はてなキーワード: 相対音感とは
ギターをリペアする過程で全音下げ6弦Dチューニングしてるんだけど楽しい…😟
motley crueとlordiぐらいしか思い付かなかったけど、ブラックサバスもそうだっけ…
中途半端に絶対音感があるので、Amを弾いてもGmに聴こえるのに、押さえている位置が違う、というのは違和感あるなあ…😟
そういえば、完全に絶対音感があり過ぎる人は、半音下げただけでも別の曲に聴こえるぐらい違和感があるらしくて、
音楽で必要なのは寧ろ相対音感の方なので、絶対音感が強すぎるのも不利だよなあ…
まあ、一番致命的なのは相対音感がないことだろうけど…😟いわゆる音痴である
カラオケ練習動画をいくつか見れば理解できるかと思ったが全然分からなかった。
音程以外の要素が変化すると音の高い低いが全くわからなくなる。
たとえばピアノでドレミファソラシドと変化させた時、ドとミの違いは分かるし、ミとシはどっちが高いのか把握できる。
Cとドが同じ高さでハモるらしいが、そもそも俺にはそれらが同じ高さなのかが分からない。
同じ色相の赤同士なら「どっちが彩度が高い?」と言われて何となく分かる。
でも赤と青に対して「どっちが彩度が高い?」と言われるとよっぽど違いないと分からない。
だけど訓練していけばどんな色相の組み合わせてこられても「こっちの方が明度が高いね。彩度はこっちが高い」って言い当てられるようになる。
音程もきっと同じなんだろう。
何が起きているのか原理は分かる。
同じ音色の楽器を使って相対音感のモノマネがどんなに出来たところで、別の楽器と組み合わせた途端に何もわからなくなるなら無意味なのだ。
そこは分かる。
どうしたらいいんだ。
もし自称絶対音感がそう言っていたら、「全ての音をドレミにあてはめようと自分から勝手に必死になっている」だけだから気を付けろ。
【おさらい】
人には「音感」というものがあり、音感が優れた人は聞こえた音に対して、ド、ド#、レ、レ#、ミ……といった音階を瞬時に言い当てることがあります。
その時、「そもそもどのくらいの高さの音がドで、どのくらいがド#、どのくらいがレ」という比較対象があるわけですが、それを自分の感覚(絶対的な基準)で持ち合わせていることを「絶対音感」といいます。
直前に鳴ったものなど、他に存在する音と比較して高低差で音階を判断するのは「相対音感」です。
で。よく絶対音感持ちは「日常聞こえるあらゆる音がドレミに聞こえる」と言われることがあるけど、これは大嘘。
聞こえるわけねーでしょ。むしろ聞こえたらおかしい。
この世のあらゆる音が「ド~シ」までの12音に必ず分類されるわけがない。
大体、ドとド#の間って結構広いんだよ。事実としてそのスキマに幾つもの無段階の音が存在するのに、それを杓子定規にドかド#かに区分けするのは何の意味もない。
色覚で言えば、目に入る全ての色を絶対7色に分類する人なんていたら「キミ絶対色持ってるんだスゴーイ」じゃなくて「アホ」でしょ。ただの。
まあ言ってもそれは半分冗談で。実際のところ絶対音感持ちは、そういった隙間の音(微分音と言われる)を聞いた場合ちゃんと「やたら高いドだな」とかわかる。
でもそれを「全ての音がドレミになる」と表現するのは違う。
自分の中にある基準のドから離れてるな~であって、ドだと言っているわけではない。
「強いていえばドだな~」みたいな言い方はするだろうけど、「僕にはドに聞こえるんだ」みたいな話にはならない(それ言ったら「普通に耳狂ってるからちゃんとチューナー使って」と返されるだろう)。
それに何より、常にあらゆる音に対してそんな評価をいちいち下しながら生きてない。
そう、ここも大きな誤解で、絶対音感があるからといって、常に絶対音感を行使してはいない。
例えば手に持てるくらいの任意の箱を想像してほしいんだけど、誰でもせいぜい2~3cmの誤差で幅を当てられると思うんだよね。「絶対サイズ感」というか、自分の中で「1cmってこのくらい」という基準がある。
でも手に取るもの全てを「あ、10cm」 「あっ、8cm」 と考えながら生きてはいない。
絶対音感もそれと同じで、「聞くつもりで聞けば」わかるし、「意識してなければ」わからない。
「全ての音を音階で捉えようとする」のは、絶対音感とは別で、「単に他人の音が気になってしゃーない人」でしかない。
自分の中に絶対的な音程の基準があるのは確かに「絶対音感」だけど、受け取った全ての聴覚情報に対して積極的に音を言い当てようとするのはそれは「強迫観念」に過ぎない。
なので、もしタイトルのことを言うような自称絶対音感持ちがいたら、まあ事実絶対音感は持っているんだと思いますが、他人の生活音にいちいち耳を傾ける神経質なヤベー奴だと思うので休ませてあげてください。
で、なんでそんな誤解が生まれたかというと理由は2つ考えられる。
1つは「絶対音感を超天才だけが持つ特殊能力だと思い過ぎ」。あの、絶対音感、全く特別じゃないです。います、普通に。
音楽家じゃなくても、多少音楽に触れる環境があった人なら持ってます。
さすがに音楽はからっきしって人にはほぼいないかもしれないけど、アマチュアの社会人音楽サークルに必ずいます。ニコニコのボカロPを集めて石投げたら多分絶対音感持ってる人にそこそこの確率で当たります。たまに「日本の歌手に絶対音感持ちは1%もいない」とかドヤる人いますが、いや、そんなわけねーです。います。
お湯の温度を触って当てるのとか、荷物を持って重さを当てるのとか、カップラーメンで体感で3分計れるとか、絶対に目覚ましなしで6時に起きられるとか、そのくらいの技能です。
(個人的には幼少時までに訓練して身に付くものという説からして怪しいと思っています)
もう1つは昔あったテレビ番組の『特命リサーチ200X』のせい。アレで絶対音感を特集した時に、周囲のガヤ音が気になってかんしゃくを起こす再現VTRが作られてたので。
あとあの番組の中で、ピアノで5和音鳴らして当てる天才小学生みたいなのが出てたけど、5音もいっぺんに鳴らされたら「和音の感じ」という情報が増えるので逆にわかりやすい。
例えば「ドレミソシ」と鳴らしたら、ベースのドを絶対音で聞き取ったうえで、「メジャーセブンスコード」と呼ばれる「ドミソシ」の音の距離感特有の雰囲気がわかり、更にドと1音差でぶつかりつつナインス(ベースを1として白鍵9番目の音)の雰囲気を出してる「レ」に気付けるので、絶対音2割相対音8割くらいでいける。もうそれ絶対音感の実験でもなんでもない。
更に、当の絶対音感持ち自身もこの誤解を抱いているのがまずい。
変にもてはやすから、「絶対音感を持っている自分スゲー」となる。まあなるまではいい。だけど、「絶対音感を持っているとあらゆる音が~」という部分までトレースしようとする。
それが絶対音感であることの証左だと思い込むから。そうじゃないと絶対音感持ちとして扱ってもらえないから。
自ら、「周囲が求める絶対音感像」をやろうとする。
結果、「天才がゆえのペナルティを抱えた自分」に酔って、頼んでもないし自分ですら望んでも無いのに勝手になんでもドレミで言い当てようとするおもしろ人間ができあがる。
そんな必要ないんで、やめましょう。
あなたや私が持っているこの能力は、「赤色を見て赤だとわかる程度」のものです。まあ便利な時はあるので、その時に使えばいい「ちょっとお得な特技」でしかないです。
無い幻想を自分からまとうのはやめましょう。誤解を更に広げるだけなので。
最低限相対音感ないとむずくね?
楽器のうまいへたを決めるのはピッチ(=音程)とリズム(=タイミング)だ。
このふたつのうち、ピッチのほうは「素人でも何とかなる」か「素人ではどうにもならない」かのどちらかなので、今さら慌てて手を打つ必要はない。
なぜピッチが素人でも何とかなるかというと、ギターやベースやキーボードなどの軽音楽でポピュラーな楽器は、所定の位置を指で押さえれば基本的には正しいピッチで音が出るように設計されているからだ。
なぜピッチが素人ではどうにもならないかというと、歌や管楽器のように肉体の微調整で音程を正しく合わせる必要がある楽器は、大人になってからでは獲得がなかなか難しい「音感」というものが必要になるからだ。絶対音感(音を聴いたら音名がわかる、ラの声を出せと言われたら出せる能力)までは必要ないが、相対音感(お手本の音と自分の音が *正確に* 一致しているかを聞き分ける能力)はきちんと持っていないとうまい演奏にならない。
そこでリズムである。なぜ「まずリズムを鍛える」ことが重要か。
ひとつには、リズム感は音感に比べればはるかに獲得がたやすいこと(異論はあるかもしれない)。
このふたつを比べると、後者のほうがずっとまともな演奏に聞こえるからだ(あやしい程度にもよるが)。つまりかけた時間に対して得るものが大きい。ある程度うまく聞こえる演奏するにはリズムを鍛えるのが近道なのだ。
さまざまな練習法があるが、いずれも「正確なリズムを刻む何かと一緒に弾いてズレをなくす」ことを主眼にしている。
もっとも手軽にできるのは「メトロノームを聞きながら手拍子を叩く方法」だ。
メトロノームの音はなるべく鋭く短い音がいい。プッ、プッ、はだめ。ピッ、ピッ、のほうがマシ。余韻のないカ、カ、といった音が理想的。
一定のテンポで鳴る音に合わせて手を叩いて、手拍子かメトロノームの音のどちらかが消えてなくなればタイミングがピッタリ、両方聞こえていたらズレている。
本当にドンピシャでタイミングが揃うとどちらかの音(耳に届く音量が小さいほうだと思う)がかき消える。
相対音感 ある音の高さを他の音との関係において識別する能力。
ヒトには音の高さを感じる能力があります。内耳の蝸牛に聴覚細胞が並んでいて、周波数によって興奮して信号を発する部位が違っています。これが脳の聴覚野で処理されて音の高さとして認識される。
長さに例えると長短は比較できますが「ものさし」がありません。何㎝と分かるには、単位を決めて物差しを作らないといけません。作成したものさしを基準点に合わせて長さを測ります。
音の高さはラ=440Hzの基準を決めます。周波数が2倍の880Hzの音を人間は「同じ音」に感じます。この音程・音の高さの間隔を1オクターブといいます。合成された波形の周期が元の周期と一致します。音の高さには「トーンハイト」と「トーンクロマ」という2つの考え方があり、トーンハイトがオクターブ単位で違う音はトーンクロマが同じと感じられます。
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周波数が2:3の音程は美しく響き合うと感じられます。合成された波形が単純な繰り返しになります。音楽ではこの音程を完全五度と名付けています。
2:3の関係で音の高さを決め、1オクターブの範囲を超えたら周波数を半分にして折り返します。こうしてできる12音の音列を半音階といいます。この方法をピタゴラス音律と呼びます。ピタゴラス音律では13音目が最初のラと「ほぼ同じ」なのですが、このために和音の響きが濁ります。不快な「うなり」が発生します。この音程の誤差をピタゴラスコンマと呼びます。
これを補正するために、様々な音律・半音階の周波数比が考案されてきました。ピタゴラスコンマを分散させています。
ピタゴラスコンマを均等に割り振ったのが平均律。きんとうに和声が濁ります。
ラ=440Hz と 平均律の音程 を 覚えて、半音階上の位置を判定します。これが相対音感。ラの周波数は可変です。半音階の音高に「音名」をつけます。が、ドレミファソラシは7音・全音階に命名されていて、半音階は♯♭をつけて表されます。
絶対音感は訓練によって、半音階の音の高さを記憶して、絶対的なものさしとして使います。記憶には短期間で忘却する短期記憶と長期間保持し続けることのできる長期記憶があります。短期記憶を繰り返すことで、長期記憶として定着すると考えられています。絶対音感・音の高さの長期記憶は、幼児期でないとできないとされています。脳の発達により能力が失われる。相対的な音の高さを思考できるようになると、単純な記憶をする訓練が妨げられる。諸説あります。
色覚はたくさんの色を認識することができます。これは光の周波数・波長を感じています。日本の文化では、赤橙黄緑青藍紫が波長の順に命名されています。
絶対色覚……という用語はありません。緑と青の間にも無数の色があり、これを明確に区別することができないから。
絶対音感は、ドレミファソラシの周波数を固定的に記憶しています。
ドとド♯の間の音は「わからない」 精度が低ければ近い方に誤認します。ドに近い・ド♯に近いと分かるために、相対音感で補間をします。
赤~紫の光は、赤・緑・青の3つの合成で作ることができます。0~256の強さで表すと256*256*256の色を表現できます。
音には1秒間の振動数で表すHzという単位の他に、音楽では1オクターブを1200分割して1セントとする単位があります。
可視光を7分割するのは、日本の文化。文化によって色名の数は異なります。
絶対音感があると、音がすべて「ドレミに聞こえる」という誤解があります。音感があると音の高さが「ドレミで分かる」だけです。もし「ドレミファソラシ~♪」という音声が聞こえていたら、それは脳が作り出したもの。生活に支障があるならばそれは「幻聴」という病気。
絶対音感で記憶している半音階に拘りがありすぎると、強迫性障害を発症します。長さが1cm刻みぴったりでないと許せないと言い出したら病気ですね。
人には聴覚から入ってくる情報を取捨選択して無視できる能力が備わっています。これを「カクテルパーティー効果」といいます。言語の音声を多数同時に処理できるほうが稀な能力ですし。雑踏の話し声がすべて頭に流れ込んでくるとか、どこからか話し声が聞こえてくるとか言い出したら病院へ
音感があっても複数のパートを同時に処理し記憶することは容易ではありません。そのような優れた音感・記憶力は「絶対音感」と誤解されていますが、音感の種類である絶対・相対とは関係ありません。
気持ち悪くて聴いてると死にそう
はやく町中から消えてほしい
せめて耳元でエンドレスで歌うアイドルヲタの俺の友人、黙ってくれ
聴いたことない人がいるかもしれないから理由を説明すると、歌詞がドレミソラシドなのにメロディがドレミドソミドなんだよ
ドレミがわからない人もいるかもしれないから更に説明すると、いろはうたをあいうえおで歌われるようなもんだ
違和感に殺される助けてくれ
追記:京急ってファソラ♭シドレ♭ミファソ〜じゃなかったっけ?最近乗ってないから忘れた
追記:そうそう、問題は後半で、移調してるのはそこまで問題ないんだけどミより3度低いソなんて存在し得ないから気持ち悪いんだよ
※※この増田はただの自分語りです。この先生きのこるにはとかそういうのを真剣に話してるわけではないです※※
昨日のニコニコ動画(く)の発表会はまさに「良くなかった」。
仕事を持ち帰って家で発表会を楽しみにしていたが、発表終了後は結局なにも手につかなくなってしまった。虚無になって飯食って風呂に入って寝た。
一晩寝て若干落ち着いてきたので、いろいろ書いておく。
実は俺はまだニコニコ動画が好きだ。静画も好きだしニコ生も好きだし大百科も好きだ。
"おもしろFlash"を漁っていた時からアマチュアの作曲家みたいなのにハマりつつあって、muzieのランキングを眺めてたりしていた。
たくさんのユーザーが毎日動画を上げていた。有名Pが曲を上げるとmuzieの再生カウンターとは別次元のスピードで再生数が増えていくのを目の当たりにした。
MADもたくさん見た。ドナルドと兄貴は特に好んで見ていた♂。
そのうち自分も見る側でなく作る側になりたいと思うようになった。
初音ミク、MAD、.*ってみた、様々な動画を上げた。その過程で様々な技能を得た。
動画エンコードのコツやDAW/シーケンサの使い方はもちろん、カメラのライティングからフォトレタッチとかも独学で学んだ。相対音感も得たし若干の絶対フォント感も得た。秋葉原でパーツを買い漁って自作PCを作ったし、ヘッドホンアンプを設計してハンダ付けして、PCから出る音が良くなった。思えばCUIを使えるようになったのもこの時で、いつの間にか自宅サーバが建った。でもせっかく買った電子ピアノは結局弾けるようにはならなかったw
多くの動画が鳴かず飛ばずの3桁再生止まりだったが、1回だけ1万再生を越えた。ランキングに載った。数百のコメントが流れた。「うp主すごいなwwww」と流れた。ついに私も、「うp主」になったのだ!
当時ほど暇ではなくなってしまったが、それでも今もVOCALOID曲を漁るし、MADも見る。自分のうpした最新のミク曲はまた3桁で止まってしまったw
今もニコニコ動画がyoutubeと比較して優れているのは、もちろん動画の上にコメントが流れるとかもあるが、タグ検索(「前衛的けものフレンズ」をyoutubeで検索できるか?)、そして投稿者と視聴者の隔たりの少なさだ。気になるジャンルの動画を探して「自分もこれを作る側になりたい!」と思えるのは未だにニコニコ動画の方ではないか? 逆に劣っているのは…言うまでもないが通信インフラだ(とはいえHTML5導入前辺りと比べればエコノミーモードの画質に関してはかなり改善したといっていいと思う)。
俺はRC2がSP1になった直後辺りに会員登録したようなネット新参なので、ニコニコがyoutubeの動画をそのまま流してたような時とか、もっというとmixiが日本一のSNSだった時とか個人サイトでMIDIがアップロードされてた時とか、そういう時代を伝聞でしか知らないので古参の方々はまた別の意見があるかもしれない。
でも俺はまだニコニコ動画が好きだ。
全ての人間は創作欲を持って生まれてきた(クリプトン伊藤社長の言葉ですが)。その創作欲を刺激してくれたニコニコ動画には本当に感謝している。ニコニコ動画には、まだまだこれからも俺が好きでいられるようなニコニコ動画であってほしい。頼む~~~