はてなキーワード: 死産とは
もう10年前のゲームだしHer Storyの核心的なネタバレも含めた思い出語りをするよ
一応10行あけるよ
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Her Storyは、空欄に自由に単語を入力し、ワード検索で出てきたショート動画を眺め、時系列に並べ直して事件の真相を解くゲームだ
ある男性の失踪事件について、男性の妻から複数回にわたって事情聴取している時の動画という設定で、実写だ
日本語にも対応しており、妻や取調官が会話の中で気になるワードを言ったらそのワードを入力することで、同じワードが出てくる別の動画を発掘できる
このゲーム制作者Sam Barlowは今作で大絶賛された後に、似たような「大量のショート動画を探すことで真相がわかる」という造りのゲームを発表している
2作目は役者が増えてリッチになったもののストーリー面で1作目より評価が悪く、しかし3作目で再評価された感じ
名作とされるHer Storyなのだが、見方が悪いせいで楽しめなかった
核心部分のネタバレをすると、この動画に出てくる「妻」は実は二人いる
双子の姉妹が一人二役で夫の死を隠蔽しようと入れ代わり立ち代わり事情聴取を受けているのである
妻ではない「片割れ」の方は生まれてすぐに死産と偽られ実両親から引き離れ、戸籍すらも持たない身
紆余曲折あって夫を共有していたが、妻が衝動的に夫を殺してしまい、片割れの方が夫の子供を妊娠しているため、その子を守るために姉妹は共謀して事件を隠蔽しようとしていた
姉妹の役者は一人の女優がやっており、「全く同じ顔の二人だが微妙に違う部分もある」という部分を見事に演じきっていた
だが演じすぎていたとも言えるのかもしれない
増田は「演技の違い」に敏感に気づきすぎていたため、最初の方から「二人の女性が容疑者なんだ」「外人の顔ってよくわからんが似てる気がする」「この二人って双子ってことかなー」と思ってしまっていた
もしくは自宅に安置していればベトナム人女性の最高裁判決と同様に無罪になるの?
【速報】公園で赤ちゃんの遺体見つかった事件 23歳のアルバイト従業員の女を逮捕「土を掘って赤ちゃんを入れ土をかけました」発見の3日前に出産と説明 大阪府警
https://news.yahoo.co.jp/articles/978fc110f045c56d5061b0e51feb0facbf32967a
勝手に墓地へ埋葬する「闇土葬」について死体遺棄なのではという反応と衛生問題、事件性を指摘する声
https://togetter.com/li/2589015
>「他者が遺体を発見するのが難しい状況を作り出したが、場所や遺体の包み方、置いていた方法などに照らすと、習俗上の埋葬と相いれない行為とは言えない」として死体遺棄罪は成立しない
これらのことから、本作は伝統的なカップリングの成立を徹底的に避け、登場人物の感情の「一方通行性」や、対話の欠如をテーマとして描いていることが伺えます。
ここ数日、「男は子供を産んで欲しいなどど言ってくれるな」、という論調がXで散見される。
おいおい、勘弁してくれよ。残念ながら、男は卵子も卵巣も子宮も膣も持ってないんだ。それは性染色体の定める掟であって、男は逆立ちしても天地がひっくりかえっても出産できないんだ。
それなのに「産んで欲しい」という意思表示すら摘み取ろうってのか?そりゃあまりにも横暴だろ。
確かに、妊娠出産は母親と胎児にとって一大イベントだ。つわりが来れば嘔吐もするだろうし、お腹が大きくなれば階段の乗り降りも気が気じゃないだろうし、栄養状態にも気を使わないといけない。着床の位置によっては大量出血で母体が危うくなる時もある。新生児がなんらかの障害を背負って生まれてきたり、不幸にも死産になったりする可能性もある。そういう背景を踏まえると、男が無責任中出しレイプ決めて出産を強要するってのは非人道的で、これは決して許されない。
だけどさ、お願いするっていう選択肢くらいは残してくれてもいいじゃないか。どんなに高収入で、どんなに献身的な男であっても、できるのは出産育児の環境を整えることだ。自身が出産するってのは、絶対的に不可能なんだ。
それでも子供を欲しがるのは生物として極めて当たり前の欲求だ。だからこそ、妊娠・出産というのは夫婦間の深い深い話し合いの末に結論を得なきゃいけないテーマなんだ。
だというのに、お願いすら許されないとしたら、それは話し合いではなく妻側の一方的な裁定じゃないか。最終的な決定権は妻側にあってもよいだろうが、最終決定に至るまでのプロセスに一切男を介入させないってのは酷いぜ。
花粉症で耳鼻科にかかっている。今年は花粉が飛び始めるのが早いと聞いて早めに耳鼻科にかかり、飲み薬、点鼻薬、点眼薬を処方してもらった。
もらった薬が切れたので今日もう一度耳鼻科に行ったら、窓口で「薬だけ下さい」と言ってる人がいたので試しに同じように言ってみたら、事務職員からその場でOKと言われ、そのまま処方箋と診療明細が出てきて「再診料」「処方せん発行料」450円(3割負担)を払った。
今日は代診の先生とのことだったが、診察室には入ってないし、医師の顔は見ていないし会話もしてない。問診票などで症状を伝えることもしていない。
この季節、耳鼻科は大混雑だし、もらう薬はどうせ同じだとわかっているから、払う金が同じで待ち時間が節約できるならもちろん私にとっては得だ。
しかし、会計待ちの間にググったところでは、医師が診察せずに処方箋を出すのはそもそも違法のような感じがする。
第二十条 医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。 (https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000201#Mp-Ch_5)
そもそも、診察せずに診察料を保険請求するのは健康保険の不正請求じゃないか?
窓口で料金支払い時に保険請求が合法かを数度確認したが、「他のクリニックもそうしてるし、合法」との答えでそのまま支払いをし、処方箋を受け取った。
しかし、後でやはり気になって所管の厚生局に電話確認すると、やはり違法だし不正請求だとの回答。医師法20条とか知ってるのにそのまま処方箋を受け取るなと怒られた。ただ厚生局からは電話で報告されても何も対応しないとのこと。
診察なしで処方箋が出てきたら、患者は同負担で時間が節約でき、クリニックは事務作業だけで診療報酬が稼げるけど、健康保険の適正利用から言えばおおいに問題だ。
そもそもこんなカジュアルな処方をして問題ないような薬はOTC化(ドラッグストアで処方箋なしで販売)するべきだよね。
高額療養費制度の問題で皆保険制度が揺らいでいるところなのでかなりモヤモヤしているが、少額だし、患者と医者はwin-winだし、「厚生局は違法との見解だぞ」と言ってクリニックを問い詰めるまでするか迷っている。
「女が殺される」って文章、Xでバズっていた事があったけれど、
その犯人は誰だ?誰が女を殺したんだ?
そりゃあ全体の数としては男が殺す場合の方が多いかもしれない。
でも母親による娘殺しって、けして無視できない存在なんじゃない?
兵庫県で母親が自宅に放置して死に追いやったのは8歳の『女児』。
「思い出さぬよう生きてきた」 50年前の横浜障害児殺害で家族告白 介護担う妻の疲弊に気付かず
https://www.sankei.com/article/20200922-DRAZAEDLKRPFLNP4QIPZW32T7A/
愛知県で母親がパンケーキを与えてから殺したのは三人『姉妹』。
また、アジアをはじめとする各国で、胎児が女ならば率先して中絶する事により男が余るという現象が起きている。
https://jp.wsj.com/articles/SB11911181872401054173104581387042072333436
(偶然かもしれないけれど、最高裁で逆転無罪になったベトナム人技能実習生が死産した子供も双子の『女児』なんだよね……)
これだけ男児ママによる女児の人権軽視が猛威を奮っている世の中だもの。
殺す母親にだって、子供が男児である場合よりも女児である場合の方が殺害へのハードルが下がる傾向があったりはしないか?
仮に比率が半々だったとしても、やっぱり多数の女児が母親によって殺されているのは事実だよ。それを無視しないでほしい。
母親が高校生の時に亡くなり、進学も就職もせずに家のことやれと父親に要求される
家出同然で飛び出して女優を目指し、小さい劇団の座長のアパートに住まわせてもらいつつ俳優座の養成所に通う
座長にセクハラパワハラされまくり愛人にされるが生活費など座長が出してくれているので逆らえない
また子供ができても死なせてしまうかもと恐怖してセックス恐怖症に
まだ若い夫がそれでは辛いだろうからと他の女性とセックスすることを公認
やがてドラえもん声優になり忙しくなる中で、夫の世話をあまりできなくなったことに悩み、
夫の愛人の同居を許し、愛人に家庭のことをやってもらうようになった
のぶ代が売れっ子になったことで旦那はほぼニートと化し、のぶ代が旦那と愛人を養った
実際殺人罪じゃないっていう
日本において、妊娠中の女性に対して暴力を振るい、故意に流産させる行為は犯罪とされます。具体的には、刑法において「堕胎罪」や「傷害罪」として処罰される可能性があります。
日本の刑法第212条から第216条には「堕胎に関する罪」が規定されており、自己堕胎や他者による堕胎行為が違法とされています。具体的には、以下のような規定があります:
特に、妊婦に対する暴行や傷害で流産させた場合は、故意にせよ過失にせよ「傷害罪」や「傷害致死罪」に該当することがあります。これは胎児が法的に「人間」かどうかという問題とは別に、妊娠中の女性やその胎児に対する保護が強く認められているためです。
したがって、日本においても、胎児が人間でないという理由で流産させても問題がないという考えは法的に通用しません。流産させる行為は厳しい処罰の対象となります。
6月頃から見始めたおしん。ついに最終回に到達した。全297話を一気見して感慨深い。おしんは明治に生まれ、大正昭和と激動の時代をたくましく生き抜いた女の一代記である。
これまでも2019年頃に再放送された際に断片的にはみていたのだが、フルバージョンで通してみたのは今回が初。全篇を通してみて、いろいろと誤解していたことも多いことに気が付いた。
全く違った。もちろん困難に負けないといった不屈の精神みたいなテーマもあるし、海外ではむしろそこが受けたのだろう。しかし、おしんの本質はそこだけではないというのが全話みた感想である。豊かになるにつれ老害化してゆくおしんの姿は、立身出世物語にありがちな主人公の聖人化とはむしろ逆行していた。
いや、もちろん少女時代の奉公先での過酷な試練は、おしんのイメージともなっているし、全編通して苦労が絶えなかったのは確かである。それに耐えようとする根性もみせた。しかし、おしんは最初の奉公先である材木問屋からは逃亡しているし、佐賀の豪農の嫁となってからは、姑の嫁いびりに耐えきれずに幼い一人息子を奪うようにして家出している。7歳のおしんが座木問屋で受けた仕打ちにしても、24歳のおしんが佐賀の田倉家で受けたイジメにしても、視聴者から見るに堪えないとのクレームがあったほどのもので、おしんが耐えきれないのも無理はないものである。特に壮絶だったのは、妊娠したおしんに対する佐賀の姑の仕打ち。まかり間違えば自分が命を落としかねない危険な死産を経験したおしんはついに、佐賀の家を離れ東京行きを決意する。朝ドラとしては、佐賀時代は1ヵ月以上もあり、視聴者にとってもきつかっただろう。なにせ毎日いびられ、佐賀時代におしんが笑顔を見せることはなかったのだから。朝から気持ちを明るくさせるという朝ドラの使命を真っ向から放棄した凄まじく理不尽な展開だった。
後年、佐賀の姑・清を演じた高森和子は、こんなことを言っている。
佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。だから憎まれ役のつもりはなかった」という。ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。とはいえ、高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わず涙したこともあったようだ。(NHKアーカイブより)
さほど厳しいと思っていなかったという回想は、放送から40年後に、おしんを視聴した私にとってはむしろ衝撃である。なるほど、あの姑・清の行動にリアリティがあるのはそのためか。清の役柄を完璧に理解してこその発言である。プロとしかいいようがない。おしんの娘が死産した際、ほぼ同時に出産した娘・篤子には乳が出なかった。困った清はおしんの乳をもらえないかと頼む。清は授乳するおしんの姿に慈母観音をみる思いだと感動し、死産した娘に愛と名付けていたことを知った清は、自分の孫に愛という名前をもらうことにした。もとはと言えば、おしんの死産は田倉家での嫁としての過酷な日々により体力が奪われていた結果である。自分の孫に愛と名付ける姑の無神経さもさることながら、こんなところにいたら殺されてしまうという思いがおしんの東京行きを決意させた。その際、一粒種の息子・雄を清の手から盗み取って、自立しようと家出するおしんを手助けしてくれたのは、田倉家長男の嫁・恒子。恐らく当時の日本全国の農家の嫁たち(視聴者)は恒子の行動に大きな共感をもっただろう。誰しもおしんのように行動はできない。つらくても長男の嫁として根を張って生きてゆくしかない。真の意味で辛抱する女は恒子である。
これは半分は正しいが、半分間違っている。確かにおしんは、9歳から16歳にかけての酒田の米問屋・加賀屋で奉公した際、大奥様から見込まれ、お茶や料理、裁縫などありとあらゆる花嫁修業のみならず帳簿の分析の仕方など商いのイロハを徹底的に仕込まれた。これは加賀屋を継ぐことになる孫娘加代が商売に何ら関心がなく、将来とても加賀屋を任せられない不安から、加代をバックアップしてくれる存在としておしんに期待していたからである。
しかし、全編通してみると、おしんの才覚はむしろ夫の事業や息子の事業をサポートするために発揮されていることがわかる。10代の頃に加賀屋奉公時代に培った経験は、のちに田倉商会の旦那と結婚し、田倉商店を支えようとするときに力を発揮する。帳簿をみて夫の田倉竜三の経営能力の弱さを見抜いたおしんは、そのを不安を源じいと相談する場面がある。源じいは佐賀の本家から三男・竜三のお目付け役として東京で同居していた使用人である。夢ばかり膨らみがちな竜三の経営には源じいもハラハラしており、おしんの商才を見抜いていた源じいは、おしんが竜三坊ちゃんを支えてくれるものと安心していた。しかし竜三は甘く世間知らずだった。田倉商店は詐欺にあい、あっけなく倒産してしまう。
田倉の再起をかけておしんは自ら稼ぐことを考えた。おしんは手先も器用だった。17で上京した当時、日本髪に弟子入りした経験から、出前の洋髪を始めるとたちまち客がついた。一方、竜三は堕落した。会社員の月給の何倍も稼ぐようになったおしんをしり目に、竜三はカフェを飲み歩く日々。完全に髪結いの亭主化してしまう。日本髪のお師匠さんに相談すると離婚してしまえと助言を受けるが、ここでおしんのとった行動がすごい。夫を再起させるために、自ら稼ぐことをやめてしまうのである。おしんが働くのをやめ、ついに貯金がつき、明日の米を買うお金も無くなった。お金が尽きたとお師匠さんに報告した際にいったタカの言葉「ダメは男はどこまでいってもダメなんだよ」は自分の胸に突き刺さっていたい。どん底を理解した竜三はプライドを捨て勤め人として働きだす。それからのおしんは、再び商売を始める竜三に対して、どんなに商売にセンスがなくても温かい目で見守ることにした。先行きに不安でも、それを表には出さずヨイショを欠かさなかった。夫と一緒ならどんな苦労でもすると明るく振舞う。黙って俺についてくればいいんだと竜三に言わせることで、おしんは夫の背中を押していた。やがて子供服の需要に目をつけ、竜三は工場建設に乗り出すも、関東大震災で多額の投資をした工場は瓦解、田倉商店の夢も泡と消えた。失意の竜三は佐賀に帰ろうと言い出す。そもそも三男坊である竜三は実家の資金で東京で事業を始め、失敗し、夢破れて、太い実家をあてにして舞い戻ってしまうような根性なしだった。前述のおしんの佐賀地獄はここから始まる。
それから数年、佐賀地獄から幼い息子を連れて脱出したおしんは、東京、山形と転々とし、最終的に伊勢に落ち着き、魚屋として地道に商売をする日々が続いた。いずれ夫と家族ともに暮らせる日を夢見て。最初の3年は一人で魚屋を切り盛りしていたおしんっだったが、夫の竜三からは手紙を出せどなしのつぶて。そんな折、有明海干拓の夢破れた竜三が、満州で一旗揚げると別れの挨拶にひょっこり伊勢に現れた。渾身のタックルで、逃げようとする竜三をつかまえるおしんの演技は、天才女優・田中裕子のすごさがわかるシーンである。竜三は自分には甲斐性がないことを承知していた。おしんが行商した金で店を開くのに亭主面して乗り込めるかと、あくまで干拓に拘っていたのである。しかしおしんには会いたい。干拓の夢破れた自分を恥じて、おしんに顔を向けられない。おしんに見つかった途端に逃げ出してしまう竜三。そんな旦那にしがみついて、プライドを捨てて魚屋から一緒にやり直そうと説得するおしんの行動には、ある意味、全篇通して変わらないおしんの本質がある。田中裕子の猛烈なタックルをみるだけでも「おしん」を見る価値がある。マイベストシーンといってもいい。
やがて伊勢に根付いて20年が経ち、この伊勢の小さな魚屋を軍部お抱え業者としての水産加工工場にまで事業拡大させたのは竜三の手腕である。
竜三と長男・雄を戦争で失い、おしんはもう一度魚屋として再出発する。魚屋を手伝い始めたおしんの息子たちはやがて魚屋をアメリカ式のレジを導入したセルフサービスの店に転換しようと奮闘する。それがのちのたのくらスーパーの出発点となった。今日ではどんな店でも当たり前のレジによる精算が当時は画期的な仕組みだったというのも興味深い。それまでは品物の中央に座りザルをぶら下げて、商品の受け渡しと代金の受け取りをするのが一般的だったのである。
魚屋として地域に根差し、身の丈に合った商売をしたかったおしんは当初は反対していたくらいであり、事業の原動力となったのは次男の仁である。おしんは夢ふくらむ仁の行動に不安を覚えつつも、その後の事業拡大を支えていたのは間違いなくおしんであった。しかし、情熱をもって会社をリードしていたのはおしんというより次男の仁であったというのは間違いない。
こうしてみてくると、おしんは実業家として全く野望を持っておらず、本心は堅実に地域に根付いた商売をしたかっただけである。
極貧の小作の娘から、女一代でスーパー16店舗をかまえる地域の実業家になった、というのは筋としては間違ってはいない。しかし、大正、戦前、戦後とその時代時代でおしんがしてきたことは、成功しようと夢見みて危険なかけにでる夫や息子の行動を冷静に分析し、正しく軌道修正しようとすることであった。事業拡大をしようと竜三や仁がいうとき、おしんはいつも反対してきた。これまで大切にしてくださったお客様など義理人情を捨ててまで商売をしようという考えはおしんには全くない、ある意味とても保守的な人間であり、実業家によくある野心家では全くなかった。野心家は夫の竜三であり、その血を引いた次男の仁のほうだった。
もちろん、おしんにはおしんの商売に対する信念があった。それは人のつながりを大切にすることであり、恩を大切にすることである。おしんは昔から自分を育ててくれたり支援してくれた人たちへの恩を忘れず、いつでも義理と人情に生きようとする人なのである。
大正時代に縫製工場を拡大したときも、従業員をこき使おうとする竜三に、社員の健康、福利厚生の大切さを説いていたおしん。ここにはかつて製糸工場で結核になったおしんの姉・はるが使い捨て同然に実家に戻され亡くなった経験がにじみ出ている。伊勢で魚屋の店舗を構えることになったときもおしんはお世話になったお客様を忘れず、なかなか行商をやめようとはしなかった。
またおしんをめぐる当時の関係人物にはそれぞれやはり、一宿一飯の恩義という観念がつよく働いていた。それを象徴するのが、息子・雄の戦友である川村である。雄は南方戦線で亡くなってしまうが川村は戦友に報いるために自分が取得した駅前の土地を田倉家に譲渡するという行動に出る。そしてなんといってもおしんの人生最大の恩人は16歳のときの初恋の相手・浩太である。浩太にとってもおしんは恩人であり、かつ激動の時代を共にしてきた戦友のような存在だった。
おしんの物語は、事業家としての成功の一代記というより、ひとの縁と恩を大切にする人生観がより胸に迫ってくる物語である。いってしまえば浪花節である。いやそもそも成功などせず、ほぼ失敗して物語は終盤に向かう。その失敗についても、その救済についてもいろいろと誤解していたことがわかった。