かりやすく解説してあるので必読))だけでもいい。
これらを読み終えたとき、自己啓発本を読んだ時の万能感を感じ、ランニング意欲に燃えているはずだ。いますぐ走り出したくなるはずだ。
スロージョギングは良いぞ。頭の中にこびりつく不安感をこそぎ落してくれる。社交不安障害り患者への投薬ぐらいの効果があるそうだ。
・朝に走ることでその日1日気分良く生活できる。(走ってみるとわかるが、さわやかな気持ちで過ごせる)
・走ってる時に人に会わない。
・空気が澄んでいて気持ちい。(俺は都内の工業地帯に住んでいるので猶更そう感じる)
の3点だ。オラも最初は夜に走ろうとしたが、仕事帰りの近所の人に遭遇して死にたくなったぞ。それに案外夜はランナーがいるので個人的におススメしない。
あと、仮にバイトや仕事を始めても毎朝4時前のランニングは続けて欲しい。
オラは日雇いがある日、仕事の為にゆっくり寝て、翌朝最悪な気持ちになり日雇いをバックレてしまうのがほとんだった。
それがある日、開き直って翌朝4時に走った時は、そのまま日雇い現場へ向かうことができた。
オラ馬鹿だからよ、1年ぐらいそれを繰り返してようやく気付けたんだ。走った日だけは必ず仕事にいけるってことに。
朝に走ることによってその日1日の精神を安定させることが出来るんだ。
走っていると体重が減る。タイムが更新する過程もそうだが、数値化して目に見える変化というものは楽しい。俺たちがゲームを楽しく感じるのも、この数値変化が目に見えるのも一因だろう。
そして体重が減るとその分省エネで走れるようになるので、より快適に走れるようになる。
そこで、俺たちはスナック菓子や菓子パンを手放し、低糖質高たんぱくで安価な安い鶏むね肉を美味しく食べよう。体脂肪の減りが加速していき、体が軽くなるのが体感としてわかる。これを体感として感じるのは茶苦茶楽しい。
オラも最初は「余熱で作れるサラダチキン」みたいなレシピで作っていたが、あれは安定しなかったし、面倒くさかった。手間かけて中が生だと作る気も失せる。
そこで、低温調理機を使おう。あれは良い。オールウェイズ安定したサラダチキン(巷では鶏ハムとか言われている。)を作ってくれる。
ちょっとでも料理したことがある奴ならわかると思うが、ただゆでたり焼いたりするすると鶏むね肉はもも肉に比べパサついていて硬い。
前日にジップロックへ鶏むね肉1個(大体300g)を放り込み、塩小さじ1杯、味の素5振り、胡椒5振り、料理酒大匙1杯、水大匙杯いれて、ジップロックの空気を抜いて一晩冷蔵庫に寝かす。
翌日に鍋に水を張り低温調理機を63度に設定し、1時間30分でタイマーを設定。設定温度まで上がったらジップロックごと鍋にいれて終わるまで待つだけだ。これでそのまま食うのもよし、冷蔵庫にいれて3日以内に食べるのもよし。
お前は穀潰しニートから、走れて滅茶苦茶美味い鶏むね肉を作れるニートにランクアップする。ククク、恐ろしいか。あの穀潰しのお前が、親にサラダチキンを振舞えるぞ。
低温調理機はなんでもいいと思う。検索すれば1万近くのがたくさんでてくるが、俺はアマゾンで7千円で変えた謎メーカー桜チェッカー真っ赤な低温調理機を使っている。余裕で使える。
家にあればあるのを使えばいいし、なければ日雇いして買うといい。1日働けば買えるはずだ。もう1日働けば鶏むね肉10kg買えるぞ。
とりあえずそれだけだ!なんかあったら質問してくれよな!!またな!
というのも、俺は此処をフランクに質問できるヤフー知恵遅れみたいな扱いをしていた。
しかしchatGPT、Geminiの台頭によって俺にとってのお前らの存在価値は喪われた。
お前らのまともな回答率は多く見積もって1割程度の物だろう。なんせ書いてないことまで読み取る馬鹿と、ピント外れの事を回答してくるアホがほとんどだからだ。回答以前の問題で頭のいいつもりで居る馬鹿が散見されていた。
まあ正直期待して質問してるわけでもないし、稀にすごい参考になる解答がくるので、それがくればラッキーぐらいの感覚で網を投げていた。
それが、AIはコチラの話を正しく解釈し、オールウェイズ100点に近い回答を叩き出してくれるのだ。
気づいたら俺は増田を開いていなかった。
朝、寝ぼけ眼で鏡を見ると、「なんか妖怪が鏡に映ってんな」と思う。夜に疲れて帰って来てメイクを落とそうと思い洗面台の前に立つとやっぱり「鏡に妖怪が映っている……」と思うし、なんなら昼間トイレに行って鏡を見ると「あっ妖怪だ」と思うから、最近の私の顔はオールウェイズ妖怪なのだが、なんつうかこう、どうして不惑にもなって現世の執着から逃れられませんって感じの執念深そうな歪みきって苦みばしった顔つきをしているんだろうなって思う。
顔の美醜とかメイクの濃淡とかが問題ではないのだ。たぶん、今が人生で一番アクの強い顔つきをしているような気がする。世の中のアラフォー~アラフィフって大体そういう印象だし。
昔はもっと素朴な顔つきをしていた同世代の元アイドルとかも、今となっては異様に濃いぃ顔になっている。
夜は墓場で運動会を行って朝は睡眠欲に負けてるタイプの妖怪とは全然違う妖怪。
何でこうなってしまうんだろうな……。「不惑」って一体なんなんだ。もしかして「不惑だったらいいな」ってだけの話で、色々な事に惑わされて頭おかしくなりかけで狂おしいばかりなのが不惑のお年頃の現実だったりするんか……顔までこんなんなっちゃってまあ……。
今朝も顔は相変わらずの妖怪ぶりだったけど、髪は奇跡のまとまりぶりだった。というのは、昨夜お風呂に入るのも忘れて爆睡してしまったという事が原因なので微妙な気持ちにもなるし、髪だけさらっさらでも顔が妖怪じゃしょうがない気もするが。
もっと歳を取ったらアクが抜けてこざっぱりした老人にならないだろうかと期待。
こう言う長文を書くときは結論とかどう言う話なのかを先に書いておくといいとどこかで学んだので先に記載しておきますが、
これは「何かに認められたいのに自分が自分を認められないせいでどうにもできなくなった絵描きの独り言」です。
途轍もない自己承認欲求と自己肯定感のなさがバグを起こしてオールウェイズ三丁目の躁鬱病持ちとなりました。
最初にこれまで生きてきた話をダラダラ書くのでここは読まなくてもいいです。
自分は人の少ない田舎で育ったので、一度いじめられたら進学エスカレーターから外れない限り
ずっといじめられっ子の枠に収まっているような、そんな社会の中の、どこにでもいる隠キャいじめられっ子でした。
母方に絵を描く人がいて、母もその兄弟も絵を描くのが好きでよく描いていました。血筋なんでしょうか、偶然私も絵を描くのが好きでした。
中途半端に手先が器用で平均くらいはできたものだから、中途半端に絵は描けました。
田舎の、学年に20人も人がいないクラスの中では一番手先が器用でした。
しかし私はいじめられっ子でした。保育園の頃からの筋金入りのプロです。すごいでしょう。
20人も居ない教室では私以外の全員が敵か傍観者であり、もちろん私のことを認めてくれる人なんて居なかったし
私が絵を描けばランドセルを漁られ、狭い校内のどこかに貼り出され馬鹿にされたものでした。
周りのクラスメイトが怖いから、昼休みも一人で教室で絵を描いていました。
当時の私は、自分が描く絵が好きでした。
誰も私を認めてくれるようなことはありませんでした。
今でも自分のこと、「カスなので」とか「ボンクラだから」と口癖のように卑下してしまうんですが、
もう少し違う人生を歩んでいたらこんなことになってしまうことも無かったのでしょうか。
私自身の自己肯定感の無さはおそらく幼少期から10年以上に及ぶいじめの影響も少しあるのかなと思います。
とにかく私は何かに認めて欲しかったんだと思います。それは今もです。
私を認めて欲しい、今ある私が幸せなのだと、過去の自分とは違うのだと認めて、認めさせて欲しい。
絵が上手くなりたくて、
認めて欲しくて二次創作をした。
同人誌も出した。
そうして一次創作をはじめました。
いろんなものにしがみつきながら、何年も絵を描いていて、ようやく気づきました。
ああ、絵、言うほどうまくないじゃん。と。
それでも絵を描くのはやめられませんでした。
絵を描くのが好きだったから。
そんな感情だけで絵を描いていたいのに、どうしても承認欲求が出てきてしまって、
何かに勝たなきゃいけない、あの時いじめてきた人間たちより優れていると、そうであると思いたかった。
そう言う気持ちがどこかにいつもあるから、滲み出してしまって、人を寄り付かせなくさせるのかもしれないですね。
もちろん有難いことに褒めてもらえることも度々ありました。ただ、
認められることのなかった人生を歩んできて、私を褒める言葉をまっすぐに受け取ることができないんですよね。
自分が褒められてると感じることができない。この絵は私が描いたんじゃない。描いた記憶がない。
もうぐちゃぐちゃです。自分を認めてあげたいのに。
折角褒めてくれた人に心からありがとうって伝えたいのに伝えられないのが何よりも申し訳ない。
もうちょっと楽になりたいだけなんです。
楽に生きたい。楽しく絵を描いていたい。
評価なんて気にせずに、楽しく。
実際いい絵を描くために必要なのは「楽しんで描くこと」が一番大きいんじゃないかと、
勉強することも大事ですが、一番はやっぱ楽しくなくちゃいけないんじゃないかなと、
少なくとも私自身に必要なのはそこだと思ってるんです。けど、それが一番私から遠いところにあって
どうしようもないんです。
描くたびに辛い。周りの人のデッサンが多少狂った絵も、味だとか個性だとか、そう言うものがカバーして
いいものに見えるのに、自分の絵だけはなんの面白みもない平凡な、しかもちょっと下手な絵でしかない。
こんなに苦しい思いをするなら絵を描くのをやめちゃえば一番楽なのに、
でもペンを握った瞬間「描かなければ」と言う義務感に変わってしまう。
あ〜〜〜〜あ! いじめられなかった世界があれば、そこからもう一度やり直してみたい。
楽になりたい。
どこかで見かけた話ですが、
「こんな…少しばかり絵が描けたばっかりに…!」
これ、首がもげるほど頷きました。
こんな苦しさといつまでも一緒にいないといけないなら、いっそ
絵なんて描けない方が良かった。
とりあえず書き殴って満足しました。
今年、ウチの職場から正社員が3名、中途退職した。去年は1名、去年は3名。ウチ、まさに「追い出し部屋」なんだなと実感。
時系列をたどると、一昨年の三名の内訳はこの通り。
・50代の無能
→今までやらかしてたうえ、今までの自分の粗相が心の傷になり。遂に制御不能になった。
・20代の無能
→コイツは完全に「ゆとり教育」の弊害、自分に対した実力もなく向上心もないくせにデカい仕事を望んだら対処しきれず自損。
・新人
→採用早々、職場が学級崩壊してて。ヤベーと思ってか半年で辞めたのは慧眼だけど。果たしてそれは正しかったのかね?逃げられない連中の恨み、相当買ったぞ?
去年はこいつ。
→今から30年前、「借金の取り立て要因」として採用されたおじさん。コミュ力があるから、取り立ての役には立ったが、その後トータル的な技量が求められてきて「役に立たない人」扱いされた。実際、役に立たなかった。
そして今年はコイツら。
・20代のメンヘラ
・50代の病気持ち
→意外と有能な方だったんだけど、睡眠時無呼吸症候群持ちで仕事中に突然居眠りしだす。日中ほとんど居眠りしてて、定時に仕事終わる筈ないから当然深夜まで残業。もちろん残業中も居眠りしてるから、仕事が片づくはずがない。結局、いろいろ立ちいかなくなってリストラ対象に。
・同じく50代
→有能かつリーダーシップがあった方なんだけど、そのせいで仕事を抱え込んでしまい。仕事中に倒れて死亡、労災認定が望まれる。
どうやら県庁所在地におわす人事の連中はウチの職場を産廃の処分場とでも思ってらっしゃるのか、時々。いや毎年ヒデー人材をウチに送り込む。そうすると、長くても3年以内に立ち行かなくなって辞めてしまう。そういう意味では、ウチの職場はよくできた「やめさせ部屋」なんだなと思う。
そん職場に跳ばされて、もうすぐ五年になる。