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2025-09-17

薩摩弁「ちぇすと」の由来について1898年以前の用例から考える

「ちぇすと」の由来については以下のnote記事に詳しい。

[研究] 謎の薩摩弁「ちぇすと」はどのように生まれたか――鹿児島谷山方言とロシア語が結びついて流行語になり、誤解から「興奮とくやしさを表す雄たけび」に変化|mitimasu

(1) 本来、「ちぇすと」は**鹿児島谷山町の方言で、「よっこいしょ」の意味**の言葉

(2) 明治時代の中頃に鹿児島谷山方言の「ちぇすと」と**ロシア語の「че́сть(名誉)」が結びついて称賛としての「ちぇすと」が鹿児島知識人流行語になった**

(3) 島津義弘関ヶ原正面退却や宝暦治水を**称賛する言葉として**「ちぇすと関ヶ原」「ちぇすと松原」(※宝暦治水千本松原のこと)が生まれ

(4) しかロシア語意味がわからない人が、(3)の使われ方から(2)を**悲しいとき・くやしいときに発する言葉だと誤解した**と思われる

(5) これらを踏まえて明治30年ごろに「ちぇすと」が**東京学生青年あいだで「気合を入れる言葉」として流行し**、広く世間に知られるようになった

(6) 流行がしずまり現実では(2)と(5)を使う人は減り、**フィクションの中の薩摩人ばかりが使う言葉になった**

(7) 鹿児島出身作家である**海音寺潮五郎が(4)の意味でさかんに使用**(海音寺氏は谷山から遠く離れた現・伊佐市の生まれ

(8) これが鹿児島県に逆輸入され「ちぇすと」が「くやしいとき気合を入れる時に薩摩人が発する言葉」だと**鹿児島県人が認めてお墨付きを与えてしまう**

(9) 司馬遼太郎をはじめ**多くの作家が(4)の意味使用し、(3)の意味は失われていった**

(10) 結果として「気合を入れるときの雄たけび」と「くやしいときに発する言葉」という**異なる意味が「ちぇすと」の中に共存し、よくわからない**ことになってしまった

(11) そもそも「ちぇすと」は「よっこいしょ」という意味しかない江戸明治期の谷山町の方言なので、**多くの現代鹿児島県人にとっても使わないよくわからない言葉**である

しかし、このnote記事では1936年辞書の「露語から来たといわれる」という一つの記述を、そのまま鵜呑みにしてしまっている。

また全体として推測が多すぎるため、いくつかの情報提示するとともに研究を補強したい。

「ちぇすと」の初出としては、1898年内田魯庵『くれの廿八日』が挙げられているが、これよりも早い用例はいくつかある。

まず、1888年の『青年之進路』。著者は鹿児島士族佐藤良之助とある

猿渡は傍若無人なりステッキを以て力任せに竹藪を叩きながら

然り然り卑怯者奴(め)……無気力(いくじなし)奴(め)チエストー

これは相手馬鹿にして煽っているシーンであり、この「ちぇすと」は少なくとも称賛の意ではあるまい。

ただ、ステッキを振るための掛け声なのか、相手威圧するための掛け声なのかはわからない。

同じく1888年の『女学雑誌』。

「さうダワ」「なくつてよ」のあどけない令嬢のみならんや「チエスト」と罵るこわからしき九州男児も「オオしんど」と言ふ裊娜(たほやか)なる西京佳人も以て一対の主人公なすに足らん

句読点がないからどこからどこまでが一文かわからないが、ともあれ「ちぇすと」は「罵り」だという認識があったことが窺える。

1889年の同じく『女学雑誌』。

膝ッきりの衣服に高下駄お国書生、是も二人連

「ドウモ奇絶ジャ…」「エライ人が駈をるナ…コレどふする…」

箪笥を擔で来る男「邪魔邪魔ダッ…」

「コリャどふする…エエ」お国訛にりきんでも突飛(つきとば)される「エエ…チエスト」。扼腕――是も苦笑となる。

田舎者上京してきて呆然としているところに箪笥をかついだ男に突き飛ばされて「ちぇすと」と扼腕する、といった場面。

ちくしょう」「なんてこった」などと同じような、思わず出てしまった言葉という感じがする。

1892年罪と罰』。ドストエフスキーの訳書だが、訳者が『くれの廿八日』の内田魯庵である

真向に鉈振上げて、婆アの頭脳を打砕き、腥血淋漓たる中に生血の滴る得物を手にし、錠を破し、金を盗んで、隠れやうとする自己だ。ちェすと!こんな事が出来るか?有るもんか?

英文からすると「ちぇすと」はかなり意訳っぽいが、やはり「なんてこった」という感じだろうか。

1893年『称好塾報』。称好塾は滋賀出身杉浦重剛という人が東京に作った私塾である

此頃より陰雲未た開けずと雖も細雨は既に跡を収め皆チエストと絶叫せり

其佳なる所に至れば「チエスト」と絶叫せしむ

前者は川船を漕いでいるときに雨が上がったところ、後者薩摩琵琶の演奏についての記述で、いずれにしても快哉を叫んでいるようである

薩摩琵琶はともかく、雨上がりに「ちぇすと」と叫ぶのは、すでに鹿児島出身ではない学生たちのあいだでも「ちぇすと」が定着していたのだろうか。

1893年少年子』。

此愉快なる、此呑気なる、此無責任なる、此無頓着なる生活写生に向って毛奴を奔らす、予輩も亦自らチエストー一声の下に案を叩いて四辺を一睨せさるを得さるなり

下宿暮らしの書生はあまり自由気ままだという話のオチの部分だが、よく意味がわからない。

とりあえず、気合を入れるための一声、という感じか?

1895年探偵実話 娘義太夫』。

「左様か教師が左様云ッたか……自分でさへ左様思ふもの……」と言つつ両眼に涙を湛へ「チエストッ鹿児島男児が」と一声高く叫びたり

自分が情けなくなってちぇすと。

溝口は下足番の招き声に風(ふ)と心注(こころづ)きて立止り「チエストー貴様おはん)は偽言と云ひ馬鹿なッ」と言捨しまま元来し道へ駈戻らんとせり

怒りのちぇすと。

彼が情厚の男子と己(おい)どんを今日まで思ッチヨルとは何たる事か夢か誠か、イヤ誠……此文……チエストー、アア愉快愉快ト喜び勇むも実に尤もなり

喜びのちぇすと。

薩摩人の「溝口」が女義太夫の「紋清」に惚れ込んで事件に巻き込まれていく話らしく、全体的に良くも悪くも感情が高ぶると「ちぇすと」と言う描写になっているようだ。

ただ著者は匿名だが、実は高谷爲之という刑事上がりの新聞記者で、東京出身らしい。

1896年『盍簪』「薩摩新風土記」。

チェストー、這は是れ感情鋭烈なる薩摩隼人が何事にか其の心を刺撃せられ感泉俄に湧て抑ゆるに由なく、一條の熱気思はば口端より迸出するの声なり、此感声の発する時、是れ彼れ等が掌を握り肉を震はすの時なり、ステキヲ揮ひ路草を薙ぐるの時なり、実に薩人の感情は激烈なり

ステッキで草を薙ぐというのは『青年之進路』の場面そのままだが、そんなに典型的な行動だったのか?

と気付いたが、note記事でも紹介されていた『薩摩見聞記』にもほぼ同じ文章が出てくるので、この「薩摩新風土記」を本にしたものが『薩摩見聞記』なのだろう。

この『薩摩見聞記』の著者は本富安四郎といい、新潟長岡藩出身だが鹿児島に数年ほど滞在したという。

1897年江見水蔭『海の秘密』。江見水蔭は先ほど出てきた「称好塾」の出身らしい。

「ちえッすと!」

殊に高く響いた此声を最後にして、多くの怪しの人影は散々に大王崎を去つて仕まつて、それからは寂として声が無い。

謎の集団が、その企みが失敗したのか「ちぇすと」と叫んで去っていった、というような場面。

と、こうしたあたりが1898年内田魯庵『くれの廿八日』以前の用例である

明治中期からしか用例がないということに変わりはないが、当初から明らかに「称賛」ではない例が多く見られる。

これは冒頭でリンクしたnote記事説明に反する事実である

薩摩新風土記」に書かれているように「何らかの感情が高ぶったときに出る声」というような説明適当ではないか

また、この頃の方言集や辞書も紹介する。

1906年の『鹿児島方言集』。

ちぇすと てすとに同ジ

てすと 感嘆詞快感

元は「てすと」なのか?

1912年山田美妙『大辞典』。

すとう[感] 九州地方方言。力ヲ込メテハゲマス語。或ハちえナドヲ添へ、ちえすとうナドトスル。

元は「ちぇ+すとう」なのか?

1933年方言誌』「鹿児島鹿児島谷山方言集」。

エスト よいしょ(掛声)

エツソ チエツソイケ それ見ろ

これについてはnote記事でも言及されていたものである

note記事では「ちぇすと」と「ちぇっそ」は無関係であろう、としていたが、

1977年かごしま民俗探求』の久保けんお「薩摩方言民謡」では、

チェストはおそらくエイクソの転化であろう。エイヨは薩摩ではチェイヨとなる。母音エに子音Tをかぶせてチェとするのであるエイクソがチェイクソとなり、促音化してチェックソ、クを省いてチェッソ…。チェッソを遠くへぶつけるには当然「チェスト」となるはずである


1979年井島六助『出水方言 カゴシマ語の一特異分野』では、

ちぇっそ 感動詞一般に知られているカゴシマ語としては「ちぇすと行け」など言って激励の語とされ、または、思わず感嘆する時の語とされているが、ここでは元来、「ちょいちょい」と同様、「ざま見ろ」という気持ちを現わす感動詞で、これに類する用例は、「ちぇすと行け」多用のずっと南にもあるようである。チェッソ、ユゴトセンモンジャッデ(ざま見ろ、言うようにせんもんだから)。語源については、英語zestからとか、露語yectbからかいうのがある。

説明されており、これらは「ちぇすと」と「ちぇっそ」には関係がある、としている。

これらの説明が正しいかどうかはともかく、多くの異論があるということであり、そのなかで一つの説を支持するならば、何らかの根拠必要になりそうである

2025-05-11

大物漫画家地方出身者が多い

九州中国出身漫画家

  

井上雄彦スラムダンク鹿児島県出身

吾峠呼世晴鬼滅の刃福岡県出身

諫山創進撃の巨人大分県出身

尾田栄一郎ONE PIECE熊本県出身

  

岸本斉史NARUTO岡山県出身

久保帯人BLEACH広島県出身

青山剛昌名探偵コナン鳥取県出身

  

東北北海道北陸出身

  

荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険宮城県出身

冨樫義博HUNTER×HUNTER山形県出身

芥見下々『呪術廻戦』岩手県出身

藤本タツキチェンソーマン秋田県出身

  

荒川弘鋼の錬金術師北海道出身

ONEワンパンマン新潟県出身

高橋留美子うる星やつら』『らんま1/2』『犬夜叉新潟県出身

  

東海出身

鳥山明ドラゴンボール愛知県出身

堀越耕平僕のヒーローアカデミア愛知県出身

  

関東関西人口も多く漫画家輩出数自体は多いだろうし

プロとしての成功者は多数いるのだろうが

社会現象レベルの大物は少ない

なぜなのか

  

レジェンド漫画家出身

手塚治虫 兵庫県出身

横山光輝 兵庫県出身

白土三平 東京都出身

さいとうたかお 和歌山県出身

楳図かずお 和歌山県出身

赤塚不二夫 満州出身

ちばてつや 満州東京出身

水木しげる 鳥取県出身

石ノ森章太郎 宮城県出身

大友克洋 宮城県出身

矢口高雄 秋田県出身

永井豪 石川県出身

藤子不二雄A 富山県出身

藤子・F・不二雄 富山県出身

松本零士 福岡県出身

萩尾望都 福岡県出身

池田理代子 大阪府出身

2023-07-01

弱者女性は(弱者男性と違って)大量に生殖するよね

住居不定風俗店従業員谷口成美被告33)。

今年1月30日午前0時ごろ、大阪府大阪市淀川区路上自身出産した女児

遺体が入ったカバン阪急十三駅近くのコインロッカーに遺棄した罪に問われている。

谷口被告鹿児島県出身中学校卒業し、その後、風俗店で勤務していた。

しかし、仕事が少なかったこから去年の4月大阪に移り住み風俗店で働くことを決め、

家を借りず、ビジネスホテル転々とし暮らしていたという。

1カ月の給料は少なくとも約35万円あったというがその大半をホストクラブで使い、

交際していたホストにも借金があった。

検察官)「これまでに死産を含む出産は何回くらいしまたか?」

谷口被告過去12回繰り返しました」

検察官)「産まれた子は?」

谷口被告施設です」

検察官)「死産の時は?」

谷口被告)「病院処置を受けた」

検察官)「今回病院いかなかったのは?」

谷口被告)「健康保険証が切れていた」

検察官)「更新はしなかったのですか?」

谷口被告)「住所は鹿児島ホテル生活のため更新できなかった」

https://news.yahoo.co.jp/articles/55020266643d32383f66aee3e0bbaf2ad693d1e9

弱者男性子供を作れないまま死ぬのに対して、弱者女性33歳の時点で13回出産していたりする。

弱者男性下駄を履かせて生殖させて遺伝子多様性を確保しろかいう人いるけど、

弱者遺伝子弱者女性が大量にのこすから大丈夫だと思う。

強者女性で13回出産するような人はいないよね。

26~35歳の間に最大2人出産して打ち止めのパターンばかり。

2020-06-10

anond:20200610161813

鹿児島起業する人はいないが、鹿児島県出身の社長はそこそこいるぞ。自分都道府県実業家欄と比べてみやがれ。

https://www.weblio.jp/subcategory/dictionary/wkpja/Category%3A%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%83%BD%E9%81%93%E5%BA%9C%E7%9C%8C%E5%87%BA%E8%BA%AB%E5%88%A5%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7

しかも、理系の憧れJAXAだって誘致してる。

鹿児島桜島噴火の頻度から航空機が使いづらい上に、本州から遠く、IT企業沖縄に誘致されてばかりなんだ。そういった物理デメリットあっても頑張ってんだ。

もっと言えば、西南戦争で有能な若者が根こそぎ死んだんだよ。それでも、ここまで這い上がってきてんだ。

鹿児島馬鹿にすんじゃねえ。

鹿児島馬鹿にするなら、種子島ロケット発射見て、屋久島トビウオの群生を見て、世界遺産ハイキングして、けいはんとつきあげと鰻と黒豚たんかん食ってからにしやがれ。

2016-10-12

俺(大学生)の祖母は49歳

オレの出身沖縄小浜島ではよくあること

親父は鹿児島県出身

東京祖父祖母になる年齢で結婚するからビビる

沖縄貧困と言われてるけどさ

住んでると特に不自由無く暮らせる

結婚したあとに大学行く人もいるし

母親はオレを産んだ後高校と専門行った

世代交代は早い方が金稼ぐ男が多くて良いと思うんだよな

結婚時点で親が介護世代だったら子供作ってる場合では無いだろ

 
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