はてなキーワード: 毒母とは
子どもに言うことを聞かせるための(これも思い返せば躾の一環というより母の我儘を通すためのものだった)、例えば説得する能力だとか論理的に説明する能力が足りなかった。
そして口で子どもを言いくるめられないとわかった母は、殴る蹴る・飯抜き・怒鳴る・大切なものを壊すという手段を選び、幼少期の俺にはそれらの効果がテキメンなことを理解しそれを繰り返すようになった。
また母は生来コンプレックスが強く、いつも誰かの学歴や若さや自由であることをひがんでいた。そして同時に(守られる立場の)"子どもであること"にさえ嫉妬していた。
俺を自分のコンプレックスを代わりに晴らしてくれる操り人形にしようとしたし、俺が"子どもであること"にムカついたときは憂さを晴らせるサンドバッグにしようとした。
疲れた顔を見せると「自分がやるって言ったじゃん」とお決まりの文句を言う。
たしかに「やるよね?」とは聞かれて、「やる」と答えた。
そう言わないと、殴られたり蹴られたり「あんたのことを思っているのに! 恩知らず!」とヒステリックに怒鳴られる。
(どうしても嫌でずっと「やる」とは言わなかった時があった。母は自分の思い通りになるまで夕飯終わりから深夜にかけて、そして夜が明けてもずっと怒鳴っていた。眠そうな素振りを見せると殴られ起こされた)
こんなこともあった。
(俺が使っている)毛布を買い替えた方が良いと思って。
もう汚いでしょあれ。
新しいの選んで。
そう言った。
俺は嫌で、黙っていた。
母が汚いと言った毛布はあの頃の俺にとっては"あんしん毛布"で、家庭にも心休まる場所のない俺の精神にとってすごく大事なものだった。
それを替えたくなくて選ばずにいると、母はもういい!と怒って早歩きで駐車場へと向かっていった。
慌てて追いかけると、車が無い。
ここまで連れてこられた車が無い。
そのうちに店員さんに保護され1時間ほど経って母が帰ってきた。
にこやかに店員さんに「〇〇くん〜! 良かったー! はぐれちゃって心配したんだよ! 本当にありがとうございます!」と挨拶をし(外面だけはほんとに良かった。少し成長した後、周りの人間に毒母について相談しても信じてもらえず「甘え」認定されて終わった)、もう一度毛布売場に俺を連れて行った。
「毛布選んで。選ばないと今日から寒い寒いだよ。汚い毛布はもう捨てたから」
やるせなさにいっぱいいっぱいになった俺を『してやったり』という微笑で見る母の顔を今でも覚えている。
心はずっとぐちゃぐちゃだった。
(今は、少年期でも鬱病はあるという認知が広がっているらしいが、この頃[20年前]は少年期の鬱病はおろか精神疾患に対する偏見が今よりもっと酷かった)
母は一貫性が無い。
思いつきで俺を様々な方向へ行かせようとして、そしてそれに従わないと大人と子どもの差を利用して心をめためたに潰してくる。
そして、たまに甘やかすのだ。
「母は愛してくれていて、期待に応えられない自分が悪い」って感情と、
「この苦しみの元凶はこの女である」という本能という相対するものが頭の中を絶えずぐるぐると回っていてこの時期が人生の中で一番辛かった。
なんとか死なず(死ねずに。自死は何度か考えたが、怖かった。怖すぎた)に中学、高校と俺が成長していくにつれて、大人と子どもの差を利用できなくなっていった。
殴る蹴るは成長した男の身体には効かず、飯抜きもどうにかできるようになり、大切なものもあらかじめ隠しておくようになった。
またこの頃からインターネットやそもそも俺の移動範囲が増えて図書館等から毒親(まだこの名称は一般的では無かったと思う)や虐待に関する知識を得られて、前述の「この苦しみの元凶はこの女である」という本能に確信を持ち始めていて、母に抗うようになっていった。
(言い返せるようになったからといって平気になったわけではなく、言い返すたびにエネルギーの消耗は激しかったし、なにより虚しくひたすら悲しかった)
母はおそらく焦った。
そしてやはりそれを受け入れる資質が無かった。
高校3年生の冬、相変わらず母は毎日俺を"矯正"しようと怒鳴ったが(子の受験期よりコントロールを取り戻すのが大事なようだった)、俺はいっぱいいっぱいになりながら勉強を重ね、センター試験ではまあまあの結果を残し、県外の国公立大なら進学できるかもしれなかった。
だが(授業料等は自分でなんとかするにしても)、どうしても県外まで受験しにいくお金が無かった。
俺はここまで母への憎しみばかり記してきたが、この頃はまだどこかで『親は子を愛しているものだ』という偏見を抱いていた。
また高卒の母の息子が国公立大学に行くというのは、母のコンプレックスを代償として晴らすという点で目的が合致しているように思われた。
だから、金の無心をしに勇気を持って話し、そこで出願書類をビリビリに破かれた。
真っ赤な顔をしてボロボロと涙をこぼしながらわめいていた。
全然言うことを聞かないで。生意気言って。親の言う通りにしないで。
都合の良い時だけ頼るな。
もう良い。
働け。働いて今までお前にかけた金を返せ。
そう言った。
子どもがおままごとかなにかをしていて、最初は楽しぬ遊んでいたんだけれど思い通りにいかなくなったとたん、どうでもよくなってすべてめちゃくちゃにするようなことがあるけど、それを実の子の人生でやったのだ。
そうして少し落ち着いたあと、おそらく急に『人(子)の人生を壊した』ことに怖くなったのか「お前の人生だからな」と俺を突き放した。
上の記事のコメントで『体験を書いてみたら』というものがあった。
自分の境遇を省みる過程の中でネットにあまり虐待体験期は転がっていない(女性のものは時たま見かけるが、男のものはほんとに見ない。まるで存在していないかのように)のが気になった。
だからここに記してみる。
"同じような境遇の人がいるんだな"程度でも役立ってくれたらいいな。
暗殺教室を途中まで読んだ
最終回がいきなり「理不尽を恨むな」路線で糸井重里かよって批判されてるのも、松井優征が保守的って指摘も知ってたけど
•キャラのモデルにした安倍晋三が復活してうれしいみたいなおまけページ
•業くんが「震災の時政治家は役立たずだった」といきなり言い出し殺せんせーが「否定はしません」と返す
あたりがエグくてひいた。ここまでモロなの?
特に最後のはキャラに自分の思想言わせてる感がビンビンで気持ち悪かった
しかも続きで「でも国の機能は正常にまわっていた。それは官僚がすごいから」ってなっててさらにひいた
ネウロで警察がよく描かれすぎてるから保守って意見みて、まあそれはお話だし……と思ってたけどさすがにこれは擁護できない
あとこれは政治思想関係ないけど、主人公は毒母持ちで父親は逃げたのに、主人公は父親のことは普通に好きで和やかに面会交流してるのもン?ってなった
暇なんとかさんはどうでもいいけど、それは反AIと一緒と考えていいよ
価値観以前に知能の問題が横たわっている。腐女子は、検索避けなど、単純に頭が悪い
絵を描くのに通常資料を使うし、構図トレスや、場合によってはそのままトレスもする
そして、Adobeや各種ソフトでもAI搭載してるし、アニメ・ゲーム・デザインの現場でも既に使ってる
これはアニメ・イラストの鑑賞/作成の敷居が極めて低いので、知的な困難があるユーザーが集まりやすいため
現にアニメ・イラストの鑑賞/作成と比べると敷居の高い音楽で反AIが大暴れとか起きてない
無限に、『絵が上手くなるには~』って話題がたけのこのように生えるけど、
男オタクの場合は大黒柱として働かないといけないという社会圧から、社会で働ける程度の能力があれば、少しづつ変わるが、