「建武の新政」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 建武の新政とは

2025-07-17

ひらがなの「れいわ」を頭につければなんでも政党名っぽくなる

全部山本太郎のせい

れい建武の新政

れい七本槍

れいハンムラビ法典

なんでもは言い過ぎか?

2025-02-16

anond:20250216095605

天皇権威を基盤とした武家政権構造考察

序論:権威権力二元構造

本論では、鎌倉幕府を中心とする中世武家政権天皇権威を不可欠な基盤として成立した事実を、制度的・経済的象徴次元から多角的検証する。

日本史上の権力構造が「権威天皇)」と「権力武家)」の二元性によって特徴付けられることを示し、摂関政治から江戸幕府に至るまで一貫してこの原理機能したことを論証する。

制度正統性の源泉

官位体系による権力正統化

鎌倉幕府創始者源頼朝が1192年に「征夷大将軍」に任命された事実は、武家政権法的根拠朝廷官位授与に依存していたことを端的に示す。

この官職律令制下で蝦夷征討を目的とした令外官であったが、頼朝はその任命を以て東国支配権公認を得た。

特に1185年の「寿永二年十月宣旨」において、頼朝東国における荘園国衙領警察権公式に認められたことが、朝廷との制度紐帯を強化した。

守護地頭制の双務

承久の乱(1221年)後に全国に拡大した守護地頭制は、幕府朝廷荘園管理システムに介入する手段となった。

地頭による年貢徴収権の獲得(1221年「新補地頭法」)は、一方で幕府経済基盤を強化しつつ、他方で朝廷一定の税収を保証する相互依存関係形成した。

この共生関係は、幕府朝廷経済的存続を担保することで自らの支配正当性を補完する機能を有していた。

象徴権威継承構造

三種の神器王権

鎌倉時代後期の両統迭立期(持明院統大覚寺統)において、幕府皇位継承に介入した背景には、三種の神器所在正統性根拠とされた神権政治論理存在した。

例えば後嵯峨天皇の治世(1242-1246年)において、幕府は神器の継承過程監視しつつ、自らが「治天の君」選定の仲裁者となることで権威の源泉を掌握しようとした。

宗教的儀礼の共用

朝廷主宰する新嘗祭大嘗祭などの祭祀は、中世を通じて天皇神聖性を可視化する装置として機能した。

幕府はこれらの儀式への供御人派遣財政支援を通じて、伝統権威への恭順姿勢を示すとともに、自らの支配を「神国」の秩序に組み込む戦略を採った。

特に伊勢神宮賀茂社への寄進は、武家宗教的権威を利用して支配正当化する典型的手法であった。

経済的相互依存構造

荘園体制媒介機能

鎌倉幕府経済基盤となった関東御領(約500箇所)の多くは、元来が朝廷貴族荘園であった。

幕府地頭を通じた年貢徴収合理化を図りつつ、従来の荘園領主へ「得分」を保証することで旧勢力との妥協を成立させた。

この「本所一円地」への不介入原則が崩れた蒙古襲来後も、朝廷幕府軍事課税を追認した事実は、両者の経済的共生関係の強固さを示す。

貨幣経済媒介者としての朝廷

平清盛日宋貿易以来、朝廷が保持していた対外交易権は、鎌倉期においても「大宰府」を通じた外交貿易管理として継承された。

幕府実質的外交権を掌握した後も、形式的には朝廷を窓口とする建前が維持され、明との勘合貿易室町期)に至るまでこの構図が持続した。

政治的相互作用の諸相

摂関政治から幕府政治への連続

藤原道長の「御堂関白記」にみられるように、摂関家天皇外戚として権力を掌握する構造は、後に武家が「征夷大将軍」の官位媒介権力正当化する手法と同根である

平清盛が「太政大臣」に就任した事実(1167年)は、武家伝統官制依拠せざるを得なかった制度的制約を示す。

院政執権政治の相似性

白河院政(1086-1129年)が開いた「治天の君」の政治形態は、北条泰時執権政治(1224-1242年)において「得宗専制」として再構築された。

いずれも名目上の君主天皇/将軍)を背景に実権を掌握する点で、権威権力の分離という中世政治構造典型を示している。

思想的基盤の分析

神国思想政治的利用

北畠親房の『神皇正統記』(1339年)が主張した「神器継承正統性」論は、建武の新政崩壊後も南朝方政治的正当性を主張する根拠となった。

これに対し足利尊氏光厳上皇擁立した事実は、北朝方も同様の神権論理依存せざるを得なかったことを示す。

朱子学の影響と国体

鎌倉後期に伝来した朱子学大義名分論は、水戸学における南朝正統論(『大日本史編纂)を経て、明治期の南北朝正閏論争(1911年)にまで影響を及ぼした。

この思想系譜は、天皇権威武家政権正統性を超時代的に規定してきた事実を逆照射する。

結論権威権力の持続的共生

以上の分析から鎌倉幕府を頂点とする武家政権天皇権威を不可欠の基盤として成立・存続したことは明白である。この構造は単なる形式的従属ではなく、

官位体系による権力正統化

荘園経済媒介とした相互依存

③神権思想に基づく支配正当化——という三重メカニズムによって支えられていた。

明治維新に至るまで継続たこ権力構造本質は、権威祭祀権)と権力軍事力)の分離・補完にこそ存し、日本政治史の基底を成す特質と言えよう。

2025-01-27

大楠公ってもっと冷静になれなかったんかな。

大楠公(楠木正成)の評価は、その生涯と行動をどのように捉えるかによって大きく異なります。ご指摘のように、もう少しうまく立ち回ることができれば、異なる結果になったのではないか、と考える方もいらっしゃるでしょう。

大楠公の評価に関する様々な視点

忠義理想:

大楠公は、後醍醐天皇への忠義を貫き、理想政治を実現しようとしました。しかし、そのために選んだ道は、必ずしも現実的ものではなく、結果的に失敗に終わってしまった側面も否定できません。

剛毅な性格:

大楠公は、剛毅な性格で知られており、一度決めたことは最後までやり遂げるという強い意志を持っていました。しかし、この性格が、柔軟な対応を難しくし、周囲との関係悪化させた可能性も考えられます

時代背景:

南北朝時代は、激しい内乱が続く混乱の時代でした。大楠公の行動は、このような時代背景の中で、最善を尽くしたものだったと言えるかもしれません。

「もう少しうまく立ち回ったほうが良かった」という意見に対する考察

かに大楠公がもう少し柔軟な姿勢で、周囲との関係を円滑に進めることができれば、事態は変わっていたかもしれません。しかし、大楠公の行動は、その時代価値観や状況の中で、最善を尽くした結果だったとも考えられます

もし、大楠公がもう少しうまく立ち回っていたとしたら、どのような結果になったのでしょうか?

足利尊氏との関係:

足利尊氏との関係は、大楠公の生涯において非常に重要な要素でした。もし、両者が協力関係を築けていれば、天下は統一されたかもしれません。

建武の新政:

建武の新政は、短期間で崩壊してしまいましたが、もし大楠公が生き残っていたら、新政はどのように展開したのでしょうか。

後醍醐天皇との関係:

後醍醐天皇との関係も、大楠公の行動を左右する大きな要因でした。もし、後醍醐天皇意向もっと汲み取ることができていれば、事態は変わっていたかもしれません。

これらの「もし」という仮定は、歴史に「もし」はないという点で、あくまで一つの考え方です。

まとめ

大楠公の評価は、人それぞれです。歴史上の人物評価する際には、その人物の置かれた状況や、当時の価値観などを考慮することが重要です。大楠公の行動を単純に「良かった」とか「悪かった」と一概に断定することはできません。

2023-07-29

スキーム建武の新政

鎌倉時代、宋から銀杏が伝来し神社や寺に植えられた

難燃性の木で、薬効も期待されていたはず

それで武士の意気は上がり、領地を巡って戦い始める

醍醐建武の新政成功公家や旧来武士は新興武家領地を奪われる

当時の通貨は宋銭で、日宋貿易で鉄が輸入される

寺社エージェントとした銀杏の鉄の抱き合わせ販売である

ただ、そのうち国内製鉄業が発達し、日明貿易では足利が鉄を輸出することになった

2022-03-14

日本史3大if

頼朝石橋山で死んで貴族政治が続いていたら

尊氏が反乱せず建武の新政が続いていたら

織田信長本能寺で死ななかったら

関ヶ原西軍が勝っていたら

明治維新が起こらず江戸幕府が存続していたら

太平洋戦争突入せず大日本帝国が存続したら

2022-02-12

anond:20220212080558

承久の乱で、天皇が直接的に鎌倉を倒そうとして失敗したわけでしょ。

もし成功していたら、後醍醐天皇のような建武の新政をやろうとしていたのだろうか。

2019-04-25

日本時代区分を考える

日本史時代区分表 - Wikipedia

縄文時代

弥生時代

どうせ土器が二種類ありました卑弥呼がいましたくらいしか習わへんし

ここらへんはまとめて「土器時代」でええやろ。

土器が普及してから大和王権が成立するまで」の先史時代的な定義で。

古墳時代

飛鳥時代

研究者的にはいろいろあるみたいやけど

大和王権が成立してから大宝律令が制定されるまで」と定義して、

大和時代」に呼称を戻してええんちゃう

奈良時代

平安時代

大宝律令の制定からその終焉まで」ってことにしよか。

いわゆる「律令時代」ってやつやな。

飛鳥時代律令時代に含まれるんかもしれんけど。

平安時代

で、そのあとは王朝国家体制期という意味での「王朝時代」なんかな、よくわからんけど。

仮に朱雀天皇即位および藤原忠平摂政就任区切りとすると930年か。

で、鎌倉幕府が成立するまでと定義しよか。

鎌倉時代

まあ「鎌倉幕府の成立から鎌倉幕府の滅亡まで」でええやろ。

建武の新政めんどいから鎌倉時代に含めるっちゅうことで。

てことは実質的に「室町幕府の成立まで」か。

南北朝時代

室町時代に吸収されてええんちゃうか。

室町時代

とりあえず「室町幕府の成立から室町幕府の滅亡まで」で。

安土桃山時代

ここは短すぎるんよなあ。

明応の政変から安土桃山時代までを「戦国時代」として独立させるほうがええかもしれんね。

江戸時代

これは「江戸幕府の成立から明治政府の成立まで」でええやろ。

明治時代

大正時代

昭和時代

一世一元やからって時代区分にする必要もないやろ。

明治政府の成立から太平洋戦争敗戦まで」でまとめようや。

名前は「帝国時代」とかでええんちゃう

昭和時代

平成時代

太平洋戦争敗戦から現在まで」と定義して、

またなんか大きな変化があるまでひと括りでええんちゃうの。

昭和平成・令和から取りつつ憲法にも引っ掛けて「平和時代」とかどうやろ。

そうすると次に戦争が起きたとき平和時代終焉かな。

まとめ

土器時代3世紀
大和時代3世紀701年
律令時代701年〜930年
王朝時代930年〜1185年
鎌倉時代1185年〜1336年
室町時代1336年〜1493年
戦国時代1493年〜1603年
江戸時代1603年〜1868年
帝国時代1868年1945年
平和時代1945年

どやろ?

2018-12-19

anond:20181218071938

近代フランスにしても軍事政権末期の韓国にしても、市民暴動とかデモ政権が倒れた「実績」があんのね

日本にはそういう先例がない、大日本帝国が滅亡したのはただの外圧、民力にあらず

それでみんな民衆暴動とかデモとか無駄だと思ってる

まあ日本古来の「成功する政変」のモデル像考えたら宮中クーデターなんだろうけど、仮に前政権の打倒には成功しても新政権が支持を得るとは限らない(建武の新政

北一輝226事件が起きるまで「皇族を味方につかないかな~」と座って待ってただけで結局失敗した

2018-10-03

ウヨ歴史に興味がない

ここ10数年、右傾化ガーとか歴史修正主義ガーと言われて久しい。

ところがウヨが興味あるのは慰安婦とか南京とか戦前戦中の話だけで、それ以前はどうでも良いらしい。

過去10数年ぐらいに刊行されてる、吉川弘文館人物叢書だの、朝日選書だの講談社中央公論社だの各社の新書とかで、古代中世日本史の本を読むと、なぜウヨ激怒発狂しないのか謎でならない。

しろ古代史では『日本書紀』は大ウソだらけ、万世一系ではなく継体天皇の代からは新王朝可能性が濃厚、任那日本府は通説よりずっと規模が小さく「日本府」って名前も後世につくられた、「大化の改新」の中身はほとんど無し、厩戸王実在したけど聖徳太子の手柄の大部分は蘇我氏の業績、藤原氏中臣氏)を美化するための誇張が濃厚、壬申の乱記述天武天皇正当化する作為が濃厚――といった調子皇国史観絶対で「記紀の内容はすべて史実!」て言ってた戦前基準じゃ許されん話ではないか

神武天皇実在した」とかドヤ顔で語ってた自民党議員は怒らないのか?

中世史も、『平家物語』の名場面の大部分は創作源氏卑劣後醍醐天皇政治的無能だったか建武の新政は失敗、戦国時代には住民虐殺奴隷人身売買が通例……とかなんとか、そんな話がフツーに記されてる。

竹田恒泰とかの「日本伝統に詳しい人」と称する連中に言わせると、近代以前の日本には中国韓国のような野蛮で卑劣な話は一切なく、この世の悪はすべて戦後民主主義せいらしいが、全然そんなことはなかったと公然と書かれてる。

やれ「歴史戦」とか言う連中は、なんでこういうここ10数年の歴史学者の成果を「ブサヨ歴史捏造だ!」と言って怒らないのかw

ウヨ連中は本当に、明治期以降か下手すりゃ昭和戦前しか興味ねえんだろうな

専業主婦とか夫婦同姓が本気で日本伝統と思ってたり、小島毅が書いてたように「明治維新が起きたのは江戸時代儒教が広まったから」とか知らんで、本気で「中国韓国儒教国家だからシカラン」とかドヤ顔してる奴多いし

でもさ、ウヨって基本的に「昔は良かった史観」だろ? それがこんな近代以前にはまったく無知でいいのか

ま、あいつら「伝統興味ない」「天皇嫌い」が本音なんだろうけど

2018-04-20

anond:20180420122332

1クールずつくらいで時代変わって一年がかりで日本史やるようなのが見てみたい。主役がどんどん変わっていくの。

第1クール大化の改新奥州藤原氏滅亡(藤原氏歴史に焦点をあてる。必然的平将門平清盛源義経源頼朝も出てくる)

第2クール元寇建武の新政鎌倉幕府に焦点をあてる。必然的北条時宗足利尊氏後醍醐天皇も出てくる)

第3クール南北朝時代〜豊臣家滅亡(戦国武将に焦点をあてる。必然的戦国オールスター

第4クール黒船襲来〜西南戦争徳川幕府終焉武士の滅亡に焦点をあてる。必然的幕末オールスター

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん